No.385 能登半島ハイキング行 (2019.6.6~8)

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DSCF4026c.jpg今回もレンタカーを独りで3日間担当したTさんに甘えてしまい感謝に耐えない。高齢者集団が、半分は雨の中、能登半島主要部をくまなく旅ができたのは参加者の協力も欠かせない。一人の事故者もなく円滑で精いっぱいの行程をこなせた。
これから能登半島を思い出し懐かしむだろう。帰っても旅だから。

実施日;2019年6月6日(木)~6月8日(土) 2泊3日 雨天決行。
参加者;8人(男3.女5) 勝巳(リーダー、記録)。憲治(サブリーダー、会計、車両)。三貴也(写真)。才美。邦子。幸子。亮子。和子。
集合;各自指定の新幹線に乗車。6月6日 東京駅発 7時20分(かがやき503号)。

第一日(6月6日)(木)晴れ
北陸新幹線 東京発7時20分(かがやき503号)――金沢着9時51分――レンタカーDSC02371c.jpg10時30分発――のと里山海道――千里浜なぎさ12時(昼食)――妙成寺12時30分――能登金剛遊覧船(厳門)13時――49号ーヤセの断崖14時――総持寺祖院14時30分――黒島伝統建造物保存地区15時30分(ガイド付き)――輪島郊外の宿17時30着。
宿泊;「こうしゅうえん輪島」輪島近郊 0768-22-8888 1万2500円。2人部屋×4室。

第二日(6月7日)(金)小雨。風強し。時々曇り
6時起床――7時朝食――宿発8時30分。輪島朝市へ送迎バス――9時30分宿に戻りレンタカーで出発10時――白米千枚田10時20分――時国家11時――奥能登絶景海岸――塩田村珠洲製塩地帯――禄剛崎燈台散策13時(能登半島最北端。曾曾木海岸)――黒瓦集落――穴水――ボラ待ち櫓――能登小牧台――宿泊17時30分。
宿泊;「国民宿舎のと小牧台」(おまきだい) 0767-66-1121。11000円。

第三日(6月8日)(土)雨、後晴れ
起床6時30分――朝食7時30分――宿発8時30分――能登島周遊――能登ワイン工場見学10時――再び千里浜なぎさ12時00分――金沢駅13時20分――レンタカー返し――金沢発13時56分頃??上野駅着16時52 解散。
費用は新幹線ジパング利用2万。宿2万4千。レンタカー等5千  計5万。他昼食等、遊覧船、入場料等あり。
IMG_2887c.JPG普通のハイキングスタイル。傘など雨具、非常用品、携帯(充電器)、水筒、常備薬は必携。昼食は途中の道の駅、食堂など適宜利用。

