No.193 山辺の道・柳生街道(奈良旅行)(2007.10.31-11.3)

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【第1日】(2007.10.31)

Yamanobe_0.JPG(記録担当 孝儀)

 二俣川農協出発は、チョット遅れの7時10分。7時30分には東名横浜ICに入り、天理市までの運転は、安全第一の安田さんにお任せ。

 車中は、先ず全体の行程計画、留意点の説明そして車中はリラックスタイムへ。早くもビール、おつまみでワイワイ談笑開始。

 2回のトイレ休憩を入れ、10時45分には豊田JCより東海海岸方向に走る、大きな刈谷SAにて40分間の昼食休憩。満腹?になり11時30分に刈谷SAを後にする。

 車内の男性は、「綾小路きみまろ」になりきって「きみまろ漫談集」を叫ぶ、聴く人、読む人大笑い。心理状態解説クイズなどで更に一笑い。

 マイクロバスは、伊勢湾、多くの吊橋、港湾施設、大工場を越え快調に伊勢湾岸道路を進む。資料にて「山之辺の道、柳生街道、当尾、伊賀上野」の見所スポットの説明で、早くも心は奈良へと直線移動。

Yamanobe_1.JPG 亀山、伊賀を通過し上野で12時30分。本日の予定では、天理の宿舎には午後6時の到着。それでは、世界遺産;法隆寺などを訪れる時間が充分にある。急遽、法隆寺の勉強に全員集中。

 午後1時に交通渋滞も無く天理市着。ここで、ナビの謙司さん登場、法隆寺南大門前に1時20分に到着。

 中門を通り、2時間かけて五重塔、大講堂、金堂、夢殿そして中宮寺を巡りながら聖徳太子か、紙幣の世界に埋まる。40数年前の中学の修学旅行で、確かにここに来た筈だが、全く記憶がない。一生懸命解説文に食入り感激するも、健忘症か?高齢化か?脳内の恐ろしい現実の一面をも透けてきた。

 1時間走り、聖徳太子とも縁が深い明日香村;蘇我馬子の墓とも言われる石舞台古墳を見学したところで日没。

 柿、みかん、惣菜、アルコールなどの買い物をしながら天理の宿舎へ6時10分到着。

 夕食、入浴、懇談しながら10時ごろ就寝。今日はどんな夢を見るのやら。

  • コースタイム(着/発)
    二俣川農協前(/7:10)......横浜IC(7:30)......足柄SA(8:20休憩)......遠州豊田(9:45休憩)......刈谷SA(10:50/昼食/11:30)......伊勢湾岸道(11:40)......名阪国道;亀山(12:10)......天理IC(13:00)......法隆寺・中宮寺(13:20/15:30)......明日香村;石舞台古墳(16:20/16:40)......買い物......天理市宿舎(18:10/)

 

【第2日】(2007.11.1) 曇り時々小雨

Yamanobe_2.JPG「山之辺の道」

(記録担当 勝巳)

 7時30分出発し早朝の橿原神宮に立ち寄る。広大な敷地の神社森は雨上がりの朝もやの中に深閑として玉砂利の音のみが響く。明治20年代の国力疲弊時の造営とは思えない規模である。拝殿の奥深く緋の袴の巫女が三人ゆっくりと舞を奉納している。神社の灰色にくすんだ桧皮葺を支える赤い柱列の間に優雅に舞っている。ただ神を恍惚のなかでたたえている。突然のかしわ手に現実に引き戻される。驟雨が通りすぎて行く。

 山の辺の道は取り付きが分かりにくい。今回もなんとか大和川を渡る附近まで到達できたが、ここまで来れば仏教伝来の地の碑が建立さている出発地に近い。もっともほとんどの人は鉄砲の伝来地は知っているが仏教の伝来のこの地を知らないが。

