No.342 信越トレイル記録(前期2016年6月8日~6月12日) (雨天決行。健脚向き)

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toreiru1-1a.jpg全体記録;勝巳。行動記録;達也。
全行程7泊8日を新緑の6月と紅葉の10月に分けて実施。今回はその第一回4泊5日分。 自然豊かなブナの原生林の新潟と長野県境を巡る全長80Kmのロングトレイル。
予想される雨の時期、連日歩く体力と気力技術力を要するがいくつかの好条件に恵まれ、これ以上の成功はないとの充実感に満ちた山行だった。

  • 参加者;4名
    • 勝巳(リーダー)、達也(会計、写真)、ゲスト参加者;一朗、輝夫、各氏。
      (事故対応等の為の登山経験者参加依頼。自費参加)。
      当初6名であったが体調不良で健ハイメンバー2名が欠席し4名で実施。
  • 集合;2016年6月8日(水)午前8時30分。
    • 東京駅、北陸新幹線はくたか555号金沢行 出発ホーム 自由席2号車付近乗車口。各自改札を入って自由席を確保。はくたか555号8時44分乗車。
  • コース日程;当初計画の現地で変更あり。(例;囲い文字3は○3と表記されています)
    • 第一日(H28年6月8日(水))快晴、後曇り (夜:蛍見学)
        toreiru1-2a.jpg東京駅発8時44分(北陸新幹線・はくたか555号)
        飯山駅着10時33分 宿・かのえ 出迎えのワゴン車にて登山口に向かう
        信越トレイルSection 1 (斑尾山~万坂峠~赤池 ルート)
        レストハウス・チロル前/かえでの木・トレイル登山口11時15分出発
        →1.5Km/13時00分 斑尾山(1,382m) →2.8Km/14時00分 万坂峠
        →2.8Km/15時30分 沼の原湿原(湿原西トレイル)→1.5Km/16時10分
        希望湖・駐車場着 →16時45分・宿出迎えの車で帰途へ →17時20分投宿
        ((登攀距離:8.5Km / 所要時間 約5時間・含む休憩))
    • 第二日(H28年6月9日(木))小雨後曇り、時々晴れ (夜:小雨)
        toreiru2-1a.jpg信越トレイル Section 3 (涌井~富倉峠~桂池~仏が峰登山口 ルート)
        宿の車で8時10分出発 → 8時25分 涌井着
        8時30分涌井(○3-1)から登山開始→2.4Km/9時30分富倉峠(○3-8)→大将陣跡・経由
        →1.5Km/10時20分ソブの池(○3-10) →3.5Km/12時20分黒岩山・東屋(938m○3-15)→2.0Km/13時10分桂池(○3-20)→中古池/北古池湿原経由
        →3.2Km/15時10分仏が峰登山口(○4-1)→0.7Km/15時45分とん平ゲレンデ着
        16時00分宿出迎えの車に搭乗 →16時15分 宿帰着
        ((登攀距離:13.5Km/ 所要時間 7時間15分・含む休憩))
    • 第三日(H28年6月10日 (金))晴れ、時々曇り (夜:満天の星、蛍見学)
        toreiru3-1.jpg信越トレイルSection 4 (仏が峰登山口~関田峠 ルート)
        宿の車で8時00分出発 →8時30分 関田峠着
        8時35分登山開始・関田峠(○4-15)周辺ブナ林コース(0.8Km)、茶屋池コース(0.5Km)散策、9時30分信越トレイル(○4-13)に入る →筒方峠・経由→ 2.0Km/10時30分黒倉山(1,242m) (○4-11)→久々野峠・経由 →0.6Km/11時05分鍋倉山(1,288m)○4-8) →長いヤセ尾根