総括
北陸のこの半島は長く厳しい冬から解放され、待ち望んだ陽光に満ちる頃。梅雨直前の晴れ間を狙い、5月大型連休で観光客が疲れ果てている時にレンタカーで回る旅。

能登半島は日本海岸最大の半島で100Kmに及ぶ。富山湾側はのっぺりした海岸の内浦、日本海岸は海食崖の外浦とそれぞれ特徴がある。全体的には平地が乏しく低山がひしめいているが特に北部山地は急斜面が多い為、融雪期には多くの地滑りが発生する。馬蹄形の緩斜面を利用した千枚田が各地にあるが地滑り被害は少なくなく先人の苦労がしのばれる。気候は海洋性気候を示すが冬の外浦は強風が続き民家には間垣という防風用の囲いが作られている。雨量は少なく天水田もある。産業はめぼしいものは無いが漁業と、漆器、林業など。観光に力を入れているようで有料道路と見間違DSC0239c.jpgうほど立派な道路が人煙もない山間部を縦断している。文化的には本州から隔離されているためか特徴ある文化遺産や民族遺産がある。都から離れた行き止まりには標着した文化や方言が色濃く残る典型、これとは別に海岸沿いの集落には廻船業で財を成した住宅が保存されている。陸路の交易は質量ともに地理的に限界があったが、現在の商社機能ともいえる遠国から直送する廻船貿易は巨大な利益をもたらしていたのだろう。この、能登半島の北のはずれに明治に至るまで点々と豪商がいたのは海洋民族の冒険心豊かな跳躍でその姿は数多く祭りに残る。半島全体の耕地面積や産業の貧困から想像ができないほどの一般住民と豪商は格差がある。時国家の入場料売り場で、「あなたも時国家と関係あるかたか」と聞いたら、即座に「いいえ私は小作人です」と答えが返ってきた。半ば冗談であったとしても、ここでは今も普通に新憲法以前の生活がある。
輪島から先は能登半島の原風景が残る。海岸沿いの細長い集落や、狭い山間の耕DSC0239c (2).jpg地集落に。どこにも黒い瓦屋根が薄日に鈍く光る板塀の家屋がひっそりとしている。観光客も一段と少なくなる。村々に生活の臭いは無い。自動販売機や、横断歩道も、巨大な広告看板も無いし、家に洗濯物も見かけない。そもそも生活しているはずの老人子供に出会わない。北部の行程約200Kmの間に日中なのに数人を見かけただけ。横断歩道橋など皆無。商店も無く、どのような生活をしているのかと不思議に思うのは当方の思慮不足か。
だが、何といってもこの風景は静かだ。森を背に海を正面に木造の板塀の家が数軒突然現れる。全て黒光りする瓦屋根の大きな威風をたたえた民家。それだけ。また、しばらくは森を抜け波打ち際を走る。年に一度竹を切り雪と風よけの為の間垣に囲まれた人家が現れ強風と横に跳ぶ吹雪の風景を連想させる。風の音を聞き怒れる日本海の海鳴りと雪の遠雷に身震いする。此の地の冬が本当の能登の風景だろう。真の能登は観光客など立ち入る余地のない超然とした風景で格式高く地に伏している。日本海を越えて吹き続ける西風に樹木は低くして頑強に抵抗しその中に人は厳然と生を繋ぐ。

現地主要部概要
DSC02431.jpgこの他にも、巌門、能登金剛海岸、総持寺祖院、禄剛崎、塩田、海山街道、ボラ待ち櫓、見附島、等多数の記録すべき場所があったがいずれ時期を見て完成させよう。僅か3日、しかも観光地を回っただけで能登を語れない。もっと、普通の人の喜怒哀楽の生活に出合いたかった。もっと、きびしさも、美しさも全ての能登を知りたかった。

千里浜(ちりはま)
2里に及ぶ砂浜を車で走行できる日本で唯一の場所。日本海の波を友にする沿岸の砂の道は何の規制もない。法の適用外でそもそも道路でもない。白い波頭の音と、やたらに広い空だけがある道だ。あの波の遥か向こうはシベリアのシホテアリニ山脈、その方向へ沈む夕日は荘厳だろう。横たわる億年の海に人の世を思う。人はここにきて砂浜を走り、そして去っていく。その跡は波に消え、どこに行ったかは誰も知らない。ましてやどんな人だったか等関心すら持たない。だからこの砂浜は人を引き付けてやまない。此の浜にたつと変に落ち着く。それは空が大きいばかりではない。波が永劫に寄DSCF3968.jpgせるからばかりではない。そこに儚さを見つけるからだ。人間の生を問う声を聴くこの砂浜は誰をも詩人にする。