 すでに同じ道を行くらしい老人の団体が先行していたが金谷の石仏や、海柘榴市でどうにか振り切る。こんな静かなところが揺籃期のこの国の要衝の地として賑わいを見せていたのだ。隋の時代607年。多くの危険を冒してはるばる大海を渡り瀬戸内海を航行し、大阪湾を経て大和川を遡上して都に近いこの地にやっと上陸した。聖徳太子の命で隋から帰った小野妹子が隋の様式による軍楽隊と飾り馬75頭をもって盛大に迎えられたと日本書紀に記録があるのがここである。

 今、まさにその地にいる。ちょうど私達はそれから1400年後の今日同じ道を辿り都に向かおうとする。出発地ですでに奈良の持つ歴史の威厳に圧倒され息をのむ。遣隋使が遡行した大和川が僅かな水量しかない川となっているのが一層いにしえに思いを馳せさせる。

 わが国最古の神社である三輪明神(大神神社)は秋の祭礼であった。小雨の中、近郷近在から多くの人が集まり、先生に引率されて神社の境内を騒がしく小学生がはしやいでいる。古代から最も聖なる山とされている三輪山はこの神社の境内から登るのだが入山時間があって、有料で「衣服を整えて登ること、飲食は禁ずる」とさすがにご神体の山である。見る限りは、登山道は木の根が錯綜しているがかなり良い道に見える。茶店や売店があるが、遊び心をくすぐる無料の奉納酒の試飲場所が見当たらない。記紀にも登場する最古の神社は秋の大祭に古代もかくあらんと思うほどにぎわっていた。

 やがて道は、ゆるく起伏し、木々に囲まれ、大和平野を左手に見下ろし、ところどころの古墳と思しき丘や、ため池を巡りながら小雨煙る玄賓庵に10時30分着。歩き出して1時間30分経過。ひっそりと人の気配も無く、平屋の建物の塀に囲まれた寺院は品格に溢れている。まさに道はここを直角に曲がって進む。桧原神社には11時につく。三輪山がご神体だから神殿がない神社だ。境内に複雑な三つの鳥居が建つのみである。

Yamanobe_1.5.JPG 景行天皇陵は鬱蒼たる森と、神秘を漂わせる堀に囲まれている。裏側はすぐに名もない別の古墳で、このあたりの起伏は全て古墳のように見える。ともかくヤマトタケルの父親であるというなんとも遠い神話の天皇である。行く道は細く秋の雨に濡れて寒い。崇神天皇陵、これは大きい。12時30分着。記紀にも「はつくにしらすすめのみこと」として記載があり、初期の大和朝廷を作り上げた天皇だ。さすがに見事な現役の天皇陵であり、宮内庁所管との看板のある正面から見学する。入り口の陵管理所の職員が気楽に談笑しているのがなんとなくホットするほど周囲は緊張感に満ちている。全員ほとほと空腹となる。早速、憧れの本場の三輪そうめんを食べるために、待たせたあった車で10分ほど戻り高級レストラン「三輪山本」に直行する。予約なくも全員が座れる。ここはそうめんの製造工場直営で本場中の本場だ。そうめんに柿の葉寿司がついて800円ぐらいとかなり安い。

 再び食後に山の辺の道に戻り立派な山門を擁する長岳寺に13時40分着。なにしろここも空海が824年に建てたというとんでもない名刹なのだ。釈迦三尊などの重文も多いが恐れ多くも、1151年ごろの仏様も「重文が多い」と一括くくりの扱い。奈良はかえすがえすも身震いするほどの深遠なところだ。山の辺の道は、これでもか、これでもかと重い民族の歴史が大波のように寄せてくる道だ。境内には薄暗くそうめんと墨書してあるが客はいない。