        →3.1Km/13時30分小沢峠(○4-5) →仏が峰(1,146m)経由→2.3Km/15時15分仏が峰登山口(○4-1)→0.7Km/16時10分トン平ゲレンデ着
        16時20分宿出迎えの車に搭乗 →16時30分 宿帰着
        ((登攀距離:10.2Km/ 所要時間 8時間05分・含む休憩))
    • 第四日(H28年6月11日(土))快晴、帰宿後夕方から雨
        toreiru4-2.jpg信越トレイルSection 5 (関田峠 ~伏野峠 ルート)
        宿の車で7時55分出発 →8時40分 伏野峠着
        8時45分伏野峠(○5-14)から登山開始 →1.7Km/10時45分 幻の池(○5-12)
        →2.8Km/11時30分宇津ノ俣峠(○5-11)→1.7Km/12時50分 花立山(1,069m)
        (○5-9)→1.7Km/13時40分 牧峠(○5-6)→2.8Km/15時45分 梨平峠(○5-3)
        →1.7Km/17時00分 関田峠(○5-1)→0.5Km/17時10分茶屋池はうす着
        17時20分宿出迎えの車に搭乗 →17時50分 宿帰着
        ((登攀距離:13.0Km/ 所要時間 8時間30分・含む休憩))
    • 第五日(H28年6月12日(日))快晴
        toreiru5-1.jpg7時00分 宿近辺・里山にて桑の実採り
        8時30分 朝食
        9時20分 宿の車で 戸狩野沢温泉駅へ
        9時48分 戸狩野沢温泉駅発 → 10時48分 長野駅着
        12時24分 長野駅発 はくたか560号 → 13時52分 東京駅着 解散
  • 信越トレイルの記録
    • 第一日(6月8日)(水) 徒歩5時間  飯山駅――斑尾山――希望湖。
        宿泊戸狩温泉「かのえ」0269-65-4570。4連泊。温泉。全送迎 9500円。
    • 第二日(6月9日)(木) 徒歩7時間  涌井ーートンペイ平ゲレンデ。
        toreiru2-2.jpg毛無山は大部分をアスファルトの林道歩きの為省略。その分を次の日計画分に食い込む。
    • 第三日(6月10日)(金) 徒歩8時間  関田峠――トンペイ平ゲレンデ。
        (逆コース)をとる。仏が峰下りが楽なため計画を急遽変更。
    • 第四日(6月11日)(土) 徒歩8時間30分 伏野峠――関田峠茶屋小屋。
        (逆コース)伏野峠が関田峠より標高が高い為。
    • 第五日(6月12日)(日) 9時48分戸狩野沢温泉発――長野10時48分着
        (昼食)。
        長野発12時24分はくたか560号――東京着13時52分(解散)。
    持ち物
      行動は、宿が連泊のため、余分な荷物は宿に置き、当日必要なものだけとする(荷重約6~7Kg)。ともかく雨に連日遭う前提の完全降雨対策用品を持参で臨んだ。 一般登山用品等(杖、水筒2リットル程度、医薬品、常備薬等大目に。虫よけ、日焼け止め、保険証コピー、懐中電灯、軍手、雨具、着替え(予備ズボン、靴下等)、非常食等。
  • 地図;{信越高原トレイル マップ}2万5千分の一。3分冊。
      信越トレイルクラブ事務局発行0269-69-2888で事前購入。
  • 費用;おおよそ宿泊費9500円×4泊。交通費込で6万円程度。
  • 計画策定と事前準備
