No.386 秋田「森吉山」1454m。「秋田駒ヶ岳」1637m (2019.7.31~2019.8.3)

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秋田北奥羽の最奥部マタギのブナ林。高山植物の花咲く森吉山とその原生林と渓谷を求めて。花の秋田駒ヶ岳にも登る。新幹線利用で田沢湖駅からレンタカー。3泊4日。

秋田駒ヶ岳   7月31日(水)

3-6DSC_1379.jpg運よく前日から東北一体も梅雨明け予報でも山は別。案の定、秋田駒ヶ岳では雨こそ降らなかったが終始濃霧。しかも遠い台風の影響か風がやたらに強い。おかげで山中ではほとんど人に出あわず。アルパこまくさのバス乗り換え駐車場から八合目登山口に登の専用バスは我々の貸切。わざと屈折して造ったと思える道を行く。運転手に「なんでこんなに曲がりくねってるの」と聞くと旧日窒鉱業の硫黄鉱山跡の道だとのこと。その企業の名前は朝鮮での戦時開発で巨大化したコンツェルの主要企業だ。こんなところでも戦争の面影を残している。風の強さは風速だけではない。風向きは一瞬で逆になる。地形や時間帯、雨、等で全く変わるので気象庁の平和な平均風速値等意味がない。リックの紐を長めにして余していたらそれが強風で背から吹き戻され顔をたたき思わぬ形で痛い目にあった。もちろん帽子は飛翔防止紐を帽子の左右に付ける。かって岩手山頂で強風に遭遇したがその時は立っていられず斜面を這って登った。もちろん深いガスと荒れ狂う強風と豪雨で大声で怒鳴っても隣にいる人に声も届かない、姿も見えない。砂礫が無数に強風で飛び顔に痛く当たる。あきらめ引き返したその道が今でもわからない。風よけの岩陰に避難するまでの時間は実に長く感じた。
3-6DSC_1386.jpgもともと秋田駒ヶ岳は信仰の山。古くから此のあたりでは「岳、だけ」さんと親しまれている。昭和45年に噴火した火山だから山頂付近は樹林なく快晴なら見晴らし良好。しかし荒天時の強風にはお手上げだ。その上、ピーク周辺が駒ヶ岳、男岳、女目岳、横岳などの外輪山に囲まれ複雑に屹立しているため、いわゆるビル風が勝手な方向に強弱をかまわずに逆巻いてくる。立派な登山道だがうっかりすると体は飛ばされて転倒する。両杖を頼りにして何とか避難小屋を見つけようと山頂湖の阿弥陀池の水辺を探るが深い霧で全く見つからない。すぐ近くにあるはずなのに不安が募り無口になる。山小屋の近くにいても遭難する例があるがその焦りと不安な気持ちが理解できる。突然黒々とした建物が意外に近く霧が切れ一瞬濃く無言であらわれる。アウシュビッツの収容所を思わせる暗色3-6DSC_1405.jpgの不気味な風景だ。又霧に消える黒い建物の影を追い必死に飛び込むようにして山小屋へ入る。太い柱の重厚な作り。東北の避難小屋は何処も設備がいい。此の強風と濃霧の中、一休みできる小屋の存在は天の助けの実感。昼食をとり当初予定の女目岳は当然中止し、早々に来た道を下る。こんな風の悪天候にもかかわらず高山植物帯では多くの花が強い風になびいている。花の名は知らないがその美しと多種さはわかる。16時30分発のバスにも乗客は我々だけ。ゆっくり横岳を回る下山コースもあり得たが、いつ更に悪化するかしれない此の天候には抗しえない。おかげで、レンタカーで水沢温泉郷に早く向かう事が出来、露天風呂に入り、ビールと勇んでホテルに向かう。こぎれいだがどうも冬中心のスキー宿。季節外れの平日で宿泊者少なく工事の連泊の人が何人か泊まっている、屈強な体格の人達で、食事内容も、食べる場所も違うのでそれとわかる。

太平湖、小又峡、三階の滝  8月1日(木)

