No.348信越トレイル 全記録 6泊8日(前期2016年6月8日~6月12日)(後期10月16日~18日)(雨天決行。健脚向き)

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全体記録;勝巳
登山記録 前期;達也
登山記録 後期;亮子
全行程6泊8日を新緑の6月と紅葉の10月に分けて実施。前期4泊5日。後期は2泊3日。
自然豊かなブナの原生林の新潟と長野県境を巡る全長70Kmを超すロングトレイル。
予想される雨天の中、連日歩く体力と気力を要するが幸い好条件に恵まれ、長期日程に伴う事故もなく充実感に満ちた山行となった。

参加者
    前期;参加者4名 勝巳(リーダー)、達也(会計、写真)、ゲスト参加者 一朗、輝夫各氏(事故対応等の為の登山経験者参加依頼。自費参加)。
    後期;参加者5名 勝巳(リーダー)、憲治(会計車両)、一朗、亮子(写真)、ゲスト参加者 輝夫(一朗氏は9月入会)。
P60904130-rvsd-.jpg前期概要 2016年6月8日(水)出発
東京駅、北陸新幹線はくたか555号金沢行 自由席2号車付近乗車口集合、各自改札を入って自由席を確保。はくたか555号8時44分発乗車。
    コース概要 (詳細は別記)
  • 第一日6月8日(水)   徒歩5時間  東京――飯山駅――斑尾山――希望湖。

  • 宿泊戸狩温泉「かのえ」0269-65-4570。4連泊。温泉。全送迎 9500円。
  • 第二日6月9日(木)   徒歩7時間  涌井――トンペイ平ゲレンデ。
    毛無山は大部分をアスファルトの林道歩きの為省略。その分を次の日計画分に食い込む。

  • 第三日6月10日(金)  徒歩8時間  関田峠――トンペイ平ゲレンデ。

  • (逆コース)をとる。仏が峰下りが楽なため計画を急遽変更。
  • 第四日6月11日(土)  徒歩8時間30分 伏野峠――関田峠茶屋小屋。
    (逆コース)伏野峠が関田峠より標高が高い為。

  • 第五日6月12日(日)  9時48分戸狩野沢温泉発――長野10時48分着(昼食)。

  • 長野発12時24分はくたか560号――東京着13時52分(解散)。
CIMG9990a.JPG後期概要 2016年10月16日(日)出発。
午前7時 憲治車により出発(一朗車を憲治家に駐車後5人乗車で出発)。
    コース概要  (詳細は別記)
  • 第6日10月16日(日) 晴れ  上信高速道信州中野IC――志賀――雑魚川林道――奥志賀牧場――森宮野原駅前旅館
    宿泊;2連泊「吉楽よしらく」0269-87-2705。弁当送迎付き8500円、2室確保。

  • 第7日10月17日(月) 曇り  徒歩8時間30分
    宿発7時――松之山登山口――天水山――三方岳――深沢峠――野々海峠――西マド湿原――伏野峠――中条温泉(トマト温泉)――宿着。

