ニュージーランド・トレッキングの所感

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夢の如き11日間

孝儀

 小学生時代の趣味は写真。その後、思い出したように写真を撮った。今回のニュージーランド遠征にも10年振りの一眼レフのシャッターを心ゆくまで切ってみた。

 仕上がった約400枚の写真を見ながらシャッターを押した瞬間を脳裏に鮮明に呼びおこさせるも、それを超えた感動が写真からは起こらない。不思議だ!!!

 私とって一年延期された今回の遠征は、暦より年末休暇が取り易く7月より年末の日程調整に心掛け、肝心の体力トレーニングは9月中旬より始める念の入れようであり、何か考えられない思い入れを感じていた。

 ネガを追っていく。12月20日会社、成田、フライト、オークランド、クライストチャーチ、クイーンズタウン空港と順調な行程・・・普段の旅感覚で写真が写されている。

 クイーンズタウンの街、チョッと素晴らしい、でもヨーロッパのリゾートとも捉えられる。ウォーク・ガイドオフィスにてトレッキングのガイダンスを受け21日も暮れた。

 いよいよ、ミルフォードトラックへ出発、バスにてティアナウへ、そして船でティアナウ湖を上るうちに真近に迫る景観を眺め、グレードハウスに到着後、周辺の散策、そして日本の山小屋では考えられぬ快適の居住性とフルコースのデナーに感心。

 2日目16キロ先のポンポローナ・ロッジへと実質的なトレッキングのスタート。ファインダーは、「クリントン川とシダ・苔・大木の密生する森林そして幾筋もの滝が流れる渓谷」をとらえ、この自然の中に引き込まれて行く私の軌跡をも読んでいる。

 3日目マッキン峠を越えクインティンロッジの15キロ。ハイライトなるも厳しいトレッキングとの情報を得ていたので緊張して出発。私は、日本の山行では、周りの景色を楽しむと同時に「公私共々の懸案・雑念を自問自答」している。しかし、今日は違う!壮大な峠、渓谷を見ているうちに、この自然に感激、心はいつか無・空の世界へと引き込まれて行った。写真のコマ数は少なくなった。

 4日目は雨の中22キロをただひたすら歩く、心憎い雨の演出による幾条もの新しい滝・緑に映えた苔等々 雨がまた楽し!終に自然・絶景に圧倒され写真をとる気力を失った。

 この自然の中では、地元のワインがあれば、恵まれた絶景を肴に新たな世界をも味える。幸いにも、ワインの旅を並行して楽しめた。

 ミルフォードサウンド(フョルド)のクルーズでの写真を最後に、クイーンズタウンに戻り、感動と感激のトレッキングがゴールとなった。

 青空に栄えるMt.クックの写真が数多く見出された。ホッカー谷のトレッキングにて氷河の澄んだ青緑、ドドドーの轟音を立てる雪崩に驚きながらも無心でシャッターを切っている。

 クライストチャーチに向かう途中、Mt.クックと氷河・湖の調和に圧倒され定まらぬ構図の写真が目立つ。

 ニュージランド遠征を通じ、私は、雄大な自然に驚き戸惑いながらも理解し溶け込み、ワインとともに陶酔し、頭の中を真っ白された夢の如き、空白の11日間であった。

 良い想い出多き「ニュージランド」にまた挑戦しよう---

 

青・白・緑の国

多摩江

 ミルフォード・トラックとマウンテンクックのスライドを見せて頂いた時の鮮烈な思いがどうしても行きたいという気持に移行していきました。皆様にご迷惑をおかけする確率大なのにと自分をせめる。

 

 何だかんだと言っているうちにその当日になり、成田よりオークランドへと旅立ちました。国内線に乗継ながら、今日の最終目的地のクイーンズタウンへ。

 空から見たニュージーランドは、緑もあるのですが、私の目には、茶色の山並みが強烈に飛込んできました。何故、もっと緑多い国ではなかったのか? 後で分かったのですが、森林限界であったのです。

 クイーンズタウンの街は、まるで、絵はがきの様とたとえる以上のものでした。澄んだ空気、緑,清んだ水、何をとっても素晴らしいものです。ここで、こんなに感激していて、この先、どうしたら良いのでしょう。

 翌日、最初の山小屋グレイドハウスに向け、テアナウ経由で出発、グレイドタウンズから船でグレイドへ、その船の速度/時速60キロと聞き湖上を飛ぶ様なすさましさに納得しました。

 グレイドハウスに歩いて到着するとそこには、飲物が用意されていました。心憎いばかりですが、その美味しい事、これから各小屋で同じ思いをしました。食事もデザートも出る豪華さ、しかも味も良いのに驚きました。

 その後、翌日のコースのスライドを見ながら説明があったのですが、ニュージーランド英語が全くききとれず、カルチャーショックの洗礼を受ける事になりました。

 トレッキングの初日が来ました。ポンポロナ小屋に向かってクリントン川に沿って歩きました。前夜の雨で川が増水しており、所々で冠水して足の踝位まで浸って歩きました。数メートル下の地層が鉄分を含んだ岩石、水が浸透しないため、全部流れてしまう為、時間の早いうちにそこを通った人達の中には、膝上まで水があった様です。

 雨がコケとシダが多く自生する森を、輝く生き生きとしたものに変えていました。目が痛くなる程緑の奥深い美しさを体一杯に意識的に植えつけようとしました。言葉にならない素晴らしさです。本当に来て良かったと思いました。

 これから先、何回も思うのですが、ポンポロ小屋より1番のハイライトであり、難関であるマッキノンパス越えです。私は、足に恐らないで良い子でいてくれる様に心より頼みました。クリントン川源流の吊り橋を渡ると11回のジグザグの登りです。野草が私の不安とは裏腹に微笑みかけて頑張なさいと言ってくれている様に勝手に思いながら登って行きました。マウント・クック・リリーやマウンテンデージー、マオリオニオン、マウンテン・フォックス・グラブなど野草を見る余裕も出来ました。マッキノン峠のバスハットで昼食をとり、トイレに入り、そこから見るベストビューポイントの景色を見て、スケールが大きいのにまたまた感激しました。

 増水の為エマージェンシールートでひたすら下りました。途中で足の爪がはがれ気味になり早めに治療をしました。その時テアナウで買ったフットフリースが大変役立ったのです。という事でやはりご迷惑をおかけしてしまいました。でも無事クリントン小屋に到着しサザーランド滝まででかけました。滝の裏側にいったのですが、川に足はとられ、上からは滝のように水しぶきが落ちてくるはで、息も出来ず、どうなる事かと思いました。体験出来た事は、うれしかったです。

 最後のサンドフライポイント迄のトレッキングです。一日雨でしたが、年間降雨量が5千ミリ前後という所ですので一日位雨で当たり前。雨ならの景観が又、いいのです。雨の中でコケやシダが自己主張しているのが手にとる様にわかりました。山の一番上から垂直に何筋も落ちる滝が出現していました。雨の中でもこんなに楽しみながら歩けることの発見をしました。

 サンドフライポイントに到着した頃には雨足も風もひどくなり窓をたたきつける様なのです。ミルフォードサウンド迄船がでるか不安でした。

 ミルフォードサウンドでの翌朝はボートクルーズです。氷河で削られた断崖絶壁を両側に見ながらクルーズです。ニュージーランド特有の横にたなびく雲が一層景観を見事なものにさせていました。

 クインズタウンで一泊し一路マウントクックへ。

 ミルフォードとは違い、山の傾斜が緩やかに感じられ、氷河湖のトルコブルーの水の色が、空の青とマッチして、どこまでも透明な吸い込まれるような景色でした。

 ヘリコプターで氷河の上に降りたった時には足が震える位、大感激しました。そこで雪合戦。氷河はあくまでも青く、人をよせつけない様な神聖さを感じました。

 翌日は、ミューラー氷河湖までのトレッキング。まず、ジキタリスのお花畑に喜んでいると、これは外来種で駆除対象との事。何だか寂しい様に感じる反面、その自然環境を守る為の徹底した姿勢に感服いたしました。

 朝から雲一つない好天に恵まれマウントクックが空に向かい、そそり立つりりしさが際立っていました。我々が来る前に降った雪で、更に空の青と雪の白のコンストラストをけがする事をゆるされないものの様に感じて、私の中の全てをはき出し、無にならざるをえない気持にさせられました。

 ミューラー湖で氷河を口に入れました。透明で硬く、日にかざすとダイヤモンドの様にひかりました。

 最後に思う事は、本当に来れた事を感謝する気持です。これも皆様と御一緒だったからと心より思います。感謝!!感謝です。

 ワイン、地ビール全て美味しかったです。そしてよく飲みました。

 ニュージーランドに後ろ髪を引かれる思いで別れをつげました。

 

ミルフォード・トラックとクイーンズタウン、マウントクック11日間

益美

 「次の会議は20日の金曜日はどうでしょう?イヤーそこは一寸都合が悪いのですが。では25日に。すみません年内もうずーと都合悪くて」と調整してきたこの旅行!