8-4DSC_1537 (002).jpg宿の食事時間もあるが出来るだけ速く8時20分出発。長い60Kmを超える山中の道をひたすら走り太平湖に至る。その途中はまさに奥阿仁。マタギの故郷だ。道こそ良く家も点在するが東北の奥山であることに違いは無い。集落に人がいない。田畑は小さく狭く、秋田内陸縦貫鉄道のカラフルな列車が2両連結で思い出したように川沿いを伴走する。この鉄道はいつ見ても何とも言えない懐かしい気分にしてくれる。太平湖はダムで出来た人造湖で周囲30Km。深さ58m。19トンの定員100名3-6DSC_1561 (002).jpgの遊覧船で清水桟橋から、小又峡桟橋迄30分弱往復1500円。途中の国民宿舎森吉山荘が運営している。オーストラリヤから来たという中年の助手と船長らしい定年後の男性と2人が仲良く運行。出発時間も適当に早めてくれる。秋のシーズンに100名も乗ると困ると正直な本音を聞きながら、湖上をサービスでコースを少し離れて案内してくれる。湖に面し熊の冬眠の穴が崖っぷちに3個あった。船長は対岸にあるその穴を覗きに行ったと言うが、いくら昼間は外出中でも熊君の気分で今日は昼寝してる事だってあり、中に熊君がいたらと思うと遊覧船の船長らしからぬ度胸である。湖の周囲は、冬眠用の穴がすぐ見つけられるほどの自然がある。
特に巨大ダムで隔絶された対岸は、人跡未踏。コロラドのパウエル湖も一方の岸はクルーズ船が舫ってあるが、対岸は陸から行く道がない。探検家が何年か前にやっとたどり着くことが出来たとわざわざナショナルジオグラフィーが特集するほどだ。どこも秘境の湖は同じ条件なのだろう。
3-6DSC_1576.jpg秋には、紅葉で混みあうようだが、誰も居ない今もいい。静かで波がなく湖面に風景が映える。船長は自分で撮影した夕日の紅葉の写真を見せながら話に余念がない。終点は小又峡桟橋だが名ばかりで、浮桟橋がやっと心細いロープで岸壁にしがみついている。そこへの道はすれ違う事が出来ない為か20mほど離れた細い坂道で船の出入りを座って待機する。 小又峡に到着してすぐに滝の連続が始まる。それぞれに名前があるようだがその標識は控えめで注意しないと見当たらない。この辺に東北の風格が漂う。大地に大きな穴が開いて、渓谷いっぱいの流水が全部吸い込まれている滝、川いっぱいにしろいしぶきを立て遠くまで轟音を轟かす滝、滔々と流れに任せて水泡で紋様をゆったり浮き出している滝、と様々だ。特に化ノセキ(けのせき)から先の断崖に挟まれた、長さ100m以上にわたり川幅数メートルもなく深く切れ込んだ峡谷は絶景と言うより異景。此のあたりの崖沿いの狭い道は悪天候や、登山者とのすれ違いは危険だろうが危険個所は短い。立派な柵のある三階の滝の見晴台までが一般コース。少し戻った化ノ滝から分かれて登る上流への道は上級者コースで装備も体力技術も必要で数年前にも遭難者が出ている。行かないほうが無難。
3-6DSC_1577 (002).jpg東北の弁当はやたらに大きく、食べきれない経験があったので宿で弁当注文を2人で一つとするかどうかか迷ったが、あけてみたら誠にかわいらしい握り飯弁当。これは、当てが外れたということになるのかな。
一隻で運航している船の待ち時間も無駄ではない。沢音や木々を渡る風音に深く北秋田の森にいる実感が全身を浸る。出発した桟橋から切符を買った太平洋グリーンハウスまでの帰りの坂道は船で楽した身には疲れる。どうして湖の水面の近くにグリーンハウスを建てなかったのか。たぶん、ダムの工事の都合上「クマゲラ街道」(八幡平に至る林道)の近くを駐車場に優先し船着き場を付録程度に考えたか。
車は来た道を引き返し森吉山ゴンドラの麓駅近くの宿泊場所へは向かう再び長い森林の道へ。何もない。民家に1時間走っても出会わない。畑もない。ただ原生林。細い沢沿いの道が延々と続く。こんな深い森は流石、秋田の北、白神の境だ。これぞまさにマタギの居るフイルドだ。
予約した宿に着いたが鍵がかかって留守。やっと連絡を取ると「うっかり客が来るのを3-6DSC_1602 (002).jpg忘れてた」と呑気なことを言い平謝り。お詫びにサービスをしてくれた上に、山菜のオンパレードだがご馳走も増えた。予約した宿をお客が連絡なくキャンセルすることは聞くがその反対とは。ともかく交渉の結果、今日の夕食にありつけることになって一安心。あわてて宿主とその母らしき老婆が懸命に準備してるのがかえって申し訳なく手伝いたくなった。ハプニングは突然やってくるがこの程度なら変化があっていいと疲れた体に言い聞かせる。もちろん、宿は専有占拠。部屋ごとのシャワーが気持ち良い。日が落ちると宿の外は本物の闇。森は黒く沈んでいる。ここのベランダは本物の自然の中だ。周囲の建物はいずれも無人で廃屋を思わせる。バブル期に一大レジャー基地になるはずが当てが外れこの惨状。以前、北アルプスの白馬山麓でも同じ経験をした。オリンピク目当てに雨後の筍のように増えた宿泊設備が終わると閑古鳥。借金のみ残って苦労していた。満州開拓も、ブラジル移民もみんな同じ被害者でもある。為政者の巧言にはいつでも慎重でないといけない。

