アメリカを考える(旅行記録雑感)

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(勝巳)

アメリカインデアンのことがいつも旅行中頭にあった。栄光のアメリカの歴史に葬られた残虐と、裏切り、殺戮の真実を忘れられない。突然荒涼とした砂埃舞いあがる不毛の砂漠になるとそこは必ずインデアン居留地だ。小さな粗末な古ぼけた小屋が点々としている。白い光の中で死んだように埃にまみれている。強靭で誇り高く、独自の文化を持ち、生まれ育った緑の大地の自然の民、それが本来のインデアンだ。

アメリカの白人は僅かな期間にアフリカから5000万人の黒人を輸入し、家族や、アイデンティティーや、言語の全てを奪い、絶望的に残酷な奴隷制に縛り付けた。この結果黒人は故国とて無く、仕方なく過酷な支配におとなしく従ったが、土地勘があり、誇りを持ったインデアンは、奴隷とされても、すぐに脱走し、反抗する為、白人は、民族としてのインデアンの皆殺しを画策した。そうすることで自分たちのほしいままにインデアンの土地を奪った。過酷な自然環境の居留地への移住を強い、数百キロに及ぶ徒歩での空腹と、寒さの「泪の旅路」を強要し、虚偽の数百の契約しておきながら、たった一件も履行せず、ことごとく破り騙し続けた。

私の子供の頃、西部劇で、悪いアパッチインデアンを殺す騎兵隊の活躍に声をあげて拍手していた。無知もここまで来ると滑稽ですらあるが。 いま、アメリカには四百万のインデアンの血を引く人がすぐそばで生活している。軍は寒さに震えるインデアンに毛布を支給した。天然痘の細菌を潜ませて。軍は敵を恐怖に陥れるために戦士でない女子供を虐殺した。ベトナム戦と同じように。

いわれもなく、軍隊に脅され、幼子や老人の手を引き徒歩で一族は、不毛の極寒や、熱砂の砂漠に追いやられた。反抗には強大な武力での皆殺しが待っていた。生き残ったインデアンは親子数代にわたり、自らを卑下し、ひそかに社会の外で僅かな政府援助でなんとか生きていく事を強いられてきた。言語ですら、強制的に幼児を収容し自らの言語を捨てることを強要、従わなければ厳しい罰則を科し、そうして共同体や、民族としてのアイデンテイを奪ってきた。いまだに、居留地のインデアンの収入は平均の白人の3分の一に満たないし、失業率は50%を越え、自殺者は2倍、絶望をアルコールで紛らわす中毒者も非常に多い。居留地の水道は半分もない。ましてや、下水道は、の環境を強いられている。

先住民を追い出した緑の大地に居座り豊かな生活をしている白人は、それを怠惰、無気力と云い僅かな罪滅ぼしの政府支給すら、一方で膨大な戦費に目をつぶりながら、税金の無駄使いと反対する。開拓者が、冬を越せなかった時、インデアンに助けられ餓死をまぬかれたサンクスギビングデーが本来は、インデアンに感謝すべき日なのに、そのインデアンを殺し、いつの間にか神に感謝する日にすり替える厚顔無恥は恥ずべきことだと思わない神経が理解できない。 ギャンブル経営で豊かなインデアン部族もいるという認識は何とアメリカ的単細胞なのか。実際は、オクラホマチェロキー族の居留地の例でもギャンブル収入は3%に過ぎない。不健全なギャンブル収入の先に何があるのか。そもそもこの不毛の砂漠は彼らの元々の故郷なのか。なんで、ギャンブル収入に頼る生活をしなければならないのか。僅かばかりの自由度を与える部族国家制度は、不満を和らげ、民族を分断し、現状を都合よく維持させる方法として有効かもしれない。でも本来は、あり得ないことだが、インデアンにアメリカ全土を返すのが筋なのだ。出来ないなら代わることが何かを謙虚に考えるべきだ。 一部インデアンの怠惰を責めることは正しい歴史認識を欠いている。 コロンブスの残虐なインデアン殺戮がやっと少しは分かりかけてきた今だから考えてもいいことである。

人為的な差別の激しい、貧富の差が大きく固定的で、少数民族の悲哀がこんなにはっきり現存しているのに、アメリカは、自由と平等と人権を守るという正義の味方として世界に君臨し、多くの戦争を仕掛けている。この産軍共同国家、宗教国家は自己繁殖を決してやめない。 少数の支配層と、大多数の貧困層が、巧みな虚構の中で安定しているかに見える。独立宣言も、女性や、貧困奉公白人(売買の対象になっていた)インデアン、黒人には関係ない。イギリスからの独立戦争も利権の取りあい、南北戦争も権益の収奪戦であり奴隷解放も経済活動上の理由にすぎない。

この美しすぎる大自然の中にいて、しきりに思うのは、虐げられた人達の恨みと怨念である。この事は、まだそれを知る子孫が現存する、つい先日の出来事なのだということを忘れてはならない。

次の書籍はアメリカを考える上で読みやすい参考文献である

インデアン居留地で見たこと      宮松宏至     草思社 

我が魂を聖地に埋めよ(上、下巻)   デイー.ブラン  草思社

アメリカインデアン悲史       藤永 茂     朝日選書

本当は恐ろしいアメリカの真実     エリコ.ロウ   講談社

学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上、下巻) ハワード.ジン あすなろ書房

ナショナルジオグラフィック2004年9月号 

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このページは、yoshioが2011年8月 3日 17:16に書いたブログ記事です。

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