全体記録;勝巳。行動記録;達也。
全行程7泊8日を新緑の6月と紅葉の10月に分けて実施。今回はその第一回4泊5日分。
自然豊かなブナの原生林の新潟と長野県境を巡る全長80Kmのロングトレイル。
予想される雨の時期、連日歩く体力と気力技術力を要するがいくつかの好条件に恵まれ、これ以上の成功はないとの充実感に満ちた山行だった。
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勝巳(リーダー)、達也(会計、写真)、ゲスト参加者;一朗、輝夫、各氏。
(事故対応等の為の登山経験者参加依頼。自費参加)。
当初6名であったが体調不良で健ハイメンバー2名が欠席し4名で実施。
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東京駅、北陸新幹線はくたか555号金沢行 出発ホーム 自由席2号車付近乗車口。各自改札を入って自由席を確保。はくたか555号8時44分乗車。
- 第一日(H28年6月8日(水))快晴、後曇り (夜:蛍見学)
- 第二日(H28年6月9日(木))小雨後曇り、時々晴れ (夜:小雨)
信越トレイル Section 3 (涌井~富倉峠~桂池~仏が峰登山口 ルート)
宿の車で8時10分出発 → 8時25分 涌井着
8時30分涌井(○3-1)から登山開始→2.4Km/9時30分富倉峠(○3-8)→大将陣跡・経由
→1.5Km/10時20分ソブの池(○3-10) →3.5Km/12時20分黒岩山・東屋(938m○3-15)→2.0Km/13時10分桂池(○3-20)→中古池/北古池湿原経由
→3.2Km/15時10分仏が峰登山口(○4-1)→0.7Km/15時45分とん平ゲレンデ着
16時00分宿出迎えの車に搭乗 →16時15分 宿帰着
((登攀距離:13.5Km/ 所要時間 7時間15分・含む休憩))
- 第三日(H28年6月10日 (金))晴れ、時々曇り (夜:満天の星、蛍見学)
信越トレイルSection 4 (仏が峰登山口~関田峠 ルート)
宿の車で8時00分出発 →8時30分 関田峠着
8時35分登山開始・関田峠(○4-15)周辺ブナ林コース(0.8Km)、茶屋池コース(0.5Km)散策、9時30分信越トレイル(○4-13)に入る →筒方峠・経由→ 2.0Km/10時30分黒倉山(1,242m) (○4-11)→久々野峠・経由 →0.6Km/11時05分鍋倉山(1,288m)○4-8) →長いヤセ尾根
→3.1Km/13時30分小沢峠(○4-5) →仏が峰(1,146m)経由→2.3Km/15時15分仏が峰登山口(○4-1)→0.7Km/16時10分トン平ゲレンデ着
16時20分宿出迎えの車に搭乗 →16時30分 宿帰着
((登攀距離:10.2Km/ 所要時間 8時間05分・含む休憩))
- 第四日(H28年6月11日(土))快晴、帰宿後夕方から雨
信越トレイルSection 5 (関田峠 ~伏野峠 ルート)
宿の車で7時55分出発 →8時40分 伏野峠着
8時45分伏野峠(○5-14)から登山開始 →1.7Km/10時45分 幻の池(○5-12)
→2.8Km/11時30分宇津ノ俣峠(○5-11)→1.7Km/12時50分 花立山(1,069m)
(○5-9)→1.7Km/13時40分 牧峠(○5-6)→2.8Km/15時45分 梨平峠(○5-3)
→1.7Km/17時00分 関田峠(○5-1)→0.5Km/17時10分茶屋池はうす着
17時20分宿出迎えの車に搭乗 →17時50分 宿帰着
((登攀距離:13.0Km/ 所要時間 8時間30分・含む休憩))
- 第五日(H28年6月12日(日))快晴
- 第一日(6月8日)(水) 徒歩5時間 飯山駅――斑尾山――希望湖。
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宿泊戸狩温泉「かのえ」0269-65-4570。4連泊。温泉。全送迎 9500円。
- 第二日(6月9日)(木) 徒歩7時間 涌井ーートンペイ平ゲレンデ。
- 第三日(6月10日)(金) 徒歩8時間 関田峠――トンペイ平ゲレンデ。
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(逆コース)をとる。仏が峰下りが楽なため計画を急遽変更。
- 第四日(6月11日)(土) 徒歩8時間30分 伏野峠――関田峠茶屋小屋。
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(逆コース)伏野峠が関田峠より標高が高い為。
- 第五日(6月12日)(日) 9時48分戸狩野沢温泉発――長野10時48分着
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(昼食)。