森吉山、打当温泉マタギ湯  8月2日(金)

3-600270001.jpgとうとう森吉にきた。此の容姿端麗な山に憧れていた。マタギが活躍する深い森と谷、どこまでも続く山、きっと森吉はこんな山だろうと地図を見てはため息をつき長年夢見ていた。昨年は計画倒れ。今年こそと冬から計画に着手。そして今、眼前にある。 この山の名前を聞いただけで深山の静謐と深く黒い原始の森と、マタギの雄姿を彷彿とさせる。北秋田の雄山、秋田最後の秘境。
なだらかな山容のアスピーテ(楯状火山)森吉の山頂「向岳」周辺には取り囲むように、前岳、一の腰、ヒバクラ岳などの外輪山がある。これらから深い谷が幾重にも流れ出て森を構成する。日本有数の自然林で長く秘境とされて来たが観光開発でその姿は変わった。それでもぜいたくは言えない。残されたこれだけの森はそんなにあるも8-4DSC_1717.jpgのではない。特に樹林を構成するアオモリトドマツの姿は信仰の山の名に恥じない。それに花の山。高山植物が豊か。厳しい冬を我慢してやっと得た短い夏に一斉に開花する。なんにも文句も言わずに。少しぐらい、自然が壊されても目をつぶってこの山を温かく見守ってやりたい。もとより、壊したのはこの山の責任ではない。スキー場が森をバリカンで刈って虎刈りの山にしてしまったが、犯人は人間で我々も破壊者の一味に過ぎない。昔より自然が破壊されたなどと言ってはいけない。もっと昔から見れば己が知る自然すら壊された結果の森だろう。
宿から僅かのゴンドラの山麓駅へ。森吉への阿仁ブナ帯コースの出発点。ゴンドラの切符は眠そうで真面目なメガネの中年男性店員から売店で買う。往復1800円は高い8-4DSC_1724 (002).jpgと感じたが利用結果は安いと思った。利用者の感想などかくも好い加減。朝一番の試運転の終わるのを待って乗車。ゴンドラは3473mの距離を20分も乗る。空中散歩そのもので森をはるか下にし樹木の先端を見下ろす。リフトの音以外は無音。周囲が全部見えるガラス張り。おしゃべりも、やがて静かに。まだ山頂駅につかないことの不安の結果だ。風景はとぎれとぎれの雲の中。だんまりの高齢者が身を固くしている。到着してほっとするゴンドラに久しぶりに乗った。
山頂駅からとりあえず石森1308mへ。相変わらず雲の中で展望台には寄らなかったが、帰りに展望台に立ち寄る好機に出っくわした。森吉神社とその後ろの奇岩「冠岩」、無人小屋のセットが小さな池塘を前に風景に溶け込み焦げ茶色に鎮座している。雲嶺峠を越えコメツガ山荘方面に至る尾根道が一望できる。
森吉山頂目指して雲の中をしばらく行くと阿仁避難小屋。ここも立派な小屋で中も清潔でトイレもある。道はなだらかで高齢者向き。階段すら少ない。低木の為か風は強いのに花は豊富。同じような高山植物が道に左右から覆いかぶさっている。それを分8-4DSC_1726.jpgけて登る贅沢さ。やがて稚児平のベンチ広場に。周囲は高山植物に囲まれてるが見慣れてしまったのか感慨は少ない。大きな樹木はもはやなくせいぜい人の丈程度。森吉山頂へは思いの他簡単に着いた。どの山もそうだが、山頂だけは尖っていて苦労するがここは最後まで高齢者にやさしい。3mもの古びた木柱がぶっきらぼうに建つのが山頂標識。墨の文字がやっと見える程度で、結構有名な山なのに扱いは意外に冷たい。石像と思しき塊の横で、積み石を腰かけに休憩。時たま晴れるとやはり周囲は深い森だ。森に隠れて姿こそ見えないが東は森吉山野生鳥獣センターを越えて桃洞滝方面。南は秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線「阿仁マタギ駅」、東は今登ってきたゴンドラ、北は山ばっかりで白神に続くのだろう。平ったく言えば結論は森吉周辺は全て山また山。
3-6DSC_1736.jpg打算と強欲で軽薄な観光開発など100年もすれば元の自然状態に戻される。この山の自然はそんなものを障害などとかんがえない悠久の姿勢で原始の森を取り返すに違いない。傷跡とも見える林道はやがて侵食され廃道となって山に飲み込まれ消える。
その日にまた登れるならここに立って喜びをともにしたい。少年のころ想った森吉山と。森吉の森と渓と共に喜びたい。
帰りはいくらか天候も回復。ゴンドラ山頂駅まではゆっくりした下り道で鼻歌交じり。ゴンドラを降りれば宿はすぐそば。時間に余裕があるので、阿仁マタギ駅近くの「打当温泉マタギの湯」に行く。これが思ったより近代的で入り口の等身大の熊の剥製や彫刻だけがマタギらしい。でも、そこの売店はさすが、熊の肉も、爪さえも売っている。こんな温泉は無い。私たちの宿泊を忘れた宿の恐縮な態度が今日の料理にも出て、また会計も随分勉強してくれたらしい。東北人の誠実さに、かえって申し訳なく思う。

最終帰着日、桃洞滝、ノロ沢樹林コース 8月3日(土)