 平成6年12月と平成13年12月、そして平成14年12月、三度目の正直のニュージランド旅行。12月20日金曜日、仏壇に出発の報告をして、家を出る。

 21日無事オークランドに到着。空港の検疫検査で登山靴をスーツケースから取り出された時は、「エーツ、歯ブラシと爪楊枝まで使ってきれいにしたのに!」ハラハラしていましたら、無事クリア。事前説明会でのこの国がいかに自然を自然のままにする事に努力しているのかを、窺い知る場面でした。

 いよいよ憧れのミルフォード・トラックへの入り口の街クイーンズタウンへ。ツアーリーダーの小暮さんに迎えられ、ガーデンスパークロイヤルホテルはバラの花が咲き乱れる素敵なホテルでした。

 夕方、街の事務所でミルフォード・トラックのガイダンスを受け、4日間持参するシーツとプレゼントのフリースを受け取る。説明よりスグレモノのシャツとタイツに気を取られ、帰りに早速購入する。

 22日いよいよミルフォードへ。バスでテアナウに向かい、56グループ全員で記念撮影。ガイドのお嬢サン達の元気な事、私達が寒くてフリースまでしっかり着込んでいるのに半袖・パンツである。何が違うのかと今更ながらDNAの違いを思いしらされる。

 トレイルヘッド・グレイドへ到着後、早速サウンドフライ対策クリームを塗る。グレイドハウスまでの30分間、「お父さん、ミルフォードだよ。とうとう来たよ」と心の中で話し掛け、二人分見ようと一生懸命ジャングルさながらの景色を見ながら歩きました。

 夕食前、近くの森をショウート・ウオーク。色々珍しい木や花を教えて貰うが三歩歩くともう忘れている。

 鹿が好んで食べると言う葉っぱや笹の花に似たランの花、王冠のようなシダ出合う度に名前を教えて貰うが、中々覚えられない。ショート・ウオークの最後に吊り橋を渡る。高所恐怖症で高いのは苦手なのに、その上ユラユラ揺れるなんてもう心臓はパクパク身体が強ばって足が前に進まない。やっとの思いで渡り終えたのに、又、吊り橋を渡って帰るのだと。早く云ってくれれば渡らないで向こうで待っていたのに。明日のスタートがこの吊り橋渡りからと。眠れない夜になりそう。

 山小屋なのにテーブルセットされたフルコースの食事、ビックリである。56グループのメンバー紹介で私達は大きな古時計を合唱し、大変好評だった。

 いよいよ実質的なスタートを控えての興奮と緊張で眠れない耳にザーざーと音を立てて雨が降っている。この雨いつ止むのだろう大丈夫かなと思いながらウツラウツラする。

 朝、まだ小雨が降っている。昨夜の雨で山小屋の前のクリントン川は増水してゴーゴーと流れている。この増水した川に掛かっている吊り橋を渡るのかと気を重くしながら、洗面所へいったら、又、ビックリ!外人さんが足首まである青いサテンのガウンを優雅に着て「グッドモーニング」と元気良く挨拶してくれる。エーツ私達は出来るだけ荷物を少なく少なくという事で、着のみ着のままに近い状態で寝たのに「何だこの優雅ないでたちは!」文化?の違いを感じた次第です。

 記念撮影後いよいよ出発。小暮さんのリュックの紐を持たせて貰って後ろをついて渡るのだが、小暮さんの歩幅は大きく、へっぴり腰の私とはスピードが合わず、かえって下を向いてしまい、ゴーゴーと流れる水面が見えて、心臓が口から出そうな体験でした。

 吊り橋以外のミルフォードは雨に濡れて木やシダの緑が光って、何ともいえない美しさでした。それと道中ずーつと滝の花が咲いているように、華厳の滝など目じゃないスケールの滝が幾筋も落ちていました。何と壮大で美しい事!ワーツ凄いねー!とでるのは感嘆詞ばかり。 とどめはサザーランド滝の滝の裏側巡りです。580メートルの高さから落ちる滝を裏側から見る絶景、ワーツ、キャーツだけです。

 もう一つのハイライトはマッキノン峠から見た景色だろう。世界一景色の良いトイレからの眺めもえもいわれぬものでした。

 日が差せば日やけ止めを慌しく塗り、立ち止まればサンドフライ予防のクリームを塗る忙しさ。でも日焼けもサンドフライも何のこそ、仲間と連れ立ってきゃーきゃー云いながら、小暮さんのジョーク・駄洒落交じりの真面目な説明を聞き、十二分にミルフォードを堪能しました。

 再びのクイーズタウンでは、地元の人しか行かないと言うショット・バーに連れて行って貰い、一抱えもありそうな大きな薪が燃える暖炉の前で美味しいお酒を飲み、南十字星を見ながら、ホテルへ帰ってきました。のんべー会の皆さん、小暮さんありがとう(^○^)

 マウント・クックでは何とヘリコプターに乗ってしまいました。高く上がった時、心臓が止まったらどうしょう等と心配しながら、好奇心には勝てず乗りました。案ずるより何とかのとおり、眼下の余りの美しい景色に恐怖は飛び散り,ただただため息ばかり!

 フッカー谷へのトレッキングは一日真っ青の上天気。ガイドの加藤さんもこんな良い天気は体験がないというくらいの上々天気に恵まれ、一日中、マウント・クックが雪と氷河をつけた雄姿を見せてくれていました。白い山と氷河湖の青さのコントラストが又、何と表現したら良いのだろう。

 ニュウジランドに比べ、日本は後世に自然財産を残そうとしていないと思った。良い物をじっくりと見、自然へのダメージを最小限にするため、入山制限は日本の山も見習うべきではないだろうか。こんな山の中なのにと思う所にトイレがあり、清潔に維持されていたのは、感嘆物でした。トイレットペーパーも完備しており、日本から持参したペーパーは靴の水分吸収材に使いました。

 旅行中、毎日ワインを美味しく飲み、私はこんなにのんべーだったっけ?と自分を改めて見直していました。きっと楽しい仲間と美しい景色がつまみになったんだろうなと、一滴も飲まない今、思っています。本当に楽しい11日間でした。皆さんありがとう!!

 

ミルホード思いつくまま(雑感)