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長野発12時24分はくたか560号――東京着13時52分(解散)。
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行動は、宿が連泊のため、余分な荷物は宿に置き、当日必要なものだけとする(荷重約6~7Kg)。ともかく雨に連日遭う前提の完全降雨対策用品を持参で臨んだ。
一般登山用品等(杖、水筒2リットル程度、医薬品、常備薬等大目に。虫よけ、日焼け止め、保険証コピー、懐中電灯、軍手、雨具、着替え(予備ズボン、靴下等)、非常食等。
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信越トレイルクラブ事務局発行0269-69-2888で事前購入。

- メンバーの実力がコースに伴っていたこと
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事故がないだけではない。4日間の長いトレイルで、平均年齢70歳を超えるメンバーの誰一人として転倒したり、傷を追ったり、疲労した者はいない。コースによって参加者の基準を設けるのは安全登山の第一の提要であることを改めて確認した。それぞれの参加者がこのような山行に耐えられるという自信を持つことができたのは大きな資産、収穫である。
- 計画を柔軟に対応したこと
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現地情報によらなければわからないことは多い。たとえば、コースが完全舗装の自動車道が長かったり、地図上では判断しにくい積算高低差であったり、時間によっては南面の直射日光のもと、樹林帯もないスキー場跡の急斜面であることがある。その対応は、急に送迎の行先を変え逆コースをとり、全員が合意協力しなければならず、厄介なことだがその実行ができたこと。これが参加者のレベルがあっているという事がいかに大切かを意味している。全行程4日間のうち当初計画を固執せず現地状況に照らして2日間は計画変更をした。
- 行動基点としての宿泊の便を得たこと
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4泊とも同一旅館として、必要な荷物以外を旅館に置くことができ、結果として山での軽量化による行動ができたこと。また、登山口、下山口まで宿の送迎は、舗装の自動車道を数時間に及ぶ林道歩きを大幅に省略できたことも大きなことだ。
更に、温泉が実質24時間利用でき、膝の疲れの早期回復、腰痛に対処でき、十分な休養ができた。3泊は、他の客が居なく我々だけで余裕があった等の宿泊の便を大いに利用。登山の宿としては若干高かったがそれだけのことはあった。宿を囲む一面の水田は蛙ののどかを越す大合唱。夕方の散歩では蛍も飛んでいる。宿は桑の実も食べられる里山の中にある。気分が悪くなる夏山の小屋の異常な混雑、不衛生なトイレ、寝具、それで1万円近い料金は誠に困ったもの。少しはこの旅館を見習ってほしい。
(余滴)初日、飯山駅に車で迎へてくれた宿の奥さんによればご主人はマムシに噛まれて入院中とのこと。それだけならありうることと聞き流すところだったが、飯山赤十字病院の6人部屋の病室に、5人がマムシに噛まれた人だったと聞きこれからの登山の緊張が車内を無言にした。
- 天候に恵まれたこと
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快晴は必ずしも登山日和ではない。東京から飯山に着いてすぐの登りである初日は斑尾山
のスキー場跡の草原を直登するが熱中症になりかねない蒸し暑い無風の炎天下。
次の日からは晴れ、コースも1200m前後の標高で風も爽やか。2日にわたって、夕方宿に ついてから降雨。温泉の中から、運がよかったと語り合う余裕。
トレイルは稜線を歩くのだが、樹林が高く茂り見通しはよくない。無風でもあり蒸し暑いときもあったが、ともかく今は梅雨真最中。此の天候に贅沢を言ったら罰が当たる。天候は安全上も大事な要素だ。今回は恵まれたが此の逃げ道のない稜線で雷にあったら相当怖い思いをするに違いないと思いながら長い尾根道を歩いた。
- 登山道が安全で、かつ整備がよくなされていたこと
どこの登山道でも、4日間も歩けば危険な岩場に出くわすものだ。ところが、このコースにそれがない。整備された土と腐葉土の森林の道が続く。斜面と言ってもそんなに高低差はなく、少しつらいが我慢すれば乗り切れるものばかりだ。2Mの道幅でほとんどの所が下草が刈られている。ただし下草だけで、頭上の倒木はそのまま丁寧に残されている、自然保護の見地から当然だが、よく頭をぶつける。何しろマムシを注意して足元ばかり見ているのでつい、頭に樹木が当たる。勢いよく登っていると大きな音がしてかなり痛い。こんな時にヘルメットが役立つのだろう。道標は豊富。流石信越トレイルだ。それに加えて、新潟長野県境の境界標識石が50mごとに土から首を出している。これとて、見つけて大喜びすることだってあることを思えばありがたい。