 衾田陵は誰かの天皇の奥さんのものだが忘れた。無理に古墳に近くにより道を外れて細い土手でぬかるみに難渋する。さらにこの道は小さな人影の無い集落を幾つも過ぎ、また、田畑を横切り、森を抜け、枯れ野を見て、くねくねと、悠然と続いている。柿が今が盛りと実る見渡す限りの柿の村だ。イチジクも立派に完熟していて100円で10個もある。村人から買い求めて食べながら歩く。奈良の古道歩きの醍醐味だ。途中、溜池のそばの農家で柿を売って貰い、道に座り込んで食べ、家に送る手配をする。一箱2500円。この農家のオバアサンには以前来たときもお世話になったがずいぶん歳を取っていた。

Yamanobe_3.JPG この辺の農家はとりわけ豪邸が多い。何でこんなに大きいのか、何人住んでるのか、どんな仕事をしているのかまったく理解できない。それにしても白壁や、黒々光る甍や森を背景に点在する広大で重厚な農家は、柿や驟雨によく似合う奈良の風景を成している。

 この道は雲低く垂れ込める幾重の山や丘に囲まれてまさに古代につながる。神代の空間にいて誰もが心静かだ。

 人影もない竹之内環濠集落は家々が特にどっしりと立派だ。戦国の時代が生み出した自衛の集落風景で、ため池を兼ねた大きな堀に集落全体が囲まれていた名残がある。

 生まれてはじめて無花果の畑を見た。山の緩やかな斜面に見渡す限りだ。こんなに出来てしまえばどうするのだろうと他人事ながら心配になる。だいたいイチジクが林のようになっているのが許せない。なんたる風景だ。

 秋の雨はやんでいる。夜都伎神社までは純朴な田中の道だ。道標を探しながら我々は三々五々奈良を体いっぱいに受け入れて歩いている。左手は朝から引き続いて大和平野が薄日の中でしっとりと伏せている。道を一部省略して神社から再び車で、石上神社に向かう。山の辺の道もさすがにここが終点である。大きな境内には神の遣いの鶏が放し飼いされていたが、寒いのか灯篭の下にみんなで固まっている。崇神天皇や、神武天皇の名が出てくる由緒ある神社であるが、いささか疲れ、寒くもあったので、参拝の後早々に引き上げ天理教本部を見学し宿舎に帰り着く。午後5時30分である。明日は柳生街道を歩く。今日よりも道は長そうだ。明日の出発に備えて準備をする。  それにしても今回は孝儀さんの事前研究、謙司さんのナビゲーター、伊久枝さんの会計、恵美子さん邦子さんの車中行事、記録を担当する幸子さん、宿舎手配の三貴也さん、運転の安田さんと全員の最適のスクラムの旅だ。きっと明日もいい旅が出来るだろう。時たま薄日射し天気も快復してきている。

 今回ゲスト参加の三貴也さんの友人の恵美子さんが入会希望をしたのもこの雰囲気のなせる業だろう。大歓迎だ。一緒に山に、旅に、楽しく健康なときを過ごそう。

  • コースタイム(着/発)
    天理宿舎(/7:30)......橿原神宮......三輪明神(大神神社)......玄賓庵(10:30)......景行天皇陵......崇神天皇陵(12:30)......三輪山本(昼食)......長岳寺(13:40)......竹之内環濠集落......夜都伎神社......石上神社......天理教本部(17:30/)

 

【第3日】(2007.11.2)曇のち晴

Yamanobe_2.5.JPG当尾(とうの)(浄瑠璃寺、岩船寺)、柳生街道、笠置寺

(記録担当 幸子)

 5:30起床。昨日は雨の中を歩いたので気になり外を見ると、まだ暗いが雨は降っていないようで一安心する。身支度の後、部屋の掃除を済ませ6:45朝食。

 7:30 2日間お世話になった天理教宿泊所を後にし、マイクロバスで浄瑠璃寺に向かう。途中、窓越しに日本瓦屋根の立派な民家が立ち並ぶ部落が見える。

 8:20浄瑠璃寺入り口に着く。9:00公開のため、先に当尾の石仏を見ることにする。当尾は奈良奥山が緩やかな丘になって裾を落とすあたりに町がある。当尾の石仏は消えた寺の跡に残された磨崖仏や石仏で東に岩船寺、西に浄瑠璃寺がある。昔はその間に随願寺という大寺があったが兵火で建物が焼かれ祀られていた石造物が取り残されたもの。

