第56便 スイス山岳スキーレース Patrouille de glacier の巻(2010.4.23)

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SN56_2.JPG 「ブラボー、よくやったな。」

  「ここからはもう急がなくていい。岩がごつごつ出ているから危険だ。ゆっくりスキーで下りなさい。もう6時半をすぎているからな。」と、やっと辿り着いた峠のチェックポイントでアーミー服を着たスイス軍の1人が私たちに告げた。

 その台詞は、事実上私たちの敗退を意味していた。前夜0時にツェルマットをでて6時間半を経過し、ちょうど夜が明けてきたと SN56_3.JPGころで、マッターホルンの北西壁がシルエットとして薄紫の空に際立っていた。失望と落胆、たまらなく無念な思いがあのシルエットとして今でもわたしの心の中に刻まれてしまった。終わった・・・・こんなに呆気なく、10年以上も夢見ていた憧れのレースにやっと出られたというのに。(今年は最大枠の1300隊が書類通過、応募しても1800隊が書類で落選している。)相棒のアラン君が、精気が抜け切った緑色の顔で「僕のせいだ・・・・。」とポツリと呟いた。

SN56_4.JPG  パトロイ・ド・グラシエ(直訳、氷河パトロール)とは、山岳スキーレースの中でもっとも過酷なレースの一つといわれ、スイス軍隊によって2年に一度主催されている。主として、世界各国の山岳軍隊が参加するが、一般人への扉も開かれている。歴史のあるレースで第一回目は1943年に遡る。しかし、1949年に隊員のひとりがクレバスに落ち死亡して以来、レースは禁止されていたが、その後1984年に再開され今日に至っている。

SN56_5.JPG マッターホルンで有名なツェルマットから、ベルビエまで、全長53km、登り標高差3994m、下り標高差4090mを、3人一組でザイルを組んでいく。出発は夜中の0時であった。最初の600mは雪がない為、スキーとスキー靴を背負って駆け登る。通常3時間のトレッキングコースを私たちも約1時間で走破。

 このレースの為に、日本から"よっちゃん"こと佐藤佳幸君がやってきた。彼の経歴は多彩で、映像カメラマンであり、日本の山岳スキーレースの第一人者でもあり、世界中のアドヴェンチャーレースに出場している頼もしい仲間である。アイスランドの噴火騒ぎで飛行機がキャンセルされ、一時はもう出場は無理かと思ったものの、間一髪のタイミングでジュネーブ空港に到着した。

SN56_6.JPG  このレースの為に、まず基礎体力のアップとしてランニング、週2,3回の山スキー、4000m前後の高度順応、古い装備の買い替えなど、たくさんの時間とエネルギー、お金をつかって頑張って来た。友達や家族との夕食会なども一切止めて、トレーニングを優先してきた。大会前の2週間の炭水化物(パスタ・ジャガイモ、米など)を多めに取る食事方法にも気を使った。実は、年齢、体力的に、もうこの手のハードな山行に一区切りつけようという思いが私にはあった。この夢のレース、パトロイ・ド・グラシエーで餞を飾れたら最高だとおもったのだ。

SN56_7.JPG  4月23日22時・・・・・ツェルマットで、装備の最終チェックを済ませ、マッターホルンの見える軍が手配してくれたホテルのベットの上で休息をとっていると、"バリバリバリ"っと、ヘリコプターの音が聞え始める。横たわっていても、これから待っている過酷なレース展開を想像すると緊張して、そう易々と寝られるものではない・・・が、よっちゃんは余裕の爆睡状態。「さすが!笑」スイスを代表する重要な大会なので、夜でもスイステレビが空からスポットライトを照らしながらの撮影をするのである。

SN56_8.JPG 最初のスタート、22時、そして、23時、私たちがスタートラインに立ったのは0時である。出発の写真のように、この時間を選んだ隊は、ほとんどがアーミー(軍隊)で、装備からお揃いのウエアーなどみても、アーミー・プロフェッショナルである。 出発時間の選択を『これは、ちょっと誤ったかな?』と思った。このめらめらと沸き立つ男達の野性的エネルギーの渦が写真からも伺えるであろう。

 また、このレースは今年から山 SN56_10.JPG岳スキーレース世界選手権の一つに加えられた為、夜中3時に各国の山岳スキーのエリート達が出発する。通常一般参加者(大体、一般参加者は着ているものでわかる。"つなぎ"ではなく、ゴアテックスのウエアーを着て山の格好。)は、14時間から18時間かけてこのコースを完走するのだが、このエリート達は人間とは思えない速さで斜面を登り、氷河の上を突っ走る。