3-6DSC_1792 (002).jpg計画は奥阿仁の「安の滝と幸兵衛滝」だったが急きょ変更。少し寄り道になるが同行者の誰も行ったことの無いノロ川の上谷池周辺のブナの極相林を歩く。此の為には、太平湖から三階の滝を訪れた途中にある森吉国民宿舎前から林道を深くはいらなければならない。前日宿で聞けば、絶対にそっちの方がいいとのおすすめ。どうも当初計画の滝はそれなりに観光化が進んでいるのに比べ新コースはまだ自然が豊かに残っているらしい。ノロ川とは良く言ったもので流れがゆったりし森は深く道は平坦で熊が好きそうな雰囲気だ。
鳥獣センターへの道はこれでもかと曲がりくねる林道の森が切れて、大きな建物が突然出てきて道を聞いたのは青少年野外活動センター。風景に似合わない近代的建物にいた初老の管理人が眼3-6DSC_1826 (002).jpg鏡越しに教えてくれる森吉山野生鳥獣センターへさらに下る。この辺りは何年か前に何かの大会{早口の方言で意味不明}が行われ一気に開発したもと牧場。周辺はモダンにもノロ川園地と言う。展望は良く芝生が広々しとてもキャンプ場などもあって森吉の森林帯と思えない。センターの元気のいいおばさんに再度道を確認。先生のような教え方で、いい加減に聞いてると立たされ叱られそうであったが、これも親切心から。大いに参考になったのでわざわざ帰り際に挨拶に立ち寄ったら初めて心が通じた。
鳥獣センターに駐車して出発。途中小さな沢を超えるが公園のような広い道をブナの森にわけいる。絶えずノロ川を左に見て、たまに沢を橋で横切る際などに魚影が走る豊かな自然がある。こんな森の奥にも「禁漁区」の旗が建っているのだから岩魚などがたくさんいるのだろう。道は何処もかしこも二次ブナ林。パンフレットには天上のブナ林散歩道3-6DSC_1844 (002).jpgとされていた。たまに行きかう簡単な山仕度の人が不思議。ここは、森吉の秋田最後の秘境と構えた登山姿は私達の山へのせめてもの敬意の表しなのだが。黒石川コース分岐からの合流点で桃洞渓谷にある桃洞滝に入る。往復30分程度の滝。険しいV字峡に目を見張るところにその滝はある。御多分に漏れず渓谷の滝周辺は増水時は危険。案内人なしでは近寄らないほうがいい。この辺りは秋の紅葉がいいと言われる。当然だろう。森吉なんだから。 此の旅の最後の日の為、15時にレンタカーを返す都合もあって早めに田沢湖駅に向かう。何度か行き来した林道で工事区間など前日と変化が少ない。突然現れた田沢湖には水泳場があった。この辺の人が海に行くのは大変だろう。一見涼しそうだが、田沢湖周辺は湖の為それほど涼しくは無いそうだ。