 見て歩いた石仏‥‥藪の中三尊(地蔵菩薩、観音菩薩、阿弥陀如来座像)・首切地蔵(当尾の石仏で最古のもの)・大門石仏群、竹林に囲まれた静かな道を歩く。

 9:00大門磨崖仏(坂道の途中から谷へ下って行くとすぐ上の崖に高さ6mの岩に彫られた阿弥陀如来座像で当尾で最大の石仏)・西小(にしお)の焼け仏・たかの坊地蔵・無縁地蔵・道路脇の高みに・阿弥陀如来座像が彫った岩があり、大きな笠石を載せている。

Yamanobe_4.JPG 9:50浄瑠璃寺に着く。浄瑠璃寺は当尾の美女をまつる極楽浄土の寺。山門を入ると目の前に池があり、池を挟んで西に本堂、東に三重塔が建っている。本堂の九体阿弥陀如来像を拝観する。微妙な表情があり、優しく語りかけているようで心が和む。池の向かいに木々に囲まれて建つ桧皮葺きの三重塔。紅葉が少し始まり池面に映る庭園が美しい。

 10:20浄瑠璃寺から岩船寺に向かう。出口で「丁石」を見る。丁石は浄瑠璃寺の参道入口から道沿いにある笠塔婆で一丁毎に浄域に近づく感動を味わえる。水呑み地蔵(地蔵の傍に湧水がある)を通り、右手に田圃が広がる小雀の小道に入る。本当に狭い道。

 10:40一鍬(ひとくわ)地蔵(崖の斜面に大きな岩があるが、何が書かれているのか判らない)小雀通りを抜け、四ツ辻の所に阿弥陀如来像と地蔵菩薩像を彫った石がある。

 11:00岩船寺に着く。山門を入ると正面に三重塔が建ち、右手に本堂がある。本堂で住職さんのお話を聞き、阿弥陀如来座像、普賢菩薩騎象など拝観する。岩船寺は紫陽花の名所としても知られ、四季折々の花が楽しめる古寺。平成15年に建て替えたばかりの朱塗りの三重塔は木々に覆われ、紅葉には少し早いが緑に映えている。

 岩船寺の入口に戻り、リーダーが先に予約してくださった美味しい草餅とお茶をいただく。この辺りには野菜、漬物、果物などを吊るした無人のスタンドがある。

 11:50マイクロバスで円成寺に向かうが時間の都合で寄らず、柳生街道に入り、12:15大柳生で車を降りる。

 脇道に入り少し歩くと、山の裾に田圃を見下ろすように瓦屋根の民家が立ち並び、長閑な田園風景を味わいながら畦道で昼食。昨年好評を得た奈良名産の柿の葉すしの詰合せを三貴也さんが手配してくださり、美味しくいただく。

 12:40柳生街道を歩き出す。広い田圃の中の道を暫く歩く。坂を上がり民家の間の道を歩くと柿が鈴生りで熟しているが鳥も食べないで沢山落ちているのをあちこちで見かける。

Yamanobe_3.5.JPG 13:10南明寺に着く。堂内は非公開のため休憩する。おふじの井戸を通り柿畑、竹林、田園風景と柳生の里が一望でき、上空では鳶がゆっくり羽根を広げている。なんとも爽やかで気持ちが良い。やがて急坂の山道を上り、疱瘡地蔵を通り、更に上がると杉林の薄暗い道にあけびの実がたくさん落ちている。

