東京ウオーク第2回(特例会4月15日)

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(記録 勝巳)

  • 日時: 2012年4月15日(日)晴れ。
  • 集合: 4月15日(日)JR赤羽駅 北改札口9時
  • tokyo2-1.jpg「故郷は遠くにありて想うもの」である。巨大なビルが建ち、商店街の近代的なアーケードが続き、裏路地に入っても思い出すところは何もない。僅かに嫌な思い出がある教会の建物があるばかりだ。確かにここは私の育ったところなのだが。遊び場だった闇市もなく、雨上がりに水澄ましの池が出来る未舗装の道路もなく、木造の校舎もない。幼いころの友の家もない。どこに行ったのだろう。昔、荒川の遥か対岸に何があるのだろうかと夢を膨らませた川口の煙突も今では空が一杯に広がる整備された河川敷のかなたに高層マンションが連立している。吉永小百合のキューポラのある町だったとは想像もつかない。

    隅田川と荒川を二分する新岩淵水門は僅か下流に作られ、旧水門は史跡として散り始めた桜の中に赤く塗られて残されている。こここそ自分の庭だったのに、激変した故郷で、もはや私は史跡に位置付けられたらしい。

    tokyo2-2.jpg水門手前の河川事務所にある資料館で説明を受ける。旧水門は日本から単身パナマ運河建設に参加した青山士という立派な土木技師が手掛けた。多くの水害から住民を守り抜き、関東大震災にもびくともしなかったそうだ。税金がこんな形で使われるなら、借金してでも払いたい。東京を流れる川は、ほとんど人工の流れを伴っている。名ばかり有名な隅田川はここ岩淵水門から始まる短く、小さく、みそぼらしいくらいの川にすぎない。荒川のすぐ近くに新川、利根川に対する江戸川、中川、等全部人手による掘削の運河だ。江戸を開墾し、首都を水害から守るために多くの先人の労苦があった。岩淵水門はその象徴である。この水門が今の東京を作り上げたのかもしれない。

    tokyo2-3.jpg地下鉄南北線は地下深い。乗れば王子駅はすぐであるが昇降移動に時間がかかる。王子駅の近くで昼食。2億円もかかったという変な乗り物に2分で、王子公園へ。さすがは、東京の花の名所。一面の散り敷かれた花筵には家族連れが足場のないまでに残り少ない桜の花見をしている。

    中でも比較的すいていたのが300円の入場料の「紙の博物館」である。1800年代に木から紙が出来るようになりやっと人類は普遍的情報の共有を通じて自我意識に目覚め、やがて近代を迎えるのだが、その過程での紙の存在の重要性は語りつくせない。パピルスは特権階級専属だし、江戸時代でも、紙は塩、木綿、米に次ぐ藩政の専横的重要財源であった。日本は、開発途上国の森を食いつぶして紙を使っていると思い込んでいたが、紙に関す限り嘘である。実に、日本の紙の60%は再生紙で、輸入パルプの比率は2%しかない事を初めて知った。

    tokyo2-6.jpg都電は、昭和の中から出て来て町をうろついている観がある。洗濯物を避けて裏道を走り動いたと思ったら、もう次の駅。どこまで行っても160円の良き時代の生き物だ。鬼子母神下という由緒ある駅名(もちろん改札などない)で下車。学習院を目指す。入り口に厳めしい警備員が立っていて緊張する。なんでも今日は、皇太子や、皇族が演奏会に出場するらしいが、何処にもそんな個別の案内は出ていない。乃木会館は木造の長屋。ふた部屋しかない。中は一見にも値しない。学生が、碁をしているだけである。せめて遺品の一部でもと期待していたのだが。

    「血洗い池」に至っては滑稽ですらある。自然はそこそこだが水は汚れ、ほうだい。そもそもいわれが「堀部安兵衛が高田馬場で仇討をした時、この池で刀を洗った」という学生が作り出した夢も知性もない話に基づいている。もっと、学問の府としての品格ある名前が付いていそうなものだが。

    tokyo2-7.jpg「目白の高台に広大な自然の中、悠然と学び屋が点在する」等と勝手に想像していたが、どこにでもある可もなく不可もない学校の一つであった。岩手県産の野采の出店でホウレンソウを買う事で学習院の印象の行き止まり。ともかく「オール学習院の集い」が、皇族ではない美智子さんの結婚に反対した常盤会が共催である。雑草を持って貴しとする私には場違いのところだったが貴重な経験をした。

    目白駅から、渋谷に出て電車から見た新大久保のコリヤタウンと、原宿の竹下通りの人込みに恐を覚えたが、次回は勇を決してここに乗り込むぞと、渋谷のガード下の安い焼鳥屋で気勢を上げた。負けてたまるか学習院や、竹下通りに。

  • コース:出発9時JR赤羽駅北口改札口――岩淵水門9時30分着――11時出発――赤羽岩淵駅(地下鉄南北線)――王子駅(昼食)――変な乗り物2分――飛鳥山公園11時30分――紙の博物館――最後の都電乗車12時30分――鬼子母神前駅下車13時00分――オール学習院の集い13時30分――JR目白駅15時20分――渋谷(ビール解散)16時
  • 参加者:(11名) 勝巳、才美、孝義、多摩江、憲治、貞子、善右衛門、三貴也、吉生、伊久枝、邦子
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    コメント(1)

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    昔、門前払いを食った大学は50年たっても恨みつらみがある。ほんの少しだけダダをこねたが、学習院の関係者の皆様は、天性の人格で鷹揚に許してくれるだろう。
    考えてみれば、茫洋と歴史の大海に浮かぶ学園は世知辛い現代日本の貴重な遺産ですらある。
    ますますのご隆盛を祈念してやまない。勝巳

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