No.515 奥只見、奥会津、尾瀬沼、紀行 (2020.10.11~14)

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コロナの影響で、長期にわたり綿密な計画を策定していた「隠岐の島」行きが中止。
その代替の旅。紅葉最盛期の混雑を避けたため紅葉には少し早い。もっともGO,TOキャンペーンを予算切れの前に確実に利用する意図もあってのことだが。

日程;2020年10月11日(日)~10月14日(水)3泊4日

参加者および担当;8名(男3、女5)

    勝巳(リーダー、安全、コロナ対策、記録)。才美。憲治(サブリーダー、レンタカー対応、運転、会計)。吉生(運転、写真)。邦子。幸子。亮子。和子。

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集合;10月11日午前7時20分、出発列車ホーム中央付近。上越新幹線東京駅7時48分発maxとき305号新潟行乗車(切符各自購入)。

総費用;約5万程度(JR新幹線、レンタカー、宿泊等含む)GOTOキャンペーン利用。

第一日;10月11日(日)

    東京駅発――長岡着9時23分(えきレンタカー2台手続き)―― 一般道で小出(昼食、道の駅ゆのたに)――奥只見シルバーライン――奥只見ダム(ダム湖定期船発着所)―― 13時30分発周遊コース――発着所帰着――銀山平(奥只見山荘)着15時30分
    宿泊 奥只見山荘 ログハウス2棟(2人部屋4室)025-795-2239。

第二日;10月12日(月)徒歩4時間

    奥只見山荘発8時(昼食弁当依頼)――銀山平キャンプ場奥駐車場8時30分(200円)――中荒沢万年雪(往復2時間)10時30分――平ケ岳登山口――鷹の巣集落跡(昼食売店)12時――小沢平入り口――御池着13時(シャトルバス13時30分発)――沼山峠口14時――徒歩――沼山峠14時20分――尾瀬沼ヒュッテ着15時30分
    宿泊 尾瀬沼ヒュッテ (2人部屋4室) 080-5734-7272

第三日;10月13日(火)徒歩2時間

    尾瀬沼ヒユッテ発8時30分――長蔵小屋前燧岳、尾瀬沼展望所経由――浅湖湿原(往復)――沼山峠――沼山峠口(シャトルバス11時30分)――御池駐車場――七入――352号――桧枝岐――飯豊桧枝岐大規模林道(工事中通行止めのため352号へ)――木賊温泉――唐沢峠――湯の花温泉――道の駅番屋(昼食12時30分)――会津高原駅――121号――道の駅田島――上三依温泉口――会津東街道――紅葉の吊り橋15時――塩の湯温泉――柏屋旅館着16時
    宿泊 柏屋旅館 (2人部屋4室) 0287-32-2921

第四日;10月14日(水)徒歩3時間

    柏屋旅館発8時30分――新湯爆裂口9時――大沼公園駐車場9時30分――自然研究路――大沼一周――駐車場帰着11時――道の駅(湯の香しおばら)昼食12時――新幹線那須塩原駅14時30分(解散)――新幹線15時発――上野駅の乗換――横浜着18時

参加者8名、2台のレンタカーで新幹線長岡駅から那須塩原駅までの4日間にわたる旅。 越後三山只見国定公園のど真中を通り抜け新潟県、福島県、栃木県の山間部の長距離移動。事前のコロナ対策に加えて、交通安全対策が重要なテーマ。運転が日没以降にならないように、それでいて、通常は入らない道を紅葉

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を求めて走り回る欲張りな計画。コロナで閉店の店も多く、適当な間隔に宿泊設備があるとは限らない僻地を行くため、昼食の場所すら思うようにはいかない。ましてや、台風こそ避けたが数日前からの降水量で崖崩れや、落石注意の深山の林道コースで安全は絶対条件。速度遵守、運転間隔時間、動物飛出し注意、崖崩れ注意、路肩崩壊注意などの山盛りの注意での運転者の負担が大きい。加えて、やたらに多い「クマ出没情報あり」の看板、山道ではクマよけの警笛を鳴らし続ける。 通常は、この地域に入るには桧枝岐方面から御池を経て小出に至るのだが、今回は反対側から。昔訪れたとき、御池から先は、工事中で道路がなく、キリの中に落ち葉が舞っていたが。その域に入るのは青年に帰る感慨である。
いくら記録を精緻正確にしようとしても限界がある。一瞬の風景ですら百万語をついやしても表現できない。ましてや自動車の旅、無限連続の風景が飛び込んで、飛び去る。
重いリックで、とぼとぼと思考しつつ歩く収穫は望めない。深山はどこも同じのように見えてしまうが、樹相、渓谷、山道、風、傾斜、地形みんな違う。当人が気づけないだけのこと。語るのは自然で、聞くのが人間。この関係は圧倒的に人間の側の受け取り姿勢で変わる。終日、悪天候とは無縁。運が良かった。
それにしても、今回も、憲治氏、吉生氏に運転を担当してもらえなかったらこんなに実のある旅は実施できなかったろう。改めて一同感謝する。