天領「黒島」の町並
伝統的建造物保存地区に選定されている。2007年の能登半島地震後、再建され、黒瓦、格子、海風よけの下見板張りの共通した家屋が連担する。
黒島地区は質素で気高い。懐かしい原風景に満ちている。すべての家並みの瓦の黒さは日本海を背景に一段と風景に溶け込み、板囲いの家の壁は品格に満ち新建材ではこの風景は作れない。黒瓦は、陽光を蓄え厳冬に耐え、雪をすべり落とす効能が言われるがそれだけではない。集落全体が黒光りするどっしりとした瓦なのは、此処に住む人たちの強い団結の必要性の表れだろう。代表的住宅の角海家には海を臨む「望楼」の部屋まであり、船主はここで自分の船の帰りをいち早く見つけ、村中に知らせた。もちろん船乗りは全員この地区の住民。久しぶりの無事の帰港を家族中で喜び迎えたに違いない。此の様な形で相互に助け合う心情を強めている。保存地区とはいえ一軒たりとも赤い屋根がないのは、そんなことを許さない厳しい自然が背景にある。板の壁は素人目には強度も耐久性も新建材に劣るとしてもあえて木製の板に頼るのが能登の能登たるゆえんで薄っぺらな経済合理性のIMG_2962.JPG立ち入る余地は無い。廻船問屋住宅の角海家はその中でも飛びぬけて豊か、操船の工夫も一枚帆に縦の細いすき間を造り風上にも進めるよう改善するなど技術向上をし、商売の方法も近江商人に教えを乞うなど進取の気風があった。最近までその子孫が居住していたこの建物は、ほぼ同じ形で昭和40年代まで北国銀行の支店だった。昔の事だが、山深い街道の村で畳敷の銀行窓口に出あった。格子があって土間があって、あがり縁があって、丸い裸電球の銀行に行員は正座していた。立派なビルのどこかの地方銀行の不正を知るにつけ、此の角海家の土間の銀行は地域に親しまれ重く信用されていたに違いない。この銀行窓口跡は現代に突き付けている叱責のようだ。

妙成寺
加賀前田家初代から大切に維持された日蓮宗北陸本山。境内には十棟の重要文化財がある 特に五重塔は江戸時代初期の建立。とち葺(トチノ木の皮、主に能舞台などに使用する厚みのあるいた)の屋根は全国にここだけ。荘厳であり、京都、奈良に負けない。しかし前田家が前面に出て、部外者にはなじめない部分がある寺である。

輪島の朝市
朝市は近郊近在の農漁村の人達が自分の家の産物を遠くから重くかつぎ町の市場に運んで市を成したものだったが現在は違うようだ。有名な朝市ほどシステム化が進み、そのためか売っている商品に店ごとの個性なく、商品説明のカードまで同じ字でDSCF4012.jpg印刷され、売っている人もなれなれしく「お父さん寄ってきな」などと商品を突き付け声を掛ける。商品がどこも同じなのは仕入れる先が同じだからだろう。これでは本来の朝市の姿から程遠い。極まれに明らかに手作りの店がありほっとする。時代が変わっても朝市と言う以上はその基本を外れてもらいたくないと願う。時間が早かったのか地元の人が買っている姿は無かった。救いは、修学旅行らしき小学生が「家族のぶん」と言って箸を買っていたのが微笑ましい。どうか輪島塗の本物だと言う事が本当でありますように、せめてこの子たちを失望させない朝市であるようにと祈った。雨が降り続き観光客も減ってきた。立派な道路や、休憩場、石碑などがあったのに1時間で時間は余った。

米白千枚田
輪島を過ぎて僅かなところに此の観光地がある。米の生産より観光的価値がはるかに高い。急斜面が海に至るまでの間すべてが段々の棚田。丁度小雨が降っていたがあえて千枚田の中を歩いた。駐車場の高台から眺めるのと風景は一変し、改めてその小さな田圃の多さに感嘆し、これまでにする労力がいかに凄まじいものだったかを肌で感じる。急斜面に水を引き石段を積み、稲作の手入れをし、収穫をするのだ。今でこそ平野部の豊かな水郷地帯でさえ休耕田があるが当時は山迫り潮風の当たるこの地でしか稲作が出来なかった。それが観光化して今に残るのは皮肉なことか。産業DSCF4030.jpg経済に翻弄される農民の姿が浮かぶ。その当時の語り切れない労苦はこの形で報われたのだろうか。小さな田圃に都会の所有者らしき名前が棒杭に描かれている。遠くから見ると卒塔婆の様で鎮魂の標識に見える。善意で自然環境に賛同しているのだろうが何ともいたたまれない。過去の労苦が今にその姿をとどめるのにこんな形になることが正しく報いているのだろうか。かって四国の辺境で高い石段の壁のような畑を前に思った胸痛む記憶がよみがえった。西部開拓史の英雄ジェロノモが矢折れ尽き見世物小屋に立たされているのを見る心境だ。

