No.365 みちのく潮風トレイル(2017.9.8~11)

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3P9100778rvsdx-.jpg全体綜合
春3月に会員の提案でこのコースの企画準備開始。早速環境省発行のコース全区分地図を手に入れ山岳フエアや、観光協会から情報をこまめに収集分析。その結果トレイルは一般的な自然歩道程度と判断、特に地理院発行の二万五千の地図を準備するまでもないと甘く見た。実態は天気に恵まれたにもかかわらず悪戦苦闘。東西に尾根が海に傾斜するのを南北に歩くのだから谷と尾根を繰り返し登り降りするのは致し方ないが、なんでこんなに階段や急坂が続くのかとぼやきたくなる。その代り、森は原始のままに深く、世界最大の海は悠然とし、所によっては一日歩いても電柱一本見事にない。たまに小さな漁港にぶつかるが空き家と塩の香と波が奏でる小石の音だけで赤トンボの羽音すら聞こえるよう3P9100714rvsdx-.jpgだ。特に田野畑周辺は昔役人が赴任するために来て余りの厳しい道のりに引き返したという場所がいまだに地名に残る。今日でもその通行の困難さが見渡せる真木沢の思案橋、松前川の谷を渡る思惟の大橋などがある。この手の話は四国高知の檮原にも学校に赴任する先生があまりの山奥の道に引き返す峠の名前がいまだに残っている。いずれも、住民の微かな優越感と諧謔の匂いをさせて微笑ましい。そんなところだからこの道は飛びぬけた贅沢時間を存分に味あわせてくれる。今回は、周遊切符の関係で3泊4日に無理に押し込んだ為、徒歩コースを車移動で食い散らかさざるを得なかった。もっと、地を這うように体にしみいるような旅をしたら、一揆の事や、厳冬の山河、山漁村の真の生活や古きアイヌや縄文遺跡の事等の風景に深く出くわすに違いない。 それでも高齢者11人の集団としては企画や事前調査、困難な昼食手配、CIMG1096x.jpg複雑な会計などの担当者を始め参加者全員の協力のもとよくぞ頑張り誰一人として事故もなく歩き通したのはさすがだ。
この東北の果つる道に今だ未練がある。残した魅力にあふれた未知は大きくそして多い。

実施日;2017年9月8日(金)~9月11日(月) 3泊4日
参加者;11名(男5、女6名)
勝巳、才美(リーダー、記録、写真)、憲治、貞子(サブリーダー、会計)、達也、茂子(事前調査、写真)、一朗(昼食、潮位調査)、幸子、邦子、亮子、 ゲスト;輝夫。
費用;総計5万円程度。JR周遊券1万5千円+全宿泊費3万+3回昼食自己解決+観光船2千円等。
持ち物;特に注意するもの(出来るだけ軽く。海岸沿いのアップダウンが続く為)、雨でも歩くので雨具。傘OK。登山靴以外OK。トンネル内用懐中電灯。常備医薬品大目に。携帯電源。非常食1食分以上。保険証コピー。水筒2本(熱中症対策)。虫よけ、帽子。軍手。杖。サングラス。日焼け止め。洗面具。クマよけ笛その他。
コース;
2P9080453rvsdx-.jpg9月8日(金)曇り。東京駅出発――普代駅。ネダリ海岸徒歩3時間
集合;東京駅から各自の切符で乗車。特にホームでの集合はなし。
  • 指定券購入の関係上乗車列車は2区分に
  • 東京駅発7時36分 はやぶさ3号――八戸着10時31分着
  • 東京駅発7時40分 はやぶさ49号(臨時便)――八戸着10時45分
八戸駅新幹線改札口(1か所)で全員合流10時50分。