新幹線の駅は暑かった。改めて今までの恵まれた自然環境に感謝する。一眠りすれば上野駅。そこで解散。土曜日でラッシュには会わない。
全行程を運転をした憲治さん、複雑な会計を精緻に処理し克明に時間記録した達也さんはさぞ疲れたろう。いつもながらすっかりお世話になってしまった。

マタギへの憧憬 雑感(自然人との出会い)
新入生の自己紹介の時趣味は「野宿」と言ったら教室が一瞬で静かになった。マタギにあこがれていた自分として当然の事を言ったまで。野山に生き自由で自然に溶け込む人生が憧れだった。今回は、どこへ行ってもマタギの気配がある。そこにあこがれが宿す。
マタギの名を冠した駅や集落がある。マタギとは狩猟をもっぱら生活の糧にした人々の集団であるが、時代や地方で幅がある。マタギは柳田國男によれば東北人、もしくはアイヌのことを言うとしている。菅江真澄もマタギの狩猟対象は熊としたが、そんなに獲れるものでもなく山中の深い沢に生息する岩魚が多かっただろう。それを村で売り米やみそ、醤油を買い山に戻る。その繰り返しが案外真の姿である。マタギは山人であるが、他に木地師、サンカ等多様な山人がいたが区分は差異はなく実生活も流動化している。最近まで東京近郊などにも、斜面の洞窟に、竹竿、竹細工のざる、篭などを売る生活者がいた。近くで遊んでよく怒られた。生活用水の清水が荒らされるからである。もともと、山に入り込み俗界を離れる人間は普通に居た。理由は多義に渡るだろうが今でもどこの山村にもそんな話の一つや二つはある。近くは徴兵拒否であり、重税を逃れて離村したり、耐えられない俗世界の苦しみで飛散流民として山人になる。もちろん、山人の暮らしは厳冬の季節に限らず集落の生活より遥かに厳しい。狩猟生活は不安定であり途方もなく労力を要する。自分の体重の半分もの重量の生活用具を背負って一日40Kmの山道を移動するのが普通の生活である。山の民でも木地師は特徴がある。領主の庇護の元、全国の山に入り木食器生産を業とした。もちろん、狩猟も必要に応じておこなっていたはずだ。今でもその苗字はほとんど同じで、近代は猟師、家具製造、林業、観光業などに変容している。
少し異なるが、漁村にも生活が出来なくなった者が子供を置いて夫婦で特別に住む困窮島と言う島があった。ここで何年か働き借金を還せれば元の島に帰り漁師として仲間に入れた。瀬戸内海でもその名残の島がある。作物は天水の為水を他の島から運ぶなど作業は重労働だが他集落民との一切の賦役や交際が無く数年の辛抱で回帰できた。この制度に、姥捨て山習慣より温かみがあるのは漁村は山村より食糧に余裕があるためだろう。