  • 第8日10月18日(火) 晴れ 宿発8時――アップルライン農協売店――信州中野IC――上信高速道――二俣川(解散)。

持ち物;宿が連泊のため、余分な荷物は宿に置き、当日必要なものだけとする(荷重約6~7Kg)。雨に連日遭う前提の完全降雨対策で。一般登山用品等(杖、水筒1~2リットル)程度、医薬品、常備薬等大目に、虫よけ、日焼け止め、保険証コピー、懐中電灯、軍手、雨具、着替え、非常食等)。
地図;{信越高原トレイル マップ}2万5千分の一。3分冊(後期は第3分冊)。 信越トレイルクラブ事務局発行0269-69-2888で事前購入。
費用;総額 約80000円程度(宿泊交通費、弁当代等のすべて込み)。
    前期 宿泊費9500円×4泊。交通費(JR利用18000円 合計56000円程度
    後期 宿泊費8500円×2泊 交通費(車利用)5000円 合計22000円程度
計画策定と事前準備
何しろ、初めての山域。困難度は連日の長距離アップダウンが続き、途中、山が深い為、雷雨や、事故などの時の逃げ道がすくなく、その上宿とトレイル間の移動手段が悩みの種。6か月前からの信越トレイルクラブ事務局との連絡や、専用地図の購入と検討、山行記録の収集調査、参加者数が未定段階での宿の確保と送迎の依頼、荷物の軽量化対策などに時間をかけた。その結果、同行者は健脚であること、部外のベテランを補助者として同行願う事が必要と判断した。なによりも、参加者が自分の体力を我が会恒例の「体力測定登山」に参加し確実に把握していること。このコースで、途中で足の痙攣や、転倒事故、疲労困憊などが起こればいかに部外のベテランの協力を得ていても結果は全員の行動に影響し、山岳事故として危険な状態になるため、せめて自身の体力を知った上での参加を求めた。此のことは、重大事故未発生を誇る健ハイの基本的な考え方である安全登山に添う。今更のように、「山は自己責任」との思いを新たにする。このコースの観光的なパンフレットや、一部の無責任な体力自慢を書きたてるパソコン情報はのんきな風景で満ちているが現実は違うことが多い。かって、雨の以東岳を9時間かけて苦労した話をしたら、ブログに5時間、軽いと書いてあると指摘されたことがある。その内容を信じたら遭難ものだろう。くれぐれもパソコン情報は疑ってほしい。なんといっても連続で新潟と長野県境の深山をピークのすべてを巻き道なしでIMG_2192a.JPG忠実に長時間歩く困難さは山を知っている人なら容易に想像できるだろう。後期は予報では登山日が雨。此の為あらかじめ雨天時でのコースも設定し野々海峠終了の3時間程度の短縮案とする。雨天時計画によるかどうかの選択は現地天候のギリギリのタイミングでかつ、携帯電話が通じて送迎車に迎えの場所の変更が通知できることが条件になる綱渡りであった。天水山から伏野峠までの道は、高低差はともかくアップダウンが連続し傾斜もあり、その上一日としては長い行程で、秋の日没の速さを考慮した時間的な余裕の計画が必要だっただけにその判断に苦慮したが結果的にはこれ以上に無い成功だった。
理想的な登山の成功ができた主な理由。
  • メンバーの実力がコースに伴っていたこと
    事故がないだけではない。長いトレイルで、平均年齢70歳を超えるメンバーの誰一人として転倒したり、傷を追ったり、疲労困ぱいした者はいない。コースによって参加者のレベル基準を設けるのは安全登山の第一の提要であることを改めて確認した。その結果、それぞれの参加者がこのような山行に耐えられるという自信を持つことができたのは大きな資産、収穫である。
  • 計画を柔軟に対応したこと。