早速切符で前代未聞の珍事発生。八戸駅で切符の自動改札機の回収口のところに不審者が現れ周遊券を先取り(窃盗)される。駅での再発行手続きに時間を取られ、有人改札口で待つほかの乗客を待たせる結果に。八戸での昼食は駅に併設されたホテル内のものだが八戸までくれば旨くて珍しいものと期待しすぎた。パソコン情報で混んでいるとのことで苦労して予約したのに店はガラガラ。乗り換えた普代駅まではのどかな薄日さす。紀伊半島や、房総半島に似た海岸風景。久慈駅で多少混んでいる列車に乗り換えて何もない普代駅下車。すでに15時。本来ならこの時間は宿についていなければならないが、これ以上早く横浜からくるのは前夜発しかないという遠いところに着いたのだ。駅ではご丁寧に運転手2名の宿の車に迎えられで5分、巨大な普代水門2P9080487rvsdx- (2).jpgへ。偶然南相馬から来た防災関係者の視察団と一緒になり総勢30名。此の水門のお蔭で、この地区での被害はなかったのだが、これを作った先代の村長は無駄なもをと散々批判された。先の災害でそれが多くの命を救ったのだが先見の明を持つ人の宿命だろう。説明していた普代の消防団の方が、震災時、自分のこの手で水門を閉めたとの説明に我々は一斉に拍手をしたのに、南相馬の集団は沈黙。きっと自分たちは水門を閉めなかったために犠牲者をだしたのだろう。当初宿に頼んでいた太田名部漁港までの送迎を少し先の行き止まりの黒崎漁港までお願いする。コンクリートも真っ白な此の漁港まったく淋しい。船二艘が腹を出して引き上げられているだけ。人家は無論ない。こんなところに漁港があるのか不思議だ。ともかく、長い列車の道のりを経て、いよいよ、「みちのく潮風トレイル」のネダリ海岸に立つ。宿の車が引き返すと波の音に急に気づく。立派な石畳の道を行くのだが、此処ネダリ海岸浜自然歩道は環境省の地図上は、「高波時通行禁止」。事前に潮位を調べたところ丁度この時間は満潮。もしこの自然歩道を危険の為歩けなければ倍の時間で迂回路に入らなければならず宿の夕飯は大幅に遅れる。関係資料を事前に送ってくれた普代村役場の担当主事に確認した限りは今日のこの程度の波なら通行可能とのこと。更に今日の宿にも確認して確信を得ているのに、私が泳げないこともありやはり心配だ。山の事はいざ知らず海の事は全くの素人。狭い崖沿に打ち寄せる波頭を見ながら今、大波が来たら11人がどこにこの崖を登り逃げる道があるかと恐れる。危険区間は500m。半分来たらもはや引き返せないと覚悟を決める。おかげで余裕はなく風景の記憶はない。そもそもネダリとはどんな意味で、どのように表記漢字があるのかすらわからない。たぶんアイヌ語だろうとは思うが。やっと危険個所を離れてやがて苔むす700段の階段。初日で長い座ったままの列車の旅の後でもあってなんとか登りきる。赤いハマナスの身がたわわ。登りきれば海が丸く見えるほどの北緯40度の黒崎展望台。宿の近くの黒崎燈台は白く大空のもとに夏の草に覆われて無人。夕食後担当者から岩手県を中心とした事前調査の結果発表をビールを飲みながら全員感心して聞く。
2P9080487rvsdx- (1).jpg八戸市内昼食60分(8人予約「いかめし屋烹麟ほうりん」。駅ビルのホテルメッシュ2階(不味い)――八戸発12時22分久慈行1番線乗り場(八戸線普通列車)珍駅名の鮫駅を見送り種差海岸の優美な沿線を左窓に見る――久慈着14時06分(乗り換え)――久慈発14時12分(三陸鉄道北リアス線宮古行。JRではないが周遊きっぷは使える)――普代駅着14時52分(宿の出迎え車)――普代橋方面44号線(シーサイドライン)――普代水門(下車)――太田名部魚港――15時40分黒崎漁港下車――ネダリ浜自然歩道16時――700段の階段苔むす――黒崎展望台――大駐車場。宮沢賢治の碑――黒崎燈台――くろさき荘着17時。
    宿泊 国民宿舎くろさき荘(0194-35-2611)
    設備はトイレなども更新して立派。全館が清潔。従業員も村営にしては感じがいい。国民宿舎も昔と様変わりした。泊まりは他に工事関係者等数名。
    部屋割り  8千円(一人)
    2人部屋4室 (勝巳、才美、憲治、貞子、達也、茂子、一朗、輝夫)
    3人部屋1室 (幸子、邦子、亮子)
9月9日(土)徒歩7時間 曇り小雨、北山崎。ハードなハイライトコース地図6
CIMG1066x.jpg予想を超えてハードなコースとなった。北山崎までで一日分の疲れ。更にこれからまだ半分残っているという非情な声にヘナヘナとなるが外見は壮健を装う。