テープレコードから、順不同

勝巳

  1. 成田出発時にバスの交通事故の遅れのため連絡を10時ごろする。急遽1時間早く横浜駅を出発。あせる。全員無事出発できる。此れだから安心は禁物だ。集合時間には間に合う。
  2. ミルホードを終わって、対岸に渡る船が3時と4時に出るが、強風のためでないのかと心配する。濡れていて寒い。刺す小さな虫が無数にいる。小さな船だが、大きな湖を難なく渡りきる。40分。ミルホードを終わって、湖の前のホテルに泊まる。PM4時。滝が、高く轟々と流れている。雨はやんでいる。静か。みんなの靴はビショビショ。乾燥室は満員御礼。完歩記念表を貰う。にぎやかなうちに夕食。
  3. 26日、雨具をつけて船でフィヨルドの観光。大きな船は朝9時出発。正確。雲がたなびいている。波は無い。「白く長いたなびいている雲」の国らしい風景。マイターピーク山。フィヨルドの奇岩の山が迫っている。狭いところは船がゆれる。デッキまで大きな波をかぶる。アザラシがいる。先頭の波除の影で強風にもかかわらず頑張る。山は、新しい。絶壁から、昨日の雨が滝になって無数に落ちている。寒い。4日間のミルホードが終わる。オーストラリヤのころころしたおくさん、いい人たちだ。スタッフのグレッチェン、初めしっかりした明るい人たちだ。大学を出た若者でこんなひとは、日本にいない。感心する。自分の仕事に誇りを持っている。写真の宝庫。ぐるっと回って、元に戻り、そこからバス。
  4. 27日、朝7時。湖のそばを散歩。モネの絵のような公園。カモメ。ちょっと寒い。広告、信号機、電柱、自動販売機、横断歩道橋が一切無い国。朝日が、実に鮮やか。見知らぬ不思議な大きな木が茂っている。美しい鳥の声が聞こえる。湖に波が立っている。
  5. クインズタウンの町は、おっとりした、観光の町。ベンチに誰もいなく、バラが香る。大きな建物や、うるさい看板は無い、静かで品のいい町。お土産屋が多いが、品物は、日本のほうが豊か。
  6. ワイナリーを見学して、マウントクックに向かっている。4ドルで4本の試飲が出来る。庭のテーブルでゆったりと時間を過ごす。観光用のもので、そんなに美しいことは無い。ヨーロッパのようなブドウ畑は見当たらない。土産のワインを皆で60本買う1本2000円程度。一括しておくることで、国内税金20%の割引がある。5本のワインを別にくれたので、今日の宿で皆で飲むことにする。20人ぐらいの乗れるバスは、変化の無い広大な牧場地帯をただ走る。運転手は、奥さんが日本人の割には愛嬌が無い。27日。果物を売ってる国道沿いの店にトイレ休憩に行く。アイスクリームはギュウギュウに詰められていて120円程度。いろいろな種類の果物がある。のんびりした店員。近所のおばさんか。昼飯は、自己解決。500円で十分。物価は安い。田舎。牛乳はそれほどうまくない。人が少ない。クリスマス休暇で一番混んでいるというのに。
  7. 27日午後。雪の山を見ながらコバルトブルーの湖と湖の間を行く。古い水力発電所がある。原子力発電所はこの国に無い。テカポ湖。バスのドアはかってに開く。危ない。雄大な景色の路を行く。自動車産業がこの国に無く、このバスも中古車。交通量が多いと説明しているが、まったく車が無い。今が季節的にも一番車の多い時だそうだ。普段は、30分に一台のすれ違いであるとのこと。正面にマウントクックが見え始める。一番先頭のいい席を交代するが、すぐに眠くなる。天気がいいので、眺めのいいところでバスを止める。マウントクックまで55K。山が迫ってくる。国道を外れると対向車はまったくこない。雪の山が、どんどん近づく。変わった見たことも無い白い長い、低い、雲が流れる。牧場の丘陵地帯のむこうに雪のやま。この国の典型的な風景が続く。湖はあくまでも青い。記念撮影。
  8. ホテル2軒のみのマウントクック村に着く。ハミテージホテル。一泊3万円ぐらい高級。4階建ての4階。一番良い部屋。旅行社の藤村さんが山側がとれたという意味がわかる。料理は自分で好きなものを取るバイキング方式。冷蔵庫の中には、ただの牛乳が入っていたり、金、かね、という感じはまったく無い。車が砂煙を上げて遠い地平線を豆粒のように走っていく。その先に立ちはだかる大岸壁の雪の山に囲まれている大草原。このあたりの羊の毛皮は、世界一だそうだ。4時20分ヘリコプターに乗るために集合。晴天。建物を、見えなくするために工夫をしている。ホテルの色も目立たない。ヘリは6人しか乗れないので3班に分かれる。料金は16500円程度。雪の稜線上に着陸。少し酔う。素晴らしいという以外に言いようが無い。飛び立つ時に足元が、急になくなるのはちょっと怖い。登山道は見えない。痩せ尾根でどこも歩けそうに無い。崩れやすい。快晴の谷になだれの音。ヘリの前の席は風が入る。へりの運転手が自分と一緒に写真を取らせて、一枚20ドルで売っている。案外雲助みたいだ。南極探検に雇われるほど腕はいいとのこと。6時45分から夕飯。その後、貰ったワイン5本を和夫さんの一人部屋で平らげる。指圧で悲鳴をあげている。12時ごろまでにぎやかだった。眠い。
  9. マウントクック、28日朝8時、晴れている。大きなケアが鳴いている。猫みたいだ。数羽で、遊んでいる。可愛い。だが此れが、羊を殺すと聞いて自然界の厳しさを改めて知る。専用のリーダーによりフッカー谷に行く。きれいなルピナス(日本のたち藤)を悪く言われている。ラッセルルーピンといわれ、狼のように一つの場所からどんどん群れを広げることからこの名がある。河のぎりぎりまで咲くので虫が寄り付かなくなり、魚も寄ってこない。バランスが崩れてしまう。日本でも同じこと。除草の対象。区画を決めて、係員が薬をタンク背負ってスプレーしていく。平坦な4時間の道。氷河の説明。氷河湖の氷の山が浮かんでいた。昼食。のんびりした晴天の一日だ。帰りに2時間程度少しより道をしてビューポイントに行く。静かな雄大な風景だ。のんびりと昼ね。初めての自由時間。
  10. セフトンから流れ出る稜線、マウントクックがすべて見渡せる。いい天気。青空。ニュージランドに動物はいなかったが、ヒマラヤからヤギと鹿を放したので、4足がふえハンテングを奨励している。免許を持っている人が近くにいれば免許無くても撃てる。なだれが滝のように落ちている。大砲のような音が谷に響く。皆が立ち止まり眺める。すごいスピード。氷河のなだれは密度が濃いので時速300K。雪はせいぜい80K。ホワイトホースヘルにつきトイレタイム。テントが張られている。ここまで自動車がくる。10時10分出発。
  11. 1913年3人の遭難慰霊塔。マウントクックを背に三角の構造物。国立公園になる前にあって例外的にたっているもの。現在は一切認めていない。このあたりは、80%は日本の客。タラメアの木が多い、ささるとかなり痛い。マウリ語。葉が横ひろがり。硬いので、繊維をロープにつかった。燃えにくいので火囲いに使ったり香水代わりに使った。昔マウイ人はブッシュに行く時に道しるべの匂いにつかった。にんじんの仲間。花は、ブロッコリー風。
  12. 釣り橋の手前に南アルプスを見る展望台がある。写真ポイント。ハダロストン氷河2000mが見える。アイガーと同じ大きさがある。氷河の切れ端の厚みは100mある。周りの大きさにごまかされる。ミューラ氷河。氷河湖。温帯地帯にこんな氷河は無い。
  13. フッカーバレーの釣り橋は50m。写真の絶景のポイント。80種類のベリーがある。実は食べられる。くがいそうの仲間。白い花。ヒービーという。この辺から植物の様相が変わってくる。モレーンだから。ほとんどこんな平地にモレーンは世界的にも珍しい。大きな岩。家ぐらいあり、氷河に押されて傷があり、スッパときられてる。氷河の話が続く。熱心に語る。今は、暖かい氷河期。解けて崩れている。サイクルを作って侵食の地形が出来る。足を示して説明が始まる。もぐりこんでる様子は靴を砂利に埋めて熱心である。崩れやすくモレーンは危険とのこと。
  14. ラージマウンテンデージーの説明。目玉焼きのような花。
  15. 第二の釣り橋。狭い右の崖にエーデルワイスに似た花がある。
  16. 12時。昼飯。雪崩が続く。すさまじい音。マウントクックリリーが咲いている。前は氷河湖。天気は晴天。あったかい。フッカー氷河の先端が青白く見える。白鳥のような氷河の断片。かなり巨大。トイレのあるところで休憩の後、ランチタイム。12時50分。湖畔。花の説明が続く。
  17. キャンプ場に下り、別働隊8人がケアーポイントに向かう。20分の行程。静かな野原に囲まれた展望台。雪の山。氷河。音もない。たまに谷にとどろく雪崩の音。朝は、12月28日。9時出発。マウンテンクックを見学。往復4時間。+ケアーポイント1時間。まったくの快晴。高原の爽やかな風。左側のサ、ナントカというきれいな山。落伍者もなし。最後の高原のところで草に寝転ぶ。空も、雲も静か。6時45分から夕飯。荷造り。あすの飛行機のために区分け。パスポート、航空券、かね、貴重品を確認。飲み代は割り勘。今日は、ホテルの庭で南十字星を11時ごろから見に行く。寒いだろう。はじめてみる人工衛星が早い、星の集団のスバル、天の川が見える。暗いのにケアが飛んでいる。鳴いている。不思議な鳥だ。
  18. 12月29日朝6時30分。食事はバイキング。高級なホテルだ。昭さんが元気が無い。どうしたのだろう。才美さんが右足を打撲。痛がっている。最終日だったので不幸中の幸い。バスで5時間かけてクライストチャーチへ向かう。そこからオークランド、昼飯は自由。安い、500円で十分。アイスクリームなど、2個も塊が入る。感激。小銭全部を枕銭に。別送品の税金申告の心配がある。8時出発。山の半分が雲。テカポ湖の横を走る。ちょっと、寄り道して、「善き羊飼いの教会」をおとづれる。湖の横の小さな石の美しい教会。近くに柴犬のようなシープドックの銅像がある。モーテルが少しと、平屋のホテルの観光の村。皆新しい。タスマニヤ氷河が美しい。快晴。モンテアロア。雲を突き抜けている。荒涼とした、周り全部牧場を行く。草は青くない。一面茶色。バス車両は大きなもので快適だ。どこまでも続くカンタベリー平野の風景、人っ子一人いない。乾燥している。水が無いことが欠点。スプリンクラーで牧草に水をまいている。コンピューターを使った最新の設備。競馬馬や、牛、鹿の牧場が続く。鹿の牧場は、柵が高い。バスは北に向かっている。天気と風景は、最後までいい。ついている。次に止まるのはジェラルデー。牧草の産地。バスの運転士はお互いにみんな挨拶する。気持ちがいい。大型バスが入れないところを、好意で特に入ってもらう。河を利用した、鮭の養殖場に立ちよる。河の向こうが広大な山の風景。
  19. ニュージランド中にあるという、子供たちを死なせないように100年前に母親の家(はりかね)制度をはじめたそうだ、じつにいい制度を聞いた。2月中にNHKで番組を放映するとのこと。
  20. 3時30分、クライストチャーチに着く。たいしたお土産屋は無い。
  21. 11時。眠い。明日は5時おき。うっかり寝ていると大変だ。レジオンホテルの名前をだれも知らない。押すとすぐに青になるのだが、信号がとても短い。車が危ない。教会の前にでる。ホテルは近い。カモメがいる。オークランドはヨットの世界一のレースの予選の真っ最中、ものすごいヨットだ。圧巻である。日本のヨットは恥ずかしい。
  22. 最後の朝、ホテルの近くを散歩。港が見える。紫の大きな木の花。町にゴミが無い。港の海の風が心地よい。
  23. やはり、別送品の税金は問題が発生した。やな、予感がしていたが。要は、日本国内の税金を、一括おくりにすると個人個人にかかる。一本130円ぐらいだそうで我慢してもらうほか無い。

