(記録:勝巳(秀昭氏の記録を参考))
「御坂山塊の変な名の峯。訪れる人もいないだろうが、静かな初夏の息吹が満ちている」と山行計画に描いたが全くその通りになった。全コースでほかの登山者はおろか、人間の足跡もなくただ猪の荒らした跡のみ。誠に面白い山域である。 集合は、石和温泉。雨が降りそうだったが、今のところは曇っているだけ。予約しておいた「石和タクシー」ジャンボ9人乗りにゆったり乗車。鳥坂トンネルまでの30分は、ブドウと桃の畑。
今年の豪雪で、農家のハウスの残骸が飴のように曲がって破壊されている。自然の力と、農家のご苦労がしのばれる。トンネルを超えて右側に車を止めないと、左側からこの道を横切るのは極めて危険だ、特に御坂トンネルが天井の落盤事故修理で交通止めになったため、やたらと車が多い。帰りのタクシーの待ち合わせ時間を14時としたが待たせることなく芦川支所に辿り着くか自信こそないが長年の経験で図々しく約束する(結果としては5分前に到達し胸を下す)。
ゲートを潜って100mもしないうちに登山口の古びた標識と立派な石碑が叢に隠れてある。鳥坂峠に向かう。まだ雨は降らない。峠はこれからの道を暗示するように、もうすでにむせ返る緑陰に鬱蒼としている。曇天ばかりのせいではない。大体、この山域は人が入らないし、山名すら適当で混乱するエリアだ。姥捨ての伝説を描いた深沢七郎の「楢山節考」の構想はこの辺りの山域というくらいのところだ。落葉の残る道は広く相変わらずの自然林というか原生林に囲まれ何もない静かさを満喫できる。上り下りも数こそあるが何となくこなせる程度だ。
春日沢ノ頭には一汗かいて立てる。山の反対側ではここを崩山という。このようなケースは結構散在している。行政が合併や、地域の歴史の波に揺れると、国土地理院も名づけ親になりにくいらしく、「まーいいや」ていどで放っておかれ地名、山名は混乱する。人文地理学的には山名研究は面白いかもしれない。現に、麓で言う名所山とは遥か西方の滝戸山の北陵を言うのに4kmも離れたこれから行く1,236m峰を名所山という。下ると芦川峠。峠と言っても完全に忘れ去られている。25000の地図上は立派な峠なのに、車が通う道が近くにできるとたちまち草生す峠になる。昔の人がここを通ったのであろう。雨に湿った風ばかりが吹き抜ける。
峠から少し上ると棒切れの標識の春日山。案外あっけない。春日山からの急な降りの行きつくところが「黒坂峠」。立派な舗装道路で誰が使うのだろうと疑問に思う代物だ。たぶん、これができた為に先ほど越えた「芦川峠」はほとんど廃道になったに違いない。悪い奴だ。再び名所山への登山道に入るところに変な石碑がある。意味不明の短歌らしきもの。その前のベンチで小雨を避けながら昼食。雨具を着る。久しぶりの晴れ姿で出発。今度ばかりは急坂で、地面のみを見てひたすら耐える。少しづつでも動いていれば山頂に着くが、防火線の道は坂が丸見えで一層辛い。
1236mの名所山だがもとより、道標はない。道はあちこちに踏み跡がある。磁石を久しぶりに取り出し、吉生さんのGPSを頼りに、「エイッヤッ」と左の道を行く。たまに木に張り付いている境界標識の小さな赤い板が唯一の頼りだ。間違うとこの道を登り返すのかと思いながら、新緑の雨中の自然林に分け入る。見事な雑木林。私もこの道は初めてだ。悪いことに、この自然林はどこでも歩ける。だから、どこが道か極めてわかりにくい。たまに、道跡らしきものに出会えとうれしくなって声を上げる、また失うと黙々と沈みこむ。まるで、国木田独歩の驟雨の「武蔵野」の世界だ。此の気苦労は、露払いしている先頭のものにしかわからない。
出来るだけ稜線を外さないように、道らしきものを求めて目を皿にして下り続ける。後ろの人に道を平然と自信と確信をもって進んでいるように見せながら。小雨はいつの間にか上がっている。まだ遠い風景はない、ひたすら下る。やっと新倉川堰堤が見えてほっとする。ここから芦川支所までは集落の中を少し行けばいい。約束のタクシーの時間10分前に到着した。あの未知の道のない森を逍遥したあとでは格別な達成感がある。あとは温泉に入ってゆっくりビールだ。きっとうまいぞ。いや、絶対にうまい。
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