上時国家
近くにある下時国家はこの分家で土日以外は開館していない。平家800年の昔の大納言時忠が破れて能登に流配、その子孫が天領の大庄屋や廻船問屋で財をなし180年前にこの高台に館を造り、「近世木造民家の到達点」と評価された。5階建てビルに相当する茅葺の大屋根は正面入り口の通路から見上げると圧巻。部屋を区分する唐紙には「丸あげは蝶」の平家定紋があり、今や平家も源氏もないのに能登の奥に、いまだに未練をうかがわせる。25代当主が実際にすんでいるという。能登は思いのほか辺境かもしれない。

能登ワインと能登島
DSCF4034.jpg能登でワインができるとは知らなかった。空港が近いし、他に産業もないので多くの人手を要するワイン造りは最適な産業振興だろう。しかし開園15年程度で未だブドウの木は小さく年産10万本と言うワインの数は産地消費のレベル。此の産業は最低100年の時間と伝統が必要なことから更なる飛躍を望みたいが競争関係は厳しい。10人程度で頑張っていて、社員は皆熱心な人達だが、何せ規模の有利さで勝つか、味のワインで勝つか先は甘くない。アメリカなどのワイナリーはレストランを兼ねて実にうまくできている。建物も倉庫のようではなく、古城を思わせるものが多い。まだ多くの課題があるのだろうがささやかな応援のしるしに最高のワインを買って家に送る。何時の日にか、能登ワインが世に出て、日本の自慢になり、皇室外交などに使ってもらうまでになりますように。
DSCF4044.jpg能登島は意外に静かな島だった。パンフレットによればあたかもデズニーランドか江の島のように開発し尽くされ俗界のように誤解したが実情は森と漁村の静かな上品な島。PR活動の方向が違っているのか、そうではなくPR活動の様な島にしたいのかどっちなのだろう。今の島の状況はそれなりに魅力あるのだが。いずれにせよ大きな吊り橋を武器にしたこれからの島だ。

宿「国民宿舎能登小牧台」
国民宿舎と言えば、部屋はかび臭く、自分で敷く布団は冷たく湿り、やたらと禁止事項をべたべたと貼り、エレベーターは遅く暗く、従業員は無愛想で威圧的。料理は何処からか運んできて温めるのはみそ汁のみ、調理場に料理の匂いもしない。風呂場や廊下は電気が消え薄暗く、スリッパは履くのをためらう。これなら民宿の方がいいと何度思ったことか。 ところが移動の都合で国民宿舎にしたのだが之が大正解。まず今回の館内すべてが清潔。廊下もしみひとつないカーペット、部屋は広く七尾湾一望の景色、布団も清潔なベツト。従業員はにこやか、てきぱき。料理は温かく種類も多く手作りのうまさ(ちなみに天ぷら盛り合わせ、能登ふぐせいろ蒸し、中島菜、地蛸の釜めし、海藻茶碗蒸し、刺身お作り、等食べきれない。アイスクリームは食べ放題)、これが最も安い料金メニューである。こんな国民宿舎もあったのかと愕然とした。とっくに国民宿舎もこのレベルなのを知らなかったのか、それともここは例外か。今後の宿泊には改めて国民宿舎を検討したい。 ただし温泉は加水、加温度、循環式で残念。

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