第10日('02.12.29) マウントクックからクライストチャーチ経由オークランドへ

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【第10日】2002年12月29日(日) 晴れ

NZ_09.JPG(記録担当 伊久枝)

マウントクックからクライストチャーチを経てオークランドヘ、リッジズホテル泊

ハーミテージ・ホテル(8:00発)――鮭養殖場――善き羊飼いの教会(テカポ湖畔)――ジェラルデイ――小高い丘(テイータイム)――ヘアリー――カンタベリー平野――ハッシュバートン――ローレストン――リカトン――クライストチャーチ(13:15着/昼食/15:10発)――クライストチャーチ空港(16:30発 NZ532便)――オークランド空港(17:50着)――リツジズホテル(18:30着)

 昨日足を打った才美さんはひどく痛がっている。でも、今日は一日バスの旅なので不幸中の幸いだった。今日は大型バスでクライストチャーチまで、ドライバーはケビン氏。

 ミルフオードからマウントクツクと目的を果たし、事故もさしたる怪我もなく全員が揃って帰路についている満足感と安心感、美しい山々の姿を胸に納め別れを告げてバスに乗り込む。少し走ったところでマウントクックとアオテアロアが美しい場所で写真を撮る。

 マウントクツクの一番高い峯が(東面)見えてきた時、クックの右隣にニュージー第2の山タスマンが見えた。平野から3000メートル級の山々が見えるのが嬉しい!みな、"ついている、ついている"を連発している。まもなく、ツアーバスの通行は遠慮してほしいという道に入り、小高い丘からプカキ湖を下に、上にサザンアルプスを眺めた時のアオテアロアの素晴らしさは、今までにない感動!帯状に長く長く動くことなく淡い色を保っていた様は、二度と見れないだろうと思ったほどである。

 その後、鮭養殖場で人小の鮭に餌をやり、元気に飛び跳ねる度に歓声を挙げていた。ルピナス街道は左右に色とりどりのルピナスの群生、ホテルのノートに『ルピナス残せ、ケア可愛い』と記帳した勝巳さんにとっては拍手したい場所?

 相変わらずの広い道路に少ない車...の道を走る。マウントジョンの山頂には天文台がありそれを過ぎた坂の下に美しいミルキーブルーのテカポ湖が見えてきた。湖畔に建っ小さな教会は'善き羊飼いの教会'といい何気なく建っており、中も小さく湖に向かって開いた窓が額縁となり、十字架と湖のコントラストが見事である。

 今日は2回感動してもらう場所がありますと予告した木暮さんの言葉に違わずだった。すぐ近くにシープドック慰霊塔があり、マウントジョンに向いて犬の銅像が建っている。

 暫らく走るとタソックとエニシダが群生していたり、雑木林で道幅も狭く日本の道を走っているような場所であった。ラカイア橋は南島で一番長い橋で1キロもある。

 ジェラルデイン...酪農の街 110年前に造られた町で雨が多く、牧草の成長が良い土地 (ここでトイレ&ティータイムの予定だったが、牧場の小高い丘のティールームに変更)

 ティータイム...見渡すかぎりの牧草地、木造りのこじんまりしたお店のテラスでお茶を楽しんだり、お土産を買っている人もいた。

 ヘアリー...小さな町で79号線に曲がる。見渡せば丘に羊が群れているのみ。それでも、チラホラと家が見えてきた。たまに行き交うバスは必ずドライバー同志で挨拶を交わす。不測の事故が起こったときに、お互いに助け合う気持ちを伝えるのだそうだ。

 カンタベリー平野は緑ではなく茶色の平原といった感じで乾燥しているのがよくわかる。この平野を過ぎると山は見えなくなる。山からの恵みが屈かない土地では畑に人型のスプリンクラーが設置されており、コンビュターでコントロールされている。クライストチャーチに近くなるとスプリンクラーの数も多くなってくる。(水源の川もないため)

 こんなに大きな畑や牧場を持っている家の郵便や新聞は、ルーラルポストを道路沿いの敷地内に設置する。配達されたものはポストまで取りに行き、投函したい物がある時はポストの屋根の上にある棒のような物を立てておき、ない時は倒しておくこと。

 牧場には羊(柵の高さは1メートル)、鹿(柵は2メートル)が目立ち、たまに馬もいる程度。

 クライストチャーチ行きの鉄道が見える。単線の線路で1日に1本で、貨車の後に客車を付けているらしいが見られなかった。

 ハッシュバートン...車のデザインライン工場の街 廃車などのパーツを利用して使用目的に応じたボディにする。

 この町を過ぎたあたりから初めての信号機が見えた。また、右手に墓地、左手に競馬場と珍しいものを見付けた気分である。

 ローレストン、リカトンと小さな街を通り越すが5?6分で走り抜けられる。

 クライストチャーチに入ると信号機も所々で見られるようになり、商店・民家が軒をつらねており都会に来たと実感する。町の真ん中に大きなクレイ公園があり、公園の真ん中をエイヴォン川が流れている。ドロー柳・カエデ・ポプラが川沿いに林立しており、4月下旬から5月上旬のベストシーズンには、それは見事な黄葉が町を彩るとのこと。このエイヴォン川沿いは高級住宅地になっており、大きな家が目立っている。

