【1日目】
十和田八幡平国立公園の一角をなす「八幡平」のほぼ全域を訪れたことになる。東北の中心部。ぶなの原生林の深山である。観光化され、道路事情はよく、宿泊する温泉は、足の踏み場もないくらいに散在している。いずれも、かっては周辺の農家の人たちが、農閑期に米味噌持参で湯治にきた温泉である。


盛岡に降りたときは、東京と同じく暑かったがレンタカーで9人が乗り八幡平に行くに



出発点の駐車場に戻りそこから今日の宿の標高1,095m「蒸の湯温泉」を目指す。少し横道にそれれば一軒家の旅館に着く。周囲には付属の建物が散在、地理院の地図にはご丁寧に地熱オンドル小屋まで表示され多くの旅館の集合地と錯覚するが間違うことなき廃校風の一軒屋。周囲の渓は広く、周りの山は低く明るい。湯気立ち上る山峡。やっと憧れの東北の宿に来た。湯温は丁度夏の夕暮れにあう。冬は休業するのだろうがどんな雪景色なのだろうか。300年以上前からの湯治場で、牧野富太郎氏も宿泊。子宝の湯でもあるが効果は定かではない。八幡平最古で、最高の高さにある温泉のためか料金はそれなりだった。
【2日目】







車は山中をくねくねと長く乳頭温泉に向かう。途中の玉川ダム湖は想像以上に大きい。満杯の水が周囲の森を写している。少し時間の余裕があったので、まずは「鶴の湯温泉」へ立ち寄る。ここも昔の岩手から秋田への大切な道沿いにある。日本は中央に脊梁山脈があるため、どうしても東西の道は険しい山道を越えることになる。往時の苦労は大変なものだったろうが、そのころの茅葺長

【3日目】





【4日目】

盛岡は大都会。今までいたところから見れば同じ国かと思うほどの別天地。その代りすっかり暑さがぶり返した。時間があったので切符購入後、「でんでんむし」という100円循環バスで盛岡城址公園に行く。南部藩の居城で、南部というのは城主個人の名。本当の事はわからないが、往時の南部藩の評判は、昨

公園の近くの歴史施設で大きな山車を見る。何となく新しい。「啄木、賢治青春館」で、初めて啄木の方が賢治より10年は先輩であったことを知る。写真では反対のように長年

4日間運転した憲治さん、吉生さん、それに大変な会計の達也さんに感謝の拍手をしてレンタカーを還す。駅ビル地下で期待した「盛岡れーめん」で昼食にあり着く。遠くから来た盛岡からの列車はすぐ出る。心地いい疲れで寝てれば東京駅、暑くないことを祈るが無駄だった。
途中転倒者も出たが、弱い人をかばい合い無事乗り切った。登山ではこの助け合いと、信頼感が何より大切だ。グループを組んで山に行くとはその醸成にすら目的がある。
日時;2018年7月18日(水)~21日(土) 3泊4日 (雨天決行)
参加者;勝巳、才美、憲治、貞子、達也、茂子、吉生、幸子、亮子。(9名 男4、女5)
場所;八幡平1614m。乳頭温泉群 乳頭山1478m(秋田県。岩手県)。
集合;7月18日(水)東京駅発7時36分はやぶさ3号に乗車。切符各自購入。全席指定。帰りは盛岡駅で購入。
第一日 7月18日(水)徒歩3時間

宿泊 「蒸の湯」0186-31-2131 14,000円(阿部氏)。
宿泊構成;(勝巳、才美)、(憲治、貞子)、(達也、茂子)、(各1室)。(吉生)1室。(幸子、亮子)1室。(合計5室)
翌19日、昼分弁当9人分 一人800円。
第二日 7月19日(木)徒歩5時間弱

宿泊 休暇村「乳頭温泉郷」 0187-46-2244 連泊。和室9人分 5部屋12000円 佐々木氏 宿泊構成、前日に同じ。
翌日20日の昼食弁当9人分依頼済み800円。
第三日 7月20日(金)徒歩7時間強 乳頭山登山

宿泊 19日に同じ 5部屋9人分 連泊 宿泊構成 前日に同じ。
第四日 7月21日(土)
休暇村8時発――道の駅雫石あねっこ――盛岡10時着レンタカー返し――100円循環でん でんバス利用――盛岡城址――啄木。賢治記念館――盛岡冷麺(昼食)――盛岡発新幹線1 2時50分こまち新幹線--東京着15時ーー横浜15時20分。
持ち物;登山用具、杖、軍手、雨具上下、非常用品(食糧含む)、常備薬等(大目に)、

地図;2万5千「八幡平」「秋田駒ヶ岳」「田沢湖」等。
費用概算;宿泊3万7千。新幹線往復2万2千(ジパング利用)、レンタカー分担6千、昼食等 合計約6万5千円(一人)。
リーダー;勝巳(全体、記録)、サブリーダー;憲治(レンタカー運転)、吉生(レンタカー運転、写真)、達也(会計)。
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