 

求めていたものが

才美

 朝明けるのが早く 夜暮れるのが遅い 長いながーい一日 一日を良く歩きまわった10日間。この足に そして共に歩いてくださった皆様に感謝。

 未知なるものの発見の喜びと清々しい感動にみちた10日間であった。

 それは、豊かな自然が生み出す力であったり、人間のいとなみ、意志の力であったり。

 いま日本に帰ってきて、一番心に残り続けているのは何か。

 光をうけて微妙に変化していく深く静寂を守り続けている湖、きりたった断崖をつくりつづけているフィヨルド、雨に打たれじっと耐えている太古からの森、林、いまも動きつづけ轟音を発している氷河、内に底知れぬ何かを秘めているモレーン、目を見張るほどに輝くコバルトブルーの氷河湖、原始そのものの壁から流れ下る無数の巨大な滝、雪を頂く3千メートルの峰みねそして風に揺れ、冷たい雨に震え、明るい太陽に遊んでいる峰の花々、など数え上げられるが、その中でも私には特に植物の存在が忘れられない。

 説明書によればNZの原生林は5段層にわけることができる。

  1. 森の天井から飛び出している高い木
  2. 森の天井を形成する木
  3. 森の天井のすぐ下に生える木
  4. 背の低い木や草植物
  5. 地表に生える植物

 この層のうち 地表に生える植物の苔に強く魅せられ 心寄せられた。

 みずみずしく、やわらかく地一面を埋め、樹木に深く寄り添う。

 大きなふところだ。

 自然の中にあっては極微小な存在である私達をすべて包み込んでくれる。

 目をつぶってみる。自分が 空 無になっていた。

 もしかすると、このおおいなる自然のふところは、母のふところなのかもしれない。

 ゆるぎない強さの中でおさなごのようになって安息の時を得た。

  • 苔=Moss
    水ゴケが緑鮮やかで、きりっとした しかもやさしい姿で集合していた。
    もしその上に身を横たえることができるならば、清んだ歌を奏で ゆらゆらと眠りへ 夢へ誘ってくれるにちがいない。
  • アンブレラモス 腐った木にちょこんと生えている可愛らしいその名のとうりの苔だ。
  • ゴブリンモス  日本のサルオガセによく似ている。樹木にまとわりつき、その枝えだからもぶらさがっている。非常に多くの木に生育している。
    森に入るとその異形さに 人間を超えた働きがあるのかと感じてしまうほどの恐怖を覚える。しかし 見慣れてくると木々が本来の姿ではないいろいろな形をして 語りかけてくれているようにも思えてきた。
  • モウセンゴケ  沼地に柔らかい茶褐色で広がっている。食虫植物ではあってもここではただただ静かだ。顔を近づけると葉先に水玉のようなきらきらがあって確かな命をみてとれる。

NZの植物を マオリ人は薬用としても多用していたとのこと。

その中に身を置くだけでも何かもっと大きな力を得ていたにちがいない。

 

アオテアロア・・・白く長い雲のたなびくところ

伊久枝

 帰国してしまえば全てが思い出のニュージーランドになってしまうが、事前にそれほどの思い入れもなく、勝巳さんのお誘いにその気になって、いつのまにか出発の日を迎えてしまった私にとってニュージーランドは強烈な印象を残すこととなった。

 事前説明会や勝巳さんの懇切丁寧な定期情報メールにより、懸命に頭にインプツトしていたことは、ミルフォードトラックやマウントクックを無事歩き通すには...。半端でない雨降りを凌ぐには...。それらの装備に不備はないか...。ばかりで国の事情や国民性・文化・ライフスタイルなど蚊帳の外であった。

 しかし、実際にニュージーランドに行ってみて感じたことは、どこに行っても自然にその中に溶け込んでいる自分がいるということ。山であれ森であれ、はたまた街の中であれ、違和感やカルチャーショックがなく、当たり前のような気分なのであった。

 それなのに何が強烈かというと、大自然が与えてくれた国の財産を守るために国民が便利さを求めず、土着の動植物を大切に守り続けようという意識の高さに驚いたのである。

 人はえてして楽な方へ安易な方へ流れるものだが、地球の未来・人間の将来を考えた時、何が一番大切なものであるかキチンと認識しているということなのだろうか。

 仰ぎみるような大木が多いのは、個人の家であっても5メートルを越えた木は許可なしには勝手に切ってはいけないとのこと。(違反者は罰金を取られるらしい)

 直射があまり眩しくなかつたのも、そうした緑が多いことや高層建築物の乱反射がなかったからかもしれない。

 また、ミルフオードのような国立公園では管理・整備が徹底しており、一日の入山制限は勿論のこと、一枚の葉を採ったり、枝を折ったりしてもいけないし、トラツク上が浸水していても苔の生えた両端の高いところには上がらず、誰もが水の中を歩き、泥水でグジャグジャのところでもトラックを外さずに草木や苔の種の保護を考慮している。

 自生している植物は大切に扱い、外来種が害になるときでも空中散布といった手段は取らずに一つ一つに薬を散布する。

 道路網も、基本の道以外に幹線道を造れば近い・速いとわかっていても・自然を壊すより不便に甘んじるという。

 噂に違わずきれいな国、ゴミの一つも目につかなかったニュージーランドであった。

 そして我々の主目的である山歩きは...というと、これまた素晴らしかつた!の一言につきるとしか言いようがない。

 ミルフオードトラツクの見事さ!想像を越えた山々の連なり、その峻烈さ、至る所から流れ落ちる滝、水をたっぷり含んだ苔やシダの数々は幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 天気は晴天・薄曇り・大雨・小雨と、これまた様々な様相を作り出してくれ、最高の演出者でもあった。

