No.534城ケ島散策ハイキング

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日程: 2023年1月12日(木)日帰り 快晴。無風

集合: 横浜駅京浜急行笠継地(地下)午前7時30分

参加者:5名,勝巳(記録)、才美,吉生(写真)、亮子(写真)、恵美子

コース:(快晴。無風。温暖。徒歩約3時間)
京急横浜発、特急7時49分――三崎口着8時43分――バス8時49分発――城ケ島白秋碑前バス停9時10分――徒歩――県立城ケ島公園10時――安房埼灯台広場10時30分――宮柊二歌碑――角川源義句碑――ウミウ展望台11時――馬の背洞門11時30分――海岸線ハイキングコース13時――城ケ島灯台、――長津呂崎――旧京急ホテル(工事中)――城ケ島バス停12時30分――渡船(500円)――産直センター――三崎港(昼食)13時――バス停三崎港――京急三崎口駅14時――横浜15時(解散)

当初計画「大山南面」が悪天候予報のため、日程を繰り上げ変更し急遽「城ケ島」へ524-1.JPG

平日なのに特急は相当な混雑。何処へ行くのか不思議だったが追浜を過ぎて、やっと空いてきた。城ケ島は、北原白秋の島。白秋が大正3年城ケ島の前に住んでいたころ、舟歌として詩作。梁田貞作曲で、作詩から僅か4日で音楽会で披露されていたと、白秋が記している。良き時代の詩情豊かな、純日本歌謡。これほど長く、老若男女に愛される歌は少ない。城ケ島=この歌が結びつき、他にも多くの秀歌がある白秋にとっては痛しかゆしだろう。524-3.JPG 歩き初めの大きな駐車場に車はまったくない。わかりにくい小さな地下道を経て、県立公園に向かう道に出る。道の両脇の松はよく手入れされ、皇居前の松に引けを取らない。そろって同じ方向に傾いているのは強い海風のせい。聞けば一日に一人では2本しか手入れできないという大切に守られている松並木だ。公園は立派で入場無料。神奈川県の底力を見る。歩けば、海風、佇めば、白秋に師事した宮柊二の師を慕う歌碑。角川源義の句碑。灯台は青首大根の姿。ご当地三浦半島らしい。公募のデザインだが、選定したユーモアを含んだ余裕ある慧眼が素晴らしい。周辺は、上着を脱ぎ、寝そべれば陽光の芝生の広場。木製ベンチが散在し、家族連れに良いのに誰もいない。その向こうに春を思わせるのったりした海。大きなトンビが天空から音もなく挨拶に下りてくる。日は高く、早春の岬。崖下の海には小さな漁船が、日がな海藻を摂る。遠くこの風景に不自然な自衛艦。この船さえも、日向ぼっこの平和を満喫している。海は穏やか、人もいない。遠くかすむのが房総半島。空の蒼さに反して黙って伏している。富士は春霞のようだ。524-8.JPG ここがこの島の行き詰まり。来た道と変えてウミウ展望台に立ち寄る。思いのほか、急峻な崖から遠く続く断崖を見る。白く石灰岩と見えるのは、すべてがウミウの糞。遠い岬にウミウの群れらしい黒点。肉眼でははっきりしない。あいつらもひなが立ち話をしてる。
急な階段で海岸に降り立ち「馬の背洞門」に至る。海蝕の奇岩。昔この上を歩けたのだが、今は立入禁止。黒々した洞門の窓を通して向こうにゆったりした蒼い海。かすかに房総半島か。これから城ケ崎灯台までは、海岸の岩場歩き。以前、この辺は昆布干し場。漁民が背を丸め暖かそうに仕事をしていた。今日は誰もいない浜。この辺で地震に遭ったら逃げ道はなどと穏やかな風景に似合わない心配。島は最高でも海抜は38m程度。巨大津波はかなり危険。計画段階で、もっとも苦心した事だ。岩に躓かないよう慎重に進む。524-4.JPG 海釣人がいるためか、野良猫が多い。それも皆家族単位で、暖かそうな岩の上で昼寝。不愛想な猫たちを横目に黙々と岩場歩きが続く。やっと、眼前に城ケ島灯台が見え、集落らしい建物。長津呂の岬を大きく回れば、バス停だが、バスよりやっぱり城ケ島だから渡し舟の方が情緒がある、小船で本土側にわたる。三崎港には、きれいな船体の船が横付けしている。客船にしては小さすぎるし、漁船にしては美しすぎる。
岸壁に係留され白い船体が赤い喫水線に反映し、太陽にまぶしい。漁船と違い堂々と規律正しい姿。客船が持つ軽薄な自己主張がまったくない謙虚さ。524-6.JPG青い空と、港の混沌とした風景を背に孤高している。何だろう、この風景は。どこか遠い記憶がかすかによみがえる。渡船の船長は、「水産高校の練習船で今日出航するのだ」。この街ではみんなが知っていることらしく、淡々と誇りを持って教えてくれる。高校生がこれからあの船で遠く太平洋に出かけるのだ。急に遠い中学時代の風景が思い浮かんだ。職員室で「どこの高校を希望か」と座ったままの先生に聞かれ、惑うことなく「商船高校」と答えた。先生は眠そうに、「そうか、それで、どこの高校を希望しているのか」と重ねて聞いている。私の答えは何もなかったように。両親にも言わず、悩みぬいてやっと決めた進学の希望を、真っ向から「何を夢みたいなことを」と先生に一瞬にいなされた。それだけのことを67年たった今、敗れ去った夢の風景に出逢った。今日出航する若者たちの船とともに私を乗せて大海に踊りだしていた。ここが城ケ島だからだろう。524-7.JPG 昼食は、魚屋がやっている食堂。観光化し素朴さはない。座敷に痛い足で正座。 観光客の多い狭い港町を歩いたが、ずいぶん寂れていて閉店してる商店が多い。 三崎港街は既に城ケ島ではないのだ。

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