レンタカーの始点である「長岡」は降雪量がこれだけある規模での、これだけの大

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都市は世界的に珍しい。しかし、それも1時間離れた奥只見への入り口の「小出」に来るともはや面影はない。東北らしく田園風景は刈り入れの終わった寂しい山村が点在する国道352号を佐梨川沿いに山間部に分け入る。小さな温泉場と、キャンプ場をいくつか過ぎるころ、「奥只見シルバーライン」に。これがまたトンネルばかりで景色などない道路。トンネルの不安な中真っ暗な道が続く。たまにトンネルを出ると気温差でフロントガラスは瞬間的に全面曇り、先は見えず危険この上ない。全長22Kmのうち、18Kmもトンネルが続く。そのトンネル内は激しく屈曲し、凍結し、加えて勾配も激しいという代物。いかに奥只見ダム建設のための道とはいえ、まことに人間のすることは恐ろしい。その結果、枝折峠を越える旧道の半分の時間で銀山湖に行けるが、当然だが旧道の景色は全く望めない。混同しやすいが、ダムの名前は「奥只見ダム」、その結果出来た湖は「銀山湖」という。この道を作らなければ、こんな険阻で、豪雪地帯に7年の短期間に巨大ダムは建設できなかっただろう。その困難さは雪崩や、凍死の殉職者44名が語っている。この場所には越後高田藩が明暦年間に銀山開発を始めた名残の38世帯の集落が水没した。今では出来上がった湖に銀山湖の名を遺すばかりであるが。しかし、ダムはその後の2003年の増設を経て、自然保護を重視した開発により岩魚、虹鱒、ワカサギ、山女魚の遊漁し、自然豊かなダム湖が完成し、東京電力等の現在の停電の危機を救っている。
建設の関与した多くの方々と、建設した電源開発と、鹿島建設に敬意を表する。それに値する迫力がこのダムにはある。堤高157m、堤頂長480m、総発電量、重力式などというダムの知識はないがともかく巨大だ。そして静かで質素。黒部ダムのような、きらびやかな自己主張はない。きっと発電設備が全て地下にあるためだろう。

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ダムの大きな駐車場からモノレールに乗り5分で観光船乗り場。観光船で銀山湖を周遊する。(1000円、40分)湖は濃い緑に近い色で樹林影に囲まれ北欧の雰囲気。全山原生自然林。人跡なき静寂の世界。湖は名前もない深山に囲まれている。船を降りトンネル道から「銀山平」に至る。数件の瀟洒なログハウスを従えた山荘が点在。今日は早朝から長旅したのでここ「奥只見山荘」で宿泊。山荘とはいえ、本格的リゾート風ログハウス。
食事は魚沼産食材、コメは当然新米の魚沼産。なのに老いたのか意外と仲間の食事はゆっくりしいて上品で少食。部屋は広く実に気持ちが良い。山峡がここだけは広い。たぶん、ダム建設関係施設の跡地利用だろう。くどいようだが周囲は全くの深山幽谷、人跡なしの世界なのに、この平地にだけ人間の営みが肩を寄せ合ってしがみついている。もちろん温泉。GO,TOなんとかの制度を利用し、ログハウス2棟を豪華に借り切る。コロナで客は少ない。暗黒の夜はクマの世界のため星観の外出は控える。

昼の弁当持参で出発。今日は一番に「中荒沢万年雪」に行く。キャンプ場で200円

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の入場料を払い林道終点の駐車場から徒歩往復約2時間。結構な山道なのだが、道標表示は「遊歩道」。東北の遊歩道は甘く見てはいけない。ロープにぶら下がり、しりもちをつきながら行く道だ。10月も中旬、残雪はないと思っていたが、万年雪があった。この辺が東北の真正直。もうすぐ、新雪だろうにちゃんと万年雪が待っている。巨大な岩盤に囲まれて瀧が落ち込み遠く離れていてもその音と流れはわかる。岩稜に明らかな雪崩跡。その全てが万年雪となって積もった。キャンプ場入り口でもらった手書きの地図には水飲み場、展望台などとあるが実際はただの沢への下り道と数人が座れる草地だけ。
昼食は御池ロッジを予定したが休業。そのため弁当を食べる場所は最悪道路わ