尾根を越え、渓底に降り、また尾根を越え海岸に出て、また尾根に登る。それもかなり急。道は先頭が蜘蛛の巣を払いながら歩くが、結構、沢筋などでわかり難い。増水時はかなり難航するに違いない。大きくジグザグしながらの行程が続き時折低く海が見え隠れする頃北山崎の断崖に近づく。ここの絶景は見事。ただ大きいだけのノルウエーのフヨルドよりきめ細やかだが、そこはさすがに名だたる断崖絶1image (7)x.jpg壁。何度見ても凄まじく息をのまれる荒削りの風景だ。昼食は北山崎展望レストランでウニ飯と、まめぶ汁(前日の宿のウニ飯とこれが同じかと疑うほどの差。安いからしかたないか)昼食後第一展望台。少ない観光客が居る。待ってましたとばかりの急峻な500段を越す階段を下りる 降りれば当然階段を上るがこの登り下りは思いのほか疲れる。午前中早くから歩いているし、激しく、多い登り降りを消化してきているのだ。しかも雨が降ってきた。大幅に到着が遅れることを予想して、急遽、計画を変更し本日の宿に連絡、迎えの車を机浜番屋群迄依頼。そこから全員が車で宿に行くこととした。これから行く机浜迄の行程を、トレイルに忠実に海岸を行く人と残りは自動車道を行く人に分ける。トレイルの道に忠実なグループは計画の3倍の時間を要したが難路を完歩した。その困難さは、波の音と足元の大岩を揺るがす振動、雷を伴う雨に濡れた滑る岩の間から見る波頭に恐怖した。僅かな昼食5P9090560rvsdx-.jpg休憩はあったが、すでに8時間を超える登り降りの連続とすべての荷物を背負っての疲労だ。ラダーと環境省の地図上にあるので階段梯子位に思うのが普通だが、これが曲者。途中で垂直な鉄梯子に変わるし、はいつくばって重い荷物をもって雨の中を泣きべそをかく手足の震える道だった。手掘りトンネルも終わったらまた次が出てきて途中で曲がり先は真っ暗闇。コース途中、雨がやみ半分だけの虹が出てどんなに励まされたことか。やっと再び降った驟雨のような雨の中、夕暮れ迫る樹陰の尾根を下りながら机浜番屋群が見えたときは助かったと本当に思ったに違いない。雨にこそあったが幸いトンネルの中という幸運の国道歩きグループとここで合流。羅賀荘の1image (11)x.jpg出迎えの車を予定より1時間も待たせてしまったが運転手は嫌な顔一しない。合流した机浜は番屋群の浜。いまでこそ震災で流失しその後観光的に復活しているが元は漁期は流木や海岸の石を使った浜小屋に寝泊まりして海藻や魚を獲り、農繁期は山に耕す典型的な半農半漁の出造り小屋だった。
机浜からの楽な車移動になって車中は乗り切った安堵感に満ちていたが饒舌にはしゃぐ人はいない。高齢集団が、よくもここまで歩き通したものである。
くろさき荘発7時30(行程が長い為可能な限り早朝出発)――3時間――北山崎展望所周辺園地(昼食)12時――北山崎第一展望台13時――200段の階段――ブナ林15時――国道44号線出会い15時30分――ラダー鉄製梯子――手掘りトンネル16時30分――机浜番屋群17時着(一部自動車道経由グループは国道44号から16時机浜番屋群着)全員再集合し羅1image (13)x.jpg賀荘の送迎車で宿へ――羅賀荘着17時20分(宿泊)――18時30分夕食。
    宿泊  羅賀荘(らがそう) (0194-33-2611) 石黒氏
    近代的、10階建ての鄙に見る立派なホテル。食事もよい。2日間にわたり配車でかなり無理を言ったが気持ちよく対応してくれた。部屋もきれいだったが、全員の宿泊料を安くするために一部屋に男性5人。先の震災では3階まで津波が来たという。部屋や、浴槽からの太平洋に沈む夕日は神秘的。羅賀とは江戸時代以前からのからの地名だがアイヌ語だろうか
    部屋割り 1万3500円(一人)10階
    5人部屋1室 (男全員)。
    3人部屋2室 (才美、幸子、茂子)。 (貞子、邦子、亮子)。
9月10日(日)晴れ曇り徒歩6時間 送迎車で観光船乗り。断崖後徒歩 地図7,8
