只見線、青春キップの旅(2015.1.6~7)

user-pic
0

記録;勝巳

seisyun15-3.jpg

また、この季節恒例の青春切符の旅。今回は、只見線沿線の本格的な豪雪地帯を行く。宿泊も自炊と徹底する。何しろ只見線の冬は篤志家しか近づかない日本の僻地。すべてを含めれば2日で720Km、16時間30分乗り換え9回の列車の旅は変人奇人の領域。

seisyun15.jpg青春切符は5枚つづりの為参加者数により切符購入が難題。結局いったんはチケット屋で購入したものを再びチケット屋で高い手数料を取られ処分して、何とか4枚を確保。 改札は1枚の切符で入る。湘南ライナーの宇都宮行は理由不明だが混んでいる。池袋を過ぎてやっと座れる。これなら、上野から行くのも検討に値する。ぶつぶつに切られた東北本線を何度かの乗り換え郡山に着く。東北もこの辺りはまだ雪もない。
これが会津若松になると様相が一変する。周囲の畑も野も山も雪。会津若松は郡山と地理的に離れているだけでなく気候も相当違いがある。会津若松からは鉄道が新潟方面に行く磐越西線と、会津鉄道が日光へ向かっている。さらに只見線がある。
seisyun15-5.jpg只見と聞いただけで、私は緊張する。長閑さなど微塵も感じない。只見線沿線の浅草岳、鬼が面、守門、太郎助、大倉、朝日、猿倉、貉が森などのかって苦労した深く厳しい山々からの連想だろう。
只見線は会津若松と小出の間、132Km、37駅。主として会津と越後の国境を走る。地図で見ても、山、また山。日本の背中である。峠でも、会津八十里越、六十里越と何とも長大な本物の峠だ。平行して国道が走ると軽く見てはいけない。冬季は全面通行止め、唯一只見線が村々の生命線をつなぐ。山は厳しく災害の巣のような路線である。現に今でも数年前の洪水で橋脚が3か所で流され、会津川口と只見の間の鉄道は断線し連絡は細々とマイクロバスでつなぐ。もともと越後と会津の交流は困難を極め、特に冬季は人間は立ち入ることができず雪解けの5月を待つ以外に交流はできないところだった。そこに、金山町に鉱山が、また、只見川には10を超えるダムが作られ、その建設のために、線路は作られた。全て戦争の副産物である。今回の被害を復興するには86億を要し、復興しても年3億の赤字が出るとの試算がある。考えてみれば、随分幸せの少ない路線ではないか。けなげですらある。通学の高校生が居なければ、乗客は、青春切符の数名。2両の時代遅れの客車が、息を切らせながらよたよたといく。トンネルと、急峻な崖沿いと、鉄橋とまた山の中を繰り返して、キハ40系車両の汽笛は悲鳴のようだ。雪は駅さえ隠している。どこがホームか線路か区別がつかない。人家などほとんど見当たらない。小出までの132Kmの間で地元の方を見たのは通学の高校生を除けばたった一人であり、しかもかなり小出に近づいてからの事だった。車中は静まり返っている。此のどんよりした厳冬期の雪空の元、埋め尽くす雪の中で人は押しつぶされ黙する以外に方法はない。ただ、ひれ伏し、恐れ、言葉とてない。只見川が右に左に変わるたびに、冬の濃い色をした満々たる自信に満ちている川が雪に囲まれて出現しては消える。急斜面は雪崩の跡がいたるところに見え隠れする。
seisyun15-6.jpg
宿は、湯治専門で食事はないが、地元の人たちの日帰り温泉にラーメン類だけの食堂が付随している。設備は村で持って、運営は村人が協同組合を作っている。
夕方からの雨で客は私達だけ。6時を過ぎて閉店。温泉は飲むとうまいのが自慢。茶色い塩辛い温泉だ。土産物など何もない。第一近くに人家はない。前が只見川。後ろは山。周りは雪、日がくれれば絶海の孤島。ただ寝るだけ。夜中、雨が雪に変わった。早朝からの除雪が大変だろう。
翌朝駅まで送ってくれた宿泊先の運転手が、帰り際に「汽車がなかなか来なかったら、電話くれればまた迎えにくる」と変なことを言う。この路線では、この季節は汽車が時間通りに来ないことなど当たり前なのだ。又宿に戻り、改めて駅に行くこととなるのだそうだ。9時の次は14時。ここまで列車がないと痛快で豪快ですらあり清々しい。
途中の田子倉ダムでは山菜取りに入り山道に迷って送電線保守の道をダムの湖畔までやっとたどり着きながら、そこから先に道はなく遭難死していた悲惨なケースがある。送電線の保守要員は船で対岸に渡り、船が無ければその道は行き止まりになるのだ。こんなことはアメリカのコロラド高原のパウエル湖にある話だ。アラスカのユーコン川の雪解けの時の話だ。対岸に人跡を見ながら、戻る力も方法もなくなり飢えて亡くなる。そんな湖が日本にあり、その名を臨時とはいえ田子倉という駅名にしているのが只見線だ。
汽車は、越後山脈を越える会津六十里越えに入る。平行する道路は冬は閉鎖。唯一只見線が頼りだ。トンネルのたびに鳴る汽笛は鳴りっぱなし。列車が巻き起こす雪煙で窓の外はほとんど見えない。やっと、越後に出て、大白川駅に着くと思いのほか只見よりも雪が多い。そのはずだ、ここは魚沼郡。新潟でも特に雪の多い山沿いの地域でなにしおう豪雪地帯だ。越後山脈を越えれば雪は少ないなどと全くの思い込みだった。
小出駅についても、只見線ホームは別世界。そこまでの通路も薄暗く狭く、人気もない。屋根にカラスが止まって動かない列車は3分の2が雪の中だ。
小出から上越線で水上へ。途中のスキー場は見る影もなく廃れている。雪があって、ゲレンデのロープウエーは動いているのに人はいない。スキー場目当ての豪華なリゾートマンションにも人の気配がない
水上を出て10分もすると景色は一変する。青空に太陽が輝き、白い雲がゆっくり流れて赤城も榛名も、野山も眩しく光の中にある。今までの風景とのあまりの段差に現実との混乱が起きて理解がついていけない。なんという不公平だ。この違いはなんだ。この中に生活する人たちの思いはどんなに大きな差異があることだろう。雪の故郷を後にして晴れやかな太陽の世界で宰相に迄上り詰めた人の、あの仇をとるような激しい心情は理解できるような気がする。どんな議論があるとしても、これほどの格差はないだろう。雪の只見線を乗って初めてこの現実を理解できたように思う。沖縄も、関東平野も、只見も日本だ。紛うことなき日本だ。
次回青春切符の旅は華やかなところ(ただし私の基準による)もいいかとすら考えている。

