No.376 東北 秘湿地帯ハイキング旅行 (2018.7.18~21)
八幡平1,613m(はちまんたい)、乳頭山1,478m(にゅうとうさん)

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【1日目】
DSCN2833a.JPG十和田八幡平国立公園の一角をなす「八幡平」のほぼ全域を訪れたことになる。東北の中心部。ぶなの原生林の深山である。観光化され、道路事情はよく、宿泊する温泉は、足の踏み場もないくらいに散在している。いずれも、かっては周辺の農家の人たちが、農閑期に米味噌持参で湯治にきた温泉である。

DSCN2864a.JPGわずかに面影は残るが、観光化の進度は思ったより深く早い。観光バスがツアー客を大量に運び、宿は近代化され、それを受け入れて特徴のない高級旅館になっている。これも時代の流れだが私たちの泊まった「蒸の湯」はそれでも昔の湯治場を彷彿される面影を残している。木造の古い廃校のような宿で、先生ですかと聞いたら赤面していた経営者もどことなく素朴で、昼飯弁当の量の多さと豪華さからも商売抜きに見えた。もちろん、温泉は豊富を通り越し、源泉で立ち上る湯気は広い谷を埋め尽くし噴気音を響かせている。点在する露天風呂は屋根などもとよりない本物。ボDSCN2878a.JPGロな囲いが風情を醸し出す。少しぬるめの混浴に入ったが、結果はいつもの男4人の混浴でこれも予想通り。365日、24時間。もったいないくらい温泉が小さな川のように流れ出ている。ここまで来ると流石東北。わざわざ「源泉かけ流し」などと銘打っている温泉もあるが、悲しいくらいだ。渓一面の風景。空は広く高い、白雲に青空がつながる。赤とんぼがやたらと多く、人慣れしていない為か珍しげに近寄ってくる。食事は、老人向き和食中心で味も、量もちょうどいい。でも今思い出しても何が出ていたかわからないくらい控えめだ。きっと、葉っぱの天ぷらもあったので薬膳で湯治場料理の名残だろう。もともとこのような場所で食事に期待する方が間違っている。
盛岡に降りたときは、東京と同じく暑かったがレンタカーで9人が乗り八幡平に行くにDSCN2915a.JPG従い涼しい。昭和41年開通のアスピーテライン(楯を伏せたような山塊からの名称だが少し気取りすぎのようだ)が岩手と秋田を結ぶ。その県境の境界の駐車場に着くころは霧も出て雲の中。さすがに山気がしてくる。天気は曇り、時々は晴れ。そよ風、気温は山に入るには文句ない。霧でわかりにくい道を確認して、ともかく八幡平山を目指す。この辺り一帯にある八幡平池塘群が有名で、山そのものは控えめでどの参考文献も「山」の記載すらなく単に「八幡平」だけの扱い。山頂からは曇りで視界なし。方向だけであっちが秋田駒ヶ岳、こっちが乳頭、向こうが岩手山、と勝手に展望する。それでも山頂からの快適な下りは、長い新幹線や自動車からの解放感も手伝って至極快調。周辺は高山の花が咲き乱れる。花の名前はいくら聞いても三歩あるくとDSCN2935a.JPG忘れるため、上手くこの光景を伝えられないのがもどかしい。どの花も小さく控えめだが、ニッコウキスゲだけは別格。その黄色の花は濃い緑の夏草に際立つて揺れている。道はしっかりした木道が続く。観光客用の公園の散歩道。途中のガマ沼展望台では晴れて広い池塘が見渡せる。もちろん花々も。八幡沼は結構大きい。山上にあってこれだけの沼は珍しい。静かだ。森が深く、波少なく森景を写し濃い緑。天気のせいなのか人に出会わない。クマ注意の看板があるが当然だろう。ここは東北の心臓部のさらに中心地でもともと熊の家だから。「人間に注意」の看板こそ出すべきだ。ゆっくりした高原の逍遥は自然を再発見する時間に満ちている。こういうと意味不明だが、そうとしか言えない。深い森を渡る風、池塘の風なびく緑の草。そこのDSCN2944.JPG色鮮やかな名も知らない花々、遠い山脈、あー東北にいるんだと言う感じなのだから。