 きわめつけはサザーランドの滝である。580メートルの世界5番目という高さを持つ滝の飛沫にあたり、寒さと怖さに震える思いであったが、もう何があっても怖いものなんて無いという気分であった。

 ミルフオード最後の日は土砂降りに近かったが、前日のサザーランドの洗礼を受けた身にはどうということもなく、皆黙々と歩を進めていたのが印象深い。

 トレツキングを終えてのフィヨルドのクルージングも、朝霧の中から次々に現われる壮大な景色に声もなく、寒さに震えながらもデッキに立ちつくしてしまった。

 ミルフオードのしっとりとした緑から一転して、頭に白い雪を頂いた山々の中で一際スッキリと聳えたつマウントクックを見て歩いた日は、抜けるような晴天であった。

 マウントクツクリリーやラージマウンテンデイジーも咲いており目を楽しませてくれた。マウントクツクの隣はマドンナピーク・フツトストール・セフトンと滅多に顔を出さないという山々がクッキリスッキリと姿を見せてくれた。

 氷河の層100メートルという説明も、肉眼では10メートルくらいにしか見えない距離で、突然発生した雪崩もいくつか目にすることもできたし、氷河の流出の後に出来たモレーンの上を歩いたり、削り取られた痛々しい山肌を眺めたりもした。

 だが、それらの美しさもさることながらフツカー湖の乳色がかった緑の湖面の美しさに魅せられてしまった。富士山と同じくらいの高さの山を間近に見ながらの湖との対面はなんと賛沢な時間であることか。

 様々な思いの山々に別れがたく、道の傍に、ザツクを枕に寝転んで眺めた時の気持ち良さ。ホテルに近い場所なのに人声もなく、なんと静かでのどかなことか、いつまでもいつなでもそこにいたい気分であった。

 それでもなお、一番私の心に焼き付いているのが"アオテアロア"である。 (マオリ語で......白く長い雲のたなびくところ(地・場所・国)......とのこと)

 入国以来の感動を胸に、全てに感謝し、山々にサヨナラし、帰国の途についた朝、緑色を増したテカポ湖と雪をかぶった山の中間に、得も言われぬような淡い色合の雲が長くたなびいていたのである。フィヨルドでも白く長いたなびきは目にしたが、この時の色合は、衣を通して微かに向こうが透けて見えるような神秘的なたたずまいであった。

 小高い丘の上から眺めたので180度切れることなく帯状に続いていたあの景色は、生涯忘れることはないだろう。

 

ニュージーランド・トレッキング 紀行

邦子

 2002年12月20日 念願のニュージーランド・トレッキング紀行が私の海外旅行の第1回目という記念すべき年となりました。

 成田からニュージーランド航空にて北島のオークランドへそこから国内線を2回乗り換えて、湖のほとりの美しい町クィーンズタウンのホテルに12月21日夕方到着、日没が夜の10時頃なのでとても長い初日でした。

 12月22日いよいよミルフォード・トラックへ、バスステーションで各国の参加者と共にバスと船を乗り継いで最初の山小屋グレイドハウスで1泊。 小屋のそばを流れるクリントン川に架かるつり橋を渡り始める―これからあと、何十回ものつり橋を渡ることとなる・・・心配。

 12月23日2日目。ミルフォード・トラックへのトレッキング開始。前夜の雨で水量の増したクリントン川に沿いながらのトレッキングは樹々のすべてがコケに覆われたブナの原生林で、おとぎ話に出てくる妖精の住む森という緑1色の美しい世界でした。歩きやすい道の両側には珍しい樹木や可憐な花々が咲いているかと思えば、巨大なシダやこけむした岩が色々な動物のように見えとても神秘的でした。2泊目の山小屋ポロポロナハットに到着、入り口にて美味しいオレンジジュースで歓迎を受ける。

 12月24日3日目。いよいよマッキンノン峠への登りです。山の斜面に咲く日本の秋明菊にも似たマウントクックリリーやマオリオニオンの花々が咲く姿が清々しく目に焼きついています。峠の上で風に吹き飛ばされそうになりながら飲んだ暖かいミロのなんと美味しかったことか。3泊目のクィンティン小屋へは強風に吹き飛ばされないように気をつけて急なくだりをひたすら下る。到着後すぐに世界五番目という巨大な滝、サザーランド滝見物に・・・滝つぼへは今まで経験したことのない台風のような中をくぐりぬけて行くという、なんとも恐ろしいものでした。

 12月25日。ミルフォード最後の日は朝から雨。雨具をしっかりとつけ荷物の大部分はヘリで運んでもらい、お弁当だけの身軽なザックを背に長い長い道のりを昨夜からの大雨で山全体が滝という高い山並みを左右に眺めながら小さな滝をいくつも渡り、必死になって歩くこと7時間。ようやくサウンドフライポイントに到着。嵐のような風と雨の中、船でミルフォードサウンドへ今夜の宿泊地マイターピークロッジでミルフォードトラック踏破証明書を頂きました、うれしかった!

 12月26日。ミルフォードサウンドのクルーズの後、クィーンズタウンへ。出発時のバスステーションに到着。ここで、各国の参加者たちとお別れ。その日の夕食を湖のほとりの中国料理店で頂き、食後夕暮れのクィーンズタウンを散策。

 12月27日朝。次のトレッキング地、マウントクックへ。雄大な景色を眺めながら一路クック山をめざしてバスは走る。到着後、天気が良いので空からヘリで氷河見物。雪渓に降りて素晴らしいクック山やセフトン氷河、フッカー氷河を眺めて歓声をあげる。こんな経験は初めてのこと、一生忘れることの出来ない思い出です。

 12月28日。目が覚めると窓のむこうは雲一つない晴天、神々しいクック山のピークが輝いていました。この日は一日中クック山に雲がかかることのない幸運な日となりました。フッカー谷へのトレッキングはミルフォードとはがらりと変わり、サザンアルプスを見ながら広々とした草原地帯で色々な花々が咲きほころんでいました。フッカー谷の最終地点の氷河湖に浮かぶ氷河の塊をガイドの加藤さんが取ってきてくれました。クリスタルのように光り輝く何万年も前の氷河のかけらを口に含み感激!

 このようなすばらしい旅行が出来たのも勝巳さんが2年も前からいろいろと細部にわたり計画を練ってくださったことに心より感謝しています。

 そして、素晴らしいツアーリーダーの小暮さんにありがとうの気持ちでいっぱいです。

 

ニュージーランドの旅を終えて

夏子

 本棚の上に、小銭入れほどの石が置いてある。これはニュージーランドから失敬してきた石だ。(小暮さん、ごめんなさい)

 マウントクックのフッカー渓谷ハイキングの戻りの時に、ガイドの加藤さんが「ここが今日、歩いた一番標高の高い所です」と話している脇で、勝巳さんが「夏子さん、一番高い所の石を記念に持っていきなよ、この石きれいだよ」と言って渡される。石に興味があったわけではないが、手を出しポケットに入れてしまった。(奥様、この件でご主人をお仕置しないで下さい。)あの時の私は、この大自然とも今日でお別れかと、皆の列から離れ、右にセフトン山、後ろにマウントクックを仰ぎ振り返りながら感傷に浸っていたのだ。

 今回は人に恵まれた旅だった。先ずは、健ハイグループ、勝巳さんご夫妻中心によくまとまっている。男性はワイン好きな大人達、女性達は飾り気がなくやさしい。気の小さい私も自然に溶け込む事が出来た。それにツアーガイドの小暮さん、クイーンズタウンの空港からずっと行動を共にし、いろいろ教えて頂いた。

 私も日本の山をよく歩くが、ニュージーランドの自然に対する厳しい管理をうらやましく思った。私の中で何かが少し変った気がする。

 そして、本棚の石を、いつかあのフッカー渓谷の一番高い所に戻してあげよう。自分が行けなければ外の人に託してでもと思っている。

 今回は本当に楽しい旅でした。

 皆さんどうもありがとう!