    現地情報によらなければわからないことは多い。たとえば、コースが完全舗装の自動車道が長かったり、地図上では判断しにくい積算高低差であったり、時間によっては南面の直射日光のもと、樹林帯もない急斜面であることがある。その対応は、急に送迎の行先を変えて逆コースをとることに、全員が合意協力しなければならない厄介ごとだがその円滑な実行ができたこと。これが参加者のレベルがあっているという事がいかに大切かを意味している。全行程8日間のうち当初計画を固執せず現地状況に照らして3日間は計画変更をした。特に第7日の変更は、当初計画を雨の予報で短縮したものを、また、プラス3時間を超える延長コースに途中で変更するも。どのタイミングで、どこから送迎車の待合せ場所変更の連絡をするかは携帯電話の通じ方ひとつだし、秋の天気は気まぐれ。その上、日没はつるべ落としだ。懐中電灯での歩行は、通常の2倍の時間を要し、転倒事故発生の危険も倍増する。その上、気づかないうちに疲労のたまっている今日の道のりの最後の行程である。その中で全員が無事に歩き終わることが絶対条件である。個人的事情でコースを変更することは当然許されない、山での行動は、何時も弱い人が基準だ。リーダー自身の全経験をもとに、個々人の経験と現状の体調を正しく把握し、これから起こり得る問題を考慮した上て変更の判断するもので間違えば事故を免れない緊張のもとに行うものだ。判断を誤り一部の意見に引きずられることがあるが、それを許さない厳しさが山にはある。幸い今回は明るいうちに無事に目的地に到着できたが、たまたまの偶然という事だってある。個々人の希望をあきらめてでも全体に従う姿勢が何よりも集団登山の安全には必要だ。
  • 行動基点としての宿泊の便を得たこと。
    前期は4泊とも同一旅館として、必要な荷物以外を旅館に置くことができ、結果として山での軽量化による行動ができたこと。また、登山口、下山口まで宿の送迎は、舗装の自動車道を数時間に及ぶ林道歩きを大幅に省略できたことも大きなことだ。
    更に、温泉が実質24時間利用でき、膝の疲れの早期回復、腰痛に対処でき、十分な休養ができた。3泊は、他の客が居なく我々だけで余裕があった等の宿泊の便を大いに利用。登山の宿としては若干高かったがそれだけのことはあった。宿を囲む一面の水田は蛙ののどかを越す大合唱。夕方の散歩では蛍も飛んでいる。宿は桑の実も食べられる里山の中にある。気分が悪くなる夏山の小屋の異常な混雑、不衛生なトイレ、寝具、それで1万円近い料金は誠に困ったもの。少しはこの旅館を見習ってほしい。
    (余滴)初日、飯山駅に車で迎へてくれた宿の奥さんによればご主人はマムシに噛まれて入院中とのこと。それだけならありうることと聞き流すところだったが、飯山赤十字病院の6人部屋の病室に、5人がマムシに噛まれた人だったと聞きこれからの登山の緊張が車内を無言にした。
    後期も、前回同様に、同じ旅館での連泊。温泉でこそないがまともな風呂。カメムシ君が先に陣取っていたが座敷もそれなりに清潔だ。食事は料金に比例しているので贅沢は言えない。一人で頑張る元気な女将さんとしては精いっぱいだろう。他の宿泊客はみんな顔なじみの長期滞在が多いらしく名前で呼び合っている。「ふうてんの虎さん」がいても自然な駅前旅館。わざわざ山奥の登山口と下山口に他人に頼んでこの宿泊料で無料送迎してくれるやっと探した貴重な宿だ。
  • 天候に恵まれたこと。
    快晴は必ずしも登山日和ではない。東京から飯山に着いてすぐの登りである初日は斑尾山 のスキー場跡の草原を直登するが熱中症になりかねない蒸し暑い無風の炎天下。次の日か らは晴れ、コースも1200m前後の標高で風も爽やか。2日にわたって、夕方宿についてか ら降雨。温泉の中から、運がよかったと語り合う余裕。
    トレイルは稜線を歩くのだが、樹林が高く茂り見通しはよくない。無風でもあり蒸し暑いCIMG00030.JPGときもあったが、ともかく前期は梅雨真最中、後期は台風接近下だから此の天候に贅沢を言ったら罰が当たる。天候は安全上も大事な要素だ。恵まれたが此の逃げ道のない稜線で雷にあったら相当怖い思いをするに違いないと思いながら雷鳴に神経質になりながら長い尾根道を歩いた。
