全体綜合
春3月に会員の提案でこのコースの企画準備開始。早速環境省発行のコース全区分地図を手に入れ山岳フエアや、観光協会から情報をこまめに収集分析。その結果トレイルは一般的な自然歩道程度と判断、特に地理院発行の二万五千の地図を準備するまでもないと甘く見た。実態は天気に恵まれたにもかかわらず悪戦苦闘。東西に尾根が海に傾斜するのを南北に歩くのだから谷と尾根を繰り返し登り降りするのは致し方ないが、なんでこんなに階段や急坂が続くのかとぼやきたくなる。その代り、森は原始のままに深く、世界最大の海は悠然とし、所によっては一日歩いても電柱一本見事にない。たまに小さな漁港にぶつかるが空き家と塩の香と波が奏でる小石の音だけで赤トンボの羽音すら聞こえるようだ。特に田野畑周辺は昔役人が赴任するために来て余りの厳しい道のりに引き返したという場所がいまだに地名に残る。今日でもその通行の困難さが見渡せる真木沢の思案橋、松前川の谷を渡る思惟の大橋などがある。この手の話は四国高知の檮原にも学校に赴任する先生があまりの山奥の道に引き返す峠の名前がいまだに残っている。いずれも、住民の微かな優越感と諧謔の匂いをさせて微笑ましい。そんなところだからこの道は飛びぬけた贅沢時間を存分に味あわせてくれる。今回は、周遊切符の関係で3泊4日に無理に押し込んだ為、徒歩コースを車移動で食い散らかさざるを得なかった。もっと、地を這うように体にしみいるような旅をしたら、一揆の事や、厳冬の山河、山漁村の真の生活や古きアイヌや縄文遺跡の事等の風景に深く出くわすに違いない。
それでも高齢者11人の集団としては企画や事前調査、困難な昼食手配、
複雑な会計などの担当者を始め参加者全員の協力のもとよくぞ頑張り誰一人として事故もなく歩き通したのはさすがだ。
この東北の果つる道に今だ未練がある。残した魅力にあふれた未知は大きくそして多い。
参加者;11名(男5、女6名)
勝巳、才美(リーダー、記録、写真)、憲治、貞子(サブリーダー、会計)、達也、茂子(事前調査、写真)、一朗(昼食、潮位調査)、幸子、邦子、亮子、 ゲスト;輝夫。
費用;総計5万円程度。JR周遊券1万5千円+全宿泊費3万+3回昼食自己解決+観光船2千円等。
持ち物;特に注意するもの(出来るだけ軽く。海岸沿いのアップダウンが続く為)、雨でも歩くので雨具。傘OK。登山靴以外OK。トンネル内用懐中電灯。常備医薬品大目に。携帯電源。非常食1食分以上。保険証コピー。水筒2本(熱中症対策)。虫よけ、帽子。軍手。杖。サングラス。日焼け止め。洗面具。クマよけ笛その他。
コース;

集合;東京駅から各自の切符で乗車。特にホームでの集合はなし。
- 指定券購入の関係上乗車列車は2区分に
- 東京駅発7時36分 はやぶさ3号――八戸着10時31分着
- 東京駅発7時40分 はやぶさ49号(臨時便)――八戸着10時45分
早速切符で前代未聞の珍事発生。八戸駅で切符の自動改札機の回収口のところに不審者が現れ周遊券を先取り(窃盗)される。駅での再発行手続きに時間を取られ、有人改札口で待つほかの乗客を待たせる結果に。八戸での昼食は駅に併設されたホテル内のものだが八戸までくれば旨くて珍しいものと期待しすぎた。パソコン情報で混んでいるとのことで苦労して予約したのに店はガラガラ。乗り換えた普代駅まではのどかな薄日さす。紀伊半島や、房総半島に似た海岸風景。久慈駅で多少混んでいる列車に乗り換えて何もない普代駅下車。すでに15時。本来ならこの時間は宿についていなければならないが、これ以上早く横浜からくるのは前夜発しかないという遠いところに着いたのだ。駅ではご丁寧に運転手2名の宿の車に迎えられで5分、巨大な普代水門
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宿泊 国民宿舎くろさき荘(0194-35-2611)
設備はトイレなども更新して立派。全館が清潔。従業員も村営にしては感じがいい。国民宿舎も昔と様変わりした。泊まりは他に工事関係者等数名。
部屋割り 8千円(一人)
2人部屋4室 (勝巳、才美、憲治、貞子、達也、茂子、一朗、輝夫)
3人部屋1室 (幸子、邦子、亮子)

