参加メンバーが揃ったので予定時刻より少し早めに行動開始。足元には原首相遭難現場も残されています。丸の内南口の天井は八角形でコーナー八か所にはその干支の方位に従って十二支のうち八支の彫刻が配置されています。残り四支、子(ネズミ/北)、卯(うさぎ/東)、午(うま/南)、酉(とり/西)は省かれているそうです。少しでも近い所から彫刻を観賞しようと東京ステーションホテル正面入り口を入る。
エレベータは有料かもしれないと思わせる内装です。2階は円形状に「虎屋」が出店し、商売度外視とも思わせる販売コーナーと喫茶室を横目に彫刻を少し引き寄せた位置から観賞することが出来ました。駅舎外装は化粧レンガの色合い、レンガの貼り方、目地の工法等当時を再現したとのことです。駅舎の外も見物人で大賑わい、ホテルの方にお願いし記念写真。
そろそろ昼食時間、仕事の都合で早くから混雑するだろうと迷いながら新丸ビル7階へ急ぐ。そこは「酒処」の提灯、いかの塩辛、ぬか漬け等のメニューが目につくお店等。このような雰囲気のお店が新丸ビルのテナントとして入っているとは予想外。私達は「sum sum」というお店に入り日本食をいただきました。
午後は三の丸尚蔵館・東御苑等の見学。向かう途中突風によろよろ、お濠の白鳥も首を水面に近くまで下げ風を避けている様子でした。まず最初に三の丸尚蔵館見学。三の丸尚蔵館は、昭和天皇が崩御したことに伴い、残された美術品類を国有財産と皇室の私有財産に区分けする必要が生じた。そして、「三種の新器」を始め、歴代天皇の肖像・皇室の儀式に用いる屏風や刀剣類など、皇室にゆかりの深い品は皇室経済法第7条により、引き続き「御物」として皇室の私有財産としてみなされたが、それ以外の絵画、書、工芸品等の美術品類約3,180件は1989年皇室より国に寄贈された。これらの国有財産となった美術品類を適切な環境で保存研究し、一般に公開する目的をもって1993年に、「三の丸尚蔵館」が開館した。その後、秩父宮妃の薨去(こうきょ)後の1996年に秩父宮家が所有していた品々が、2001年に香淳皇后の遺品が、高松宮妃薨去後2005年に、高松宮家が所有していた品々が寄贈されたと説明されている。
この後は無料ガイドサービスがありますと声を掛けていただきました。所要時間1時間30分コースです。(毎週水曜日、土曜日で午前、午後一回)。東御苑のポイントは「天守台」。天守台は慶長度(1607年)・元和度(1623年)・寛永度(1638年)と三度建て替えられたが、明暦(1657年)の大火で焼失した後は、「城の守りには必要ない」という意見と江戸市街の復興を優先する方針により中止された。後に新井白石らにより再建が計画され図面や模型の作成も行われたが、実現せず。以降は、本丸の富士見櫓を実質の天守としていた。と説明されている。(1590年、家康が入城した当初は、道灌築城時のままの姿を残した比較的小規模で質素な城であった。とも説明されている。)15時ガイド終了。
お茶をしましょうと地下街をぐるぐるさがすが、お茶処は見当たらない。やっと神戸ベーカリーで一息つく。立ち止まって見渡せば必ず***喫茶の看板があった当時とは違い、今のサラリーマン諸氏は一息つくのも大変そうです。15時30分頃お店の前で解散。
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