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枝分かれして、常緑樹、団栗が落ちているところを見るとウバメガシの大木かも知れないがわからない。天気が良ければ見晴台からのあるべき景色を皆で乏しい想像力で補う。低山だがここは本来景色がいい所。惜しむらくは紅葉はゼロ。落葉樹がなく根から枝分かれした大木が多く植林は無い。海に近い為か変な林相だ。砲台山の山頂は昔通りの複雑な長い巻き道を伴う道。山頂のコンクリート造りの高射砲台跡はつわものどもの夢の跡を思わせる。
恒例会場。正確には数えていないがこの場所での新年山行は20回をこえている。
場所が近く交通の便があり、3時間程度のハイキングで、野外で鍋ものができる大きな広場があり、安全で誰も参加でき、それに穏やかな海が眺望できる南にむいて芝生の広がりがあり、それにトイレまである登山者にめったに出会わない山、更に初詣が出来る「寺」まであるところなど都市近辺には探してもめったにない。新年会用に特別にあつらえられた場所だ。今回も好天に恵まれた、かなり前から日程を組むリーダーは天候を読むことから始まり、当日の鍋料理も含めてご夫妻で大変な準備だろう。その上、あらかじめほとんど作成済みの食材の持参までし、会場で料理まで作ってくれるに及んでは頭が下がる。
全体綜合
春3月に会員の提案でこのコースの企画準備開始。早速環境省発行のコース全区分地図を手に入れ山岳フエアや、観光協会から情報をこまめに収集分析。その結果トレイルは一般的な自然歩道程度と判断、特に地理院発行の二万五千の地図を準備するまでもないと甘く見た。実態は天気に恵まれたにもかかわらず悪戦苦闘。東西に尾根が海に傾斜するのを南北に歩くのだから谷と尾根を繰り返し登り降りするのは致し方ないが、なんでこんなに階段や急坂が続くのかとぼやきたくなる。その代り、森は原始のままに深く、世界最大の海は悠然とし、所によっては一日歩いても電柱一本見事にない。たまに小さな漁港にぶつかるが空き家と塩の香と波が奏でる小石の音だけで赤トンボの羽音すら聞こえるようだ。特に田野畑周辺は昔役人が赴任するために来て余りの厳しい道のりに引き返したという場所がいまだに地名に残る。今日でもその通行の困難さが見渡せる真木沢の思案橋、松前川の谷を渡る思惟の大橋などがある。この手の話は四国高知の檮原にも学校に赴任する先生があまりの山奥の道に引き返す峠の名前がいまだに残っている。いずれも、住民の微かな優越感と諧謔の匂いをさせて微笑ましい。そんなところだからこの道は飛びぬけた贅沢時間を存分に味あわせてくれる。今回は、周遊切符の関係で3泊4日に無理に押し込んだ為、徒歩コースを車移動で食い散らかさざるを得なかった。もっと、地を這うように体にしみいるような旅をしたら、一揆の事や、厳冬の山河、山漁村の真の生活や古きアイヌや縄文遺跡の事等の風景に深く出くわすに違いない。
それでも高齢者11人の集団としては企画や事前調査、困難な昼食手配、
複雑な会計などの担当者を始め参加者全員の協力のもとよくぞ頑張り誰一人として事故もなく歩き通したのはさすがだ。
この東北の果つる道に今だ未練がある。残した魅力にあふれた未知は大きくそして多い。
全体記録;勝巳
登山記録 前期;達也
登山記録 後期;亮子
全行程6泊8日を新緑の6月と紅葉の10月に分けて実施。前期4泊5日。後期は2泊3日。
自然豊かなブナの原生林の新潟と長野県境を巡る全長70Kmを超すロングトレイル。
予想される雨天の中、連日歩く体力と気力を要するが幸い好条件に恵まれ、長期日程に伴う事故もなく充実感に満ちた山行となった。
総括;徒歩4時間程度だが雨中登山でもあったので十分以下の目的は達成できた。
施策の目的
現状体力を自ら正確に把握し、「気が先行し、体がついていかない。昔の体力を過信する」ための高齢者特有の山岳事故を防ぐために実施する安全対策上、恒例の大切な行事。
この意味では、通常の登山とは趣を異にする。
引き続き登山計画に参加希望者は常に自己体力の正確な把握が欠かせない。自分の体力を知ることで、団体スポーツである登山に同行する他人への迷惑を回避することにもなる。毎年、場所、時期、コース、時間帯を同じにして、正確な現在時点の体力を確認する。
此の為、途中で引き返しも当然可。(少雨の時も、雨中の登山訓練を兼ねて実施)。