マタギに巨大な庭石をもらいはぐれたこと
初めてマタギの事を知ったのもそんな昔ではない。八ヶ岳に新しい山小屋ができたと知り尋ねたらそこは谷の行き止まり。その先は急峻な山道が新しく作られていた。たぶん、小屋の持ち主が造ったのだろうが4本足の登攀を強いられる急登だ。
小屋は、村の廃校のような木造校舎を思わせる。小屋の人は必要以外接触がない。夕飯になって「おたぐり」を食べるかと聞かれたので訳も分からず食べると言うと、間もなく丼いっぱいに茶色く煮たものが白いご飯と一緒に出てきた。5cmほどに切ってあるが堅い、ゴムのようなものでたぶん動物の腸を切って煮たものだろう。ゴム状の丸い管を開けると中に黒い毛が生えていた。大将は狩りに行き留守とのこと。行先は秋田県の北部森吉の近くといとも簡単に言った。そんな遠くへと驚くと、更に、この小屋を建てるまではここへは狩猟をしながら山筋を歩いたこともあるという。信州と秋田の森吉周辺までは彼らは隣町の感覚なのだ。その時初めてマタギだからとの言葉を聞いた。何度かその小屋を訪れ当主とも親しくなり、酒も手伝って、庭石をやると言いだした。狭い庭だからと遠慮していると、「そうか、あそこのトンネルがトラックに積むと通れないな」と言って話は終わったがどんな大きさの岩を呉れるつもりだったのだろう。今でもおかしくなる。その時初めてその発想に本物のマタギに出会った気がした。平地の人間の及ばぬ人だった。その山小屋には古いジープのような車がいつも今戦場から帰って来たように泥だらけに置かれていた。

白神のマタギのこと
白神に知人の紹介してくれたガイドと入った。そのガイドが川崎の飯場にいたとき迷い犬を拾ったが之が偶然にもそれが白神地方に居る秋田犬だった。工事が終わって連れ帰り今でも家に大切に飼っているという。川崎の工事現場で故郷の犬に出合うとは不思議なことだと言葉すくなに言う。その案内人に車で行ける林道終点でリックの中身を点検され、ほとんどいらないからここに置いていけと言う。無茶なことを言うとびっくりした、しかし、のだ。僅かな草と岩のでっぱりがスタンス。登りなおしたり、滑り落ちたり苦戦してるのをスタスタと先を行って眺めてる。自分は重い教室で使われるような旧式のダルマストーブと大きな鍋を背負って、おまけに食糧まで持ってるので文句は言えない。今日はこの小屋で泊まると言ったのが崖下の乾いた窪み。何本かの樹が斜めに立てかけてありそれだけ。シートを掛け雨避け。地面はそのまま。まさにマタギ宿。早速火を焚き、持ってきた岩魚と、味噌汁、それが夕食。暗くなると寝る。余計な話などしない。楽しみにしていた酒は車に全部残されてない。明るくなると歩き出す。身支度も早いが、そのはやい脚に着いていけない。道は当然何もなく方向だけで歩いているようだ。ここで迷ったらどこへ帰るか全くわからない。深い森が続いている。急斜面をやたらに谷を越え、峰を越え上り下りする。なのに疲れる様子が全くない。粗食、大飯、強壮、剛健、質素、無口、ルート選択の適切、決断の速さ、荷重40?を超えて山道を普通に歩き続ける。山の天候、風、雲の動き、樹林、植物、動物、魚、鳥、昆虫、山菜、キノコ、湧水、等全部を完全に知っている。この時これがマタギと改めて認識した。都会の山好き人など足元にも及ばない。立ち位置がまるで違う。命を懸けているのだから当然だが。

