都立水元公園。矢切の渡し(柴又)ハイキング記録

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実施日:  2022年10月1日(土)暑い快晴

場所:  「都立水元公園」「柴又帝釈天}「矢切の渡し」散策

集合:  横浜駅、中央コンコース(みどりの窓口前)午前7時

参加者:   10名(男5,女5)

   吉生(写真)、憲治(幹事)、貞子、勝巳(幹事、記録)、才美、達也(行動記録)、茂子、邦子、亮子、ゲスト1名

コース:  横浜発7時12分(京浜東北線)――西日暮里8時07分着、8時17分発。―金町8時33分着――北口よりバス―水元公園着8時30分??野外ステージ公園、水生公園小休止10時―― 11時サンクチアリー、メタセコイアの森―水元大橋小休止―12時睡蓮池―12時江戸川堤―12時30分矢切の渡し(30分乗船、松戸側往復400円)―13時30分帝釈天参道―13時30分昼食、とらや―14時ー15時自由散策―15時京成柴又駅(解散)横浜(17時ごろ)

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コロナに邪魔されて、久しぶりのハイキング。やはり外は気持ちがいい。 広々とした水郷の楽園。享保14年、利根川の水害から江戸を守るため川を銚子側に流させた。手がけたのは、治水技術者井沢弥惣兵衛。水郷ともいえる「小合溜」はもとは農業用水貯水池。満々と横たわり、弘法大師の満濃池を彷彿させる大工事だ。もとより、土木技術は、建築技術より当時上級な技術として扱われていた。広大である。これが江戸時代からの人工の治水対策の結果かと驚く。江戸川と中川の間の地域の水田を潤したが、小合溜は現在は、農業用水としての役目は終え3,6?の準用河川となった。

都立水元公園は全体で長さ14km。面積96ヘクタール、東京都23区で最大の公園。森があり、広場があり、バードサンクチャリーがありバーべキュー広場もある。ここは、元はほとんど樹木がなかったところ。メコセコイアは湿地を好むので、九州や、四国から搬入された。今や、20mの巨木が1500本。蓮池や花菖蒲園も時期が来ればそれこそ美しい。

子供連れが多い、。カワセミを待つ素人写真屋の列。水元大橋を渡れば、釣仙卿。小魚が少し釣れているが、釣り人の方がはるかに魚より多い。

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公園を出て江戸川沿いに長い堤を下流に下る。炎天下。公園のような木陰はない。途中、警察車両が何台も駐車している。江戸川にはゴムボートが走りまわっている。最近あった、小学生行方不明の捜索だろう。こんな身近なこととは知らなかった。優雅に、散策していることが申し訳なく思う。

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もう、勘弁してくれぐらい歩いてやっと「矢切の渡し」。伊藤左千夫「野菊の墓」の渡し場。 昨今の乗船事故にかんがみ、やがる船頭に無理を言って全員の救命胴衣を特別に準備してもらう。船はゆったりと流れに従う。「葛飾や市川あたり松を多み松の林の中に寺あり」ここに左千夫の見た原風景があり、長堤は与謝蕪村の「春風や堤長うして家遠し」の世界がある。

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寅さんの街の柴又帝釈天は意外に大きく裏庭が立派。自由時間が1時間程度取れたので帝釈天の参道を歩く。昭和の世界。ここまでくればはるかなわれらが時代の真ん中に立つ。団子屋があり、けん玉や、ベイゴマ、メンコのある駄菓子屋がある。やわらかい日差しの風景だ。過酷な競争なんかなかった時代に帰る。少年の青空にかえる。

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それでも、帰りの電車に乗りながら、やっぱり寅さんは求めても、どこにもいないのだと想う。 この計画策定時に、偶然「大場川」の表記を地図上見つける。この川で食料としてエビガニを釣っていて溺れて母に助けられた。戦争で、疎開していたはるか昔のことだ。そういえば、疎開先の三郷はこの江戸川の近く。対岸の野田のキッコーマン醬油工場の香りがあぜ道に風に漂ってきた。75年前の瞬間の風景に出逢っていた。

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コメント(1)

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 10月1日は天気も良く気持ち良い散策だったと思います。
(少し汗ばんだかも)柴又には以前訪れた事がありますが
水元公園の事は全く知りませんでした。いつの日か訪れて
みたいと思います。

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