出発点の駐車場に戻りそこから今日の宿の標高1,095m「蒸の湯温泉」を目指す。少し横道にそれれば一軒家の旅館に着く。周囲には付属の建物が散在、地理院の地図にはご丁寧に地熱オンドル小屋まで表示され多くの旅館の集合地と錯覚するが間違うことなき廃校風の一軒屋。周囲の渓は広く、周りの山は低く明るい。湯気立ち上る山峡。やっと憧れの東北の宿に来た。湯温は丁度夏の夕暮れにあう。冬は休業するのだろうがどんな雪景色なのだろうか。300年以上前からの湯治場で、牧野富太郎氏も宿泊。子宝の湯でもあるが効果は定かではない。八幡平最古で、最高の高さにある温泉のためか料金はそれなりだった。
【2日目】
DSCN2955a.JPG7時起床。8時出発。徒歩で大谷地湿原と長沼に向かう。順調だ。宿の大きな弁当を各自持参。天気は晴れ、薄曇り。半袖では少し寒い。無風。大谷地までの道は道標もない露天風呂の横を沢沿いに登るがすぐに深い森。この森はどう見ても道を外すと人跡未踏の森だ。原始そのものの妖気を醸し出している。クマよけの笛を列の前後で吹きながら行く。朽ちた大木の苔むす森の奥は暗い。多少の登り降りをして、突然ワタスゲの群落に出会う。大谷地だ。立ち寄りたい衝動を我慢して、この大谷地湿原を左横に見てさらに奥の長沼に向かう。泥道で水たまりを避けてしばらくいくと天上の長沼に至る。ほとりに分不相応の東屋が建つ。やたらと太いく多い柱、大木DSCN2968a.JPGを豊富に使ったイスとテーブル。下界の感覚では相当高価だ。もちろん原生林の此の沼に一周する道は無い。遠くから対岸を見るのだが、樹相から紅葉の頃の美しさを彷彿させる。静かな沼を引き返し再び大谷地に戻る道は岳樺と青森トドマツの原生林だ。盛んにクマ笛を鳴らして遭遇を避ける。大谷地に達し大沼方面に入り込むと赤とんぼ飛び交う湿原の花の宝庫に出会う。此のあたりの道は立派な木道。咲いてる花の名前を書くときりがないだろう。八幡平を満喫し再び、蒸の湯の駐車場に戻り、宿の無料でいいから一風呂浴びて行けとのお誘いを丁重に断り元気な従業員がいつまでも手を振ってる宿を後にする。
DSCN2985a.JPGやがて後生掛温泉駐車場へ。此の温泉はへたな病院並みに効果があることになっている。昔からどんな病気も何でも治るそうだ。「湯治」と別れる「旅館」部は立派な観光客用施設。山の格好では入り難い。夏の今、まだ中天の太陽はきつい。紺屋地獄と言うなにやら曰くありそうな場所を過ぎ大泥へ。グツグツと地底から灰色の泥水が泡となってわき出ている。沸騰してるに違いない。全身美容に使えば大概の人に効果があると、思う。途中天然のブルベリーをつまむ。果樹園のものと違い自然の恵みは心を豊かにしてくれる。いつもは道が大湯沼まで一周できるそうだが今は工事で通行止め。再び引き返して「しゃくなげ茶屋」で一服。ここは名前と違って結構薄汚れDSCN2997.JPGていてその上、売ってるものは買う人のことなど無視してどう見てもこんなところで買う訳がないだろうと思うものに偏っている。誰を相手にしてるかわからなくその上、老夫婦に商売気はない。真っ黒な温泉卵を売ってるらしいが値段も書いてない。冷たい清水に浸した飲みものも店の前からは全く見えない。のんきな店番に買った温泉卵を食べながら販売方法を伝授。いらぬこととは思うが、力を貸してあげたい雰囲気の茶店なのだ(かって健ハイで柳生街道を歩いた時も同様に茶店の営業コンサルをしたが結果はどうかわからない。改善したかどうか今でも気になる)。全部見渡せるDSCN3001a.JPG周囲3Kmの大湯沼は思ったよりも大きい。ここも泉源は80度もある沼だが暑さもあって一周するのはあきらめた。此のあたりもやたらに中坊主地獄等、地獄が多い。たぶん青森の恐山と同様に霊場で信仰の対象なのだろう。東北にはこのような人知れぬ霊場が多い。明治になってこの辺りに住んだ熱心なカトリック信者が、十字架を小高い岩に建てたらしく今では何かのアンテナと見違える。昔の霊場であることやクリスチャンの住んだことなどの説明板は一切なかった。