 ちなみに、今年の一位の隊は5 SN56_11.JPG時間58分で走破した。実際の話し、やり遂げられる自分の体力、精神力に自信がないとこのような過酷なレースに参加しないだろうから、アルピニストとしてこれに出るということ自体にステータスがあり誰もが一目置く。レースなど関係なく普通のレベルで山をやっている人達は、この53kmのコースを4,5日かけて山小屋に泊まりながら走破する(オートルート)のであるから、全工程6時間を切るタイムなど、神業としか思えない!!(もちろん、彼らはスポンサーが付いており、スキー靴からスキー板、ウエアーや、行動食、すべてにおいて世界最高最軽量レベルのものを使っている上、毎日並大抵のトレーニングではない。ちなみに優勝者は今シーズン200,000メートルの高度差を登っているそうだ。海からエヴェレストを25回往復しているようなもの・・・・。)

SN56_12.JPG  私たちの挑戦を振り返ると、最初のツェルマット(1600m)スタートを切ってから600mの登りは運動靴で駆け上がったのだが、すでにここで周りの隊のパワーにに驚いた。最初は一生懸命先頭集団に付いていったが、あまりにペースが速いので、このままだと後が続かないと懸念しペースダウン。水や、行動食、スキー、スキー靴など背負っているので肩にザックが食い込んできて、筋肉がパンパンになってくる。しかし、レース慣れしているよっちゃんは、どうにか前を行く集団について行こうと、彼のストックをわたしのザックの腰紐のところに結んで引っぱってくれる余裕を見せた。

SN56_13.JPG その後、最初のチェックポイント、Stafelalp (2200m)スタッフェルアルプでスキーを履く。(ここは、去年グレートサミットでチーズ撮影をしたところである。)手際がよく、何隊か追い抜く。次のチェックポイント、2600mのSchoenbiel ショーンビエルに向けてだらだらと600mの高度差を緩い傾斜が長々と続く。(ここは、去年のオートルートで最後に泊まった山小屋があるところ。)

SN56_14.JPG スイス軍の陣営がライトに照らされて見えてくる。その明かりが勇気をくれる。「やっとついた・・。死にそー。」周りの隊の速さに影響されて、私もアランもオーバーペースでここまで登って来ているが、私は苦しみながらも、まだまだやる気だけは満々であった。しかし、今思うと、体の小さいアランは、心臓も小さく、ずっと心拍数200を超えていたに違いない。ここまでの時点でかなり無理をしていたのだろう・・・・。 よっちゃんが、「2時間半経過」と大きな声で告げる。ここまでのタイムリミットは3時間なので、ここは無事通過!

SN56_15.JPG ここから氷河上を登っていくので、ザイルを組む。またアンザイレンの手際もよく、また数隊を追い抜いた。スキーを脱いだり、スキンをつけたり、ザイルを結んだりの作業はレース中何度もあり、手際のよさ・悪さで最終的に何十分のタイムの差が出るので重要ポイント。

  さて、ここからが運命の分かれ道。ここからTete blanche 3650mにむけて、氷河上の1000m程急勾配を登り始める。ヘッドランプをつけていても、山全体の景色など見えないので、どこをどう登っていくと次のチェックポイントにつくか見当がつかない。見えるのは、3人一組の前を行く隊のヘッドランプの明かりと、ピカピカひかっている空の星。しかし、どこまでが、ヘッドランプの明かりで、どこからが星なのか、見分けがつかない・・・とにかく、きつい登りが続く。どこまで登れば峠なのかがわからないので、ひたすらトレースの後を黙々と一歩一歩出すしかない。

 そうこうしていると、アラン君が遅れ始めた。アラン、よっちゃん、わたしの順で進んでいたのだが、よっちゃんが先頭に出て、ザイルで繋がっているアランをぐいぐい引っぱり始めた。水分補給するようアランに何度も声をかけ励ます。このような長い耐久レースはスポーツジェルや、バーなどのエネルーギー補給を小まめ(20分ごと)にすることが大切なのだが、高度順応をしっかり済ませているはずのアランは、何も口にすることが出来なくなるくらいへとへとになっていた。

 この彼の急激な衰えに私は驚いた。いったいどうしたというのか?!後ろから来る隊にどんどん抜かされていく・・・・よっちゃんはリズムをもどそうと、アランを引っぱる。それにもかかわらず、アランはもう前進できず立ち止まる。今度は、腕が痙攣してストックをうまく使えないという。

 でも、こんな3000mをこえた氷河の上で立ち止まっている場合ではない!風が出て来て、体感温度が下がり始める。かなり寒い・・・手袋を厚めのものに変える。歩みが遅すぎて体が温まらない。「これは、まずいことになったぞ・・・・。」それでも、3150mの陣営テントまでやっと辿り着いた。

