No.324 関西の旅(2014/10/20-23)

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(記録:勝巳)

関西のイメージに程遠い奥丹後半島、奥琵琶湖や茅葺の山村等を巡る本物の旅 恒例の専用バス、最もいい秋に周遊する」と銘打っての実施

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総合記録

ともかく、平均年齢70歳を大きく超えているメンバーが3泊4日のバス旅行をして、全員無事に帰れたことがまことに立派。行動中も、誰一人時間に遅れることもなく、病気や怪我もない。落し物も忘れ物もない。こんな旅行ができたことは参加者全員のチャレンジする若さあふれる精神の賜物だろう。

会計幹事の憲治さんには頭が下がる。事前の幾通りもの周到な予算組み立てから、宿では毎日、自分の楽しみを削って日々の複雑な収支管理のすべてをこなし、その上、日ごとの行動計画まで作成してくれ大いに助かる。

今回は、三貴也さんに事前の車の手配や経路確認、車内催しなどの準備をしてもらったが急病のために奥さんだけの参加になり、本人が不参加となったのは本人以上に私たちにも残念であった。善右衛門さんの訪問地情報収集も不慣れだったとかで大変であった模様。しかしそのおかげで、いっそう深くこの旅を皆が楽しめた。

天気は旅行期間中、快晴とはいかなかったが、全国的には悪天候なのに、行く先々でそれなりの天候に恵まれた。宿泊は、温泉付き個室旅館を含め、料理も普段の旅行よりもランクを上げた。その上、できるだけ個室を確保して大部屋での宿泊を避けたことも大きな意味で事故が無かった理由でもあろう。若干料金に反映したが、今後のこの種の旅行の方向性を考えるいい機会になった。

訪問地は、喧噪の関西のイメージとは予想以上に開きがある。京都、滋賀と言っても私たちの訪れたのは僻地、秘境、過疎地の部類だ。奥丹後の崖にへばりつく道からの日本海、雨に煙る草生す茅葺集落の美山、水鳥の浮かぶ余呉湖や琵琶湖北岸は過疎と秘境の地。小雨降る石段の神社に裸足でお参りする信仰や、竹生島の石段の社寺仏閣はいまだに中世の香りがする。観光化した伊根やリフトで行く天橋立の風景が、この旅には違和感さえ覚える。

美山から、琵琶湖大橋への間道はチベットなみの誠にすさまじい山道。車酔いは当然としてもよく無事で通過できたと今でも思う。Dさんの運転技術に改めて舌を巻く。 琵琶湖の周辺は、「兵どもが夢のあと」の深い歴史を抱え込んでいる。近江八幡の掘割や、彦根城はいまだに、天秤の商人がいて、武士が古い家並みから当然のように出てくる錯覚に陥る。宿泊した温泉は間人と書いて(たいざ)と読む所のようだ。冬場のカニがすぐ近くの海で取れるので、冷凍しないものを食べられるらしく、ここはその筋では有名なようだが申し訳ないことに聞いたこともない地名で、読むこともできない。これも僻地なるゆえか。はたまた単なる無知の故か

旅はいつも人間に出会う。江戸情緒が残る近江八幡で、切れたベルトを購入した。その荒物屋のお婆さんは、ベルトはないがこれにしなさいと店にあったビニール紐をズボンの色に合わせて選び、切り取った紐の両端をほぐれないようにと当然の如くテープで留めてくれた。その上「外ではできないから店の中でベルトをしていきなさい」と言う。僅か200円の買い物なのに。一時代を席巻した近江商人の真髄に出会った。

奥丹後の寒村で干物をかったら、途中で「これ以上売れません」という。これから山間部へ行商に行くので売らないという。待っているに違いない過疎の村人への信頼にこたえるために、目先の商売を泰然と拒否する精神は私達にはすでに失われている大切なものを教えてくれた。山道で迷った時には、食事中なのに雨の外まで出て、道を教えてくれた青年もいた。そんな人たちに会えるから旅はいい。道端で手を振っていた幼児がいるから旅はいい。制服の学校帰りのまじめな中学生に会える村がいい。雨煙る山里に立ち上る紫煙が、葉の落ちた柿の色が忘れられない。刈り終った霧雨の田を前にした山背の農家で、もし自分が生まれたらどんな人生を送ったかと、残り少なくなったいま考える。そして自分を諌める。旅はいつも自分を見つめさせる。

湖東の石道寺の観音、向源寺の国宝十一面観音を前にしては無宗教なりに身が引き締まる。名もない村人が仏を守る石道寺の物語は本当の信仰だろう。 彦根城は、粗削りである。生まれたままの太い丸太が、時代の色を光らせて厳然として古武士の風格を今に残す。此の豪壮な城や、玄宮楽々園を見るにつけそれを支えさせられた人たちを思う。ヨーロッパの煌びやかな宮殿を退出した時のあの寒々とした後味だ。 江戸がまだ、芦の湿地のころから長く関西は歴史の中心であった。琵琶湖周辺も栄光に包まれた時代があったのに、そのごく近くには、そんなことと全く無縁の地もあった。光の当たらない忘れられた地を訪ねることは今に通ずる問いかけであると思う。

