サロン110 観音崎の海辺歩き(2018.6.27)

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DSCN2713.JPG日時;2018年6月27日(水)晴れ時々曇り。風強い。
集合;京急本線「馬堀海岸駅」改札口 10時15分。
参加者;4名 吉生(リーダー、写真)、勝巳(記録),才美、憲治。

DSCN2695.JPG観音崎周辺は昔から軍隊に関する施設が多い。此の宇宙戦争と、平和の時代に、昔ながらの基地の光景は本当は異様なのに、何の違和感もない。この辺の風景は軍の施設になじんでいる。沖縄に多くの基地があることにならされて不思議にすら思わないのとおなじことか。ともかく沖に浮かぶ猿島が悠然と見えて別世界だ。防衛大学の広大な周辺を少し歩いたがその広さよりも、その存在が何とも異様。いつの間にかこんな時代になっていた。繰り返し刷り込まれる洗脳は確かに効果がある。あの310万の戦死者は何のためだったのか。いまや、戦争に反対すると左翼とされためらわれる。平凡で平和な世界を求めることもやがて非国民と言われるのだろう。
しかし、自然はそんな些少なことにお構いなし。東京湾を行き来する船は堂々波を切り、白砂の海岸は太古のままの岩畳。海風は潮の香りを運んでくる。海岸植物は深い森を造り名もしれない花を咲かせている。遥かに房総の山が霞む穏やかな時を求めて海岸を行く。 少し速足のリーダーに遅れがちな理由を体調不良に求めながら駅から馬堀自然教育園に。本当にここは自然のままほってあると言っては語弊があるがともかく自然が溢れる。園内も結構急坂で息切れる。もちろん舗装などほんの少し。なめsaronmizu.JPGて登山靴にしなかったのが悔やまれるほどだ。ここも往時の3万人もの兵士を訓練した「重砲教育訓練所」の弾薬庫のあった場所。近くの静かな小中学校も同じ敷地内。そのためか、渓の底にあって湿っぽく周囲は森。もちろん人家は無い。弾薬庫跡はどこも同じだ。園内で陽が差すところはほとんどない陰湿な教育園だ。立ち寄った展示室にいたたった一人の係の方が丁寧に教えてくれる。見学者は「ほとんど来ません」と言いながら自分の職務を完全に果たそうと思考を凝らしているのが痛いほどわかるのでゆっくり説明を聞く。野鳥の声がする。小さな流れの音もする。大木を渡る海風。忘れられた場所だが案外いい所なのだ。このままであってほしいと軍都との乖離を思う。
道は海岸を左に防衛大学の敷地沿いに行く。夏の時期には海に行く人で渋滞するらしい、美味い天然水が出るという横須賀市水道局推薦の場所は車で汲みに来る人が跡を絶たない。家から持ってきた2本のペットボトルを空けて入れ替える。少し早いが昼食の場所を探して民宿らしきところを行くが、どうも薄暗く、イメージが合わない。太い道路沿いにあった立派な観光バスが止まっている旅館の昼食は高すぎてイメージに合わない。その先に「東京湾」と言う何ともめんどくさいから適当に着けたに違いない店の名前に誘われる。どちらも横着だからこれはイメージ通り。看板にれいの来客bousou.JPG歓迎掲示版が大々的に掲げられているがどう見ても相当古い、でも、景気づけには効果がある。何しろ入り口がわからないし、声をかけても店の人は耳が遠く聞こえない。二階に行けと言われ、大きな部屋に入る。立派な旅館に邪魔されて海の景色はない、誰も居ない。誰も来ない。突然電話が鳴り仕方なくお客が出るとわけのわからないことを言って勝手に切れる。手の打ちようもなく待つこの時間は空腹を越えて不安がます。やがて元気な若い店員が文字通り息を切って消防車のように駆けつける。爽やかな応対に安堵して古い手あかのついた写真帳メニューで注文した料理は「こんなのが食いたかった」級の立派なもの。おまけに釣銭がないからと店番のお婆さんが24円負けてくれた。外食をすることは多いが、負けてくれる店は無い。
次に来るときは1万円で釣りはいらないと言いたいほどこの24円は輝いている。
海沿いの道を再び歩く。小さいが海水浴場らしきものが多く海岸には塀が巡りまわされている。日差しと木陰は折半。左は海鳴り。ゆっくり大きな船が行く。平日なのに若い人が芝生でキャンプしている、仕事はどうしたなどと余計な心配をする。途中の横須賀美術館は悪い印象。食堂の店員の態度が最低だから。こんなことで評価されては美術館も可哀そうだがそれを超えるほどよくない。もちろん入らず、食べもしない。
DSCN2715.JPG観音崎燈台を回るころ外洋の影響が出てきて波も高く風も強まる。この辺は大島からの潮が流れ込み自然に東京湾に入るらしい。この前報道された東京湾のクジラ君は、うっかり居眠りでもしていてこの流れに乗ったのだろうと海に詳しいTさん。遥かに東京電力の火力発電所の煙突が見え隠れする。その先は城ケ島だろう。途中の走水には雄大な神話がある。日本武尊の征伐に同行した弟橘媛が荒波を鎮めるために入水した場所だ。こんな不自然なことがもてはやされる時代が長く続いた。その神社は荘厳な階段の森の中にあった。帰りのバスは腰越から乗るとすぐに浦賀駅。かって健ハイで歩いた浦賀の街並みが、当時の人達が、懐かしくなる。相変わらず京急線は人のうちの裏庭を思い切り急いで走る。洗濯物をひっかけないか、線路脇の家のご飯のおかずさえ分かるような気がする。崖の上にかろうじて家がしがみつく。巨大地震の心配など無用。なるようにしかならないからか。横浜駅ホームで解散。
コース;徒歩 約4時間弱
京急「馬堀海岸駅」10時15分――馬堀自然教育園11時――走水水源地11時40分――「東京湾」昼食11時50分――走水神社12時30分――京急ホテル――観音崎公園13時30分――観音崎大橋――鴨居バス停14時20分――浦賀駅14時30分――横浜着15時20分。 持ち物;帽子、水筒、カメラだけ。
通過した周辺の軍事施設等;
野砲訓練所弾薬庫跡、防衛大学、海上訓練所、観音崎警備所、送信所、その他夥しい官舎と思われる建物。ただし軍関係者と思しきには一人もあわなかった。

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