戸隠裏のマタギの道
鬼無里と言う里がある。今でこそ山奥に水芭蕉の群生地が発見されて観光地になっているが、当時は文字通りわざわざ鬼がいないと言わないと人が近寄らないところだ。入社したばかりの頃、そこに意味も解らず自分から希望して調査に出かけた。途中目を覚ますとバスが停まって運転手がしきりに崖の上を覗き見ている。反対側は絶壁の断崖渓谷。落石を見てるようだ。道には落石と思しき大きな岩がごろごろしている。小石が落ちるのが止むとこの時とばかりにバスが発車。地元の人たちが誰も調査に行きたがらない理由が初めて分かった。
そこの行き止まりの集落で聞いたことだが何年か前に山から異様な風体の人が降りてきて「シュヨイッコ」貸してと言ったたらしい。鬼無里の方言も相当なものだがその人が言葉が通じなかったというのも随分おかしい話だったのでよく記憶している。ここから先に人の住む所は無いのに山から人が降りてきて不思議に思ったと言う。戸隠の岩峰の裏は人など近寄れない秘境だ。味噌醤油を借りに来たのだろう。此の地では古くから此の奥に山人の道があると言われている。夜など早足で家族ずれの集団が峰を超えるらしい。もちろん古老の伝聞である。そんな姿を簡単に見ることなど出来るはずがない。マタギと、他のサンカを含む山人との違いは実際はそんなに明確に区分できない。だが、猟を求めて山を移動する人は確かに居た。たまに里人との遭遇はあるだろうが彼ら独特の道を通って必要以上の接触はしない。いがみ合い、対立する事さえある複数の藩をまたぐ面倒な通行手続きなどしたくないという、それなりの理由を抱えた人達だったのかもしれない。サンカは明治になって戸籍作成の為に登記されたが、なんでも悪いことが起こると社会はサンカの仕業としていた。それが山人の誤ったイメージを造ったのかも知れない。

マタギとアイヌの言葉
北秋田には駅名「阿仁マタギ」がある。マタギの名は今や多分に観光用だが地名や、物産名などに記されている。マタギの地にはアイヌ語と思しき地名も多い。北海道の道東は小さい川はいまだに全部アイヌ語でカタカナ表記だ。新潟の焼山の奥には「ニグロ川」が地理院の地図に本当にある。長い歴史の中で、足摺岬の例を引くまでもなく漂着民がその痕跡を地名に遺すことはありうることだろうが、どうしてこんなところにこんな名がと思う。 地名の最後に「内。ない」とするのは沢の多い所の意味のアイヌ語。秋田内陸鉄道の「米内沢駅」は蛇の多い沢、「笑内駅」は川下に仮小屋がある川のアイヌ語。東北には谷地が多いが、これもやじと言うマタギ語の湿地帯を言うものだろう。マタギ語も専門職がいまだに部内でしか通用しない言葉を使う、(たとえば医学、法曹界、軍隊等で)特別な用語の一種だろうが、アイヌ語がマタギ語のもととなっていることもあろう。私たちの身近にアイヌやマタギの影があるように思うのは飛躍し過ぎだろうか。
むしろ大きな主要な山の名前のみが、そろって聞きなれた大和名なのが不思議な命名だ。きっと明治まで女人禁制だった秋田駒ヶ岳も山頂に神社の祀られてる森吉も、それ以前には別名を持っていたはずだ。神道に関係ない頃の山人達の命名する本名があったと思われてならない。アイヌ以前の縄文人の言葉がどこかに破片として残されていると思えないか。

日時;2019年7月31日(水)~8月3日(土)3泊4日(雨天決行)

参加者;8名 (4名、女4名)勝巳(リーダー、記録)。才美。憲治(サブリーダー、車)。貞子。達也(会計、記録、写真)。茂子。(ゲスト参加;秀昭夫妻 紹介者勝巳)。