 この道は大柳生と柳生を結ぶ旧道で、東海自然歩道で道がよく整備されていて歩き易い。

 14:20国道を渡り、薄暗い木立の中の曲がりくねった道を進み、14:40巨岩をご神体とする天之石立神社に着く。神秘的な雰囲気が漂う。その奥に7m四方の巨岩が真っ二つに割れた「一刀石」がある。新陰流の開祖、柳生石舟斎が修行中に天狗を一刀のもとに斬り捨てたと思ったが実はこの岩だったという。道を戻り、15:00芳徳禅寺に着く。柳生の里を見下ろす高台にあり、宗矩が創建した柳生家の菩提寺。本堂の裏手には一族の墓地がある。

 15:30マイクロバスで笠置寺に向かう。途中立派な民家がたくさん見え、遺跡の発掘調査のため青いシートが何ヶ所にも敷かれている。

 15:45笠置寺に着く。山頂の巨岩が進行の対象とされた笠置山。その中腹に広がる笠置寺は山岳修験行場として、また弥勒信仰の寺として有名。山門をくぐるとすぐに弥勒大磨崖仏の大きさに圧倒される。千手屈・胎内めぐり・ゆるぎ石・二の丸跡とめぐり・貝吹岩がある所から笠置の町が一望できる。紅葉には少し早いが春は桜、つづじ、秋は全山紅葉の名所でライトアップもされる。

 16:20夢絃峡温泉「鶴の家」に向かう。深い山の道を下り、笠置の町に出る。民家の中の狭い道を走り、木津川橋を渡って木津川沿いに細い一本道を走ると、道幅が更に狭くなったので、これ以上進むのは危険だとYIさんが判断した。リーダーが鶴の家に連絡すると、マイクロバスでは絶対に無理だと言われ、急遽バックして安全なところに戻ることになる。YIさんの慎重な運転と男性方の的確な誘導で無事安全な場所に戻ると思わず一斉に拍手と歓声があがる。宿からの迎えの車に大きなバッグなどを積み込み、手荷物だけを持って夕暮れの道を歩いて17:20鶴の家に付く。

 鶴の家は山奥の一軒家で夢絃峡の巨大な岩山上に木津川の流れに面して立っている。昭和の初めは舟下りで栄えていたが、その後ダムができたため、今は静かで春は山桜、新緑にうぐいすの声、夏は避暑、秋には全山紅葉が楽しめる。今は所々で少し色づき出している。

 孝儀さんの歩数計によると、今日は30,000歩弱だそうでよく歩いた。温泉で汗を流し、18:40夕食。大広間で鴨鍋を囲み、鶏ささみの刺身、柿とぶどうのデザートをいただく。

 

 20:00男性の部屋でミーティング、その後、女性は部屋に戻り、おしゃべりをして旅の最後の夜を楽しみ22:30就寝する。

  • コースタイム(着/発)
    起床(5:30)......朝食(6:45)......天理教宿舎(/7:30)......当尾の石仏(8:20)......大門磨崖仏(9:00)......浄瑠璃寺(9:50/10:20)......一鍬地蔵(10:40)......岩船寺(11:00/11:50)......大柳生(12:15) ......柳生街道......南明寺(13:10)......天之石立神社(14:20)......芳徳禅寺(15:00/15:30)......笠置寺(15:45/16:20)......夢絃峡温泉「鶴の家」(17:20/入浴)......夕食(18:40)......ミーテイング(20:00)......就寝(22:30)

 

【第4日】(2007.11.3)

夢絃峡温泉「鶴の屋」⇒伊賀上野⇒二俣川へ

(記録担当 三貴也、美奈子)

 風呂に行こうと誘われ時計を見ると4時、外は真っ暗、離れにあるお風呂に向かう。約20mジグザグと玉石造りの階段を下る。自動点灯する外灯は20秒程で消えてしまい、月明かりもない闇の中を足裏で階段を探りながらやっとお風呂場に着いた。室内電灯のスイッチは手探りで探すがわからない。半分諦め帰ろうと外に出た時、勝巳さんが外壁にあるスイッチを探し当て、やれやれとほっとした。湯は浴槽に音をたてて注がれていた。母屋に戻り出会った宿の人に事情を説明すると、「こんな時間にお風呂に入る人はいないと思っていました」。私たちは変人か?こちらにしてみれば、湯が出ているなら数個の電灯を灯しておいてくれてもいいのにと思った。6時まで布団にもぐりこみうとうとする。

