No.388 美ヶ原。霧ヶ峰ハイキング (2019.9.18~19)

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DSCN3014az.JPG2000mを超える山は寒い。美ヶ原の一軒家の山小屋(ホテルとは名ばかり)でも風呂はあるとの宣伝文句につられて宿泊。
美ヶ原、霧ヶ峰の印象は華麗な高原観光地。当然、登山対象には考えもつかなかったため今回この草原ばかりの山域を始めて真面目に歩く。道路は林道などとはけた違いに良い。多くの電波塔を山頂に持つ山だから道は当然この状態と思っていたが想像を超えていた。

ビーナスラインは長く自然保護と観光開発の戦いの場所だった。霧ヶ峰や、美ヶ原の開発は当然自然破壊に通じる。この一帯の土地は鎌倉時代や、遠く縄文時代からのもともと狩猟や牧畜の場所と言われているが本当のところは伝説の世界。1834年のk-IMG_3360zz.jpg古文書「信濃奇勝録」では「山上に平らなる原あり」と言われている。確かなことは明治42年この地に89頭の乳牛が放牧されたのがはじめ。現在は儲けを度外視した美ヶ原牧野畜産農協が牧場を運営。所どころの「私有地進入禁止」の看板を除けば草原はほとんどが国有地だ。牧場は450頭を超える牛馬が明日の命を知る由もなくゆったり遊んでいる。此の地と松本城が結ばれれば大いに観光産業に貢献する為なんとしてもと言う観光業を代弁する県企業局と自然保護団体との長い闘いを経て今がある。「うれしくもわけ来しものかはるばるに松虫草の咲DSCN2949z.JPGきつづく山」長塚節が詠んだこの山。観光の初めは昭和5年と最近のこと。それが急に観光化したのはビーナスラインの開発。そのうえ昭和31年山国の信州の電波障害をなくす目的でテレビ塔が建てられ現在塔は10数本を超え過密ぎみで電波障害を起こしかねない。もともと美ヶ原は火山活動で出来た安山岩の大地で山頂もわからないほど平らな地形になったと最近まで言われてきた。現在は火山性推積物が隆起後侵食され平坦化した準高原とされている。要はかって美ヶ原は溶岩台地と考えられていたが、火山そのものが造った大地ではないということだ。此の樹木の無い大草原はこれらの状況から天然自然の造形。開拓者が入植し、森林を伐採して牧草に変えたものではないとすると昭和39年に国指定国定公園になったのも理解できる。ともかく「美しい原」の名は決して大げさではない。せめてこれ以上に開発は進めないことが結局は関係者を含め、ここを訪れるもの全員の利益にかなうはず。

第1日

DSCN3010z.JPG集合時間前に全員集合。雨こそ降っていないが曇り空。中央高速もいつも渋滞する場所も今日は無し。登りはビーナスラインをさけ、一般道で日本最南端の「八島ケ原高層湿原」へ。泥炭層の推積は年に1mm。それが8m積もっている世界的な貴重な湿原。高層湿原とは12000年前に霧ケ峰の火山活動が終わった後沼ができ、土砂が流れ込みヨシなどが繁殖し、分解されぬままミズゴケが繁茂。これが泥炭化し繰り返される。霧ヶ峰では、年間200日は霧が発生、此の為ミズゴケが成長、水面より全体に高く成長して今の湿原を形成。要は植物の成長と水面との戦いの結果が今の湿原を造っている。ただ青い世界の眼前の広大な窪地に長い地球上の植物の歴史がある。この湿原には北方系植物さえ存在している。
宿に到着後手早く準備、「王ケ頭」に徒歩で出発。道は広く観光バスも通過できる。牛やポニー、馬などが霧から現れて人恋しげに柵近く寄ってくる。地元から個々に預かっDSCN3003z.JPGている牛馬は初め孤立しているが徐々に集団を造り親分ができるそうだ。「塩くれ場」には牛が集まって塩を黙々と舐め舐められ石が滑らかになっている。塩が生き物にとっていかに貴重か。塩分を控えているわが身は何なのだろう。ゴビ砂漠でラクダや羊が草を食べたあとは1mmも緑を残さない。そんな塩のなめ方だ。ここが高原のほぼ中心地。5mの高さの鉄平石で囲まれた「美しの塔」の鐘音が小さく聞こえるのは濃い霧に吸い込まれているためか。2034mの王ケ頭からの展望は100名山の3分の一が見渡せるらしいが全部は雲で見えない。王ケ鼻行にはかずに、宿泊ホテルに戻る。帰り道は、南側のアルプスが見えると言われる崖沿いの道を行く。たまに霧の中に表れる奇岩が恐ろしげだが安全で、静かな登山道だ。牧場のバラ線に添う道筋には思いのほか高山植物が残っている。やがて「塩くれ場」で登ってきた立派な道に合流。「美しの塔」で誰かが霧に向かって鐘をついている音だけが聞こえる。宿泊ホテルは近い。
もとよりこのホテルに観光地的快適さは求めない。星の観察もこの霧には勝てない。早速風呂に入る。夕食が結構いい。山小屋にしては。宿泊客は他に高齢のグループがチラホラ。部屋の暖房は使うほどではない。古い霧の山小屋はただ静か。懐中電灯を枕元に21時就寝。