    後期は事前の天気予報によれば前後がいいのに、登山日だけ雨。ところが実際はほとんど3日間雨に合わずだ、かくも天気予報はよくもわるくもあてにならない。宿を出るときは雨具をつけて張り切っていたのに拍子抜け。新潟方面は秋の青空がのぞき、米山さんを背景に黄色の稲の村が遠望できる。爽やかな稜線の秋風が心地よい。
  • 登山道が安全で、かつ整備がよくなされていたこと。
    どこの登山道でも、4日間も歩けば危険な岩場に出くわすものだ。ところが、このコースにそれがない。整備された土と腐葉土の森林の道が続く。斜面と言ってもそんなに高低差はなく、少しつらいが我慢すれば乗り切れるものばかりだ。2Mの道幅でほとんどの所が下草が刈られている。ただし下草だけで、頭上の倒木はそのまま丁寧に残されている、自然保護の見地から当然だが、よく頭をぶつける。何しろマムシを注意して足元ばかり見ているのでつい、頭に樹木が当たる。勢いよく登っていると大きな音がしてかなり痛い。こんな時にヘルメットが役立つのだろう。道標は豊富。流石信越トレイルだ。それに加えて、新潟長野県境の境界標識石が50mごとに土から首を出している。IMG_2211.JPGこれとて、見つけて大喜びすることだってあることを思えばありがたい。
    ○4~6とか○8~12とか標識に表示されているのは、「信越トレイル」地図の表示と対応している。自分のいる場所がこの番号と同じであればすぐにわかりすこぶる便利だ。ただし、いくら歩いても展望はほとんどない。周囲は日よけにはいいが樹林。風の道もめったにない。日本海らしいところが見えたが果たして海かどうか。海は僅か20Km先にあるというのに。風景はほとんど知らない初めての山渓ばかりだ。森は東北を思わせる豊かさ。歩くほどによく小さな水たまり跡に出くわす。豪雪地帯特有の遅い雪解けに泥道はこねまわされている。少し水が残っていれば葉っぱばかりの水芭蕉の群落や、モリアオガエルの卵が大きな木の花のように付着している。たいていの湿った暗い樹林の陰でギンリョウソウが花を添えている。
    ブナの森はむくむくと見事。ほとんどが第四紀層の脆い地質に加え、越後側は谷に急峻に切れ込んでいるところがあるにもかかわらず、全山に山崩れの痕がないのは此の木のお蔭だろう。役にたたないから橅、木へんに無いと書かれたとはいかに明治初めの富国強兵の時代でもひどい話だ。保水と森の精気はこの樹にかなうものはない。橅林は巨木もあるが大小入り混じっている。常識と違うが、巨木が古い樹ではないようだ。たいして太くない倒木に500本は優に超える年輪が刻まれていた。生えてる場所と、気候で、個体差があるのだろう。この道は大人の道である。そんなに、変化は無いし派手さもない。どこまでもゆったりした自然の道に過ぎない。だからこそこの道のかもし出す歩き方があるのだろう。10cmを超えるナメクジと動物のフンはあるがいい道だ。新潟と長野の県境を忠実に辿って行くので、CIMG9995 (3).JPG登山道としてはよくある巻き道は一切ない。全部上り下りすることとなる。しかも多数の峠には下って、また次の峠に行くために登る。この繰り返しの登山道だ。ただし、斑尾周辺は信越トレイルとしてはあまりに開けすぎている。ホテルや、リゾート施設が多く、北東方面のブナの原生林の面影はない。なんだか、無理につなげたようにすら見えて、スキー場で虎狩になった夏の斑尾山を見るのは忍びない。これが、「故郷」に歌われた山とは到底思えないのだが。トレイルに今後の延長計画があり、千曲川を越えて、秋山郷から苗場山に至るコースの延長をするようだ。何のことはない、新潟県と長野県の県境道をトレイルにするのだろう。後期はさすがに山道。ここまで来るとこの雪国のトレイルの本性を現す。木の根がはびこり、湿地は泥でグシャグシャその上、急な上り下りが頻発する。それでもこの程度なら我慢出来る、ただし、行程の長いのを除いてだが。
    前期詳細記録   (記録 達也)。
  • 第一日2016年6月8日(水)快晴曇り  徒歩行程8.5Km 約5時間