 

ニュージーランドで思ったこと

一朗

 つらかった事だけが記憶に残り、楽しかった事は忘れてしまう損な性格は自分だけだろうか。マッキンノン峠への登りから始まった雨は予想を上回る。これでもかと翌日夕刻までの二日間ただひたすら降り続く。峠の下りは快調に飛ばすも一泊後のサンドフライポイントへの道行きは才美さんと昭さんに引き離される。どこまで行っても追いつけない。才美さんの体力、気力はすばらしい。それが夫婦円満の極意かもと思いつつ。奥さん、この次に生まれ変わったときは是非私と結婚してください。などと私をソクラテスモドキにしてくれた妻への背徳の意識などさらさらなく、あらぬことを考えながらのろのろ歩く。

 雨は豪雨となって降り続き、ついにシリコンスプレー皮膜が破壊される。靴下が水浸し。こんなに雨が降るのは我が郷里、紀伊半島奥地とまったく同じ。杉、ヒノキを植えるとよく育つ。生態系保護と言うけれどジュラシックパーク様シダ類を守ることに意義があるのかと、浅学故の独り言。それにしてもこれだけ歩いて鳥以外の動物に会わないのは不自然。不自然さの自然がこの地の特徴。かの大戦に負けていて良かったとは思うも、もし勝っていればアングロサクソンに変わって我が民族がこの地を支配したかもと、ふと右翼チックな思い。人口一人当たり有効土地の国別比較を作ったとしたら我がアジア系はヨーロッパ系の5%にも満たないのではないか。欧州出張の都度見る着陸前の広大な農地牧場の景観はこの地も同じ。南北格差より土地所有の欧亜格差が国際問題の本質ではないか。人権を支えるのは土地なのだ、などとアカデミック風に思いつつ。それでも雨は降り続く。

 サンドフライポイントで船を待つこと一時間。小屋の外は雨。粗末なイスにじっと座りひたすら哲学的瞑想にふける。と言いたいけれど、何を考えていたのか思い出せない。実は何も考えないで船の到着をひたすら待ち焦がれていたようにも思う。いや先に着いていた外人さんたちを観察していたのかも知れない。これは間違い。我々が外人だ。英語は国際言語と言うものの、非国際的ネイティブとは発音イントネーションの違いで何を言ったかを即理解し合うのは難しい。どうでもよい会話で同じことを2度言い直すのはあほらしい。饒舌の東北人が東京では寡黙になるのと同じ心境か。英国系人以外のヨーロッパ人との方が意思疎通は易しい。彼らにとっても英語は外国語。考えてみると日本人を除いてアングロサクソン英語圏以外から来ていたのはあの若いインドネシア人女性一人だけだった。みんな英国系。単なる偶然か。ところであのインドネシア人女性とヤンキー男性の関係は?品行方正模範中年としては気にかかる。あのチェンマイ幼妻ハーレム玉本事件を思い出す。アメリカで一緒に住んでいるのかと思っていたが、住所録を見ると女性はインドネシアが現住所。自己紹介のとき何と言っていたか聞いてない。他人のことを詮索するのはマナーに反する。それでも三面記事には興味あり。多分メール友達なのだろう。年に何度かのランデブーか。羨ましいとは思わない。

 ようやく窮屈な船に乗り込みホテルを目指す。横波を受けて転覆したらどうしよう。まず真っ先に靴を脱ぎ水中脱出か。いやガラス窓を蹴破って外に脱出するが先。ガラスで足を傷つける。靴は水中で脱げばよい、などと思いつつ。この奴隷船のような窮屈さで船酔い嘔吐をすると皆に殺されると恐怖。ひたすら陸地を見つめ三半規管の安定に努める。外の雨は降り続く。誰かが40分と言っていたが、それより早くミルフオードの船着場に到着。バスとの連結よくホテルに向かう。ずぶぬれの水滴がしたたりおちる。熱いシャワーと赤ワインが待ち遠しい。温泉と熱燗だったらなお宜しい。

 同室の昭さんは温厚紳士。昭さんは荷物整理に忙しい。先にバスを使わせてもらう。シャワーが弱く温度調節不能。お湯をためてお風呂にする。お湯に錆びと砂が混じっているが、極めて快適、温泉気分。そういえばこの地は水が美味しい。我が郷里と同じ、消毒なしのストレート山水のような。ここには排煙排ガスの微粉末は飛んでこないのだろう。ジェット気流に平行する気流があるとすると、アルゼンチン、南アフリカ、オーストラリアと気流を共有するのか。ならアルゼンチン、パタゴニアの空気と水もここと同じだろう。次に目指すはアコンカグアか。しかし高山病には耐えられない。乾燥室で濡れたギアを乾かす。用具類のことを英語でギアと呼ぶのはラップランドで覚えた単語。トレッキング靴もギアと総称する。あの8年前フインランド人に買ってもらったトレッキング靴をいまだにはき続けている。今の妻とはもう22年。僕は物持ちが良いのです。夕食前に東京の会社に電話のトライ。テレホンカードがないと電話が出来ない。売店でカードを買おうとするが売り切れと冷たい。コレクトコールするからあんたの電話を貸してと頼む。コレクトなら宿の公衆電話でもカードなしで出来ると言う。本当だった。これは便利、覚えておこう。ディナーは七面鳥に赤ワイン。鶏肉より四足肉に近い。極めて美味。なぜクリスマスに七面鳥なのか納得。翌日の弁当サンドイッチに残りが入っていた。就寝前、小暮さんがガイド嬢3人とお酒を飲んでいるのにジョイン。彼女たちは国際英語。話が通じる。ただし何を話したのか覚えていない。

 ニュージーランドに来て分かった事。この地はアングロサクソンが早い者勝ちで乗っ取った土地。オーストラリアも同じ。ブレアがブッシュを真っ先にサポートする理由が良く分かる。大英帝国の土地略奪は極めて広大。英文明を地理面積的に超拡大。いまや彼らの言語と経済制度が世界標準。世界秩序の維持は英連邦の既得権維持。回教徒の挑戦はアングロサクソン既得権への挑戦なのだ。

 欧米には食住を保障する土地の豊かさ。ニュージーランドも同じ。少ない労働で生活できる。対する我が日本国。土地がない。男は競争ストレス長時間労働、家族のための自己犠牲。家庭を顧みるゆとりなし。亭主男を責めないで。我々こそが被害者。奥さん、あなたは恵まれている、など被害妄想のわが妻を思い出す。

 などなどとりとめもなく、考えとまで行かない支離滅裂。でも景色を満喫。マウントクックは素晴らしかった。素敵なグループ、楽しかった。恩田さん、誘って頂いてありがとうございました。50万円出費の値打ちありました。

 

「みなさん ありがとう」のあとに

きみ子

  • 勝巳さん―――いつもクールで気配りの人、才美さん。だけど私は見た。サザーランド滝で、ご主人の手をしっかりと握り、よりそっているのを。勝巳さんも、いつもは冗談を言うとき細くなる目が、しっかりと開き、前を見据え妻を支えている。あー これぞ美しい夫婦愛! と涙が......。あ、違った。滝の飛沫が顔にあたったんだ。
  • 益美さん―――涙といえば、8年越しのNZの話、思わず鼻の奥がツーンとなってしまった。もしかして吊り橋をゆらしたのは彼かも......よ。
  • 伊久枝さん―――バイキングの列に並んでいる時、スカーフの結び方を教えてくれたけど、順番が来たので途中になってしまった。やっぱり"スカーフよりスープ"ね。
  • 昭さん―――昭さんは1日に1回はお宅に電話をかけておられたのでは? すごーい愛妻家なのか、それとも......。
  • 和夫さん―――往復の機中で読書に余念がない。でも「この旅に妻も一緒だったら......」と一言。内に秘めた熱情を垣間見せてくれた。
  • 邦子さん―――オークランドのホテルで早朝悲鳴が。カギを部屋の中においてきて入れなくなったとか。いつも山行の時にはチャッチャと会計処理をする小泉さんの別の顔をみてしまった。
  • 孝儀さんと多摩江さん―――いつも一緒。これぞ夫婦の鑑。その究極は、帰国時に着ていたおそろいで色ちがいのベスト。まだまだ青春ね。
  • 夏子さん―――なぜか気が合って。オークランドの港を肩を組んで高歌放吟(?)。そのあと小暮さんとスキップをしたのだけれど、足はもつれるわ、息はあがるわ。
  • 幸子さん―――Mtクック周辺のヘリコプター遊覧では、一瞬こわくて手をつなぎ合ってしまった。後から考えたらお笑いだけど、あの時は真剣だったよね。足許の青白い氷河に感激。雪合戦を始めたのには、ヘリの操縦士も呆れたのでは......。
  • 一朗さん―――ケータイとパソコンで地球の反対側にいても仕事をこなす企業戦士。でも私は見た。クイーンズタウンからクライストチャーチへ向かう機中、離陸の点検に来たスチュアーデスに足おきを上げるように注意されて、いったんは上げたものの、彼女が歩き出したらまた下に下げてすまし顔。それを繰り返すこと3度。クールな顔にかくされたやんちゃな一面を。