○4―6とか○8―12とか標識に表示されているのは、「信越トレイル」地図の表示と対応している。自分のいる場所がこの番号と同じであればすぐにわかりすこぶる便利だ。ただし、いくら歩いても展望はほとんどない。周囲は日よけにはいいが樹林。風の道もめったにない。日本海らしいところが見えたが果たして海かどうか。海は僅か20Km先にあるというのに。風景はほとんど知らない初めての山渓ばかりだ。森は東北を思わせる豊かさ。歩くほどによく小さな水たまり跡に出くわす。豪雪地帯特有の遅い雪解けに泥道はこねまわされている。少し水が残っていれば葉っぱばかりの水芭蕉の群落や、モリアオガエルの卵が大きな木の花のように付着している。たいていの湿った暗い樹林の陰でギンリョウソウが花を添えている。
ブナの森はむくむくと見事。ほとんどが第四紀層の脆い地質に加え、越後側は谷に急峻に切れ込んでいるところがあるにもかかわらず、全山に山崩れの痕がないのは此の木のお蔭だろう。役にたたないから橅、木へんに無いと書かれたとはいかに明治初めの富国強兵の時代でもひどい話だ。保水と森の精気はこの樹にかなうものはない。橅林は巨木もあるが大小入り混じっている。常識と違うが、巨木が古い樹ではないようだ。たいして太くない倒木に500本は優に超える年輪が刻まれていた。生えてる場所と、気候で、個体差があるのだろう。この道は大人の道である。そんなに、変化は無いし派手さもない。どこまでもゆったりした自然の道に過ぎない。だからこそこの道のかもし出す歩き方があるのだろう。10センチを超えるナメクジと動物のフンはあるがいい道だ。新潟と長野の県境を忠実に辿って行くので、登山道としてはよくある巻き道は一切ない。全部上り下りすることとなる。しかも多数の峠には下って、また次の峠に行くために登る。この繰り返しの登山道だ。ただし、斑尾周辺は信越トレイルとしてはあまりに開けすぎている。ホテルや、リゾート施設が多く、北東方面のブナの原生林の面影はない。なんだか、無理につなげたようにすら見えて、スキー場で虎狩になった夏の斑尾山を見るのは忍びない。これが、「故郷」に歌われた山とは到底思えないのだが。トレイルに今後の延長計画があり、千曲川を越えて、秋山郷から苗場山に至るコースの延長をするようだ。何のことはない、新潟県と長野県の県境道をトレイルにするのだろう。

信州側から野尻湖を経て越後の柏原に通じる「万坂峠」、過疎限界集落の典型のような「涌井峠」、ひっそりと忘れられた「富倉峠」ソブの池という意味不明な池の淵にある「北峠」今や廃道寸前の「小沢峠」黒々とした森の山、鍋倉山と黒倉山に挟まれた「久々野峠」黒倉池を従える「筒方峠」そして謙信も超えた歴史ある「関田峠」こんなところにも峠があるという「梨平峠」舗装道路が通う立派な「牧峠」うっかり見逃してしまいそうな深い山中にひっそりとある「宇津ノ俣峠」そして「伏野峠」は橅林の中の、今回の最終地点だ。ここまで来ると、もうあの、秋山郷を擁する津南町に近い。このほかにも、明らかに峠道だったと思われる廃道が多数ある。いずれも、どこかの村につながっているに違いない。越後と信州はこんなに細い道で無数につながっていたのだ。道沿いには、オオイワカガミ、根曲りだけがまだ取れるというしるしになるピンクの小さな花を咲かせている「谷ウツギ」が咲き乱れている。

歴史的にも飯山は、左遷大名の町。問題を起こした殿様がこの街に左遷されてくる。毎日帰ることばかりを願った生活を数年してまた新しい殿様が来る。その繰り返しが飯山を作った。変わるたびに、寺も移動してくるが出ていくときに寺を残すので、やたらと現在も人口13000人の町にしては寺が多い。木地師も活躍しただろう豊かな木材を利用した仏壇と和紙の街でもある。飯山を想像するなら前東京都知事の猪瀬さんの笑いの無い顔を想像していただきたい。ここの出身だから。
ところがこの風景が激変した。新幹線の開通である。駅前にビルができた。木造の小さな駅は生まれ変わり、駅にはエスカレーターもできた。見方によるが素晴らしい風景を創りだしている。東京から僅か2時間弱で来ることができる。かっての藤村の破壊の飯山には考えられない。それにしても、地元の人による上杉謙信の人望はいまだに絶大だ。比べて、武田信玄はクソミソにいわれて、もし、甲斐の国の人が聞いたら怒るに違いない。周辺の山里には、深いめんめんと続く歴史と今を生きる人々の生活がある。山稜を歩くのもいいが、此の山里を巡る旅もいい。もしかすると、信越トレイルは里の旅を欠いたら不完全なものなのかもしれない。
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