DSCN3010a.JPG再びアスピーテラインに戻り大沼湖畔の八幡平ビジターセンターに向かう。昼食をとるつもりのビジターセンターは「閉鎖中」の看板。中に電気がついてるし入って確認すると慌てて職員が看板を外しに行った。此の看板のお蔭で今日の午前中は誰も観光客は来なかったはずだ。此の呑気さがたまらなく貴重で八幡平にはよく似合う。私達だけでガランとしたロビーを占有し、宿の大きな握り飯弁当を半分も残して昼食が済む。米の飯を捨てる罪悪感から当面重くても持って歩く。食後、大沼の立派な木道で周囲を歩く。コバイケイソウが群生している。この辺でクマが出ないところDSCN3017.JPGなどないのに、「クマ出没注意」の看板がうるさい。湖畔の「大沼茶屋湖」と言う不思議な名前のレストランは閑散としている。あいにくアイスクリームは無かったがかけ氷があった。150円とは知らずに危なく注文しないで行きすぎるところだった。さっきの温泉卵も1個70円。東北の観光地はおっとりしいてる。所変われば300円する卵だ。
車は山中をくねくねと長く乳頭温泉に向かう。途中の玉川ダム湖は想像以上に大きい。満杯の水が周囲の森を写している。少し時間の余裕があったので、まずは「鶴の湯温泉」へ立ち寄る。ここも昔の岩手から秋田への大切な道沿いにある。日本は中央に脊梁山脈があるため、どうしても東西の道は険しい山道を越えることになる。往時の苦労は大変なものだったろうが、そのころの茅葺長DSCN3029.JPG屋風の宿がそのまま残っている。温泉は乳白色。小さな谷川に添って新しく作られた古さ化粧をした建物が散在する。少し離れたところには別館までできる盛況だ。昔の湯治場のつもりでは近寄れない。観光業者の功罪か、かくも変容してしまった。建物はただ、人寄せパンダの如く見えるのが淋し。たぶん宿泊しても外観と内部設備の乖離が大きいに違いない。店員らしき中年男性の見学者への冷たい視線に追われて今日の宿泊場所の、国民休暇村「乳頭温泉卿」に向かう。休暇村「乳頭温泉郷」が正式名称のようだが、一般に温泉卿とは周辺の宿を含める地域総称名なのに、たった1軒で「乳頭温泉郷」と言っているが少し僭越と思うのはこちらの知識不足か。宿は他の休暇村に比べればこじんまりしている。ロビー等どことなく泥臭い良さがあるが。ゆっくり温泉に浸かりバイキング夕食。料金相応のもの。夜は冷房はいらない。東京は記録的猛暑とTVが伝えるなか、申し訳ないが快眠する。
【3日目】
DSCN3035.JPG朝8時、今日は乳頭山に登る。宿を車で出発し黒湯温泉「乳頭登山口」に向かう。黒湯も往時とすっかり変わった。途中大きな堰堤工事が行われ、数年前の下流の孫六温泉が流された鉄砲水対策が進んでいる。黒湯受付で、登山計画書をだし、まずは一本杉温泉跡へ。森を抜けたちょっとした広場で、谷川近くに露天風呂がある。もちろん無人。温度調整は谷川の水で自分でやる。さらにまた深い森をひたすら下を向いて登る。道はよくない。数日来の雨のせいだ。左からの冷たい沢水を水筒に詰め替える。今日の水場はここだけ。やがて天上に出たかの感がある高層湿原地帯DSCN3038.JPGの稜線に立つ。特徴的な乳頭山のピークが見え花咲く湿原が続く。またまた、高山のいろんな花。そよ風がここちいい。