  • (信越トレイル斑尾――万坂峠――赤池ルート)。
    東京発8時44分(北陸新幹線はくたか555号)――飯山着10時33分――宿出迎えのワゴン車で登山口へ――レストハウスチロル前 かえでの木トレイル登山口11時15分発――斑尾山1382m――2.8Km 14時――万坂峠――2,8Km 15時30分沼の原湿原(湿原西トレイル)――1.5Km 16時10分――希望湖駐車場着――16時45分宿送迎車――宿着17時20分。
  • 第二日2016年6月9日(木)小雨、曇り夜雨 徒歩行程13.5Km 7時間15分。

  • (信越トレイル涌井――富倉峠――桂池――仏が峰登山口ルート)
    宿送迎車8時10分発――涌井着8時25分――2.4Km 9時30分富倉峠――大将陣跡――1.5Km 10時20分ソブノ池――3.5Km 12時20分黒岩山東屋935m――2Km 13時10分桂池――中古池。北古池湿原経由――3.2Km 15時10分仏が峰登山口――0.7Km 15時45分とんぺい平ゲレンデ着16時送迎車――16時15分宿着。
  • 第三日2016年6月10日(金)晴、時々曇り 徒歩行程10.2Km 約8時間5分

  • (信越トレイル仏が峰登山口――関田峠ルート)
    宿送迎車8時発?―8時30分関田峠着――関田峠周辺ブナ林コース0.8Km――茶屋池コース0.5Km 散策9時30分発――筒方峠――2Km 10時30分黒倉山1242m――久々野峠――o.6Km 11時05分鍋倉山1288m――長い痩せ尾根?―3,1Km 13時30分小沢峠――仏が峰1146m――2.3Km 15時15分仏が峰登山口――0.7Km 16時10分トンペイゲレンデ着16時20分送迎車――16時30分宿着。
  • 第四日2016年6月11日(土)快晴、夕方雨 徒歩行程13? 約6時間30分

  • (信越トレイル開田峠――伏野峠ルート)
    P6090467-rvsd-.jpg宿発7時55分――伏野峠8時45分――1.7Km 10時45分幻の池――2.8Km 11時30分宇津ノ俣峠――1.7Km 12時50分花立山1069m――1.7Km 13時40分牧峠――2.8Km 15時45分梨平――1.7Km 17時関田峠――0.5Km 17時10分茶屋池ハウス着17時20分送迎車――17時50分宿着。
  • 第五日2016年6月12日(日)快晴 JR利用による帰着日

  • 7時宿周辺で桑の実取り――8時朝食――9時20分送迎車で戸狩野沢温泉駅――10時48分長野駅着――12時24分はくたか560号長野発――13時52分東京着 解散。
    後期詳細記録  (第七日の記録は亮子)
  • 第六日2016年10月16日(日)晴れ 車利用により出発――森宮野原旅館へ

  • 6時30分一朗車勝巳宅で勝巳、輝夫乗車後、憲治宅発7時――圏央道――上信道――信州中野IC高速下車――小布施――志賀高原――雑魚川林道――奥志賀牧場――秋山郷――森宮野原着。
    予報を信じ最悪雨の登山を覚悟したため、前日に出来るだけ点数を稼ごうと、昼食は観光気分で信州中野の小布施にしたが之が失敗。大型バスの観光客でどこも満員。その上、町の祭りので渋滞が激しい。やっとあり着いた「栗おこわ」は随分栗の小さな半端なもの。50年も昔何度か訪れた小布施は人もいなく、駅周辺は古い木造の倉庫がいくつもあり、今では有名なお菓子屋さんの陽の当たる縁側で老人たちが落雁を手で紙に包んでいる音のしない山里の村だった。此の変わりようは恐ろしい。昼食後、通常の自動車道を避け、志賀高原から、山道を奥深く秋山郷に抜ける。この道は何度通っても橅や楢の紅葉が美しい。今年は少し早かったがそれでも見事な紅葉だ。秋山郷への途中、奥志賀牧場4Kmの小さな看板に誘われて山に分け入る。高級車の行く道では無かったのは後でわかったこと。こんな山の中に平原があって牧場があるとはなんという奇跡だ。もちろん牛がいる。電気もない簡素な牧場の管理小屋で300円の維持管理費を払い青空のもと、秋風に全身を浸して牛乳を飲む。寝転がる。考えようによっては今回のハイライトである。ここまで来る人はまれなはず。なんだか優越感を覚える。牧場は10月25日に閉鎖し、牛は下界に降り農家の牛小屋で冬を過ごす。そして初夏、緑の草と共に牛が何事も変わることなくここに上がってくる。モンゴルやスイスの風景がこんな所にある。オリンピックも豊洲もノーベル賞も関係なく、もっと大切な時間がここでは流れてるのだろう。
    宿泊 森宮野原駅前旅館「吉楽よしらく」0269?87?2705弁当送迎付8500円2部屋。
  • 第七日2016年10月17日(月)小雨曇り、晴れ。徒歩行程13Km  約9時間弱

