サロン106 相原から御殿峠のフットパス(2018.1.18)

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P1180007.JPG日時;2018年1月18日
集合;JR横浜線 相原駅西口 10時  曇り
参加者;5名 吉生(リーダー、写真)、勝巳(記録)、才美、憲治、三貴也

コース;徒歩約3時間
JR相原駅東口発10時――七国峠分岐――御殿峠古道――日本閣結婚式場――御殿峠――鎌倉道――浅間神社――兵衛川――片倉城址公園12時――住吉神社――住吉沼――JR片倉駅13時――町田――大和(解散)。
P1180006.JPG天気は、予報より悪いがこの季節にしては温かい。5人、時間前に揃い出発。住宅街で初めから道がわかり難い。尾根道に出てから、方向を見極め地図を頼りに森の小道を行く。周囲は住宅が近くにあって、山深さは感じないが、森は自然のままが多い。ともかく標識や道標が一つもないので、周囲の景色から自分の位置を判断するほかない。それにしても大学の多い所だ。朝の駅でも東京造形大学行のバス停に多くの学生がたむろっていた。東京工科大、日本文化大、その他大学の街である。土地は安いだろうが随分不便なところに造ったものだ。
フットパスは僅かに登り降りをくり返し、雑木林や、森の中の住宅街を過ぎるが、そこに人気は無い。どう見ても別荘に立てたが、今は無人と思える家も多い。横浜線に添って尾根道を八王子みなみの駅を下に見ながら八王子方面に続く。この辺りは鎌倉古道のゆかしさがあったのだろうが、残念ながら宅地開発も進んでいる。その上、廃材置き場のような意味不明の建物が散見される。たぶん市街化調整区域なのだろう。大手の企業の持ち物らしい土地も、地元の不動産会社の持ち物も、皆、立ち入り禁止の表示で堅く道を閉ざしている。行程の半分はアスファルトの自動車道。途中、日本閣の立派な結婚式場が突然出て、こんなところで結婚式をする人がいるのかとP1180010.JPG不思議に思う。片倉城址公園には静かな芝の広場があり、どこかの子供のグループが弁当を広げ、遠く五重塔などがかすかに見えて長閑だ。城の外は空堀の痕が残るが、本丸に隣接して畑があるのには驚いた。此の城址は誰がいたのかが定かではないそうだ。室町時代の代物で、すぐに廃城になってしまったかららしい。住吉神社の下にある住吉沼は薄氷が覆い何となく薄気味悪い。多くの彫刻が周りを固めているためであろう。片倉の駅について時間に余裕があるのでお茶でも飲もうと店を探したが全くない。こんな状態で、先ほど歩いた森の中の住宅街の人達は何処に買い物に行くのだろうか。電車は思ったより多く町田に着いて相変わらずの喧騒に出会い、やっぱり今歩いてきたところは自然が残りいいところなのだと再確認することとした。
(余滴)
P1180015.JPG今回のフットパスの特徴は、私有地の閉鎖的な道が多いことだった。本来、所有権以前に通行権があって、どの道も通行できるという考え方が十分に理解されていない。人間が歩く権利は私有財産を著しく侵害しない範囲で自由である。日本の国立公園のほとんどは私有地なのもこのことによる。ましてやフットパスとして整備したものなら、通行は意味もなく恣意的に制限できるものではない。地主として大きな看板を掲げて通行禁止を掲げるには相当な理由が要求される。土地はもともと個人の所有物として使用、処分、収益、の全権を有するものではない特別の共有財産である。国民の物である性格がある。会社や、個人が、自然の一部分を専有するのは中世の貴族による狩猟地の温存にも匹敵するもので、僅か1週間の狩猟の為に11か月間人々を立ち入り禁止にするのは許されることではない。誰もが利用出来てこそ人類共有の自然の姿としてただしい。この件は、歩くという人間の本質との関係や、イギリスのフットパスの抵抗運動を含めて、改めて報告することとしたい。

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