東を断崖にした乳頭山頂は狭く岩だらけ。微かに霧の晴れ間に深い谷底に雪渓が見え深山を改めて思う。秋田駒ヶ岳は雲の中に何とか識別できる。山頂に先にいた2人の女性が挨拶して下って行く。今日の初めてで最期の登山者との出会いだ。山頂からすぐに田代岱の無人小屋。立派な創りで往年の雨露しのぐだけの無人小屋のイメージではない。こんなところで、日本の豊かさに気づくのは妙だが。小屋周辺は山頂湿原。沼には高山の花とりどり。赤トンボがDSCN3049.JPG行きかう。静かだ。これからの長い急な降りの為に体力を温存しなければならず、余裕はなかったが、寄り道して蟹場温泉方向に少し入り花畑の有名な田代岱の一部を散策する。 散歩後、孫六温泉まではひたすら降る。この道は先代の孫六温泉宿主が造った道。歩き始めは木道の天国だが進むにしたがって泥と急坂の地獄。数日来の豪雨で掘り返され、泥は深く靴を奪う。急な坂は容赦なく転倒を誘う。何せ高齢者集団。一人の捻挫事故でも全員が窮する。どう乗り切るかが今回の最大の難事。ブナの原生林が下るにしたがってだんだん高木になる。やがて何もなかったよDSCN3055a.JPGうに傾斜の少ない森に変わる。もともとブナの木は急傾斜を嫌うので、此のあたりは誠に深いブナの原生林。新緑かと見間違う緑林だ。再度急傾斜を下れば孫六温泉の屋根が見えてくる。茅葺屋根の離れは何年間も通った青春の場所だが今は物置。孫六温泉で水を探したがない。仕方なく自動販売機で水を買う。「あの孫六温泉で自販機」と叫びたくなる。時代が変わったのだ。ここから大きな護岸工事の場所を橋で越えすぐに着く黒湯温泉の受付で、今日一日無料で駐車させてくれたことへのお礼を言い、ついでに、此処までの下り道の悪さを報告する。宿の人はまたかとのDSCN3098a.JPG顔で「登山者が多いので道が悪くなる」といいながら、それでも関係筋へ伝えるという。多い登山者の一人として恐縮しながらも、先日来の豪雨も大きな原因ではないのか、道が悪いなら登山口にその旨の表示をしないと軽い気持ちで入り込み遭難につながる危険もある。駐車場のすっかり温まってる車で10分。今日も泊まる「乳頭温泉郷」に向かい泥靴を洗って投宿。案内書の倍の7時間を要した。
【4日目】
DSCN3132b.JPG今日は帰るだけ。離れるのが淋しいが、田沢湖を経由する道は、一見都会的な街並みであるが、家々に垣根も庭木なく、雨戸もない建物から、この辺りは隠れた豪雪地帯なのだろと思う。
盛岡は大都会。今までいたところから見れば同じ国かと思うほどの別天地。その代りすっかり暑さがぶり返した。時間があったので切符購入後、「でんでんむし」という100円循環バスで盛岡城址公園に行く。南部藩の居城で、南部というのは城主個人の名。本当の事はわからないが、往時の南部藩の評判は、昨DSCN3140a.JPG年三陸海岸を歩いた時に十分聞いていた。かって津軽でも聞いた。20万石の城址は思ったより大きい。市民が木陰で昼寝する平和な公園だが、巨大な台座だけで上部の銅像のないものがあった、説明書きによれば南部家の何代目かの当主が日露戦争で亡くなりその銅像があったとのこと。今次大戦で金属として供出してそのままになっている。可哀そうだが歴史なんてそんなものだろう。
公園の近くの歴史施設で大きな山車を見る。何となく新しい。「啄木、賢治青春館」で、初めて啄木の方が賢治より10年は先輩であったことを知る。写真では反対のように長年DSCN3142a.JPG思っていたが。北上川、盛岡の地名や、岩手山を見ると啄木や、賢治をおもう。それを生む郷土、山河がここにある。
4日間運転した憲治さん、吉生さん、それに大変な会計の達也さんに感謝の拍手をしてレンタカーを還す。駅ビル地下で期待した「盛岡れーめん」で昼食にあり着く。遠くから来た盛岡からの列車はすぐ出る。心地いい疲れで寝てれば東京駅、暑くないことを祈るが無駄だった。