 クレイ公園の手前あたりにあつた英国風の二階家は、ニュージーランド国内にいくつもある母親の家(ハリカネ制度)だそうで、子供たちを死なせないために、面倒を見る母親が問題を抱えていないか、悩みはないか等どのような相談にも応じる体制が出来ているという素晴らしい制度である。(昼食時に出会つたNZ在住の日本人女性が2人目の子供を身籠っていたので不安はないですかと尋ねたら子供を育て易い国ですからとの答に納得)

 ガーデンシティーとも呼ばれる英国風の町に佇むクライストチャーチ大聖堂は、ゴシック様式で眩しく感じた。広場には花屋が出ており人も車も多く、今までがあまり人間を見かけなかったので懐かしい気さえした。

 15時15分集合を厳守してくださいと念を押されてフリータイムとなり教会前で下車。昼食、ショツピング、トラポ (市内名所めぐり電車)と各自の目的に応じて分かれる。

 飛行機に乗り遅れないためと言ってあったからか全員10分前にバスに帰る。ケビン氏は車中で本を読んでいたが驚いた顔をしていた。

 15分程で空港に到着。国際線もあるということだが小さな飛行場であった。バスから各自の荷物を団体受付けカウンターまで運び、搭乗手続きを済ませてくれるのを待っているだけ。この空港はゲートを入ってしまったらトイレがないのには驚く。

 30分程飛んでからあきらさんの指差す方を眺めたら、まるで富士山のような山が見えた。海に囲まれた半島の真ん中にあった。それがマウント・エグモントであった。

 定刻に到着、9日前に来た空港で荷物を受け取り大型バスでホテルヘ。ドライバーはゲーニッシュ氏。シティ・オブ・セイルズと言われているだけに、セイルをかたどったアーチが多く見られる。丁度その下で信号待ち停車をしたら、緩やかな坂をバックしたので、大慌てでバックバックと叫んだ勝巳さんの声は引きつっていた。今日までの無事故・無傷を考えるとサモアリナンとみなも胸をなでおろす。車窓から見える花も今まで見かけなかった紫や真っ赤などが目に入る。中心地のメインストリートは4車線もあり、歩道の広さは日本の倍もある。ホテルリッジズの裏手にあるホテルにはタワーがあり(タワーヘリテージ)こんな都会の真ん中でもバンジージャンプをするのには又またビックリ!

 今日の夕食はシーフード・レストランなのでホテルで荷物を解きしだいタクシーで出発することとなる。

 ハーバーサイド・レストランに早く着いた組は2台目が来ないので心配していたようであるが7分遅れで合流。少し騒々しさのあるレストランであったが、旅の最後の夜でもあり、楽しい旅の終りであり、一つのアクシデントも無く終えることでの安心感もありで、皆上機嫌での乾杯となる。久々に変化のある料理でとても美味しくこちらも満足だった。

 滅多に食べられない大海老の刺身も感激だったし、ワインも美味しかった。各自の個性溢れる一言挨拶に爆笑したり、うなずいたり、木暮さんへのお礼を渡したり、時間の経つのも忘れてのおしゃべりは、尽きることがない。

 もう22時を過ぎており、お土産のお店も閉まってしまい、明朝が早いことも分かっているのだが、せつかくなので港まで歩くことになる。ビールやワインの酔いばかりでなく、旅の終りの感傷も手伝ってか、ほろ酔いでハシャイデしまう。

 アメリカン・カップの挑戦艇を決めるルイビトン・カップに参加するため、世界中から集ったヨットは自走してくるのではなく、大きな船でオークランドまで運ばれて来る。

 海洋博物館前に展示されていたヨットは圧巻であった。港一杯のヨットを見ようと目を懲らしたが、停泊している帆船のいくつかは見えても全景を見渡すことは出来ず残念だった。港の警備員の常駐場所の前でガヤガヤと写真など撮りながら騒いでいると"うるさいのでここにいてはダメ"と叱られ、すごすごと場所を移す。船上パーティーをやっていた人達に張り合ってこちらも大きな古時計や日本の歌などを唄う。いつもはキチンとした紳士淑女達が、こうして無邪気にハメを外すのも、たまには好いもの。さまざまな旅の想いが去来する。歩いてホテルに帰るが、押すとすぐに青に変わる信号機だが赤になるのも早いのでお互いに気を付けながら渡る。

 タクシーの乗り方や信号機の変わり方などお国柄を表していると言うことかもしれない。寝坊をしないようにと枕にお願いしてベッドに入る。

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このページは、akirafが2003年1月 6日 02:21に書いたブログ記事です。

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