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きと覚悟していたら鷹の巣集落跡で「出作り小屋の売店」に出合いホットする。御池から最初の家屋、銀山平からの不安がいっきに溶け、無条件にこの掘建て小屋に飛び込む。我々を待っていたようテーブルには10人ほど座れ、早速宿の握り飯だけの弁当を開く。もちろん、名物キノコ汁を老夫婦に注文。香の物は大皿に、無料でいくらでも食えという。ほとんどこの近くで採れた山菜と大根の漬物、たくさん出されるが旨くてもそんなに大根ばかり食えない。その後出会うどこの売店も、申し合わせたように山で採れるキノコと自家製大根を売る。ここでこの旅で初めて本物の地元の人との会話。たまに来る人間にやたらに饒舌。

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11月中旬には雪が来て山を下りるという。「鷹の巣集落」は、集団移住し今は廃村。観光客がたまに通る期間だけ「小遣になる」から売店を開くそうだ。クマが出るかという無粋な質問にも、「あの桃の木をみんなクマが枝を折ってしまった」と。出るか出ないかではない。どんな被害を与えているかどうかのレベルだ。

御池からの「沼山峠」への連絡シャトルバスは我々8人だけの専用車。この状況は不思議を通り過ぎて滑稽。あたりは標高1500mを越えここの紅葉は真っ盛り。太陽も燦燦。 出発してすぐ左側に朝日が金色に輝くブナ原生林の大展望。周囲の山もすべてモリモリとしたブナ林。ブナ林は保水量

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が多く、春先のブナの木に耳を澄ませば水音さえ聞ける。この森林は豊かな水源ダムでもある。バスを降りて沼山峠からの登山道はほとんど木道。それも人がすれ違いできる幅。やがて「大江湿原」の草紅葉のかなたに「尾瀬沼」が光って見え始める。尾瀬沼湖畔の「尾瀬沼ヒユッテ」は長蔵小屋の後ろに大きな姿を現す。周囲は拡張工事中。落ち着いた木造のたたずまい。個室4室に2人ずつという山小屋では皇族並みの贅沢。もともと、山小屋は、大部屋で1畳に3人も詰め(ちょっと席を外すと自分の寝る場所はない)、息苦しく3密を避けることなど夢物語。山小屋で枕がついていたのに感動したことすらある。もちろん夕食はカレー

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ライス。泊まる人が多ければ水で薄めればいいから。どの山小屋も同じだ。ボットントイレは朝暗いうちから行列し、もちろんトイレットペーパーなし。布団は重く、黴臭く、冷たい。米を持参すればいくらか料金が安くなった。以前の山小屋とはそんなところ。ここ尾瀬沼ヒュッテは、清潔な布団に真っ白な敷布が、枕カバーもついている。食事は前日の銀山平ほどにはいかないが努力しているのがよくわかる。珍しい奇妙な容でサンショウ魚の天ぷらもでる。こんな御馳走を山奥でどうやって造るのか、我々に特別かと思った程。それに支払にカードさえ利用できる。 沼山峠までの道で、小屋周辺の工事に携わる方々と朝夕すれ違う。皆集団で黙々と真っすぐに正しく歩いてくる。ペンキだらけのズボンで歩いてくる姿は清々しい。

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夕方、雲が切れて燧岳が堂々の姿を尾瀬沼に映す。双耳峰の優雅のたいした山である。夕焼け雲がその姿を静寂の中で一瞬に隠す。水面にさざ波もなし。湖面に点々と渡り鳥が浮かぶ。台風が来ると思ったのにこの天気。夕食後、子供のころの空襲に備える習慣で、いざというときのため非常口や、トイレを点検、衣類と懐中電灯を枕元に、履物を確認して、温かい小屋で19時には眠ってしまったようだ。山中のためビールは飲まず。

尾瀬沼を立つ早朝。長蔵小屋前の湖畔展望台で尾瀬沼を燧岳と一緒に魅入る。

燧岳に登る途中の「浅湖湿原」に立ち寄り、草紅葉の大江湿原を振り返りつつ沼

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山峠に至る。思い出したように、少し霧雨。峠に近く標高が上がり雲の中に入ったのだろう。沼山峠から紅葉の道をシャトルバスで御池に向かうがまた我々だけの専用車。車に乗り換え御池の駐車場から昨日俯瞰したブナの原生林の中の激しいカーブを延々と行く。予定した桧枝岐村外れの、見通し川沿いに「木賊温泉」に行く道は通行止め。先日の豪雨による道路復旧工事だ。ここから原生林の中を木賊温泉まで短距離で行けるのだが残念。少し大回りして木賊温泉周辺の西根川沿いに紅葉を探すが、尾瀬に比べて海抜が低く紅葉早し。日本一の紅葉に再会したかったが。それならと、さらに唐沢峠を越え「湯の花温泉」に向かう。この辺の民宿は懐かしいところだが、数年前の地震で温泉が出なくなり気の