 

「アイト」と「トダイ」の国

 一昨年のこと、70歳を迎えるにあたり何か思い出に残ることをしたいと考えて勝巳さんにご相談しました。それは国内で3千メートル級の山に登ってみたいということ。富士山には4回も登りましたが、もっと本格的な山に登ってみたかったのです。すると、それもよいけれど、海外の山歩きなどはどうですか、12月のニュージーランドはいいですよ、というご提案がありました。

 お蔭様で、3回にわたるトレーニングを経て、その年の8月末に本邦第2の高峰北岳(3192m)に登頂することができ、第1の目標を達成することが出来ました。

 2番目のニュージーランド・トレッキング。勝巳さんご夫妻がかつてカナダのトレッキングで知り合ったベテランガイドの人が冬場はニュージーランドにいるので、彼に頼めば安全で格安のトレッキングが楽しめるというお話でした。内々、健ハイのメンバーに打診すると10名程度は参加しそうだということで、これなら実現間違いなしと夢はどんどん膨れあがり、「地球の歩き方・ニュージーランド編」などを買い込んで、思いめぐらす日々でした。

 そこに例の9.11事件の発生。今まで自分は行かないのに夢を共有してくれていた家内が、一転「こんな時期に海外に出かけるのは考えものよ」と冷や水をかける始末。家で待つ身としては当然なのでしょう。結局延期になりました。

 その2年越しの懸案のニュージーランド行きが、勝巳さんの綿密周到な準備のお陰で実現することになりました。毎回詳細な準備の情報を提供して下さった例の「ニュージーランド通信」、その第4号で私には「現地事情調査」と「交渉」が割り当てられ、さて弱ったことになったと思いました。

 現地事情の方は、インターネットで捜し当てたニュージーランド政府観光局の公式ホームページ「100% PURE NEW ZEALAND」(www.purenz.com)の日本語バージョンを利用して難なく片付きました。

 問題は「交渉」です。メンバーには国際ビジネスマンの一朗さんと米国在住4、5年の孝儀さんご夫妻、それに不肖私。その昔、英語の教師だったから、ということのようです。その後の会社勤めで何回か単独で米国出張を命じられ、早口の米国人を怒らせて交渉にてこずった苦い思い出が蘇ります。最も苦手な英会話。そうも云っておられないので、TOEIC730のテキストに入っていたCDを通勤の車の中で繰り返し聞いて、耳を慣らしました。ミルフォード・トラックの初日には自己紹介が予定されているとのことで、われわれのグループの紹介を英作文して、このメモを見ながら、何とか取り繕うことにしました。

 いよいよ出発。ニュージーランド航空90便で一路オークランドへ。水平飛行に移ると例によって機長アナウンス。少しは聞き取れるかと思っていたのに、全く聞き取れない。現地の気温が19度とか言っている程度のことしか分かりません。参った参った。

 次にショックだったのは、クイーンズタウンからテアナウに向かう専用バスの運転手の話。これまた全く聞き取れません。隣の一朗さんに聞くと、彼もあまりよく聞き取れないというので、少し安心しました。沿道の風物や言い伝えについての解説のようでした。

 われわれのガイデッド・ウオークのトップガイドのグレッチャーの話も聞き取れなかった。でも、注意深く聞いて見ると、どうやらわれわれが知っている英語と発音が違うらしいと気がつきました。朝の出発の話で、「アイト」と言うので何かと思ったら、「エイト」つまり8時ということのようです。

 そう言えば、今朝クイーンズタウンのショッピングで、店員からいきなり「トダイ」と言われてキョトンとしましたが、あれは「トゥデイ」のことだと納得しました。

 ミルフォード・トラックの最初の山小屋(というには余りに整った設備と内容でしたが)で、豪華な夕食のあと、国別の自己紹介があるというので、皮切りに例の英作文を言わせてくれと小暮さんに言ったら、そんな時間はないから駄目と一蹴されてしまいました。

 やむなく手短に一言紹介して、あとは各自が名前と出身地を言っておしまい。折角書いたので、無駄になってしまうのも惜しいので、以下にご紹介しておきます。お読みいただけば充分お分かりと思います。

 

I'm very pleased to have a chance to join this Milford Track tour and introduce ourselves here in Grade House.

We are a group of mountaineering, came from around Yokohama, Japan.

Our group is named "Kenhai 2100" having 30 members in all, and 13 members joined the tour this time. 'Kenhai' means a hiking group of healthy old boys and girls. 2100 naturally stands for 21 century, and also implies that the accumlated number of attendants to our monthly tour will increase up to 2100 in near future.

Our group was formed in 1995, just 8 years ago, and since then, every month we climbed almost all neighbouring moutains in our country.

Three years ago, we made an ascent of Mt. Fuji, the highest mountain in Japan. It is 3,776 meters high, almost the same as Mt. Cook here in New Zealand. Every summer season, thousands of people a day climb the mountain in a zigzag line, no snow on the summit, quite different from Mt. Cook.

Now, we'd like to introduce ourselves one by one. The first is my turn.

My name is Akira, 71 years old, the oldest boy in our group. I've two grandsons, one is 12 and the other is 8. Two years ago, I guided the elder boy how to play 'go' game, and every time I beat him with full handicap. Nowadays almost every time he beats me with no handicap. That's my worry, and also my pleasure. Thank you for listening to me.

..............

Now, we'd like to present one of the very popular songs in Japan, "Grandfather's Clock". Tonight, we'll sing it in Japanese text almost the same as English. Now, let's begin!

 

 ニュージーランド旅行で私の英会話力は無力に等しいと感じて帰る機中、離陸直後に始まった緊急脱出装置の案内、これが何とよく分かるんです。どうして、と考えました。分かったのは、その案内が録音テープだったということです。つまり標準英語だったから。

 近い将来、何とかTOEIC730に合格したいと励んでいるところです。

 

ニュージーランド トレッキング(覚書)

幸子

 「世界一美しい散歩道」ミルフォード・トラックトレッキング,是非歩いてみたい。でも,11日間もの長い旅。初めての海外で体力が持続出来るかが唯一の悩み。期待と不安を抱え,午後7時すぎ成田空港を出発した。

 翌朝オークランド着。クライストチャーチを経由して午後にはクィーンズタウンへ無事到着し,お世話になるツアーリーダー小暮さんの出迎えを受ける。

 

"ミルフォード・トラック3泊4日の旅"

1日目

 バスでテ・アナウへ出発し,途中船に乗り換えてテ・アナウ湖北端にあるグレード・ワーフに着いた。いよいよここからがトレッキングの始まりだ。歩き出してすぐ,今までに見たことがない不思議な木が目に付く。鋸のようにギザギザした形をした葉が,下に向かって細長く伸びている。一体何という名の木なのだろうか?後で誰かに教えてもらおうと思いながら30分程歩くと最初の山小屋,グレイドハウスに着いた。そこには話に聞いていた,あの「サンド・フライ」(小さな蚊)がたくさん飛んでいた。急いで虫除け薬を塗るが,すぐに親指を刺されてしまった。あまりかゆくはないが,未だに赤くプツン腫れているので,本当に治るのか心配である。

 ガイドさんの案内で小屋周辺のショートウォークをしている時,あの不思議な木の名前が「ラウンス・ウッド」であると知った。ウコギ科の植物で,生長すると葉は上を向き短くなるらしいから,これがまた不思議だ。他には,赤や黄色に紅葉したブナの落葉が,まるで花の絨毯のように緑の森に散っているのが印象的だった。道中いくつもの大きな「サルのコシカケ」が腐った木の幹に直角に生え,上の部分は黒く,下はきれいな白色をしている。初めて見るものばかりで,キョロキョロし,メモをとるのが大変だった。