      toreiru3-2.jpg何しろ、初めての山域。困難度は連日の長距離アップダウンが続き、途中、山が深い為、雷雨や、事故などの時の逃げ道がすくなく、その上宿とトレイル間の移動手段が悩みの種。6か月前からの信越トレイルクラブ事務局との連絡や、専用地図の購入と検討、山行記録の収集調査、参加者数が未定段階での宿の確保と送迎の依頼、荷物の軽量化対策などに時間をかけた。その結果、同行者は健脚であること、部外のベテランを補助者として同行願う事が必要と判断した。なによりも、参加者が自分の体力を我が会恒例の「体力測定登山」に参加し確実に把握していること。このコースで、途中で足の痙攣や、転倒事故、疲労困憊などが起こればいかに部外のベテランの協力を得ていても結果は全員の行動に影響し、山岳事故として危険な状態になるため、せめて自身の体力を知った上での参加を求めた。此のことは、重大事故未発生を誇る健ハイの基本的な考え方である安全登山に添う。今更のように、「山は自己責任」との思いを新たにする。このコースの観光的なパンフレットや、一部の無責任な体力自慢を書きたてるパソコン情報はのんきな風景で満ちているが現実は違うことが多い。かって、雨の以東岳を9時間かけて苦労した話をしたら、ブログに5時間、軽いと書いてあると指摘されたことがある。その内容を信じたら遭難ものだろう。くれぐれもパソコン情報は疑ってほしい。なんといっても4日間連続で新潟と長野県境の深山を忠実に長時間歩く困難さは、多少でも山を知っている人なら容易に想像できるだろう。
  • 理想的な登山の成功ができた主な理由
    • メンバーの実力がコースに伴っていたこと
        事故がないだけではない。4日間の長いトレイルで、平均年齢70歳を超えるメンバーの誰一人として転倒したり、傷を追ったり、疲労した者はいない。コースによって参加者の基準を設けるのは安全登山の第一の提要であることを改めて確認した。それぞれの参加者がこのような山行に耐えられるという自信を持つことができたのは大きな資産、収穫である。
    • 計画を柔軟に対応したこと
        現地情報によらなければわからないことは多い。たとえば、コースが完全舗装の自動車道が長かったり、地図上では判断しにくい積算高低差であったり、時間によっては南面の直射日光のもと、樹林帯もないスキー場跡の急斜面であることがある。その対応は、急に送迎の行先を変え逆コースをとり、全員が合意協力しなければならず、厄介なことだがその実行ができたこと。これが参加者のレベルがあっているという事がいかに大切かを意味している。全行程4日間のうち当初計画を固執せず現地状況に照らして2日間は計画変更をした。
    • 行動基点としての宿泊の便を得たこと
        4泊とも同一旅館として、必要な荷物以外を旅館に置くことができ、結果として山での軽量化による行動ができたこと。また、登山口、下山口まで宿の送迎は、舗装の自動車道を数時間に及ぶ林道歩きを大幅に省略できたことも大きなことだ。
        更に、温泉が実質24時間利用でき、膝の疲れの早期回復、腰痛に対処でき、十分な休養ができた。3泊は、他の客が居なく我々だけで余裕があった等の宿泊の便を大いに利用。登山の宿としては若干高かったがそれだけのことはあった。宿を囲む一面の水田は蛙ののどかを越す大合唱。夕方の散歩では蛍も飛んでいる。宿は桑の実も食べられる里山の中にある。気分が悪くなる夏山の小屋の異常な混雑、不衛生なトイレ、寝具、それで1万円近い料金は誠に困ったもの。少しはこの旅館を見習ってほしい。
        (余滴)初日、飯山駅に車で迎へてくれた宿の奥さんによればご主人はマムシに噛まれて入院中とのこと。それだけならありうることと聞き流すところだったが、飯山赤十字病院の6人部屋の病室に、5人がマムシに噛まれた人だったと聞きこれからの登山の緊張が車内を無言にした。
    • 天候に恵まれたこと
        快晴は必ずしも登山日和ではない。東京から飯山に着いてすぐの登りである初日は斑尾山 のスキー場跡の草原を直登するが熱中症になりかねない蒸し暑い無風の炎天下。
        次の日からは晴れ、コースも1200m前後の標高で風も爽やか。2日にわたって、夕方宿に ついてから降雨。温泉の中から、運がよかったと語り合う余裕。
