参加者;10名
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憲治(リーダー、車、会計)。勝巳(記録)。才美。吉生(車、道標補修、写真)。達也(行動記録、写真)。三貴也、幸子。邦子。亮子。和子。
二俣川農協裏集合7時20分(車2台出発)――関本駅8時20分(大雄山バス定)――最乗寺駐車場発8時40分――奥の院登山口記念撮影――鉄塔9時30分――林道交差点9時50分――明神山稜線12時――明神山山頂12時20分――林道交差点14時20分――奥の院駐車場15時――解散15時20分
今回は、当初5月実施がコロナの影響で何度も中止になったあげくの企画。加えて道標補修が予定されていただけに関係者は何かと気をもんだことだろう。幸い天気も良く多少補修材料もあって車利用とした。
久しぶりのコースは、参加者の多くが大変だった、疲れた、足がつったとのこと。参加者の40%が何らかの事情で予定コースを消化できなかったがこんなことは過去に経験がない。登山道が数日来の雨や、台風などのため倒木が多く通行が困難だったことに加えて、長くコロナで出歩く機会がなく体力が弱っていたこと。さらに年々の加齢も当然の原因であるが、体力測定の結果としてコースを含めての再検討の良い機会である。
日曜日とあって山頂は人混みで座る場所探しに苦労するほど。健ハイコースも登山者と出会うことがあって、このコースが知られて来たとコースを育ててきた自負がある我々にとって誇らしい。今回目的の一つは、道標補修。道標は破損状況からみて補修交換する時期。もともと道標は一度建てたら管理責任がある物だし、
道標の不備は山岳事故の原因になるので当然のこと。さらに道標の補修に加えて、大切な事項は登山道の状況把握である。道標に従い山に入ったら、道が崩壊して、荒れはて、歩行困難という状況は許されない。せっかくの善意の道標設置も事故の原因になる。道標の維持も単に、道標のハード面だけでなく、ソフトともいえる山路そのものの現状を適切に把握周知できる体制を維持することも含めて道標を設置したものの管理責任である。
道標設置には大切な効用がある。山中で道に迷った時、道標に出合う安心感はたとえようもなく、大声を出してひざまずき歓喜するくらいだ。赤布のきれっぱしで
すらその喜びは限りなく大きい。ましてや、夕暮れて山中に迷った時など道標に出合ったらその喜びは闇夜で仏の光を見た喜びである。かってここを人間が通った形跡があっただけでもうれしいのだ、このような事はまれにしか起こらないからこそ道標設置には意味がある。
もともと、道標設置は、お世話になっている登山道に対するささやかなお礼であり、純真に心からの感謝の表現である。この善意の行為に対して道標設置に関する規制的な介入の入る余地はない。だからこそそのためにも、適切な自主的管理が求められている。
本来、道標設置と、体力測定コースは別個のものだがそれが一致すればこんな良いことはない。このコースを体力測定コースに定めたときは、皆若く体力もあり、むしろ余裕をもって登れるコースだったが、いつの間にか高齢者には苦しい登
山道になっていた。年月とともに、自分たちの体力も、山道環境も当然変化してきていた。
本来自己の体力を正しく知るための体力測定コースだから、自分たちの体力の現状をまさに体力測定コースから知るのは、このコース設定の目的であり、その目的は今回十分な結果を得た。その結論は、今回の山行の実態が示す状況は、道標設置や、体力測定コースの再検討の必要性である。
今の自分達に適した、体力測定目的に合ったコースであるか等について次の視点からの検討が必要である。
- 登山道の安全上の変化が設定時に比べて悪化していないか。
豪雨や、強風で道路崩壊や、がけ崩れ、倒木での登山道封鎖の個所がないか、
大量の雨水が登山道を流れ深く溝を作り歩行困難になっていないか、
雑草や、樹木が茂り登山道の見分けがつきにくく道迷い状態になっていないか、 - 体力測定の目的に合った工程であるか。
高齢者に適当な歩行時間であるか(現状は総行程5時間程度として選定)、
懐中電灯を使わず歩行時間を確保できるか(出発からの歩行可能時間、特に冬、秋に、実施するときは3時には下山する必要がある)、
勾配、岩場、ガレ場、ぬかるみ、日照時間の状況はどうか、
悪天候時や、雷害、降雪に避難ルート、避難場所確保はできているか、
山ヒル、猪、蜂、などに遭遇する可能性はどうか、
多数登山者とのすれ違い時の危険が多くないか。落石被害はどうか、
コースのオーバーユースで木の根などのむき出し状態が転倒の危険はないか、
要約すれば、
- 体力測定コースは、全員が参加しやすいために交通の便が良いこと、
- 徒歩時間が日帰り5時間程度と会員の平均体力にふさわしいこと、
- 道が危険でなく木陰が多く、起伏が少なく、急斜面、落石、などがないこと、
- 蜂や、山ヒルなどがいないこと、多くの登山者が利用していないこと、
- 出発点にトイレ、駐車場が完備していること、
- 自己体力に応じて、単独引き返しも一定レベルの経験があれば安全にできること、
などの状況が準備されていなければならない。
その意味で、現在のコースはこれまでの長い間、理想的なものだった。しかし、登山道の自然劣化、参加者の高齢化や、コロナなどの生活環境変化で、状況が変わった。
誰もが安心して参加できることが前提であったがコース状況の悪化、参加者の高齢化に伴う体力の減衰は避けられないとなれば現状に合うよう再検討が必要となる。
道標設置もこの際検討を要する。
従来は、一定レベルの経験を有する登山者を前提とした道標設置であったが、未経験者や、家族連れ、日本語を読めない外国人等の利用があるなら、それにふさわし
い道標設置に変更する必要が出て来ている。その検討項目は、
- 道標の位置、形状、設置場所間隔、設置数等が適切か。
- 迷いやすい箇所に適切な誘導をする補助的道標設置の必要性があるか、(経験者では考えられない道間違えが発生している実態)
- 見やすく表記され、樹木などに邪魔されない、高さや大きさの見やすい場所に設置されているか(標識は設置の高さや、場所により、上り登山道で下を向いて歩けば見落とされることがありうる)
- 外国人にもわかる表記になっているか、
- 到達時間、到達方向表現は初心者も利用する前提で親切で適切なものか
体力的に山頂までは無理と判断し、林道交差地点で、ツエルトをかぶって皆さんの帰りを寝て待っていたところ、外人が一度は通り過ぎたのに、戻ってきて、飲み物を提供してくれ、頑張れ、大丈夫かと励まされた。遭難者と思われたらしい。さもありなん。大の字で一人で道端に寝ているのだから。遭難者と間違えられたのは65年の登山経験で今回初めて。相当なショックだった。電車で、初めて席を譲られた時のように。小さな子に「おじさん」と呼ばれた時のように。恐らく疲れ切って同情を誘う姿だったのだろう。わが年齢もとうとうそこまで来ていたのか。このコースに強烈に教えられた。
今回の体力測定登山には、多くの課題を教えられた。
- 山は変化する。それ以上に体力は劣化する。
- それに合わせた、登山の方法はある。登山はそれが特徴。
- 他のスポーツは非情にも体力が失われれば、まったく参画の機会を失う。
- 現状を正しく認識して、安全で、健康な登山を今後も求めていこう。
- そのためには慎重で、抜け目なく実情に合った対処を心掛けねばならない。
- 長い豊富な経験がその可能性を裏付けているから、それは可能である。
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