訪問地概略

  • kansai-2.jpg菅浦(すがうら)滋賀県:

    琵琶湖北岸の正真正銘の隠れ里。現在は東西(かっては南北も)の入り口に四足門で守られた中世が残っている行き止まりの村。四足門は隣村との土地を争う城門代わりのもの。緊急時は門を倒して防衛。惣と言う村落共同体による自治による生活があったらしいことが近年の研究で明らかになった。ガイド案内有。淳仁天皇をまつる大欅のある須賀神社のお参りは長い石段を雨の日でも裸足で行く。道鏡に追われた天皇がここに漂着。土地の娘と結ばれこの地に住んだという伝説がある。家の周りにしっかりした石垣、まるで石垣島の様だ。琵琶湖の水位に応じて2段の石垣で囲まれている。ヤンマージーゼルの役員がこの地の出身で、菅浦には働くところがないため、わざわざ簡単な機材を持ち込んで、この地にいながら高齢者でも内職程度の仕事ができるようにしている。そのための作業小屋が数件現存し、早朝から裸電球の柔らかい光の元、なにやら作業をしている。家族のある正社員すら首を切ることをやり手の経営者と任じている輩に比べ、此の世知辛い時代にある意味立派な会社だ。(みなさん何かヤンマーから買えるものはないかな)

    つづらお荘 食事内容一部 食前酒 小鮎マリネ。ビワマス。近江牛鍋。カニ玉締め。 えびの揚げ物。氷頭ナマス。大鮎の塩焼き。等。
  • kansai-3.jpg竹生島 滋賀県:

    神が住む古い国宝のある緑濃い島。宝厳寺は長谷寺に似た船廊下を持ちこれは重要文化財で一見に値する。竹生島神社本殿は何となくがらんとして薄暗い。急斜面に立って海に落ちそうなくらいだ。手すりの下が海だったりする。島の人口0人。菅浦港から、宿泊先専用の渡船で25分。太古より、湖国の民は死んでからの安住の地と信じていた千年の歴史ある神秘な島。上陸するには300円。周囲2K。琵琶湖で2番目に大きい。階段は全てが道路。江の島に雰囲気は似ているがまだ神仏への尊厳が保たれている。案外行けそうで行けないが観光地としては普通の人は2度行くことはないという感想(罰が当たるかな) 天橋立(あまのはしだて)京都府

    言わずと知れた天下の名勝。日本海沿いの一度は訪ねたい景勝地。横浜から実に遠く不便 3.6kmにわたる砂州。8千本の黒松。ビューランド展望台(有料)から股ぐらを通して眺めるのがよいがかなりしんどい。龍が天に舞い上がるようにも見える。上り下りはリフト。こんなところにも、中国からの光客。京都から近いようだ。かつ丼の中身が浅利だった

  • kansai-4.jpg伊根(いね)と奥丹後半島一周 京都府

    伊根は観光化されるまでは「舟屋のある半島の小さな寒村」。公称舟屋は280軒あるが、船の大型化で舟屋に入らない為、使っていないものが多い。「海に一番近い街」が売りだが、観光施設としては限界があるようだ。津波の心配など、余計なことか。船で一周すると30分、680円。この風景は船から見ないとただの漁村。カモメと鳶が多い。 奥丹後半島はかって「砂の器」で見せた極貧の地だが、屏風岩の屹立した見事な景勝地でもある。訪れる人は極めて少ない。断崖の道は細く曲がりくねる。海岸からいきなり山で平地はほとんどない。ここの海は少しの風で穏やかな風景は一変する。天は風わたる轟音に満ち、波高く怒涛の海に代わる。冬の村は、雷鳴の雪の海に黒く沈み、ただ耐えていることしかないだろう。ここは、まさに日本海。向はシベリア。

  • kansai-5.jpg美山(みやま)京都府: 

    日本一の茅葺民家の里。周囲に由良川。山紫水明の見本のようなところ。近くに京都大学演習原生林。この地方の250軒の茅葺の里は現住生活をしており、忘れてしまった時代の山村風景に満ちている。特に秋のこの時期がいい。北山型の入母屋造りで飛騨の切り妻と寄棟造りを複合させたもの。ここへ来る途中の大野ダムは1000本の桜街道。桜は紅葉も結構美しい。近隣の散在しいている小さな村にも茅葺の農家が多い。田畑には猪除けの柵。見るからに小さい平地。

  • 琵琶湖大橋 滋賀県:

    昭和39年完成。1350m。湖面からの高さ26mは大阪城より高い。歩行者専用道あり。琵琶湖を回る道より1時間節約。新しい道の駅はモダン。美山の奥山から出てきた身には、まるで、別世界。江戸から一気に東京に来たみたいだ。

  • kansai-6.jpg近江八幡  滋賀県:

    堀と土塀の近江商人のふるさと。町は碁盤の目。近くに水郷。大切に保存されている見事ないぶし銀の瓦屋根が連なる歴史的町並み。町を起こした豊臣秀次は運河を作り、琵琶湖を行きかうすべての船を近江八幡に寄港させ、楽市楽座の自由商業制とし、その結果、八幡掘りは帆船で埋まり大いに栄えた。堀端の白い倉はその名残。合羽を着てテンビンを担ぎ、現代の商社のような商売方法をとった近江商人の街。特別立派な古い家があったがこれぞ、江戸の長者番付にものった西川甚五郎宅。言わずと知れた「布団の西川」家。近江商人の代表格。メンタームと言う懐かしい薬の近江兄弟社もいまだに健在。同行したどなたかのお母さんは、なんでもメンタームで病気を治していたそうだ。いい時代の話しだが。鐡道建設を拒否したため2?も離れた駅となって、結果として此の景観が保たれ昔の街並みが見事に残った。 宿泊先では、近江牛のすき焼きが食べ放題(結構うまい)。ステーキも、名物の赤いこんにゃくも出る。節食は明日からに延期しよう

  • 彦根  滋賀県:

    江戸情緒の井伊家35万石の城下町。白亜三層の天守閣は国宝。20年の歳月を費やした見事な牛蒡積の石垣と、清冽な松並木。城の中の床は板張り。歴史の静かさを宿して光っている。城郭の中は滋賀大学など文教地区。関西一の城下景観を残す。全国でもこれだけの城と城下町はそうは残っていない。もちろん、天守閣から琵琶湖が見渡せる。それにしても、此の周辺の田んぼは広大だ。関東平野の風景に似ている。 最後に毎回この施策は、会員の参加者確保が一苦労。10人を切ったら中止の当初の計画だったが、幸い、ゲストとして友情参加してくれたIさん、Tさんご両人の太っ腹な侠義に参加者一同感謝する。

  • 追記 1. 昼食はバスが適宜駐車してそこで、各自負担(計画流動的なため予約不可能) 2. 車内での飲食は各自持ち込み(ご当地名物等は臨時停車し適宜購入) 3. 城見学などに若干費用が別に掛かることがあり総費用は概算。 4. 宿泊は原則温泉、できるだけ地方色豊かなところを。なお、宿泊時のアルコール類などの飲み物は各自解決(観光ツアーバス方式) 5. 全員に緊急連絡先を配布。安全意識を高める。

  • コース 3泊4日

    第一日 10月20日(月)

    曇り、小雨 二俣川農協裏集合出発6時30分―東名高速―木之本IC 13時―つづらお荘着14時―菅浦散策(案内人付き600円/人)15時発―菅浦16時30分宿泊着 宿泊先 「つづらお荘」国民宿舎。0749-89-0350   北陸自動車道木之本IC左折国道8号25分 新館和室2人部屋5室(各夫妻3室)(糸井、玉木1室)(吉川、小泉、相原1室)     本館一人1室(運転手)計6室 13500円(宿泊、税金、竹部島クルーズ乗船料、竹生島入島料込み)

    第二日 10月21日(火)

    晴れ曇り  8時朝食―菅浦港9時出発―竹生島60分―菅浦帰着10時30分―天の橋立13時30分(昼食)―伊根14時30分(伊根湾めぐり遊覧船)15時30分発―奥丹後半島周遊(屏風岩等景勝地)―間人港(タイザミナト)17時着 宿泊先  「海雲館」0772-75-0111 京都府京丹後間人(タイザ)1945 (伊根から90分。天橋立へ90分) 全室10畳、温泉付き, 女3部屋、男2部屋 13000円

    第三日 10月22日(水)

    曇り   午前6時、間人港散策―朝食7時30分―間人港発8時15分―京都縦貫道―美山10時(11時発)―難路―琵琶湖大橋道の駅13時(昼食)―近江八幡八幡堀周辺14時30分―国民休暇村16時着 宿泊先  休暇村「近江八幡」0748-32-3138 温泉 「お肉屋さんのバイキングコース」西館8畳6部屋。11500円(税全て込み) 2名部屋5室 (各夫妻3室)、(糸井、玉木1室)、(小泉、吉川、相原1室)。 1名部屋1室 (運転手)  滋賀県近江八幡市沖島町宮が浦(近江八幡駅、車20分琵琶湖湖畔)

    第四日 10月23日(木)

    晴れ曇り   朝食7時15分―近江八幡国民休暇村発8時15分―彦根城10時―高月向源寺11時―木之本石道寺12時―名神高速―東名高速等(談合坂SAで玉木さん下車後タクシーで中央線四方津駅へ)―二俣川農協裏(解散)18時ごろ着

  • 参加者: 勝巳、才美、憲治、貞子、美奈子、善右衛門、恵美子、邦子、幸子、ゲスト:Iさん、Tさん、Dさん(運転)   合計12名(男4.女8名)運転1を含む
  • 実施日: 2014年10月20日(月)――10月23日(木) 3泊4日 
  • 集合:  10月20日(月)相鉄線北口「二俣川農協裏」 午前6時30分(出発)
  • 費用:   約6万概算 当日集金
  • 幹事:  勝巳(総合,写真、記録)憲治(会計、日別進行)善右衛門(訪問地調査)
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