3P9100686rvsdx-.jpg北山崎の断崖クルーズ船から見る断崖絶壁は壮観を通り越している。なんと罰当たりな岩壁なのだろう。思い思いに岩の巨大な塊が勝手に天を衝き激しく傾き海中に没している。数百メートルを越す絶壁は人跡未踏どころか生き物の全てを寄せ付けないだろう。人間の知恵でこんな形や色は到底作れない。人智の外の世界が当たり前のように厳然としている。薄曇りの空を背景に、色とりどりの岩石が勝手に積みあがっている。地底から這い上がって昨日できた形のように。へばりつく大木もこれでも植物の形かと思わせるものだがここではこの形にしか生き残れないのだ。やはり人智をはるかに超える力に支配された創造の世界である。
CIMG1074x.jpg訪れた島越駅では2年前に津波の語り部に話を聞いた。当時は駅跡でしかなかったのに駅は見事に宮沢賢治の物語風に出来上がり資料館も併設し防波堤も高々と白い堤をなし海岸を遮断している。だが傷跡は隠せない。高台に残った無人の一軒家。駅周辺の不自然に平らかな地面は夏草に覆われ自動車道ばかりが新しい。人家は遥か奥山に移住したのだろうか。あの時の語り部は目の前で津波にのみ込まれ救えなかった知人をいまだに悔いているのだろうか。此の地に再び立って立ち尽くす以外に何もできない。
「田野畑村民俗資料館」を知りそこの7,500年前の縄文期の土器や、3千年前の遮光器土偶もそうだがやはり三閉伊一揆の事が気になる。1853年ぺリーが日本に来航しCIMG1079x.jpgた時の事でつい最近の史実だ。この国の歴史には虐げられた者の最後の抵抗である一揆の累々とした屍が横たわっている。百姓と蔑まれ過酷な労働にすべての人生を捧げ、生き残る最後の一粒まで搾取された人達の行きどころのない決死の反乱。同じ国民の間で繰り返し起きた此の事実に救がないが、もし救いがあるとすれば極く例外的に藩から「安堵状」を獲得し処刑者も出さずに終結したこの地の一揆だろう。南部盛岡藩を相手に、敢然と挑んだ田野畑村を中心にした1万6千を超す寒村僻地の一揆衆。権力の横暴に自らの運命を自からが律せない農民大衆は牛馬の如く耐えて生きる以外なかった時代に、権力側からの想像を絶する冷酷な抑圧の中で「仙台藩の御領に成り下せれるよう願いあげ奉り候」と、権力秩序を国ごと換えてくれと言う平然とした捨て身の発想に近代の息吹が読み取れないだろうか。その際の49か条の要求事項は全て酷税に対してであり、冷酷極まる支配者に対する弱者の怨嗟の声だ。課税者CIMG1105x.jpgの言い訳がましい理由は塩だ、鉄だ水産物だと詳しく藩側の事情を語るがなぜか困窮極まる一揆衆の真の生活の姿は少ない。飢餓や、餓死、逃散、身売り、間引き、獄死、刑死、藩の裏切り、葛藤、逃避はこの白砂青松の寒村に間違いなく渦巻いたはずだ。一揆指導者の覚悟は偽名を使いつつも「我万民の為に死なん」と凄まじい。一揆につきものの内部崩壊を避けるのは指導者のこの決死の覚悟と天性の人格以外にない。まさに一揆指導者は義民であり、盛岡藩にして「指導者は肝太き極悪人でいかんとも致し方ない」と言わせた智謀に長け、狡猾に立ち回り敵を翻弄し自らの財産を犠牲にして村民を覚醒し、扇動し、説き伏せ続け目的を見事に達成したのだ。権力打倒へ繋がる巧妙な主張として、諸国の近代革命に匹敵する。
一揆は、いまに生きる全ての人が今あるを知るための命かけた事績だ。いつの世も、権力に反抗する者への歴史の扱いは「幸徳秋水の墓に鉄格子をはめる」のだ。願いは無視され、虚偽満る創作で事実は歪曲され消される。
この一揆はもっと周知され正しく評価されなければならない。田野畑は圧政に厳然と立ちはだかる聖地である。過疎の山村が精いっぱいに維持する入場料300円の資料館には、一揆衆の雄叫びと高く掲げる旗印の「小○の旗」のざわざわという音が聞こえる。ここはあるべき人間の生き方を示して鎮魂と悔恨に満ちている。
