No.222 野沢温泉に泊まり飯山を訪れる飯山線・小海線の旅(2008.12.24-25)

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Yuzawa-02.jpg(記録担当 才美)

 猛吹雪の中を背を丸め、ふらつく足に、襟をかき合わせ雪を払う越後の豪雪に挑戦と意気込んで、ビールで前途の困難に闘うべくカンパイして上野を出発したが「トンネルをぬけると雪国」ではなく、陽気が立ち登り、のどかな冬日の田園風景。遠くの山に申し訳程度の雪らしきものがある。青空に白い雲。さんさんと降る陽光のもと何もない十日町の駅前に降り立った時など、リックを背負い、紙袋を下げ、雪靴や、重いコートの重装備の着膨れの一行9人は紛れもないホームレスの集団移動。

Yuzawa-01.jpg 天気がいいことに文句はないが、勇んで出てきた手前、格好がつかない。途中の駅で可能な限り立ち食いソバ、ダルマ弁当など猛吹雪で列車が立ち往生したときのため食いだめしているのにこの天気だ。

 今日の宿は野沢温泉の少し外れの高台にあったが、小さな温泉街でどこに行くのも散歩の範囲。側溝の位置は流れにそって立ち昇る温泉の湯気でそれとわかる。季節はずれの野沢温泉は静かそのもの。早速、宿から10メートルの無料の共同浴場に浸かりに行く。脱衣場は温泉に入りながら見えるので貴重品の安全管理は完璧。温度が熱すぎ、我々以外に人がいないことを幸いにジャブジャブ水を入れる。透明の実にいい温泉で、24時間は入れて、かけ流しで湯量豊かだ。オーストラリアから来たという家族ずれと一緒に足湯に入る。温泉街から特徴のある妙高山が夕日を浴びて思ったより近い。ここは北信なのだと実感させられる。温泉を出てからのビールは誰がなんと言おうと至福の時だ。遠い信州の外れまでローカル線に揺られやっと辿り着き、温泉に入り、いい年をして、青春キップで行こうという気の合うへんな仲間と年の瀬の忙しい人たちを尻目に飲むビールだ。何人かが持参したアルコールも加わりチョット食事前にが宴会に。つまみは大皿にいっぱいのご当地名産の宿で漬けた野沢菜のみ。これがいい。部屋は暖かく、後は夕食を待つのみ。

Yuzawa-03.jpg 夕食は、6時30分。野沢菜に、炊き込みご飯、岩魚の塩焼き、鮭、鍋物、なんだかいろいろ出たが飲みすぎたのか覚えていない。ともかく十分だ。またアルコール。旅の疲れもあってか8時30分には高いびき。老後は斯くありたいという見本みたいな幸せな寝息だ。

 翌朝4時というのにもうみんな目覚めている。養老院の朝の風景さながら。ある者は朝ぶろの温泉に、ある者は、野沢菜でビール。ある者はなんだか荷物をかきまわしている。

 8時30分宿の車で飯山に向けて出発。今日も期待はずれのいい天気。飯山へは、温泉街を下って北信の山々を千曲川越しに眺めながら30分で着く。来年咲く野沢菜は今年のうちに雪の下にしなければならない。千曲川のほとりに長く続く黄色い菜の花畑と、桜と、リンゴの花は遠い春の薄紫の雪山を背景にするのだろう。飯山への道はその春風と花の香を思い浮かべる道だ。訪れた飯山城址は小高い丘にある。眼下に千曲川。上杉謙信が信濃の武田信玄を攻める際の前線基地だ。ここで兵を集め兵糧の準備をし攻撃に備えたのだろう。銀杏の実がたわわに実っていた。城跡を出ると北飯山の駅を横切り30分もしないで寺巡り遊歩道にでる。

