アメリカ自動車旅行の最近のブログ記事

(勝巳)

  • 2011年5月10日(火)――5月20日(金)
  • 出発まで

    US-1.jpg度重なる打合せ、宿泊先の予約、HIS経由の航空券、レンタカーの手配、海外旅行保険、渡航認証取得等にかなりの時間と労力を要した。

    アメリカとはいえ、今回の様な手作り海外旅行は緊張する。10日間、しかも僻地ともいえる南東部のコロラド高原を中心にした自動車旅行。行き当たりバッタリの精神だけではこの年では心もとない。出来るだけ気ままに、しかも安全に、快適に、美しい所や、珍しい所を安く、少しでも多く見て回ろうと矛盾して、欲張った考えだったが終わってみればほぼ目的は達成した。

    (5月10日)火 晴れ、曇り

                      

    (記録担当 勝巳)

    • US-3.jpg集合 横浜駅YCAT 成田行きバス乗り場待合室 10時50分 YCATバス発11時――成田第一ターミナル着13時30分出発  5月10日16時DL284便 ロサンゼルス着5月10日9時30分出発にあたっての確認事項パスポート、ESTA(渡航認証許可書)、空港の盗難注意。両替。時差克服 共通経費100ドル集金 現地小銭用意デルタ航空持ち込み制限(エコノミー)三辺の和115cm以下。18kg以下
     

    (5月11日)水 晴れ

    US-7.jpgユマのホテル発7時30分 暑い。麦秋の緑の牧場を過ぎると、いよいよ本場のアリゾナの砂漠地帯。サボテンは砂漠に行けばどこにでもあるとは大いなる誤解。むしろ珍しいものだ。荒涼とした風景に人型のサボテンはなんだかいい人ににこやかに迎えられたように思える。ここはメキシコ国境に近くカッコイイ制服の国境警備隊に出会う。横に走る線路に貨物車が通り118両連結まで数えたがもっとあったらしい。ほとんどが、四角に梱包した牧草と、大きな牛を輸送中で、鉄道が昔のカーボーイの仕事をしているようだ。

    (5月12日)木 晴れ

    US-12.jpgラスクルーセスのホテル発7時30分。晴れ。70号線で北のコロラド高原方面に向かう。ここから先はロッキー山脈の最南端の砂漠地帯で、この広さは遥か紫の山裾まで続き広大不毛の世界である。軍事基地や、ミサイル射撃場や、広島、長崎投下原爆の実験場でもある。軍事基地は日本のつもりで、入口にゲートがあり、金網越しに基地の建物が見えると思っていたら大違い。走れども走れどもどこにも基地の建物など見えない。基地であるとの標識が思い出したように道端にあるが、立ち入り禁止を示す鉄条網以外に何もない。途中、検問に出会った。親切そうな軍人らしき青年が丁寧な対応をしてくれた。この付近はテロ対策や、軍事機密を守るため厳しい監視と検問があると物の本に書いてあったので、緊張して身構えていたのに拍子抜けした。この6人はどう見てもスパイではないとすぐに見破られた。

    (5月13日)金 晴れ

    US-19.jpgサンタフエ発7時、今日はあこがれのモニュメントバレーだ。何度も行き損ねていただけに、この旅の核心部分である。ガソリンスタンドがないというのでガス欠に注意する。

    US-20.jpg

     

     

     

     

    それにしても海抜2000mのサンタフェの朝は寒い、勇んで出発したが立ちどころに道にまよう。これ幸いと、3000mの春の雪の峠を越えて本物の田舎を走る。ロッキー山脈の南端を越えていることになるが、方向さえ間違っていなければ陸続きだ。どこかへは必ず着く。それにしても美しい。まるでスイスの田舎のような錯覚に陥る。森も、草原も、牧場も春にやっとなったかのように、全てがみずみずしいのだ。あの荒涼とした砂漠は何処へ行った。道端に残雪があり、遠くに4000m級の山が見え隠れする。むろん人間も、人家も見当たらない。すれ違う車も、この先は行き止まりかと心配になるくらい少ない。この旅の形が生んだ偶然の贈り物である。こんな道は、探しても見つからないだろう。

