- 日時:2011年3月3日(木)
- 参加者:
美奈子、孝儀、多摩江、恵美子、龍太、美保、勝巳、才美、伊久枝、邦子、憲治、貞子、昭二、世義、恵美子、昭、吉生、博子、以上計18名
10時鶴川駅に18名集合。邦子さん、恵美子さんも久しぶりに参加、駅より徒歩15分で武相荘に到着、入場料1000円を支払いそれぞれ散策を始める。最初目に入ったのが黒いオープンカー「PAIGE」です。大正時 代英国に留学、車を乗り回していたと聞いていましたが、このオールドカーを目のあたりにして白洲次郎さんがいかに裕福な家庭に生まれたか実感しました。
昭和18年に白洲次郎さん一家が鶴川に引っ越してきた時、武蔵と相模の境にあるこの場所をひとひねりして「無愛想」とかけて「武相荘」と名付けたようです。
小高い丘の上、約2000坪の敷地は高低差を活かした庭園と竹林、母屋は約50坪の茅葺屋根の農家を自分流の居心地のよい部屋に改装して贅沢な空間を楽しんでいた様子は羨ましく感じました。昭和18年頃は僻地に近い田舎だったと思います。
12時頃武相荘を後にし、近くにあるコメダコーヒー店で昼食し、一休み。鶴川より薬師寺公園までバス移動、公園は薬師池を中心とした和風の庭園です。今は梅ですが、菖蒲、紫陽花、蓮、等季節の花が楽しめ散策には良いところです。
公園を後にして藤の台団地の中を通り「町田町立博物館」へ。ガラス作家「岩田藤七」(1893--1980)、「久利」(1925--1994)親子の花器、茶器を見学、彩り豊かな曲線や絵柄、このような作品を作り出すのは至難の業、さすが名人と感動しました。入場料は何と無料。その後「つるしびな」の展示、発表会を見学し、多摩川学園駅で16時解散。
【メモ】
白洲次郎(1902--1985)
兵庫県生まれ。若くしてケンブリッジ大学に留学。第二次世界大戦参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQの印象は「従順ならざる唯一の日本人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声もあったが生涯在野を貫き、いくつもの会社経営に携わる。身長175cmを超す長身、端正な顔立ち、英国風の紳士。遺言は「葬式無用、戒名不用」。
白洲正子(1910--1998)
樺山伯爵家の次女として東京生まれ。アメリカに留学。父方の祖父は薩摩出身の軍人・政治家。正子も、自分に薩摩人の血が流れていると強く感じていた。幼児より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。戦後白洲次郎さんと結婚する。文学、骨董、染色と多方面で才能を発揮。随筆家として有名。
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