 朝食まで散歩。緩やかな流れの名張川の川面からはゆらゆらと霧がたちのぼり、対岸の景色が写しだされている。宿は山奥の一軒宿、昭和初期に開業した佇まいは立派。訪れる客は、春の新緑と桜、夏は避暑、秋は紅葉、等々か?若人が嬉々と楽しむ環境ではない。そして、釣り人か?時々ピシャーと魚が跳ねている。釣り具のないことが残念とYIさん。食事をした部屋には1m程の草魚の魚拓が飾ってある。

 8時宿を出発、バスまで500m散歩気分で歩くが、はく息は白く手は冷たい。伊賀上野に向かい163号線に出る。8時30分芭蕉翁の生家を訪ねる。今は、資料館となっているが「松尾」の表札が掛っている。展示品の説明を聞き、裏庭にある数本のバショウノ木と句碑を見学した。

 芭蕉翁の生家に程近い上野公園に向かう。伊賀上野城はコンクリート造りに改築され味気ない佇まいで遠目で見物すれば十分である。城の周囲をめぐらす高石垣は、日本一といわれるだけあって迫力がある。

 伊賀流忍者博物館には、忍者屋敷、忍者体験館、忍者伝承館がある。忍者屋敷は伊賀市高山より移築、復元したもので、忍者の住まいでした。屋敷には、重要書類を守るために「どんでん返し」「刀隠し」等さまざまなカラクリが造られている。ピンク色の衣装を身につけた女性が実演して見せてくれました。誘われて孝儀さんが「どんでん返し」に挑戦し、忍者顔負けの身のこなしにおほめの言葉がありました。

 忍者体験館は手裏剣等の忍具約400点を展示しています。試行錯誤を重ねたと思われる忍具には驚きと同時に緊張した忍者の日常生活がつたわってきました。忍者は独特な服装、俊敏な身のこなし、数少ない道具を駆使して、その任務を果していたと思っていましたが、道具の種類やその用途は想像もしていないものばかりでした。広場では、貸衣装を着た子供をビデオに収める家族や外国人が奇声をあげてはしゃいでいる。

 今回の奈良旅行最後の訪問先・伊賀上野を10時20分出発、昼食は少し遅くなるが焼津魚センターでいただくことになる。途中、刈谷サービスセンターで休憩し、13時20分焼津魚センター到着。土曜日の昼食時間帯とあって混雑している。安田さん推奨のマグロ丼の店は運良く空席があり、訪れた全員が同席出来た。皆さんお土産を購入しバスに戻り、予定通り14時15分出発。車内行事は、勝巳きみまろさんの漫談で大笑いした後は、歌詞が「あ」で始まる歌を3組みに分かれて競うが決着のないまま次第にルールがなくなり、文部省唱歌、童謡と懐かしい歌で楽しむ。

 最後の休憩・鮎沢サービスステーションを15時30出発。車内では、皆さんから奈良旅行の感想と参加費4万円の中から数千円の返却がある旨会計報告があり、16時30分二俣川駅に到着。解散。

  • コースタイム(着/発)
    鶴の屋(/8:00)......芭蕉翁の生家(8:30/8:45)......上野公園(8:50/10:20)......刈谷SA(11:30/11:45)......焼津魚センター(13:20/14:15)......鮎沢SA(15:15/15:30)......二俣川駅前(16:30/)......解散
  • 参加者
    三貴也、美奈子、孝儀、多摩江、善右衛門、恵美子、勝巳、才美、伊久枝、謙司、恵美子、以上計11名

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このページは、akirafが2007年11月23日 09:29に書いたブログ記事です。

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