  • 日程
    • 日時 2015年1月6日(火)――7日(水)
    • 集合 JR横浜駅中央改札口 6時30分(みんな一緒に改札を通ります)
    • コース
      • 1月6日(火)乗車時間約8時間
          横浜駅発6時48分(湘南新宿ライン宇都宮行)――宇都宮着9時15分(9時32分発東北線黒磯行)――黒磯着10時23分(10時27分発東北本線郡山行)――郡山着11時30分(11時41発常磐西線会津若松行)――会津若松着13時00分(13時09分発只見線会津川口行)――早戸着14時41分――(宿の送迎)――宿着15時
        宿泊 早戸温泉「つるの湯」0241-52-3324。1室2人 [自炊だが食材のみ持参でよい。ただし簡易食堂併設有。朝食なし] 一泊4350円  駅までの送迎あり
      • 1月7日(水)乗車時間約8時間30分
        宿発7時30分――早戸駅発7時46分――会津川口着8時04分――連絡マイクロバス(この間は鉄橋流失の為不通。バスによる代行運転)――8時15分発――只見駅バス着9時05分(列車9時30分発)――小出着10時43分(11時07分発上越線水上行)――水上着12時39分(12時56分発上越線高崎行)――高崎着14時01分(高崎発14時14分湘南ライン小田原行)――横浜着16時29分――改札口を一緒に出て解散
    • 参加者 勝巳(リーダー、記録、写真)。憲治(会計)。
    • 持ち物 防寒対策。温泉入浴品、非常食(パンなど2食分程度)ホカロン。テレモ
        ス。サングラス、手袋、常備薬4日分(列車不通時対策)懐中電灯。携帯電話。等
    • 費用  宿泊5000+青春切符2日分4740円=約1万円
  • トラックバック(0)

    トラックバックURL: http://kenhai2100.com/cp-bin/mt/mt-tb.cgi/1415

    コメントする

    カウンタ

    月別 アーカイブ