  • (信越トレイル松之山登山口――天水山――野々海峠――伏野峠) (記録 亮子)
    2016年10月17日(月) 曇り 徒歩行程 8時間
    CIMG0010.JPG天気予報では雨のため、予定変更し、歩行距離短縮と、朝の出発時間も6時出発を7時とした。だが天気予報は見事にはずれ雨は降らず、思ったより天候がよかったため、当初の計画での歩行をすることとした。おかげで疲れたがそれなりの事はあった。
    宿朝食6時 宿出発 7時――送迎――天水山松之山登山口 登山開始 7時30分――天水山 8時30分――三方岳 10時20分――深坂峠 10時50分着 昼食休憩(25分間) 11時15分出発――野々海峠 12時15分――西マド湿原 12時45分――須川峠 14時30分――伏野峠 15時40分。
    予報は雨で、朝起きた時には、既に降っていた。やはり雨の中を歩くのかと覚悟を決めて宿を出発。しかし幸運にも天水山松之山登山口に着いた時は、雨は止んでいた。ブナの葉の落ち葉の腐葉土はふかふかして歩きやすい。急な斜面も足型にくぼみがきざんであり整備されている。尾根に近づくと谷川を勢いよく流れるよう渓谷の音がし不思議に思ったが、それは水音ではなく、風の渡る音だった。こんなに大きな風の渡る音は久しく聞いていない。日本海からの風がブナの木や葉をゆすり、たくましい音となって聞こえている。ようこそ、ここが信越トレイルですよ、と言っているようだ。天空の自然の息吹を交響曲と感じながら、雨にも降られず、天水山に到着。このまま降らなければと、当初の案への変更を検討したが、何しろ秋の山。もうしばらく様子をみて決めることとした。稜線の秋を満喫して歩いていると右下の新潟側遥か遠くに、広々した村が横たわっている。秋の収穫前の黄金色の畑の中に家や林が点在しあそこには、良い人達が住んでいるに違いない。あんなところに住んでみたいと思う桃源郷だ。この村は、私達の歩行にお供してずっと見えていた。登山道の両側には小さいが元気いっぱいのイワカガミの艶やかな葉が足の踏み場もなく続いた。中に一輪だけ、なぜか花が咲いていた。私たちにどんな花か知らせるために、秋のこの日まで残ってくれた花だ。紅葉が始まる中にけなげに咲くピンクの一輪の花とひそかに会話する。道は深いぶな林の中を三方岳を経由し深坂峠へと続く。峠の立派な石碑のある芝の広場で昼食休憩。新潟方面の視界が開け、遠く米山や日本海が。幾重にも重なる山々の紫の稜線、雲も切れ、天使色の青空が見える。ここで雲上の食事休憩。なんと贅沢で幸せなことだろう。ずっといたかったのに、無情にも早くも出発。天候回復が見えメンバーの足並みも問題が無いのでリーダー判断で、当初の計画で歩くこととなる。宿の出発は雨を予想して1時間遅くしていたこともあり、最終ゴールの伏野峠に暗くならないうちに着くため急ぐことに。そうかと言ってこの山道で簡単には歩行を早めることはできない。ひたすら苦しい登り降りを繰り返す。野々海峠、魔境の西マド湿原を経由し、ほとんど休まず、無言で歩いたせいか、秋の早い日没に追いかけられながら、伏野峠まで無事逃げ切った。送迎車の村会議員の運転で地元の温泉に入り、汗を流してさっぱりする。今日のビールは旨いに違いない。
    IMG_2206.JPGここまで来ると山道はやはり今までとは違いそれなりの道だ。何しろ津南の北、半年は雪に閉ざされる新潟との国境の道なのだから。その上に、ここも県境に忠実に稜線を行く。巻き道で楽することは見事にできない。風景も展望が効くところは右手に新潟側の上越市安塚地区の僅かな集落と黄色い実りの田んぼの広がりが見えるときにやっとほっとする程度でそれも少なく、大部分はひたすらブナの大木の森を行く。たまたま入り口だけ小さな湿原に出会う。西マド湿原だ。地元の人が何人も立ち入っていまだに戻ってこないという知る人ぞ知る魔の地帯だ。立ち入り禁止の看板があったが、もとより立ち入れるようなところではない。深い池と湿地帯の先には、背の高い草が密集し、その先に黒々とした森がどこまでも続いて踏み込んだら出ることはできないだろう。こんな光景に出合えるのもこのトレイルの醍醐味だ。
  • 第八日 2016年10月18日(火)曇り、晴れ  宿より帰着日