 飯山は寺の町だ。36もの寺が軒を連ねている。道行く人に聞くと「お城があったから」というがそれにしても多すぎる。隣りから隣りへ手が届きそうな距離に軒を連ねている。商店が連なるように寺が連なる風景は飯山らしく圧巻だ。どうも、信玄が攻めてくるときに謙信が寺を城壁にするという防御の側面を担ったらしい。その寺の中で妙専寺の17代の住職はレルヒ少佐に高田で一本杖のスキーを習い、長野に初めてスキーを持ち込んだ人でその銅像がある。今回省略したが真宗寺は島崎藤村の「破戒」に出てくる蓮華寺のことである。若い時にどんよりした雪の夕暮れの街でこの寺に出会った時、破戒はこの寺でなくてはいけないと思った。そのほかやたらに有名な寺が多くきりがない。どの寺も雪囲いが終わり、境内の小さな木にも雪の重さから守るための囲いが作られ大切にされている様がわかる。寺の並びとほとんど並行しているので適当なところで雁木も新しい「仏壇通り」に出る。飯山仏壇として全国に名を馳せている。そもそも飯山になぜ仏壇かというと、仏壇に欠かせない漆の乾燥が適しているというのだ。漆は湿度60%なければ乾かせない。飯山は、夏は高温、高湿で実に住みにくいところだから漆にはいいところなのだ。その上、雪の中で半年暮らす豪雪地帯と来ている。雪の間、産業としてこれほど高付加の産業はない。仏壇は高ければ5-600万円はするしろもの。安くたって100万円クラスは普通だ。材木からこんな付加価値が出せればスイスの時計産業に匹敵する。

  Yuzawa-05.jpg 仏壇通りから20分も歩いて飯山市伝統産業会館、美術館に立ち寄る。どこにも見られる立派な建物だがその隣の室内ゲートボール場には驚いた。飯山のイメージは冬の暗い空の下に黙然と横たわっている寺と仏壇の町であったはずだが。

 やがて飯山線も終わり長野から、しなの鉄道小諸行きに乗車する。小諸はいいところだ。交通の幹線から外れていまや観光から置き去りにされているらしいが、本当の良さは変わらない。一度はゆっくりと訪ねたいところだ。

 小海線は小諸を2輌で出発したのに途中、中込で1輌になってしまった。明日から冬休みになる高校生もおりて、我々の貸し切り。右手に期待した八ヶ岳は見えず、低く垂れこめた空からみぞれが降ってきた。枯れた冬の森に低く雲が垂れこめ、小雪舞う空は黒々と黙している。ここは1,000メートルをこす高原なのだ。みな無口になる。疲ればかりが原因ではないだろう。あの大きかった千曲川は源流に近く、細々と流れを保っているにすぎない。

 今回は、すべて始発の列車に乗り、終点で降りることとした。ローカル線は十分に座れるのだが確実に座れる安心は大きい。こうすれば事故もなく全員が行動を共にすることが容易になる。

 小渕沢からは何となく都会の風が吹くようだ。飯山線は原野、小海線は山野、中央線は集落。鈍行列車の乗客は共通している。この暮れにゆったりと目的もなく旅をする人か、地元の人がいくつかの駅を過ぎて何もない駅で突然下車するかの差はあるが、みんなそれぞれ違っていても何かを考えているようだ。特に夕暮れて車内が静粛を伴っているときは、そんな風に見えてならない。

 甲府を過ぎるころ暗くなり、町の光がゆっくりと窓辺を過ぎていく。来年もこのような旅に出る覇気が残っているだろうか。

 記録を書いている今日、奥信濃は雷も伴う大雪で荒れているという。冬の枯野も、千曲川も、温泉の村も、寺と仏壇の町も、小海の高原もみんな雪に染まっているのだろう。厳しい雪の生活が強いられる。

  • 日時 2008年12月24-25日
  • 参加者
    三貴也、孝儀、多摩江、善右衛門、恵美子、勝巳、才美、伊久枝、貞子、計9名
  • コース概要(列車乗車時間延べ14時間、乗換13回)
    1. 集合 JR横浜駅中央改札口 7時40分
    2. 第1日 横浜――東京――上野――高崎――水上――六日町――十日町――戸狩野沢温泉(宿送迎)
      宿泊 温泉民宿「麻屋」0269-85-2393
    3. 第2日 宿送迎――飯山城址――寺巡り遊歩道――仏壇通り――伝統産業会館、美術館――飯山駅――長野――小諸――小淵沢――甲府――高尾――八王子――東神奈川――横浜
  • 費用 宿泊8,500円、私鉄800円、入場料300円、青春キップ4,600円等で約15,000円

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このページは、akirafが2008年12月27日 10:40に書いたブログ記事です。

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