第2日

DSCN3037z.JPG4時起床。宿の6時発のバスで昨日歩いた道を王ケ鼻の山頂近くまで行く。霧は上がりそうだ。途中案内の解説を辛抱強く聞く。バスを降りて200mで王ケ鼻に至る。山頂には御岳教特有の石仏がいくつも霧にある。昔は御岳教の信者が登っていたからか王ケ鼻にはその石仏が揃って御岳山に向かって建てられている。当時女人禁制の御岳に登れずこの山頂から遥かに祈りをささげたという何ともけなげだ。霧も少し晴れてきて広大な展望が今日は期待できる。7時30分にホテルに帰り、そのまま朝食。8時30分出発。美ヶ原に別れて霧ヶ峰までは高原の道を思ったより長く走る。美ヶ原と霧ケ峰の山域が異なるからだろうか霧も晴れてきた。高原は好天に限る。
DSCN3045z.JPG車山高原駐車場からはリフトを乗り継ぎ15分と徒歩5分で車山山頂1925m。山は快晴。温度は快適。空が澄みきって初秋の大展望八ヶ岳、南アルプス、御岳。北アルプスまで俯瞰できる。大きな気象庁のアンテナが新しい。廃止した富士山レーダーの代わりに建てたのだそうだ。新田次郎が建てたと言うが本当は日本電気等かな。もともとここには旧日本軍のレーダー基地があったのだが今は跡形もない。山頂で小学生の団体と行き違う。一休みしてゆっくり砂利と石ころの道を「車山の肩」まで下る。コロポックリの小屋に寄らずにそのまま「車山湿原」に添って緩い坂道を行く。いくDSCN3051z.JPGらか道も細く山らしくなってきた。湿原の遥か先にさっきの小学生の集団らしい姿が斜めに草原に線を造っている。たまならく大声で声を掛けたくなる。秋の白い雲が草原に浮びトンボが帽子に止まって一緒にいる。なんと平和な風景だ。遠く元気な子供たちの声が聞こえるようだ。長い列は草原を横切って天に向かっている。自分の子供のころの姿を思いながら見送っている、そよ吹く緑の風ばかりがこのことを知っている。車山乗越で車山山頂アンテナを右にしてわかれるころ蓼科湖の湖面が青く見える、いつのまにか炎天の道になる。草原の山で緑陰の無い暑さをこらえながらスカイライナー乗り場へ向かう。秋の茂る草を越えて直下に駐車場とレストラン。昼食はあそこでとろうか。
帰宅して今更のように山が恋しい。2000mの山は寒いくらいだった。
運転を今回も憲治さんと吉生さんに頼ってしまった。申し訳なさと感謝の複雑な気持ちだ。

日時;201年9月18日(水)山上は濃霧――19日(木)早朝は濃霧、後晴れ。
集合;二俣川農協裏 6時20分 車利用(吉生、憲治)。
参加者;7名 (男3.女4) 勝巳。才美。憲治。貞子。吉生。亮子。和子。
コース;
9月18日(水)第一日  徒歩4時間程度

m-image (2)z.jpg二俣川発6時30分――中央高速道――霧ヶ峰――八島ケ原湿原周遊12時(昼食)――美ヶ原高原ホテル13時30分着(駐車)――(ここから徒歩)――美しの塔――20分――塩くれ場14時――30分――王ケ頭14時30分――帰り道は、南側崖沿いの山道――50分――美ヶ原高原ホテル16時頃時着。
宿泊  美ヶ原高原ホテル山本小屋  7人4室予約 10800円。0268-86-2011(パソコン予約表持参)。

9月19日(木)第二日  徒歩3時間程度
DSCN3053z.JPG早朝宿の車で王ケ鼻へ6時発――帰着7時30分――朝食後8時30分宿発――ビーナスライン――車山高原駐車場9時30分――スカイライナーリフト6分――スカイパノラマリフト10分、10時30分着(ここから徒歩)――10分――車山山頂(1925m)11時――50分――車山肩(コロポックルヒュッテ)――30分――車山乗越――10分――車山山頂分岐12時30分――スカイライナ乗り場12時40分――車山高原駐車場着13時(レストラン昼食)――ビーナスライン――中央道――二俣川着18時。

持ち物;2000mを越え服装注意。雨具、杖。軍手、帽子、非常用品、第一日昼食(途中購入)水筒、一般登山用品。携帯。懐中電灯。洗面具。
費用;宿泊11000円+高速含む車代金6500円。ケーブルカー1500円他。
リーダー;記録、写真;勝巳。車両;憲治。車両、写真;吉生。会計、写真;亮子。各氏。

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