  • (森宮野原発8時――津南――豊野アップルライン――信州中野高速――圏央道――二俣川解散)。
    宿の女将さんの元気な声に送られて8時出発。開店したばかりの津南の道の駅に立ち寄り、豊野のアップルラインを目指す。ここでは旨い林檎が土産にいい。だがここもなんという変わりようだ。道路の両側に豊に実った林檎の木がどこまでも続き、林檎の木の枝が覆いかぶさる中を車がたまには通りすぎるところだった。それが林檎畑など探さないとわからない。国道に面した両側は工場や、得体のしれない建物。看板、たまに土産屋が林檎を売っているのがせいぜいアップルラインの名残。車が轟々ときりがなく通行し、静粛など微塵もない。此の変わりようは長野オリンピックの影響か。新幹線の影響か。千曲川もなんだか存在が薄れてる。何とか農協の売店を見つけて林檎等を買う。蜜の入っている林檎を探したが見当たらない。適当に買ったら、車のトランクはリックもあって満杯になった。昼飯で食べたいものを食べる快感に浸る。車で自宅まで送ってもらい、勝巳と、輝夫は下車。他は憲治宅まで行く。近所の人が立ち話をしてる家の周辺はのんびりした風景だ。これで信越トレイルの全部が終わった。計画から完了まで永いとも短いとも感じる。大きな目標はいつもそうやって終わる。土産の林檎を皆で一緒に食べる風景を思う。秋の夕方に。
    後書き
  • 国境の峠道
  • 信越トレイルは峠の道である。トレイルを横切る無数の峠がある。都会に住み、此のあたりの生活を知らない者にとっては衝撃ですらある。越後と信州は古くから、小さな峠で固く結ばれていたに違いない。謙信が川中島へ兵を出すときに使った古道もあれば、越後の寒村の民が、信州の野沢温泉に通った道もある。越後の働き者の花嫁が信州に嫁入りした峠もある。むしろ、此のあたりの山村は横に千曲川沿いに連絡移動するより、縦に峠を越えて越後と交流する機会が意外に多かったに違いない。このような山村の交流は、国東半島にも、房総半島の花嫁街道にもあり、全国的に山村と、漁村との間で多い形態だ。雪で半年は越えられない峠道を、双方の生活用品を担ぎ峠に持ち寄って物々交換をしただろう地名が「茶屋跡」としていまに残っている。
    信州側から野尻湖を経て越後の柏原に通じる「万坂峠」、過疎限界集落の典型のような「涌井峠」、ひっそりと忘れられた「富倉峠」ソブの池という意味不明な池の淵にある「北峠」今や廃道寸前の「小沢峠」黒々とした森の山、鍋倉山と黒倉山に挟まれた「久々野峠」黒倉池を従える「筒方峠」そして謙信も超えた歴史ある「関田峠」こんなとこIMG_2225.JPGろにも峠があるという「梨平峠」舗装道路が通う立派な「牧峠」うっかり見逃してしまいそうな深い山中にひっそりとある「宇津ノ俣峠」そして「伏野峠」は橅林の中の、今回の最終地点だ。ここまで来ると、もうあの、秋山郷を擁する栄村や津南町に近い。このほかにも、明らかに峠道だったと思われる廃道が多数ある。いずれも、どこかの村につながっているに違いない。越後と信州はこんなに細い道で無数につながっていたのだ。道沿いには、オオイワカガミ、根曲りだけがまだ取れるというしるしになるピンクの小さな花を咲かせている「谷ウツギ」が咲き乱れている。
  • トレイルの周辺山里の人生
