No.523春の散歩道(川崎市高津区近郊)

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実施日:2022年3月16日(水)曇り、晴れ。暖か。

参加者:4名(男2,女2)勝巳(記録)、才美、吉生(写真)、亮子

今回は、永いコロナ蟄居後の軽い近郊散歩。春の温かさに動き出した。

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コ―ス概要:(徒歩3時間) 集合JR武蔵溝の口改札口9時30分 市民健康の森~矢上川~蓮花寺~久末畑~配水塔跡~妙法寺~バス~武蔵小杉~昼食。解散

長い無機質なトンネルのような連絡通路から待合場所の改札口へ、異様なコンクリートの塊のような駅。 駅からのバスは聞くたびに停留所が違い、タクシーで「健康の森公園」へ。地元の運転手は、公園を知らないという、変なところで降りて、公園入り口を求めて迷う。適当に公園らしき森に入れば、竹やぶで行き止まり。急な谷があり、雑木林は濃く茂って横切れない。人家の屋根は、はるか下にあるのだが。やっとのことで公園口を見つける。

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たどり着くまでに疲れ果てて、公園の中を周遊する気になれない。人家の裏門を勝手に開けて道路にやっと出る。この公園は周囲から人家に浸食されてやせ細っている。住宅が浸食出来ないため残された急傾斜は、竹やぶ、雑木林で、通行できない。従って目的地に直行するには急登、急降下の道を行く以外にない。まことに「健康の森」とはよく言った。DSCN4694.JPG
要するに、もともと雑木の山を、勝手に開発して人家が迫り、残った使えない所を公園としているのだろう。もちろん、道標も古くて判読不明。公園として体を成していない。もっとも、ガイドブックの「高津の散歩道」にもどういう訳かその公園の紹介はない。僅かに歩いた公園内の道も、公園からの森の小道と称する道も森蔭の小道などではなく人家密集する裏庭の細道。しかも混沌としていたって分かりにくい。高台の途中の緑地も広くはない。野に働く人もいない。たまにいる人に道を聞いても、地元小学校も、ガイドブックのコースに表示されたお寺も、ましてや橋の名前に至っては誰も知らない。どうなっているのだろうこの新興の集落は。誰も街に関心もなく、誇りに思っていないのか。途中、意外な大きさの人家に何度か出会う。近くの老人ホーム経営者宅だろう。久末小学校も巨大だから、急激な開発があり、急激に都市の過疎化をしたのか。旧高射砲陣地だったという市営団地も多い、近くの商店はほとんど廃業。車道は狭く、中原街道などは、横切りも困難。途中妙法寺の「門訴」義民地蔵。1693年、重税に抵抗、20人が領主の住む江戸に直訴に向かい一人を除き斬首された。この近辺の武蔵野に「門訴」の記録は多い。この平凡な丘陵地帯に農民の辛酸な生活が身近に残されている。DSCN4701.JPG

「国木田独歩の武蔵野」要約: 武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。 どの路でも足の向く方へ行けば必ずそこに見るべく、感ずべきものがある。
  武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく思いつく次第に歩くことによって初めて獲られる
 林と、野とが斯くも良くいり乱れて生活と自然とがこのように密接しているところが他にどこにあろうか。もし、道を迷い尋ねたければ大声をあげて農夫にきけばいい。驚いてこちらを向き大声で教えてくれるだろう。その道を行くと、突然農家の庭先に出る。変だと驚いてはいけない。門を出るとすぐ往来ですと、すげなく教えてくれる。 路は折々落ち葉の音が聞こえるばかり。如何にも寂しい。誰にも遭わず落ち葉踏む自分の足音ばかり。帰りは同じ路を引き返かえしてはならない。迷ったところが武蔵野にすぎない。行暮れて困ることもない。帰りは方角を決めて別な好きな路を歩む。一直線に。
この武蔵野はもうないのか。あの雑木林の木漏れ日の小道はないのか。 遠い、紫の秩父の山並みはないのか、 あの向こうに何があるかとあこがれた空はないのか。流れる雲はないのか。 一人草原に寝転んで見上げた15の春は戻らないのか。 どこかにないのか。探し求める自分はもういないのか。

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