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毒なくらい衰退した。 七つが岳山麓の高杖温泉への道を左にわけ、「道の駅番屋」で昼食。
今回の昼食は車移動であることもあり道の駅が多いが道の駅には大きな差がある。いわゆる三ツ星級もあれば無印にも出会う。食事だけでなく、やる気のないところと、懸命に勉強している所の差が大きい。
混雑する有料道路の塩原紅葉ラインを避けて、塩原温泉街に入る。この温泉街も道路沿いは盛況だが、一歩入ると廃業の旅館が目につきずいぶん寂れている。時間があるので、「もみじ谷大つり橋」に100円払って立ち寄る。無料にして人件費を削減したほうがいい程度の観光客数。渡りきって無理に作ったような公園に桜の木があるが今は葉もなく何もない。紅葉は名前だけ。吊り橋に吹く風が夕暮れて寒くなってきたので今日の宿泊場所へ。名前に旅館とあるので立派な建物と思うがその通りでないのもある。道の行き止まりに

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その後者の昭和10年設立の「柏屋旅館」がある。かっては、与謝野晶子が新婚旅行で宿泊したという老舗だが今は違う。立派な本館の入り口はふさがれ、引き戸のような入り口から薄暗い内部に入る。おばさんが、GOTOの手続きに手間どり、部屋割りも説明も後回し。一生懸命やっているので文句は言えない。宿泊は我々8人のみ。当初、10人宿泊を申し込んだら、断られたので混雑していると誤解したが受け入れ8人が手いっぱいだったかもしれない。なにはともあれこの旅館の売り物の6か所もある露天風呂に。フロントで鍵を借りて入るのだが、よっぽどの覚悟がないと露天風呂に到達できない。どうせならと一番川底の「雷ていの湯」に向かう。暗く誰もいない。ここまでくるにも、曲がりくねった廊下と、雨漏りの模様だらけの壁に挟まれ、錆びた鉄のドアをかいくぐり、恐々と歩いてきた。途中でクマや蛇、蜂に出会うことは想定内。この種の露天風呂には蛇が結構先に入浴している。薄暗く、電気もついていない。だが、露天風呂からの風景はまがうことなき絶景。今までのすべての減点分を一切吹き飛ばす。低流する鹿

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股川の瀧状の沢が両岸の崖にはさまれて堂々と霧飛沫を舞いあげながら流れ下るさまは動く墨絵の世界。これで紅葉なら与謝野晶子ももう一度来るだろう。台風でこの露天風呂は流され修復したらしいがそれほど渓谷に接している。夕飯はすべて地元産の食材。何とか工夫して、どうにか作った料理らしく、誠意は身に染みる。食事前に小学生の宿の子供が、経営者のガタイの大きなお父さんに連れられてたくさんのひざ掛けをもってきて使わないかと薦める。だれも使わなかったが、なんであの時使ってやらなかったかと今も悔やまれる。ひざ掛け

を持ち帰った少年の気持ちがわがことのようにわが身を責め続けている。この旅館は、全部家族経営。料理はともかく、一生懸命だ。その気持ちがすがすがしい。帰り際、老夫婦、若夫婦、少年の全員で見送っている。思わず車から降りてお礼を言いたかった。いい旅館に泊まった。旅はこんな形で人生の真髄を荒削りに突き付けてくる。
旅館から封鎖中の近道を避け「新湯、爆裂火口跡」に向かう。昔、山椒の佃煮を買った店のおばあさんはまだ健在。相手は知らないだろうが懐かしい人に出合った。そこの手造りの「青しそ入りの辛子味噌」は無名だが絶品。出会いの味も加わっているから。「大沼公園」に車を止め自然研究路で、水のない「よし沼」を経て「大沼を」一周する。静かな湖面は「新湯富士」を映し、白い大きな鳥が遊弋している。誰にも会わない森林の木陰道

。帰りは、そのまま、「道の駅湯の香しおばら」で昼食。GOTO利用券で

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お土産購入。後はまっすぐ那須高原を横切り、新幹線の「那須塩原駅」を目指す。レンタカーを返せば上野駅までは2時間もかからない。

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