        トレイルは稜線を歩くのだが、樹林が高く茂り見通しはよくない。無風でもあり蒸し暑いときもあったが、ともかく今は梅雨真最中。此の天候に贅沢を言ったら罰が当たる。天候は安全上も大事な要素だ。今回は恵まれたが此の逃げ道のない稜線で雷にあったら相当怖い思いをするに違いないと思いながら長い尾根道を歩いた。
    • 登山道が安全で、かつ整備がよくなされていたこと
        toreiru1-3.jpgどこの登山道でも、4日間も歩けば危険な岩場に出くわすものだ。ところが、このコースにそれがない。整備された土と腐葉土の森林の道が続く。斜面と言ってもそんなに高低差はなく、少しつらいが我慢すれば乗り切れるものばかりだ。2Mの道幅でほとんどの所が下草が刈られている。ただし下草だけで、頭上の倒木はそのまま丁寧に残されている、自然保護の見地から当然だが、よく頭をぶつける。何しろマムシを注意して足元ばかり見ているのでつい、頭に樹木が当たる。勢いよく登っていると大きな音がしてかなり痛い。こんな時にヘルメットが役立つのだろう。道標は豊富。流石信越トレイルだ。それに加えて、新潟長野県境の境界標識石が50mごとに土から首を出している。これとて、見つけて大喜びすることだってあることを思えばありがたい。
        ○4―6とか○8―12とか標識に表示されているのは、「信越トレイル」地図の表示と対応している。自分のいる場所がこの番号と同じであればすぐにわかりすこぶる便利だ。ただし、いくら歩いても展望はほとんどない。周囲は日よけにはいいが樹林。風の道もめったにない。日本海らしいところが見えたが果たして海かどうか。海は僅か20Km先にあるというのに。風景はほとんど知らない初めての山渓ばかりだ。森は東北を思わせる豊かさ。歩くほどによく小さな水たまり跡に出くわす。豪雪地帯特有の遅い雪解けに泥道はこねまわされている。少し水が残っていれば葉っぱばかりの水芭蕉の群落や、モリアオガエルの卵が大きな木の花のように付着している。たいていの湿った暗い樹林の陰でギンリョウソウが花を添えている。
        ブナの森はむくむくと見事。ほとんどが第四紀層の脆い地質に加え、越後側は谷に急峻に切れ込んでいるところがあるにもかかわらず、全山に山崩れの痕がないのは此の木のお蔭だろう。役にたたないから橅、木へんに無いと書かれたとはいかに明治初めの富国強兵の時代でもひどい話だ。保水と森の精気はこの樹にかなうものはない。橅林は巨木もあるが大小入り混じっている。常識と違うが、巨木が古い樹ではないようだ。たいして太くない倒木に500本は優に超える年輪が刻まれていた。生えてる場所と、気候で、個体差があるのだろう。この道は大人の道である。そんなに、変化は無いし派手さもない。どこまでもゆったりした自然の道に過ぎない。だからこそこの道のかもし出す歩き方があるのだろう。10センチを超えるナメクジと動物のフンはあるがいい道だ。新潟と長野の県境を忠実に辿って行くので、登山道としてはよくある巻き道は一切ない。全部上り下りすることとなる。しかも多数の峠には下って、また次の峠に行くために登る。この繰り返しの登山道だ。ただし、斑尾周辺は信越トレイルとしてはあまりに開けすぎている。ホテルや、リゾート施設が多く、北東方面のブナの原生林の面影はない。なんだか、無理につなげたようにすら見えて、スキー場で虎狩になった夏の斑尾山を見るのは忍びない。これが、「故郷」に歌われた山とは到底思えないのだが。トレイルに今後の延長計画があり、千曲川を越えて、秋山郷から苗場山に至るコースの延長をするようだ。何のことはない、新潟県と長野県の県境道をトレイルにするのだろう。
  • 国境の峠道