    (5月14日)土 晴れ

    US-25.jpgモニュメントバレーのツアーに参加。と云っても我々だけのツアーである。前日予約の現金払い一人60ドル。8時開始の約束の時間に遅れてボロ車が、やる気の無い先住民の女性案内人と一緒に来る。道は想像以上に悪い。もちろん舗装などなく、しっかりつかまらないと振り落とされる。暑さが増して、おびただしい砂埃だ。どんどんモニュメントバレーの奥に入っていくに従い、風景が一変する。

    (5月15日)日 晴れ

    曜日も日も分からなくなって、すっかり旅ボケした。昨日と今日は珍しく時間の余裕がある。

    US-33.jpgホテルを8時40分発。9時30分アッパーアンテロープキャニオンのツアーに間に合うように急ぐ。昨日のロアーと違いここは企業的に組織だっている。既に多くの観光客が次々に出るツアーの車を、列を作って待っている。流れ作業のようだ。適当に集まるとジープの様な輸送車が出発。すぐに砂の川底をもうもうと砂塵を上げて走りだす。

    (5月16日)月 晴れ、曇り

    ここまでの移動距離2047マイル(約3300km)曇り。晴れ。寒い

    US-40.jpgホテルの近くを早朝散歩。寒い。周辺は高級な住宅街に見える。庭に、子供の自転車やプールがあり、なんとなく生活のにおいがして、日本を想いだす。犬がたまに吠えるだけで、人影はない。小さなゴルフ場が隣接されて、遠くに街が見える。すぐ裏の赤茶けた低い岩山に朝日があたりだした。牧草の中に鹿がまどろんで夜明けを楽しんでいる。

    (5月17日)火  曇り

    US-55.jpg7時40分発。寒い。9時、ザイオン着。ユタ州の岩の公園、ガソリンスタンドもない、ザイオン渓谷。

     US-47.jpgまずは車を降りて次々に来るプロパンガスで走る無料シャトルバスに乗り終点まで。その先の沢沿いのトレイルを行き止まりまで歩く。途中、リスが顔をだす。見事な高山植物の花が崖ぷっちに咲いている。その先にこのバージン川の誇るナローズの絶景のポイントがあるらしいが、先日の雨による増水に加え水も冷たく、到底歩けないためここまでであきらめる。

    (5月18日)水 晴れ

    US-56.jpg8時出発。前夜、遅かったが、早く起きる。日本出発日の時間が朝早いので、本日中に帰国のための荷物の概略整理をする。ラスベガスを軽く一周してロサンゼルスへ行くために、砂漠に踏み入れる。とはいっても、道は7車線もある巨大で今までの田舎道とはまるで違い、周辺の風景も同じ砂漠でも自然とはかけ離れたものに見える。目的地に「ただ行くだけ」の便益一辺倒の道となる。

    (5月19日)木 晴れ

    US-61.jpg8時出発。レンタカー返し時点で全移動距離は約4480km。 日本の大部分を北から南まで移動したこととなる。KE002の飛行機は正確に11時30分飛び立つ。初めて利用したが大韓航空はサービスも機内設備も良い。

    成田着5月20日15時。バスで横浜駅へ。18時30分ごろ全員無事を祝って解散。疲れた。

    • 参加者6名勝巳、才美(記録担当)吉生、博子(運転、会計担当)憲治、貞子(運転、会計担当)
    • US-62.jpg総費用 約20万円弱/人(航空券、宿泊、レンタカー、入場料、食事等の全て)
     

    (勝巳)

    アメリカインデアンのことがいつも旅行中頭にあった。栄光のアメリカの歴史に葬られた残虐と、裏切り、殺戮の真実を忘れられない。突然荒涼とした砂埃舞いあがる不毛の砂漠になるとそこは必ずインデアン居留地だ。小さな粗末な古ぼけた小屋が点々としている。白い光の中で死んだように埃にまみれている。強靭で誇り高く、独自の文化を持ち、生まれ育った緑の大地の自然の民、それが本来のインデアンだ。

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