第8日('06.7.4) ツェルマットへ戻り、ルガノへ移動

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2006年7月4日(火) 快晴

(記録担当 幸子)

Swiss8-1.JPGフルアルプ小屋からツェルマットへ、午後ルガノへ移動

朝食(7:30)......フルアルプ小屋前(8:30)...... (トレッキング開始)......休憩(9:45/10:00)......スネガ駅(10:20/10:30)...... (地下ケーブル)......ツェルマット駅......ホテル(11:30/シャワー/12:00)......レストラン(12:30/昼食/13:00)......ツェルマット駅(13:30)......テッシュ駅(13:45/14:00)...... (バス)......シンプロン峠(15:10/15:20)......イタリア国境(15:45)......ロカルノ行き狭い道......方向転換(16:40)......元の道を戻る......ミラノ方面行き高速道路......サービスエリア(18:10/休憩/18:40)......スイス国境(19:30)......ルガノのホテル、ベルビュー・オ・ラック(20:00)......遅い夕食(20:30/21:00)

Swiss8-2.JPG 5時45分、フルアルプ小屋3階の窓から朝焼けのマッターホルンが見えたのは一瞬で、東壁の一面に雲がかかってしまった。

 6時すぎ北壁上からライオンの背中あたりに光があたってきた。周辺の山の頂が一斉に輝き出した。伊久枝さんの話だと3時頃は満天の星だったそうだが4時頃からは曇りで、マッターホルンはぜんぜん見えない。

Swiss8-3.JPG ほかのグループより30分遅らせて朝食。レストランはわれわれだけでゆっくりと食事ができた。

 身支度を整え、山小屋の前で記念写真後出発。フルアルプ小屋から逆さマッターホルンが映るシュテリ湖を通り、マーモットの道を歩き出すと鳥がリスを追いかけているのが近くに見えた。すると丘の上の方では、 「ピィー」と一声、マーモットの甲高い警戒の鳴き声、立ち上がってこちらを見ている。さらに進むと始めてエーデルワイス(ウスユキソウ)の花を見つけた。少し目をそらすと次から次へ花、花、花。なんとここはエーデルワイスの群生地だが、お花の絨毯になるのはもう少し先のよう。他にもアルペンローゼ、プリムラ、サクラソウ、キンポウゲ、アネモネなど赤、黄、白、青、色とりどりの花が咲き乱れている。

Swiss8-5.JPG 今度は、数頭の山羊の親子連れに道を通せんぼされてしまった。広い草原での一時の出来事に感動する。

 マーモットの生息地観察地点で休憩。

 ※マーモット:げっ歯類に属する動物、体重5kg、森林帯境界線より上に住む動物。

 真っ青な空に聳えるマッターホ ルン。真綿のような雲が刻々と姿を変え、いつまで見ていても飽きない。眼下には谷に沿って点在するフィンデルン村が見える。

 2時間たらずのハイキングを終えて、スネガ着。地下ケーブルカーに乗りツェルマットに着く。ホテルに戻り、慌しくシャワーを浴び着替えを済ませさっぱりする。ツェルマットで最後の買い物をする。

Swiss8-6.JPG レストランで昼食。出発前ホテルの前で記念写真。

 ツェルマット発の電車に各自でスーツケースを運び込み、テッシュへ移動する。

 テッシュ駅前にはバスが手配されている。運転手はカトリックさん。荷物を積み込み、ルガノへ向けて出発。途中、シンプロン峠を越え4時間位でルガノへ着く予定。シンプロン峠はスイスのヴァリス州からイタリアへ抜ける道。シンプロントンネルを通るのが普通で、運転手さんもガイドさんもこの道は通ったことがないとのことで、二人で地図を首っ引きの運転で心配になる。

 バスは牧草地、放牧場、ぶどうの段々畑を通り、険しい急な斜面に家が建っているカルペトラの村から町へ入る。車内温度33℃。外は強い日差しで入道雲も湧いている。車はビル街を抜け、深い緑の林道を走る。

Swiss8-7.JPG シンプロン峠着。ここで休憩。

 ※シンプロン峠:スイス南部とイタリアの国境に連なるアルプスの中にある標高2,009mの峠。シンプロントンネルは1906年開通。約20?で世界最長を誇り、イタリア、スイス間を結ぶ鉄道が通じている。自動車専用のトンネルも開通している。

 2世紀にはロバで塩を運ぶ道のようだった。その後14世紀にはブリークのシュトックアルパー家がこの峠を整備し、香料などを運ぶ商業ルートとして確立する。

 19世紀初頭の1800年、ナポレオンがイタリア遠征のため、大改修し、1806年「大砲が通れる道」が完成する。

 峠にはシュトックアルパー家の旧避難宿泊所、ナポレオン建造の宿泊所、第2次世界大戦の「国境警備隊」の活躍を称えて建設された石造りの鷹の像、1910年飛行機で最初にアルプスを越えたペルー人、当時24歳のジャベズの偉業を称えたジャベズの記念碑「イカルス像」がある。  4000mの山群から雪解けの水が滝のように流れ落ちアルペンローゼが一面に咲いている。峠の頂上は国境ではなく少し先になる。峠をイタリア方面へゆるやかな坂を下ると、谷も狭くなり、くねくね曲がった道は絶壁がそそり立っている。

 国境を越えイタリアに入る。入国はノーチェック、お国柄が表れている。税関も「日本人(ジャポネ)」は信用できるということで、パスポートコントロールもなし。

 暫く渓谷沿いを走る。きれいな滝も見えるがだんだん道幅が狭くなる。車もひやひやしながら行き交う。何台目かの車の女性がこの先「こんな大きな車は通れない」と忠告してくれたので方向転換して元の道を。ガイドさんが「今日中には必ず着きますので安心してください」とのこと。皆、無言でうなずく。

Swiss8-8.JPG 運転手さんは、「イタリアは道路の入り口にはっきりした標識がなく、すれ違った車も教えてくれない」と、イタリア人の悪口をぶつぶつ言っていたようだった。

 ミラノ方面に戻り、ルガノに向かう。トンネル又トンネルで、いくつものトンネルを抜けると湖が見えた。

 運転手さんの休憩が必要なため、30分休む。水などを買う。

 高速道路を下り市街に入る。3階建てのマンションが立ち並び、街路樹には泰山木の大木が大きな白い花をつけ、黄色い実をつけた枇杷の木も見える。

 再びスイス領に入る。高速道路、ルガノ湖沿いをひた走り、予定より2時間遅れて、ホテル ベルビュー・オ・ラックに到着。

 ルガノ湖畔に建つホテルはリゾート地ならではの素的な佇まいである。旅も後半に入り、長いバスでの移動は大変身体に堪えるが、気を持ちなおし、取り敢えず荷物を部屋に置き、ホテルで夕食。

 メニュー: トマトとバジルのペンネ、白ワインのサーモンソテー、茹でたポテト、季節の野菜(人参)、レモンシャーベット。シャモニーやツェルマットに比べて味付けが日本人好みでとても美味しい。

 湖畔通りのホテルやカフェでは、サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ対イタリアの試合中継を観戦する人達で賑わっている。さらに延長戦後半にイタリアが勝利したことで一層盛り上がり、いつまでも歓喜に酔いしれている。

 早いもので、余す所あと2日となる。帰国に備えて荷物を整理し、眠りにつく。

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このブログ記事について

このページは、akirafが2006年8月20日 05:28に書いたブログ記事です。

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