サロンNo.28 "大磯の文化に触れるサロンハイキング"(2009.1.10)

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Oiso_1.JPG (記録担当 晋)

 前日の大雨も上って朝から快晴。駅の裏からすぐに住宅の間の急坂を上る。前の海が朝日に映えて美しい。春を感じるような山道を行くと、もううっすらと汗をかき、小休止して薄着になる。関東ふれあいの道に出て、アップダウンを繰り返しながら進む。途中、鎌倉のヤグラに似た「楊谷寺横穴墓群」(20穴からなる7世紀頃の墓とか、県指定の重文)や「十郎の硯水」(曽我兄弟ゆかりの伝説)などを見学する。

 雨で少し湿った落葉を踏みしめながら歩くこと約1時間半で最初の目的地、湘南平(179.0m、別名千畳敷)に着く。平日なので人影はまばら。展望台(TVKテレビ塔)に上る。眼下の相模湾の海岸線をはじめ、富士山、丹沢、箱根の山並みが一望でき、大パノラマが展開して見あきない。雲間から見える富士山は印象的で桜やつつじの名所としても知られる(かながわ景勝50選)。少し早いがお弁当を開く。サラダ、リンゴ、キンカンなどを頂き、楽しい一時を過ごす。

Oiso_2.JPG 午後は関東ふれあいの道を尾根沿いに進み、先ず浅間山(181.2m)に行く。浅間神社の隣に一等三角点があり、特にお願いして勝巳さんの丁寧な解説を聞き、今日一番の収穫(?)となる。八俵山を経て高麗山(167.3m)へとコナラの林の中を進む。高麗山は広重の東海道五十三次の浮世絵にシンボリックに描かれ、立派な樹林(一部は県指定の天然記念物)が残る。山頂(大堂)で小休止の後、女坂を下って高来神社へ。江戸時代までは高麗寺に属し、明治の神仏分離によって高麗神社となり、のちに高来神社と改称した。土地の人々は高麗の権現様と呼び、4月の春祭りに開かれる植木市は有名。ここで山歩きは終って史跡めぐりに変る。

Oiso_5.JPG 参道から国道1号へ出て右折、化粧坂の先で旧道に入り、「化粧井戸」を見学。曽我十郎の恋人、虎御前がこの井戸水を化粧に使ったという伝承が残る。隣に水準点があり、再び勝巳さんに解説をお願いする(感謝)。この先で旧道はJRの地下道をくぐる。松並木は続き、道の上に大きく傾いた松もある。右手に「江戸見付」(江戸側の大礒宿入口)、広重の浮世絵「大磯 虎ヶ雨」の案内板が並ぶ。およそ300メートル先で旧道は終り国道1号と合流、今度は国道1号を右折して直進する。「日本の海水浴場発祥の地」(碑)、「新島襄終焉の地」(碑)、「湘南発祥の地」(碑)、「小島本陣跡」(碑)など、文学・歴史にゆかりの深い史跡・旧蹟を回る。途中には藤村や吉田茂お気に入りの和菓子屋・新杵、手焼きせんべいの店、井上蒲鉾店など古いお店があり、おみやげを買った人も......。

Oiso_6.JPG 最後に西行法師の歌「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」で名高い「鴫立庵」をゆっくり見学、俳諧道場は現在も続いているとのこと。

 「島崎藤村旧宅」は残念ながらパスして大礒駅に向かい、駅前で解散する。山歩きと史跡めぐりを1日で味わい、とても得をした感じ、リーダーに感謝。

  • 日時 2009年1月10日(土)
  • 参加者
    三貴也、多摩江、晋、善右衛門、恵美子、勝巳、才美、伊久枝、邦子、幸子、以上計10名
  • コース概要
    大磯駅(9:05)――楊谷寺横穴墓群(10:00)――湘南平(10:35?11:35)――浅間山(11:50)――高麗山(12:20)――高来神社(13:00)――大磯宿跡――鴫立庵(14:00--14:30)――大磯駅(14:45)

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このページは、akirafが2009年1月24日 09:05に書いたブログ記事です。

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