豪雪の「只見線」に加え、林檎畑の千曲川に沿った「飯山線」。田毎の月と姥捨て伝説の「篠ノ井線」を回る忍耐が試せる青春切符の旅を理想とするはずだったが、そうは問屋がおろさない。豪雪も林檎も皆無。青春切符の利用方法からくる制限事項が災いして、と言うよりも地球規模での80数年ぶり、観測史上初めての暖冬異変をもろにかぶって、晩秋の変に暖かな雪のない豪雪地帯を回る。大地は、枯れすすき色、所どころに取り残した柿がある家々は雪囲いの準備こそは終わっているものの、全くの晩秋風景。
暗い空のじっと雪に備えている村落はこの地の誠実な暮らしとこれから来る厳冬の厳しさに宿命のように厳然と立ち向かっている風景だ。昨年の冬は列車の屋根も見えない雪の中の旅だったが、どちらも優劣はない。あるとすれば歳と共に錆びついた感性の劣化だ。

お世話になった鉄道駅では、駅員が私たちが前日下車したのを覚えていて、にこやかに話しかけてくる。当分来ない汽車に誰もが余裕で談笑する。新宿や池袋の殺伐とした駅員には決してない柔和なこの地にしか見られない人間の顔だ。
途中から車中で出会ったお婆さんの娘の話を聞く、よっぽどうれしかったに違いない、娘への土産の白菜をくれるという。その重い白菜を家まで持って帰った人も、その話を聞いた人も、みんなをこの沿線は人間に戻してくれる。ここは私たちが求めている桃源郷だ。

朝日連峰北部の巨大な雄峰。伝説の山湖、稜線の展望とお花畑。素泊まりの山小屋2泊。
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(山行の困難性にかんがみ健ハイ参加者の安全登山の為にあらかじめ補助者として経験者の同行依頼 一朗、清彦両氏。全て自費参加)本年夏北アルプス裏銀座縦走における方法に同じ。
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時48分発 自由席3号車付近集合 切符は、往復(東京ー鶴岡)。自由席。(雨天決行だが天候によるコース、時間変更があるため)。
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東京駅(23番線)7時48分発(MAXとき305号新潟行)――新潟着9時59分――新潟発10時12分発 きらきらうえつ(酒田行)――鶴岡着12時26分。
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鶴岡発14時46分(いなほ10号)新潟行――新潟着16時32分(新潟発16時51分MAX
とき336号東京行、自由席)――東京着19時0分。

- 観光地を点と点で行くだけの商業ツアーでなく、多少の困難覚悟で丁寧に地を這うような辺境への旅。海岸線の小さな漁村や峠を越え山村をいく。総走行距離約1,100?
生涯、再び訪れることはできないだろう。と勇んで出かけたが、やっぱり四国は大きい。今こうして地図を前にして、見落としてしまった地域や、訪れたかった岬や集落、断崖の道や峠を改めて眺めている。6か月にわたる詳細な情報収集や全域の地図の購入、観光協会への事前調査も、長く困難な旅の中で、体力も気力もそがれ、ひれ伏すことがあった。
それでも見方で、この歳でこれだけの旅に企画、挑戦した勇気は誉めていい。 随分辺鄙な秘境とも思われるところにまで踏み入った。これはどう見ても物好き、変人の領域。全員無事に帰省できたのも、参加者の相互協力と、なによりも梅雨直前であるにもかかわらず、天気も比較的安定し、交通事情も「これが四国か」と思われるほど高速自動車道などが整備されていたことによる。過去のジャリ道とすれ違いもできない道を知る者にとっては隔世の感があったが。それらが複合的に作用してこの旅だった。
数日は疲れが出て記録が遅れたが、それだけ、内容豊かな旅と言えるかもしれない。
(記録:勝巳))
当初計画(7月9日)により、「燕岳往復」3名のコースを全員で歩く。
(記録:勝巳)
今年は、夏の北アルプス表銀座縦走を考慮して、金時、矢倉岳を回る8時間コースを設定したが、そのコースを歩く人が誰もいないので、恒例の「健ハイコース」の往復とする。
信濃の展望の春山と行き止まりの温泉。国宝古刹、信州の鎌倉塩田平。脩那羅峠石仏群。荒天で計画中止数度。執念の山域。2日間他の登山者に合わず。