実施日:2012年5月14日(月)晴れ
植民地の鉄道は、資源を搾取する為に敷設されるから、全て積み出し港に向かっている。要するに大きな町がどんなにあっても町と町を結ぶ横の連絡は原則的にない。横浜と調布はこの関係に似ている。それぞれから東京に行くのは便利だが横浜から調布に行くのはかなり不便だ。知らない路線を幾つも乗り換えてやっと調布に着く。
駅からしばらくバスに乗り「航研」前という聞き慣れないバス停に立つ。如何にも官営の施設らしくゆったりしている。ジーパンの説明員は外見と違って知識も、説明態度もかなりしっかりしている。企業は、このような人を説明員にしないと、かえって、その企業のやる気や、ユーザーに対する真摯な対応を疑わせることになりかねない。どんなに技術や安全にコストをかけている航空会社でもスチュワーデスの笑顔一つで企業評価が決まる。実直な説明員の態度から、この研究所の誠実さが伝わる。「こんな夢のような研究に携わって給料をもらえるのはいいですね」「そうなんです、申し訳ないくらいです」と素直に認めるその人柄は訪問者に好感をもたらす。
風洞実験装置は実際に試作した航空機の空気圧力、風の抵抗等を模型を使って測定するもので、国内有数の装置だ。こんなことを、こんなところで、コツコツと実験を重ねている若者たちが日本にいるのが不思議だ。なんでも、2025年までにマッハ5の飛行機を作成するそうだ。太平洋横断が2時間の驚異的な乗り物が実現するそうでなんだか楽しくなる。それにつけても、この展示してある飛行物体は何とも美しい。技術の究極の姿はどうしてこんなに美しいのだろう。この模型が10万円で売っていても躊躇なく買いたい。
健ハイの臨時パイロットは何度も墜落させたが宇宙移動の模型操縦は楽しい。こんなのがあれば100万遍の宇宙理解の講演会を開くより効果がある。これは、町に設置すれば儲かるだろうと夢のない事をつい考えてしまう。
深大寺は森の中にある。「野猿の精澄、澗水の音のみ聞こえる寂寂寥寥として心月を観ずるべき勝地ならん」と江戸時代の紀行文にある。が、いまは蕎麦屋の付属の飾り物みたいだ。東京近郊ではなんでも有名になると人が押し掛けたちまち俗化する。中学時代に訪れた時のように森に囲まれて数件の蕎麦屋があるなら風情もあるが茶屋、庵、等と称する蕎麦屋が佃煮にするくらい並んでいる。そのどれもが満員状態のようだ。でも、憎いことに蕎麦は旨い。腰も、つなぎも、ツユもいい。量もおおいし値段も手ごろだ。これでは文句が言えない。座敷で、薫風とともに食する深大寺の蕎麦は確かに旨い。出来れば、他に客がいないとなおいいのだが。
植物「公園」とは面白い発想だ。植物「園」とは違うのである。航空研から歩いて20分で神代植物公園に着く。公園だから「植物学」的機能を有しない。緑を中心にした憩いの場である。ここで言う植物学的機能とは、植物の調査、研究、体系的、系統的保存、教育的展示、等が行われている場所である。でも、こと薔薇に関してはかなり「植物園」に近い。説明員が次々に薔薇の歴史や系統、交配の事を言うのだが、言葉も聞き違えるほどの異界の分野だ(ケンベンとは剣弁であり人間ドックのものではない)それにしても薔薇一つでこんなにも歴史があったのかと驚く。3千万年前の化石に薔薇があるし、ローマ時代や、ヘロドトス、ヨーク家、クレオパトラ、中国古代王朝、ナポレオンなどなど、この花の歴史は、世界史を揺るがす事件や高名な人々のエピソードに囲まれているし、詩や、文学に絵画に薔薇は揺るがぬ存在を示している。
日本でもハマナスやノイバラ等の原種があり、世界中の薔薇を今後も交配させて多くの新しい薔薇が作られるだろう。こんな花は、他にない。だが、育てるのは大変だ。消毒は週に3回。毎日手入れで、横着者には太刀打ちできない。近くのタカナシ乳業の工場は、わざわざ手がかかる薔薇を植え、地道な努力の重ねが大切な事を忘れないために栽培しているのだそうだ。薔薇を愛で、育てる人はどこか違う。その花の美しさと芳しき芳香、育てる困難さ、隠れた棘の存在。気の遠くなるような奥深い歴史。それらが薔薇の美しい花を形作る。「あー、はるかなる夜の薔薇」などと詩人の魂を揺るがす。
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