集合;7月31日東京駅発7時36分(こまち3号秋田行)に乗車。

コース;
第一日(7月31日)(水)秋田駒ヶ岳1637m登頂 徒歩4時間  昼食各自解決
東京発7時36分秋田行(こまち3号秋田行)――田沢湖着10時26分――レンタカー手 続き後10時40分発――アルパこまくさバス停乗換駐車11時(乗換え迄、トイレ、昼食) 登山専用バス乗換え11時17分発――8合目1310m着11時42分(800円)――12時10 分登山開始――片倉岳12時50分――阿弥陀池14時着(避難小屋、お花畑散策)――
――14時25分発(同じ道を帰る)――片倉15時35分――8合目バス停着16時30分(バ ス17時発)――アルパこまくさ駐車場着17時25分――水沢温泉郷17時40分――宿着 17時50分。
宿泊 秋田県 水沢温泉郷「リゾートホテル ニュースカイ」 田沢湖から車15分
0187-46-2006(安藤氏)3月22日申込済4部屋8人 9500円

第二日(8月1日)(木)太平湖周辺散策 徒歩3時間程度  昼食宿依頼
水沢温泉郷宿「リゾートホテル。ニュースカイ」出発8時30分――9時20分阿仁の里道駅――太平湖グリーンハウス10時30分(乗船切符1400円購入現金)――徒歩――乗船場11時25分出港(遊覧船30分毎)――小又峡桟橋11時50分着――12時15分ガマの滝昼食12時40分発――三階の滝展望台13時15分着――周辺往復散策後――小又峡乗船桟橋14時55分出港――太平湖グリーンハウス下乗船場着15時10分――(登り20分)――15時45分グリーンハウス発――宿着16時50分――19時夕食。
宿泊 「阿仁の森ブナホテル018682-2400(山田氏)8名4室宿オーナー山田氏
携帯 090-1064-2796  1万円
部屋割り(夫婦4組4室 )3月22日、6月15日申込み確認済み
夕食時の1時間はビール、日本酒、ソフトドリンクは無料。

第三日(8月2日)(金)森吉山1453m登頂 徒歩4時間 弁当宿依頼
朝食7時――宿発8時20分――車5分(レンタカー)――阿仁ゴンドラ山麓駅8時45分始発(往復1800円)――20分――森吉山山頂駅1254m発(水、WCあり)9時15分――石森分岐9時50分――阿仁避難小屋10時30分(WC)――稚児平11時――森吉山1454m。11時20分――山頂駅13時40分――山麓駅14時05分着――日帰り打当温泉15時20分着(16時45分発)――宿着17時30分
宿泊 前日に連泊し同じ(8名4室)
地図2万5千 「森吉山」。「太平湖」。「戸鳥内」。

第四日(8月3日)(土) 森吉山周辺散策――帰着日 徒歩3時間
宿発7時45分――レンタカー――8時05分阿仁で給油(途中コンビニで昼食購入)―― 9時青少年野外センター立ち寄り――森吉山野生鳥獣センター着9時30分――ノロ川散策 路10時着――11時10分桃洞の滝――鳥獣センター帰着12時15分――12時55分発―― 田沢湖SSで給油――15時20分田沢湖駅着15時20分。
田沢湖発16時08分(こまち30号)――上野駅着18時58分――(解散)。

費用;一人宿泊3万、遊覧船1800、弁当600円、温泉入浴600円、ゴンドラ代1500円
合計一人2600円、支払は現金、若干宿サービス負担有(一人2500円程度)
レンタカー1万2000円+JR新幹線往復で 一人合計7万円弱

持ち物;一般登山用品。雨具(少雨は歩きます)、杖。登山靴。軍手、クマと虫よけ、携帯(充電器)懐中電灯、非常食等、水筒1リットル以上、洗面具等。

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投稿記事「白神のマタギのこと」中の六行目「・・・しかし、のだ。」は次のように修正します。
「しかし、その結果が正しかったのは歩き始めて直ぐにわかった。いきなり道の無い崖を登り始めるのだ。」

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