 夕食後,ガイドさんよりスライドを使ってミルフォードの花や鳥,自然や翌日のコースのガイダンスを受けた。その後,4日間共に歩く総勢50人近い人達の国別紹介と自己紹介が行われた。昭さんの流暢な英語の挨拶のあと,一人ずつの自己紹介となったが,英語が苦手な私は名前を言うのが精一杯だった。

 続いて,日本は我々13名の他に5名が加わり18名で「大きな古時計」を合唱し,大喝采を受けて楽しい旅の始まりとなった。

 山小屋は,今回日本との違いを実感したものの一つだ。部屋の大きさこそ小じんまりしているが,ベッドに加えて熱いシャワーと水洗トイレが完備されており,なんと言っても明るい。暗くじめじめした日本の山小屋では到底考えられない設備に感動!ゆっくりと,くつろぐことがでた。

2日目

 今日からが本格的なトレッキングの始まりだ。前日から降り続いている雨は出発直前に止んだが,高い山では雪が降っているらしい。ひんやりとする朝の空気を肌に感じながら,徒歩6時間の道程をポンポロナ小屋へ向け出発した。

 グレイドハウスを出てすぐに最初の吊り橋を渡る。道は平坦でとても歩きやすい。右手に前夜の雨で水かさの増したクリントン川を見ながらシダやコケに覆われたブナの原生林を進んで行く。コケは触ると水を含んでスポンジのようにふわふわで弾力があっておもしろい。コブリン・モス(木の枝などにぶら下がったように生えている長いコケのような植物)は,雨水を得て生き生きとし,昨日見たものとは別物のように見える。ここでは,普通の3倍の早さで植物が生長すると言われており,木々は天に向って聳えている。という言葉がぴったりだ。

 前夜の雨で,道が1ヶ所洪水でひどいことになっていた。靴は中まで水浸しになってしまい,靴下を絞っていると,目の前にガイドさんが微笑みながら立っていた。どうやら私達が一番最後尾らしい。ちょっと恥ずかしくなって慌てて歩き出すと,濡れた靴の中は気にならず歩くには支障がなかった。

 昼食後,ブナの森の中をクリントン川に沿って登り,ポンポロナ小屋に到着する。冷たいジュースが実においしい。

 ここには「ケア」と呼ばれる野生のオウムがいて,ドアを叩いたり覗き込んだりと,とても人懐こくて愛嬌がある。こんな出合いがあるなんて,大自然の中にいることを実感した。

3日目

 今日はトレッキングのハイライトであるマッキンノン峠を越える徒歩約7時間の道程だ。いつもより1時間早く出発し,クリントン川源流の吊り橋を渡って,ジグザグ登りが11回も繰り返される所からスタートだ。登り坂は急勾配の上に細い道なので,ゆっくりと自分のペースで登って行った。6回ほどジグザグと登っていると辺りに「マウンテン・フォックス・グラブ」の白い花や,「マオリ・オニオン」の黄色い花々が咲いており,気持ちを和ませてくれた。しばらくすると案の定ぱらぱらと雨が降り始める。やがて視野が広がり,草原に出るころには雨がざあざあと降っていたが,ようやく記念碑が見えてほっとした。ガイドさんから暖かいミロを頂いて飲むと,冷えていた体が生き返ったようで,とてもありがたかった。頂上は雨にすっかり隠されて何も見えない。おまけに霙が降って寒いので,20分ほど歩いて避難小屋へ行っても昼食もそそこそに,再びクィンテン小屋に向って歩き出した。風邪が強く吹き飛ばされないように身をかがめて下る。尾根を過ぎると風も雨も止み,やはり下りは楽なので「マウント・クック・リリー」や「マウント・デージー」の花々を楽しみながら下り小屋に着く。

 小屋着後,高さ580メートルで世界で5番目の高さという「サザーランド滝」を見に行く。滝つぼはものすごい迫力,こんなに近い所から滝を見るのは勿論初めてで,圧倒された。滝を裏側から見るため,川の中を岩伝いに進み,石の上で何度も滑り,雨と滝のしぶきで全身びしょ濡れになって嵐のような中を必死で歩いたわりには,期待していた滝の虹は見られず残念!でも,それはそれで忘れなれない経験だった。

4日目

 トレッキングの最終日,雨が降る中,サウント・フライ・ポイントへ徒歩約7時間の道程だ。しばらく歩くと雷鳴があり雨がいよいよ強く降り出した。そして,ここからの道が実にハードであった。アーサー川に沿った平坦で緩やかな下り道にもかかわらず,降り続く雨のおかげで,道は川となり,滝は水量を増してごうごうと唸っている。さらに,新しく滝ができてしまい,我々の行く手を容赦なく塞いでいた。私は本能的に道の端を歩いていたら突然深みに入り転んでしまった。後続の小暮さんから「道は真ん中を歩くように。端を歩いては絶対に駄目」と助言され,もう濡れても仕方がない!と,水を気にせず中央を堂々と歩くと,何と足が自然と前に出て,驚くほど快適に歩くことができた。

 確かに今までは,無意識のうちに,道を選んで歩いていたことに気付く。

 ここ,ミルフォードは万年雪の山,岩壁,無数の滝,うっそうとしたブナの森,多種類のシダ・コケが生い茂る原生林,U字型の谷が混在する幻想的で手つかずの自然が美しい世界のように思う。

 自分の足で見たり色々な体験をしながら歩き抜いた「完歩証」をいただくとき,ちょっとしたハプニングがあった。なんと私と同名の方が2人いて,その上私の苗字が間違っていたのである。ちょっと驚いたが,歩き抜けた喜びの方が大きく,自信がつき大満足だった。

 

 " マウントクックとフッカー谷"

1日目

 クィーンズタウンよりバスでマウント・クックへ。プカキの青い湖,サザンアルプスの中央にそびえ立つニュージーランド最高峰のマウント・クック。少し雲がかかっているが,間近で見ると実に壮大だが,すぐ目の前に見えるマウント・セフトンの方がより迫力があり,マウント・クックと間違えてしまった。

 ホテル着後,ヘリコプターでの遊覧飛行をする。生まれて初めて乗るヘリコプター。轟音と共に一気に昇り,山肌に何度もぶつかりそうになる。体は硬直し,風景を楽しむ余裕はなかったが,青く光る氷河がある雪原を上空から満喫でき貴重な体験だった。

2日目

 雲一つない快晴,真っ青な空に聳え立つマウントクックはどっしりと構え,安心感を与えてくれる。

 今日はフッカー谷を歩く徒歩5時間の道程。ホテルを出るとすぐ色とりどりの「ルピナス」の花。道は平坦で良く整備されていて歩きやすい。吊り橋を渡り,セフトン山を眺めながら進むと左手に氷河湖を見る。2つ目の吊り橋を渡るとマウント・クックの姿が見え,しばらく行くと,ここでマウントクックリリーの花がまだ咲いていて十分楽しむことが出来た。さらに,谷の奥に進んでいくと,氷塊があるフッカー氷河湖に辿り着く。氷河湖は氷河に岩が付いていて一緒に落ちるため,白濁しているが思った程冷たくはなかった。途中数回「ゴオー」と恐ろしい轟音と共に雪煙となって一気に落ちる雪崩を見る。勿論初めて見る光景だった。

 夜は,1年中沈まないという「南十字星」が,4つ星で細長い菱形ではっきり見える。最初はすぐ下の方に見える「ニセ十字星」を見ていた。正に満天の星空で「天の川」や「人工衛星」等,初めて見た人工衛星は結構早い速度で周っているように見えた。寒くて震えながらの観測だったが,都会では絶対に見られない体験が出来満足だった。

 

 今回の旅行を通して「案ずるより産むが易し」の諺どおり,何事にも挑戦する勇気を得,また,本当の自然の美しさを体験することができた。

 早期から綿密な計画を立て,その都度詳細な「ニュージランド通信」を送ってくださった勝巳さんと,同行してくださった皆様に感謝しております。

 本当にどうもありがとうございました。

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このブログ記事について

このページは、akirafが2003年1月 6日 00:06に書いたブログ記事です。

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