資料館から車は田野畑の奥深い森を越え、新設の橋梁を越え鵜の巣断崖に至るが、環境省の地図でさえここへの行き方は「行き帰りはタクシーなどに頼れ」と頼りない。要はまともな交通手段は無い。駅から歩けば3時間、往復すれば一日行程。こんなところで自分で歩け、タクシーを呼べと言われてもただ途方に暮れる。羅賀荘の親切な運転手に送迎を依頼していなければ野宿ものである。いよいよ旅の最深部、鵜の巣断崖に。200メートルの断崖が5層に続く海岸線は他に類を見ない。のっぺらぼうに平和に佇んでいない、断崖が前後に入り組みジグザグに屹立し屏風を立てかけた様相だ。弓状のその威風堂々の風景は神秘を通り越して恐怖をすら覚える。5本の尾根が4つの渓を抱え込み谷部分の侵食の先は白砂の入江。鉄分を含む赤い崖。前は波よせる藍3P9100744rvsdx-.jpgの海、屹立する崖は赤銅を思わせると思うと一転白崖、後背はどこまでも続く森林の真緑、空は低く青、雲が白く高く海鳥が飛ぶ。風景に遅れて万年の波音。海鵜が巣を作るにもこの断崖には二の足を踏んだに違いない。人間はこの絶対的な大自然の圧倒の前に成すすべがない。車から降りてこの展望台までの松林の芝生の道に山法師の赤い実をほおばったたおやかさはこの風景の前に微塵も残らない。せめてもの救いは、これから女遊戸浜で昼食をとるという至って現実的な時間が待っていること位だ。
想った通り女遊戸浜(おなずべはま)は何もない。もちろんトイレどころかベンチも看板もない。どこにも見受ける高い真新しい防潮堤もない。ただ荒い海砂利が波に揺れる海鳴りだけ。三々五々弁当を広げる。午後の日はやたら高く、時間は停まっている。今迄の荒々しい風景が一変し、海も空も青く日本昔話のような遠い風景だ。岩手人の弁当らしく、誠実で豪快。半分も食べられないが、造った人を思えばウミネコにはやれない。海鳴りの中で幾万年の波に風化した小石を拾う。ふと震災で行方不明の方々の霊を集めてる錯覚に陥る。長い人生の中の今を噛みしめて初秋の午後の光にいる。
3P9100809rvsdx-.jpg羅賀荘から延々と送迎してくれた車は帰った。心細く短く古いトンネルを超えれば隣の浜は震災のメモリアルパーク中の浜。これでもかと設備が充実し人家も見える。ま新しい堤防に立って一瞬で現実に戻される。海岸を見おろしながら森の自然遊歩道を歩き姉ヶ崎展望所に至るのだが。宮古に近いのにこの道はほとんど歩かれていない。苔むし、木造の階段は朽ち標識はことごとく壊れ表示部分が欠損し、あるものは、標柱が削り取られている。この辺りは旧からあった自然歩道を利用したためか手入れは悪い、この木製の標識が年月を経て虫が食い、その虫をクマがほじくり出した為、壊されたようだ。よく見れば爪痕らしきものもある。クマにとっては格好のえさ場だったのだろう。こんな状態になることを予想できなかった人間の完全な負け。クマ君の勝利だと思うと愉快だ。今日の宿泊所が建てたらしい賑やかな標識が一挙に増えた。もうすぐ国民休暇村宮古、この旅の最後の宿泊だ。時間に余裕があり夕食までは宿で贅沢な昼寝ができる。 羅賀荘発8時発――(宿の送迎車)――(北山崎断崖クルーズ観光船)8時40分発――観光船帰着9時40分――島越駅立ち寄り(前回訪問地)――宿の送迎車――三閉伊一揆(さんへいいっき)田野畑村民族資料館10時――(送迎車)――鵜の巣園地10時30分――鵜の崎断崖往復11時発――(送迎車)――宮古郊外国道沿いローソンで昼食ピックアップ11時30分――(送迎車)――女遊戸浜(おなつべはま)11時50分(昼食大休憩)12時30分発――(徒歩)――中の浜――姉ヶ崎展望所14時――休暇村陸中宮古着14時30分――風呂昼寝――夕食18時(バイキングの為か食べ過ぎる)。
    宿泊 休暇村「陸中宮古」(0193-62-9911
    宿泊1万円 観光船1460円 送迎ガソリン代5千円運転手謝礼3千円
    部屋割り
    2人部屋×4室(勝巳、才美、憲治、貞子、達也、茂子、一朗、輝夫)
    3人部屋×1室(幸子、邦子、亮子)
9月11日(月)徒歩5時間 帰京日
