サロン117 縄文「釈迦堂遺跡博物館」と「日本スズラン群生地」「富士桜」(2019.5.25)

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DSCN2769.JPG日時;2019年5月25日(土)晴れ、暑い
集合;二俣川農協裏 6時30分(出発)
参加者;(合計8人  男3人。女5人)勝巳(リーダー記録)。才美。憲治(サブリーダー、会計、車両)。吉生(車両、写真)。幸子。邦子。亮子。和子。
費用;3100円、交通費、博物館入館料、富士桜寒入場料などを含む。昼食代は各自。

釈迦堂PAのほとんど構内に博物館がありそこの縄文土器類の多彩さはその筋で有名。もともと酸性土壌の為か、土器や獣骨が完全出土することがすくなくほとんどは破片だが、5599点の重要文化財を有している。土偶だけでも1116個。今でこそ、何で山梨県にと不思議に思うが、京戸川扇状地で水が得られ、適度な広さの日が当たる平野があり、山を控えてそれほど降雪もない、八ヶ岳山麓には当時の生活に絶好の場所が多い。
DSCN2778.JPG私達が学んだ歴史は、農耕民族の弥生人、狩猟民族の縄文人と図式化されてそれが正解とされた。縄文人の教科書の挿絵は槍を持った獣皮の衣類の猿人用に架かれ弥生人は、清潔なユニホームをそろって着用し田植えをしていた。
このイメージで、この程度の知識のまま60年が過ぎている。学校は自分が教えた知識が陳腐化して史実に反することがわかっても一切知識のホローはしない。教育の最大の欠陥か 大体、縄文人を馬鹿にしすぎる。4~5千年以前の幅広い年代に対応した集落遺跡があるのに詳細は依然不明。その割には弥生人に関してやたらと詳しい。弥生人は農業で定住し村を造り初期の国家の元を作って行ったとされるが、そんなにある日突然1万年も住んでいる人がいるところに、政変と混乱で命からがら逃げてきた難民ともいえる少数の大陸系の人たちがスムーズに入り込めたのだろうか。土地があったとしても良い土地は少ないのだ。その間の軋轢はあって自然のはず。何となく国家観による人為操作を感じる。アメリカインデアンや、タDSCN2779.JPGスマニア島や、インカ、メキシコの原住民と先進国と称するキリスト教国家のヨーロッパ人がつい最近まで行ってきた、謀略と陰謀、無慈悲な侵略行為が、4000年程度前に何で縄文と弥生の間に何もなく共存しうるのか。食物、思想、外見、骨格、生活様式、家族構成、言語、宗教、技術のあらゆる違いがあったはず。特に食物採取は競争関係にあった。縄文時代だって直径1mの巨木をシベリヤから海を運んだらしいことや、長期間定住の巨大な集落跡もある。矢じりの黒曜石が遠く東北や海上を運ばれていたことも立証されている。縄文は全日本的に交流があり、その熟度は決して弥生を大きく劣っていない。大陸からの弥生人が渡来するまで未開人として縄文人がいたと言うのは随分ご都合主義だ。アメリカインデアンの種族によっては、進んだ民主主義的国家を構成し、平和で豊かな生活をしていたのにヨーロッパを追い払われた貧困、暴力集団はその人たちを自分の文化で向上させるのだと侵略略奪し滅亡させた。史実からは「誰がコロンブスを発見したのか」と問いたくなる。歴史は虚偽に満ちているが考古学は、一つの新発掘ですべてが覆え、正される学問だ。ネアンデルタールとホモサピエンスの歴史もそうだろう。なのに縄文は消された。大らかな太陽のような人達は残っていない。なぜか。この博物館はもっと、現代に発信してもらいたい。きっと縄文は現代のどこかに生き残っている。自然崇拝や多神教の宗教観にか、意味不明の言葉の中にか、日本人の魂にか。
DSCN2804.JPG天然の日本スズランの群生地としてここは有名だが、花は地味。白く小さく緑濃い葉裏に隠れている。まだ時期が早かったが、白樺の林にこれが群生したら静かな神秘に満ちるだろう。何もない芦川地域に良く似合う花だ。沢妻亭は地元の経営するこのへんの唯一の食事どころ。山梨県でも中央線沿線と比べると、ここは随分深い山に囲まれている。最近まで富士五湖に出る道も満足になかった。周囲を囲む、神座山、中藤山はよっぽどの変人向きの山だ。
本栖湖周辺の「富士芝桜」は外国人ばかり。高い駐車代の他に入園料を取る。富士山を切り売りする悪徳商人の運営か。パンフレットに運営主体の明記は無い。花に罪は無いが、ここの花は全て俗界。ついでとはいえ健ハイが遠出して来るところかどうか。

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