 そこで、アランは軍の隊員にあったかい紅茶を差し入れしてもらい、軍医にメディカルチェックをされて、まだレースを継続できるか意志を確認される。まだ峠まで500mの登りが残っている。結局、励まされて続行する事にした。しかし、3650mのTete blanche まで、彼にとってこの500mの登りは、今まで経験した事のない地獄となった。

 風が出てきて寒い上、エネルギー補給を体が拒否し、今度は足が痙攣してきたらしい。それでも、よっちゃんはぐいぐい引っぱっていたが、もうアラン君はそれについていけるような状態じゃなくなってしまった。「もう、僕は駄目だ。もう限界を超している。」「地獄だ・・・」「死にそうだ・・・」と連発している。「もう、僕を置いて二人で行ってくれ・・・」といっているが、こんなところで仲間を置き去りに出来るわけがない。隊員は原則として10m以内に3人一緒にいなくてはならないのである。

 アランが、こんな事をフランス語で口走っているとは知らず、よっちゃんは、とにかく峠を目指してザイルを引っぱり続けた。少しづつ夜が明け始めてくる。振り返ると群青色の空に黒いマッターホルンがみえる。この峠につく頃には3時に出発したエリート隊がもの凄まじいペースでどんどん私たちを追い抜いていく。彼らを追うヘリコプターの爆音とスポットライトを感じる。

 アランは、彼らから発散している攻撃的で、剛健な、コンペティション精神の迫力に圧倒されて、ますますエネルギーが抜けていくようだった。しかし、レース後はケロリとしていたアランのこの肉体の衰弱は精神的な「逃げ」から来ていたと思われる。これでもか、これでもかとやられても、それに立ち向かい、跳ね返すくらいの心意気、大和魂、根性というものを、残念ながら彼は持ち合わせていなかった。(これが、結婚前だったら私は彼を旦那に選んだか定かではない・・・・これからの結婚生活に悪影響が出ないことを望む・・・・・笑。)

 私だって、オーバーペースで苦しかったのだ。しかし、わたしの『心』がわたしの肉体を支えたのである。よっちゃんも、高度順応がうまくいっておらず、この高所でかなり無理をしているのである・・・・彼は、レース後顔と足、手の指などの腫れが引くまで2日間もかかったのだから。

 さて、さて、やっと峠に着き、アランの顔を見たら緑色だった。精気が抜けきっている感じだ。それでも、ここからArolla アローラ(1986m)まではアンザイレンしたまま、約1700mの高度差のスキー滑走である。「まだ、いけるんじゃないか?!」と私は希望を捨てていなかった。考える暇もなく、出発!!「6時間経過」とよっちゃんが告げる。その時、ギョッとした。6時半までにアローラにつかなければならないのだ!!

 あと30分!!3人でザイルをつけたままの滑走は難しい。ザイルが下につかないようにゴムをつけているのだが、なんせ、噴火のせいでよっちゃんが2日遅れでこちらに到着したものだから、練習する間がなかった。ザイルがスキーに引っ掛かって、急ブレーキをかけたり、ポジションを代えたりしつつも、転ばないようにまずまずの速度で下っていった。しかし、いつも軽快な白兎のようなアラン君の姿はない。

 次のチェックポイントのBertol ベルトル峠3268m直前に、予想外の小さな登りが待っていた。シールを再びスキーに付けようとするのだが、手が凍えてうまく行かない。そんなとき、よっちゃんがさっと手伝ってくれる。なんとも心強い仲間である。

 そ・し・て、ベルトル峠到着した!!!!のであるが、結果は文頭に書いたとおり、この峠で6時半を過ぎてしまいタイムアウトで、ツェルマットからちょうど半分の2000mの登りと、1700mの滑走後アローラ到着時にレース途中放棄という結果に終わった。

  残念無念でたまらない。が、少なくとも今回は、隊で行動する難しさを学ぶことが出来たとおもう。苦い思い出も時と共によき思い出になるかな? 目指すは、2年後のパトロイ・デゥ・グラシエ2012??!!!