CIMG1127x.jpg休暇村からまずは潮吹穴を目指す。出発時にフロントの所要時間は90分。どう見ても地図上は30分程度だし、環境省の地図も同様の時間表記。なのに変なことを言うフロントだと高をくくっていたのだが間違っていた。本当に90分かかった。今思えば環境省の地図がいい加減だったのだ。全体的に言えるのだが、この地図はあてにならない、時間は不正確だし、700段ものきびしい階段は表記されないのに200段は記されたり、地名にコース表示がかぶさり判読できなかったり、簡単に地名だけが記されてるのに案外厳しい道だったりする。その上明らかに不通となっている場所に表示がなく散々だ。やはり国土地理院の地図が馴れているせいか頼りになる。たぶん、環境省の4P9110887rvsdx-.jpg案内は、同一人が共通の目で確認製作していないのだろう。共通のコースなのに地域でこんなに地図表現に差があるのは地域事情を忖度し観光案内として作成した結果だろうなどと愚痴が出る。高く潮を噴き上げるはずの潮吹穴は元気がなかったのは自然条件だから彼に罪は無い。石段に座って日出島を背景にのんびりでき潮噴きの高さなど問題ではない。大沢海岸までの道には、猛毒の火炎茸の森がある。じめじめした沢沿いの暗い森で薄気味悪い所だ。早く過ぎ行きたいがやたらと蜘蛛の巣が多い。手で払っても手にべたつく。人があるいていなのだ。今回の旅で同様の目的で歩いていると思われる人には4日歩いて1人しか会っていない。それも、僅かな区域で自動車道に逃げ出してしまった。行く手に大きな半島が洋上に長く突き出ている。先端は4P9110928rvsdx-.jpg閉伊崎。いつか行ってみたい、きっと忘れられた半島の細道には何もないから。時間に遅れ大沢集落の浜に着いた。ここから先は、航空写真で見ても完全に崖崩れで通行できない。地図に表示は無いが大きくゴルフ場を自動車道で迂回するのも今更ばかばかしい。3台のタクシーを呼ぶため人家を訪れたが全て無人。白いカーテンだけが海風に揺られていた。宮古の浄土ヶ浜までの運転手に、熊は出るか聞いたが、なんで当たり前のことを聞くのかと「いる」と一言。この地の人であれば被災してるに違いないのにそんな話はよそ者の私達に一言もしゃべらない。こらえ続けている人独特の雰囲気が無駄話など寄せ付けない。一見のよそ者の軽薄さがつらい。
4P9110974rvsdx-.jpg浄土ヶ浜でたっぷり時間を取った昼食。もはや観光バスの世界に完全に戻った。以前より60cmも地盤沈下し、白岩の色もくすんで浄土とはこんなものかと行きたくなくなる。 浄土ヶ浜からのバスは宮古駅まで。予想外に寂しい宮古駅で変わり映えのしないお土産を買う。そう言えば今回歩いて途中で土産など売ってなかったし、そもそも商店などなかったように思える。宮古駅で山田線が不通の為連絡バスに乗る。盛岡までの間、併流する川は洪水や土砂崩れの痕が痛々しい。大きな工事が行われているが相当な時間を必要とするだろう。バスの高い座席からの風景明媚な山間風景をすぎ、都会風の盛岡駅に着く。予定した列車よりも早く乗るため緑の窓口で指定座席の取り直し。盛岡まで戻ると東北は終わりに思えるほど奥深い東北にいたのだ。今度は事故もなく新幹線の改札を通る。同じ列車だが、座席指定が離れるため解散は盛岡駅新幹線改札口。
もう少しとも思うし、全員が無事帰るには適当な行程とも思う。あとは各自眠っていれば東京に着く。宴の後のような虚脱感はなんなのだろう。新鮮な感動の多き後ゆえか。 休暇村「陸中宮古」発8時――潮吹き穴9時30分――大沢海岸11時――タクシー――浄土が浜レストハウス11時40分 昼食――浄土ヶ浜発バス13時40分――宮古駅発14時40分(山田線不通。JR宮古駅で周遊パスを見せバス振り替え乗車券をもらい、駅前バス停から岩手県北バス盛岡行急行(106号)乗車??JR盛岡駅着17時(解散)盛岡発17時16分はやぶさ――東京駅着19時32分。
JR山田線は宮古――盛岡間は土砂崩れの為不通(不通期間はこの復旧工事の状況では只見線同様長期に及ぶ可能性あり)。

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