2011年8月アーカイブ
(5月10日)火 晴れ、曇り
(記録担当 勝巳)
(5月12日)木 晴れ
ラスクルーセスのホテル発7時30分。晴れ。70号線で北のコロラド高原方面に向かう。ここから先はロッキー山脈の最南端の砂漠地帯で、この広さは遥か紫の山裾まで続き広大不毛の世界である。軍事基地や、ミサイル射撃場や、広島、長崎投下原爆の実験場でもある。軍事基地は日本のつもりで、入口にゲートがあり、金網越しに基地の建物が見えると思っていたら大違い。走れども走れどもどこにも基地の建物など見えない。基地であるとの標識が思い出したように道端にあるが、立ち入り禁止を示す鉄条網以外に何もない。途中、検問に出会った。親切そうな軍人らしき青年が丁寧な対応をしてくれた。この付近はテロ対策や、軍事機密を守るため厳しい監視と検問があると物の本に書いてあったので、緊張して身構えていたのに拍子抜けした。この6人はどう見てもスパイではないとすぐに見破られた。
(5月13日)金 晴れ
サンタフエ発7時、今日はあこがれのモニュメントバレーだ。何度も行き損ねていただけに、この旅の核心部分である。ガソリンスタンドがないというのでガス欠に注意する。
それにしても海抜2000mのサンタフェの朝は寒い、勇んで出発したが立ちどころに道にまよう。これ幸いと、3000mの春の雪の峠を越えて本物の田舎を走る。ロッキー山脈の南端を越えていることになるが、方向さえ間違っていなければ陸続きだ。どこかへは必ず着く。それにしても美しい。まるでスイスの田舎のような錯覚に陥る。森も、草原も、牧場も春にやっとなったかのように、全てがみずみずしいのだ。あの荒涼とした砂漠は何処へ行った。道端に残雪があり、遠くに4000m級の山が見え隠れする。むろん人間も、人家も見当たらない。すれ違う車も、この先は行き止まりかと心配になるくらい少ない。この旅の形が生んだ偶然の贈り物である。こんな道は、探しても見つからないだろう。
(勝巳)
アメリカインデアンのことがいつも旅行中頭にあった。栄光のアメリカの歴史に葬られた残虐と、裏切り、殺戮の真実を忘れられない。突然荒涼とした砂埃舞いあがる不毛の砂漠になるとそこは必ずインデアン居留地だ。小さな粗末な古ぼけた小屋が点々としている。白い光の中で死んだように埃にまみれている。強靭で誇り高く、独自の文化を持ち、生まれ育った緑の大地の自然の民、それが本来のインデアンだ。