尾根を越え、渓底に降り、また尾根を越え海岸に出て、また尾根に登る。それもかなり急。道は先頭が蜘蛛の巣を払いながら歩くが、結構、沢筋などでわかり難い。増水時はかなり難航するに違いない。大きくジグザグしながらの行程が続き時折低く海が見え隠れする頃北山崎の断崖に近づく。ここの絶景は見事。ただ大きいだけのノルウエーのフヨルドよりきめ細やかだが、そこはさすがに名だたる断崖絶
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机浜からの楽な車移動になって車中は乗り切った安堵感に満ちていたが饒舌にはしゃぐ人はいない。高齢集団が、よくもここまで歩き通したものである。
くろさき荘発7時30(行程が長い為可能な限り早朝出発)――3時間――北山崎展望所周辺園地(昼食)12時――北山崎第一展望台13時――200段の階段――ブナ林15時――国道44号線出会い15時30分――ラダー鉄製梯子――手掘りトンネル16時30分――机浜番屋群17時着(一部自動車道経由グループは国道44号から16時机浜番屋群着)全員再集合し羅
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宿泊 羅賀荘(らがそう) (0194-33-2611) 石黒氏
近代的、10階建ての鄙に見る立派なホテル。食事もよい。2日間にわたり配車でかなり無理を言ったが気持ちよく対応してくれた。部屋もきれいだったが、全員の宿泊料を安くするために一部屋に男性5人。先の震災では3階まで津波が来たという。部屋や、浴槽からの太平洋に沈む夕日は神秘的。羅賀とは江戸時代以前からのからの地名だがアイヌ語だろうか
部屋割り 1万3500円(一人)10階
5人部屋1室 (男全員)。
3人部屋2室 (才美、幸子、茂子)。 (貞子、邦子、亮子)。


「田野畑村民俗資料館」を知りそこの7,500年前の縄文期の土器や、3千年前の遮光器土偶もそうだがやはり三閉伊一揆の事が気になる。1853年ぺリーが日本に来航し


一揆は、いまに生きる全ての人が今あるを知るための命かけた事績だ。いつの世も、権力に反抗する者への歴史の扱いは「幸徳秋水の墓に鉄格子をはめる」のだ。願いは無視され、虚偽満る創作で事実は歪曲され消される。
この一揆はもっと周知され正しく評価されなければならない。田野畑は圧政に厳然と立ちはだかる聖地である。過疎の山村が精いっぱいに維持する入場料300円の資料館には、一揆衆の雄叫びと高く掲げる旗印の「小○の旗」のざわざわという音が聞こえる。ここはあるべき人間の生き方を示して鎮魂と悔恨に満ちている。
資料館から車は田野畑の奥深い森を越え、新設の橋梁を越え鵜の巣断崖に至るが、環境省の地図でさえここへの行き方は「行き帰りはタクシーなどに頼れ」と頼りない。要はまともな交通手段は無い。駅から歩けば3時間、往復すれば一日行程。こんなところで自分で歩け、タクシーを呼べと言われてもただ途方に暮れる。羅賀荘の親切な運転手に送迎を依頼していなければ野宿ものである。いよいよ旅の最深部、鵜の巣断崖に。200メートルの断崖が5層に続く海岸線は他に類を見ない。のっぺらぼうに平和に佇んでいない、断崖が前後に入り組みジグザグに屹立し屏風を立てかけた様相だ。弓状のその威風堂々の風景は神秘を通り越して恐怖をすら覚える。5本の尾根が4つの渓を抱え込み谷部分の侵食の先は白砂の入江。鉄分を含む赤い崖。前は波よせる藍

想った通り女遊戸浜(おなずべはま)は何もない。もちろんトイレどころかベンチも看板もない。どこにも見受ける高い真新しい防潮堤もない。ただ荒い海砂利が波に揺れる海鳴りだけ。三々五々弁当を広げる。午後の日はやたら高く、時間は停まっている。今迄の荒々しい風景が一変し、海も空も青く日本昔話のような遠い風景だ。岩手人の弁当らしく、誠実で豪快。半分も食べられないが、造った人を思えばウミネコにはやれない。海鳴りの中で幾万年の波に風化した小石を拾う。ふと震災で行方不明の方々の霊を集めてる錯覚に陥る。長い人生の中の今を噛みしめて初秋の午後の光にいる。

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宿泊 休暇村「陸中宮古」(0193-62-9911
宿泊1万円 観光船1460円 送迎ガソリン代5千円運転手謝礼3千円
部屋割り
2人部屋×4室(勝巳、才美、憲治、貞子、達也、茂子、一朗、輝夫)
3人部屋×1室(幸子、邦子、亮子)




もう少しとも思うし、全員が無事帰るには適当な行程とも思う。あとは各自眠っていれば東京に着く。宴の後のような虚脱感はなんなのだろう。新鮮な感動の多き後ゆえか。 休暇村「陸中宮古」発8時――潮吹き穴9時30分――大沢海岸11時――タクシー――浄土が浜レストハウス11時40分 昼食――浄土ヶ浜発バス13時40分――宮古駅発14時40分(山田線不通。JR宮古駅で周遊パスを見せバス振り替え乗車券をもらい、駅前バス停から岩手県北バス盛岡行急行(106号)乗車??JR盛岡駅着17時(解散)盛岡発17時16分はやぶさ――東京駅着19時32分。
JR山田線は宮古――盛岡間は土砂崩れの為不通(不通期間はこの復旧工事の状況では只見線同様長期に及ぶ可能性あり)。
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