  【参考までに】プロじゃない方で、この山岳レースに出るなら、タイムアウトの危険を考えて出発を22時にしたほうがよい。ただし、早めにでると同日アローラ出発のミニパトロイ・デゥ・グラシエの隊がRiedmatten 峠からの下りの岩場のケーブルのはってある部分で毎年渋滞している。

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コメント(7)

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ゆきさんはじめまして。
山岳スキーレースすごいですね!
4月の第3週に、自分もオートルートスキーツアーに行っていました。
ツアー中にローザブランシュのあたりでヘリが何回も物資を運んでいたことがありました。何事かとガイドに尋ねたところ、近々スイス軍がツェルマットからこのルートを逆にたどるレースがあり、それの準備だと言っていたのですが、これのことだったんですね。

私のオートルートツアーは、今思い出してもよく行けたものだと思うくらい、本当に大変でした。
あのコースをほぼ逆走するなんてすごいです。お疲れさまでした。
これからも拝見させていただきますね。

ユキさん、軍隊が主体をなすレースだったのですね。
『氷河パトロール』の目的やアランさんの顔色が変色した背景をオボロゲナガラ理解できます。

何時も笑顔を絶やさないユキさんも、その時は形相を変え、自分をアランさんを追い詰めていたのですね。
衣食が足りて、恵まれた医療体勢の近くに住む私は、限られた常識で想像するだけで息苦しくなります。
でも、あの優しいユキさんが、更に深みをまして笑みを湛えながら、この投稿をして頂いた事が、文面の其処彼処に読み取れて嬉しくなります。

2012年、お二人と佐藤さんに素晴らしいゴールが待っている事を願っています。

⇒ NAOさん、

はじめまして。コメント、ありがとうございます。日程的に以前わたしのオートルートの記事にコメントいただいた掛札さんとオートルートをご一緒された方でしょうか?(違ったらすみません。)
その時期に入られたなら、お天気に恵まれましたね。あの美しく、険しい高い道をたどられたNAOさん、一生の思い出になったと思います。
また、ちょくちょくスイス便り読んでください。そして、この健康ハイクラブの非常に熱心な活動もご一読ください。わたしの記事がきっかけで、山の仲間の輪がどんどん広がっていくと、幸せです?。 

ゆきより

⇒ KOIKOIさん、

コメントありがとうございます。KOIKOIさん、レース中は私はアランを追い詰めたのではなくて、励まし続けたのですが、それを書くのを忘れていたようです。ハハハ 「もう、僕は駄目だ・・・」と言い出したとき、「アラン君!なに言ってるの?もちろん大丈夫よ!!私達は皆ゴールに辿り着けるに決まっているじゃないの!!」と、風で声がかき消されてしまいながらも何度叫んだ事か・・・。
もちろん、直面する自然の厳しさを相手にいつもいつもニコニコはしていられませんが、仲間の励ましの言葉と言うのは、精神的にかなり効果があります。手を、腰にちょっと支えでまわしてあげただけでも、どんどん前に進み始めます。
これは、目には見えませんが、手から出ている『エネルギー』の力だと思います。是非お試しください。
ゆきより


ゆきさん、苛酷な山岳スキーレースの様子、ドキドキしながら拝読しました。
周到な準備、待ち望んだレース、残念なリタイア・・すべて私の想像を超えるものだったでしょう。
きっと次回の挑戦を考えていらっしゃることと想います。
足弱の私は、「仲間の励ましの言葉」「ハンドパワー」の威力をたびたび実感しています。本当にありがたいものです。
57便のクロッカス、マーモットののんびり日曜日の様子、ほっとしました。

 最近あんまりちゃんとしたレースに出ていなかったのですが、BIKEを新しく買って、久しぶりにトライアスロンに出ることにしました。山スキーレースにもちょっと興味がありますが滑るのが、どうかな?登りは大丈夫そうですが・・・。
 今度海外のレースに出ようかとKさんと話をしてますが、海外に行くなら、やっぱり遠征のほうがいいなぁ。

⇒ 今田さん、

コメントありがとうございます。
「えっ?」今田さんは、足弱なんですか??ハイキングクラブは、自ら進んで足を鍛える為に参加されているのですか?それは、いい事です!仲間の励ましの言葉で、しなっていた心に元気の素が生まれますよね・・・・。何をするもの、「精神面」の影響というのはとっても大きいようです。

今田さんのいつものほんわかと優しいメッセージも、わたしのスイス便りのエネルギーの元です。ありがとうございます。

本当に、いろんなことが起こりますが、前向きでがんばりましょうね!!
お母様と、今田さんに、スイスからエネルギー送ります!! 

ゆきより

⇒ ハツさん、

コメントありがとう。
新しいBIKEを買いましたか?!それは、燃えてきますねぇ?。笑
トライアスロン頑張ってください。海外のレースというのは、トレールのような走りですか?モンブラントレールマラソンはどう??今年は日本人が100人以上参加するとか聞きました。
でも、遠征行くなら、私にも声かけてくださーーーい。次は、8000ですか?笑 

ゆきより

投稿者: yuki | 2010年05月14日 21:49

日時: 2010年05月14日 21:49

ハツ:
 8000mは人の金で行くか?70歳超えてから行きますよ(*^_^*)

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