      toreiru4-1.jpg信越トレイルは峠の道である。トレイルを横切る無数の峠がある。都会に住み、此のあたりの生活を知らない者にとっては衝撃ですらある。越後と信州は古くから、小さな峠で固く結ばれていたに違いない。謙信が川中島へ兵を出すときに使った古道もあれば、越後の寒村の民が、信州の野沢温泉に通った道もある。越後の働き者の花嫁が信州に嫁入りした峠もある。むしろ、此のあたりの山村は横に千曲川沿いに連絡移動するより、縦に峠を越えて越後と交流する機会が意外に多かったに違いない。このような山村の交流は、国東半島にも、房総半島の花嫁街道にもあり、全国的に山村と、漁村との間で多い形態だ。雪で半年は越えられない峠道を、双方の生活用品を担ぎ峠に持ち寄って物々交換をしただろう地名が「茶屋跡」としていまに残っている。
      信州側から野尻湖を経て越後の柏原に通じる「万坂峠」、過疎限界集落の典型のような「涌井峠」、ひっそりと忘れられた「富倉峠」ソブの池という意味不明な池の淵にある「北峠」今や廃道寸前の「小沢峠」黒々とした森の山、鍋倉山と黒倉山に挟まれた「久々野峠」黒倉池を従える「筒方峠」そして謙信も超えた歴史ある「関田峠」こんなところにも峠があるという「梨平峠」舗装道路が通う立派な「牧峠」うっかり見逃してしまいそうな深い山中にひっそりとある「宇津ノ俣峠」そして「伏野峠」は橅林の中の、今回の最終地点だ。ここまで来ると、もうあの、秋山郷を擁する津南町に近い。このほかにも、明らかに峠道だったと思われる廃道が多数ある。いずれも、どこかの村につながっているに違いない。越後と信州はこんなに細い道で無数につながっていたのだ。道沿いには、オオイワカガミ、根曲りだけがまだ取れるというしるしになるピンクの小さな花を咲かせている「谷ウツギ」が咲き乱れている。
  • トレイルの周辺山里。
      toreiru5-2.jpgトレイルを下った飯山線の森宮野原の駅には「JR日本最高積雪地点7m58cm」の標識がある。(昭和20年2月12日)。驚くことは、瞬間積雪量だけではない。此の周辺は冬に5~6mの積雪は普通の事だという。なにしおう豪雪地帯である。トレイル周辺は山岳地帯でありそれよりももっと多いはず。日本海から湿った空気を運んできた雲が最初に突き当たるのがここ関田山脈で大量の降雪をもたらす。一口に5~6mと言うがこの中で生活するのだ。豪雪地帯での毎日の雪かきは生命にかかわる共同作業で避けられない。子供は学校に通い、買い物に行き、病院に行き、仕事に行くのに道路は不通になり、列車も遅れや不通になるのは普通の事。雪崩れば幾日も列車は来ないし道路も開通しないだろう。つい最近までは山間部は一年の半分は雪に閉ざされて暗い電球の室内で雪解けを待つ生活。出稼ぎは普通の生活だった。それがスキー場ができ生活は一変するがしかしそのブームもたちまち終わり、民宿に改造した人達は借金だけ残して廃業した。かって70件を超えた民宿は今や半分もない。
      歴史的にも飯山は、左遷大名の町。問題を起こした殿様がこの街に左遷されてくる。毎日帰ることばかりを願った生活を数年してまた新しい殿様が来る。その繰り返しが飯山を作った。変わるたびに、寺も移動してくるが出ていくときに寺を残すので、やたらと現在も人口13000人の町にしては寺が多い。木地師も活躍しただろう豊かな木材を利用した仏壇と和紙の街でもある。飯山を想像するなら前東京都知事の猪瀬さんの笑いの無い顔を想像していただきたい。ここの出身だから。
      ところがこの風景が激変した。新幹線の開通である。駅前にビルができた。木造の小さな駅は生まれ変わり、駅にはエスカレーターもできた。見方によるが素晴らしい風景を創りだしている。東京から僅か2時間弱で来ることができる。かっての藤村の破壊の飯山には考えられない。それにしても、地元の人による上杉謙信の人望はいまだに絶大だ。比べて、武田信玄はクソミソにいわれて、もし、甲斐の国の人が聞いたら怒るに違いない。周辺の山里には、深いめんめんと続く歴史と今を生きる人々の生活がある。山稜を歩くのもいいが、此の山里を巡る旅もいい。もしかすると、信越トレイルは里の旅を欠いたら不完全なものなのかもしれない。

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