  • トレイルを下った飯山線の森宮野原の駅には「JR日本最高積雪地点7m58cm」の標識がある。(昭和20年2月12日)。驚くことは、瞬間積雪量だけではない。此の周辺は冬に5~6mの積雪は普通の事だという豪雪地帯である。トレイル周辺は山岳地帯でありそれよりももっと多いはず。日本海から湿った空気を運んできた雲が最初に突き当たるのがここ関田山脈で大量の降雪をもたらす。一口に5~6mと言うがこの中で生活するのだ。豪雪地帯での毎日の雪かきは生命にかかわる作業で避けることは出来ない。子供は学校に通い、買い物に行き、病院に行き、仕事に行くのに道路は不通になり、列車も遅れや不通になる。雪崩れば幾日も列車は来ないし道路も開通しないだろう。つい最近までは山間部は一年の半分は雪に閉ざされて暗い電球の室内で雪解けを待ち出稼ぎは普通の生活だった。それがスキー場ができ生活は一変するがしかしそのブームもたちまち終わり、民宿に改造した人達は借金だけ残して廃業した。かって周辺の70件を超えた民宿は今や半分もない。
    歴史的にも飯山は、左遷大名の町。問題を起こした殿様がこの街に左遷されてくる。毎日帰ることばかりを願った生活を数年してまた新しい殿様が来る。その繰り返しが飯山を作った。変わるたびに、寺も移動してくるが出ていくときに寺を残すので、やたらと現在も人口13000人の町にしては寺が多い。木地師も活躍しただろう豊かな木材を利用した仏壇と和紙の街でもある。飯山を想像するなら前東京都知事の猪瀬さんの笑いの無い顔を想像していただきたい。ここの出身だから。
    ところがこの風景が激変した。新幹線の開通である。駅前にビルができた。木造の小さな駅は生まれ変わり、駅にはエスカレーターもできた。見方によるが素晴らしい風景を創りだしている。東京から僅か2時間弱で来ることができる。かっての藤村の破壊の飯山には考えられない。それにしても、地元の人による上杉謙信の人望はいまだに絶大だ。比べて、武田信玄はクソミソにいわれて、もし、甲斐の国の人が聞いたら怒るに違いない。周辺の山里には、深いめんめんと続く歴史と今を生きる人々の生活がある。山稜を歩くのもいいが、此の山里を巡る旅もいい。もしかすると、信越トレイルは里の旅を欠いたら不完全なものなのかもしれない。
    IMG_2191.JPG第七日目の山行の帰りに村営の温泉に500円で入る。巨大な山崩落の見える下に、大きな校舎の様な温泉である。その割に、湯舟は小さく狭い。なんでも子供用の建物だったからと言うのだが。今日はやけに人が多いと湯舟で話しているらしい。方言は湯の響きも伴って聞き取りにくい。ニコニコと老人が寄って来て、あんたらも参加するのかと問われる。どうやら年に数回の酒盛り(パーテーではない)がこの村の温泉主催であるらしい。3500円会費、飲み放題食べ放題、村人が楽しみにしてほとんどが集まる大切な酒盛りだ。そんなところによそ者が邪魔すべきではないので遠慮する。なんだか、急にここが、平和で、穏やかで、微笑ましく、つつましくて、いいところのように思う。以前、桧枝岐の山道で、おじいさんが酒で真っ赤な顔をしながら新しい鍬を担いで帰るのにすれ違った。村の集会場で年に一回の農具の販売があったようだ。なんだか無性にうれしくなった。幸せに絶対的基準などない。幸せの原点は案外身近で、簡素なものだ。

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