途中転倒者も出たが、弱い人をかばい合い無事乗り切った。登山ではこの助け合いと、信頼感が何より大切だ。グループを組んで山に行くとはその醸成にすら目的がある。
日時;2018年7月18日(水)~21日(土) 3泊4日 (雨天決行)
参加者;勝巳、才美、憲治、貞子、達也、茂子、吉生、幸子、亮子。(9名 男4、女5)
場所;八幡平1614m。乳頭温泉群 乳頭山1478m(秋田県。岩手県)。
集合;7月18日(水)東京駅発7時36分はやぶさ3号に乗車。切符各自購入。全席指定。帰りは盛岡駅で購入。
第一日 7月18日(水)徒歩3時間
DSCN2852g.JPG東京新幹線発7時36分はやぶさ3号――盛岡9時52分時(レンタカー、昼食弁当購入等) 10時20分発――東北道。松尾八幡平IC――八幡平山頂レストハウス11時20分(駐車昼 食12時発)――鏡沼ーメガネ沼――八幡平山頂(1613m)12時30分展望台――ガマ沼 13時――八幡沼(陵雲荘WC)――源太別れ展望台――八幡平レストハウス駐車場14時 50分――車移動――蒸け湯温泉着15時30分。
宿泊 「蒸の湯」0186-31-2131  14,000円(阿部氏)。
宿泊構成;(勝巳、才美)、(憲治、貞子)、(達也、茂子)、(各1室)。(吉生)1室。(幸子、亮子)1室。(合計5室)
翌19日、昼分弁当9人分 一人800円。
第二日 7月19日(木)徒歩5時間弱
DSCN2994g.JPG蒸の湯8時発――長沼8時50分――大谷地9時40分――宿泊場所発10時20分弁当入手 ――車15分――後生掛温駐車場10時30分――オナメ、モトメ――紺屋地獄――しゃくな げ茶屋(温泉卵)――泥火山往復――中坊主地獄――大湯沼11時40分――自然研究路60 分――後生掛温泉駐車場12時発――車10分――八幡平ビジターセンター昼食12時35分 ――大沼周遊13時30分発――車――畑の沢橋玉川ダム湖畔14時20分――田沢湖(休憩) 15時――鶴の湯温泉15時50分――休暇村乳頭温泉郷16時頃着――宿泊。
宿泊 休暇村「乳頭温泉郷」 0187-46-2244 連泊。和室9人分 5部屋12000円 佐々木氏 宿泊構成、前日に同じ。
翌日20日の昼食弁当9人分依頼済み800円。
第三日 7月20日(金)徒歩7時間強 乳頭山登山
DSCN3128g.JPG休暇村発8時発――黒湯(乳頭山登山口)8時20分―― 一本杉9時10分――温泉跡9 時30分――孫六温泉――黒湯着15時40分駐車場から車――宿泊休暇村着16時頃。
宿泊 19日に同じ 5部屋9人分 連泊  宿泊構成 前日に同じ。
第四日 7月21日(土)
休暇村8時発――道の駅雫石あねっこ――盛岡10時着レンタカー返し――100円循環でん でんバス利用――盛岡城址――啄木。賢治記念館――盛岡冷麺(昼食)――盛岡発新幹線1 2時50分こまち新幹線--東京着15時ーー横浜15時20分。
持ち物;登山用具、杖、軍手、雨具上下、非常用品(食糧含む)、常備薬等(大目に)、DSCN3134g.JPG洗面具、懐中電灯、携帯(充電器も)等。不要荷物を車に置く、大きな袋は便利。
地図;2万5千「八幡平」「秋田駒ヶ岳」「田沢湖」等。
費用概算;宿泊3万7千。新幹線往復2万2千(ジパング利用)、レンタカー分担6千、昼食等 合計約6万5千円(一人)。
リーダー;勝巳(全体、記録)、サブリーダー;憲治(レンタカー運転)、吉生(レンタカー運転、写真)、達也(会計)。

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