No.264 高宕山(たかご、330m)、石射太郎山(いしいたろう、250m)(2011.3.11大地震当日)

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Takagoyama_1.JPG( 記録担当:茂子)

 午前6時30分、二俣川農協裏、参加者9名が2台の車に分乗して出発。

 天気は快晴、予想最高気温は12度。川崎からアクアラインに乗り、東京湾を渡って7時5分にはもう木更津、あっという間に神奈川県から千葉県に移動。

Takagoyama_2.JPG 神奈川県とは何だか空気の違うような、のんびりした田舎道をあちこちして、8時40分、石射太郎登山口の大滝の駐車場に到着。ここが標高90m。登山準備を整え、諸注意の後、野生のサルとイノシシに会える、という看板を見て、トンネルの脇の湿った石っぽい道を登り始める。すぐに、人為的に四角く切り取られたような岩があり、そこが石切り場であったことが伺われる。日陰には霜が残り、アオキが多く見られ、背の高いヤブ椿が、清楚な花を咲かせている。

Takagoyama_4.JPG 石の多い道で、しかも苔むしていて、滑りやすく、歩きにくい。途中、眺望の良い地点から、周りをぐるりと眺められるが、周りも同じように200mmくらいの山が連なる。20分ほど行くと、峠の分岐に出て、そこは関東ふれあいの道。左手に切り立った岩の塊のような石射太郎山が見えるが、危険なため通行止めとなっている。ベンチがあり休憩。石射太郎のいわれの説明看板があり、サ Takagoyama_5.JPGルの餌付けの小屋がある。なぜサルを餌付けするのか、人の作物を荒らされないためか、サルの保存の為か、不明。サルとの遭遇を期待。

 高宕山を目指して、ふれあいの道を右手に進む。10時20分、細い踏み分け道の両脇に、突然、狛犬と仁王様のような、しかし、よく分からない欠けた石像が道の両脇に二つずつ現れ、吃驚する。これは何か、 Takagoyama_6.JPG神社があるのか、お寺があるのか、しかも、突然、石でできた階段が現れる。石を積み重ねたものもあるし、石をくり抜いた階段もあり、50段もあろうか。10分ほど登ると、石窟を利用した小さなお堂がある。これが高宕山万福寺。10時30分。

 大きな岩屋を更にくり抜き、手前にお堂を建て、奥を所謂、胎内くぐりのように、四角くトンネル状に廻れる様になって居る。みんなで真っ暗な中を廻る。お堂の中に、小さな Takagoyama_7.JPG十一面観音が安置され、これが高宕観音さま。眺望も良い。更に、石をくり抜いた階段、切り通しを通って、高宕山を目指す。道は平らな石だったり、石を削ったり、くり抜いたりしていて、普通の石ころの山道、とか、ゴロゴロの石の道、とかと違って、山全体が石の山、と言う感じである。

 高宕山の山頂直下は、急に険しくなり、ロープを付けた急なはしごが三つも続き、一人ひとり注意して登る。低山と侮れない、ス Takagoyama_8.JPGリリングな梯子であった。11時05分、9人全員が立てるか、という程狭い頂上に立つと、眺望が素晴らしく、西に東京湾から三浦半島まで見え、南に房総丘陵、マザー牧場に続くらしい。下りは反対側に巻き道を見つけて少し下った谷あいで昼食をとる。11時25分。石射太郎への分岐から高宕山まで、関東ふれあいの道を2.4km歩いたことになる。明るく、気持ちの良い、ちょっと変わった石の道であった。11時50分、怒田沢林道目指して出発。 少し回り道をして、来るときとはちょっと違う感じの、暗い谷の道や、アップダウンの後、13時、大滝林道に到着。滝があるらしいが、危険で近くに行くことは出来ない。

 13時45分、出発地の大滝駐車場に到着。14時、再び車で帰途に着く。

 折角千葉に来たのだから、家族へのお土産にイチゴを買おうと、イチゴ農家を探し、地場の野菜やイチゴ、お花など買い、千葉の山は低いからといって侮れない、良い山だった、などと満足して、2時40分、ワイワイ車に乗り込んだまでは良かったのだが、暫くして、何だか車が揺れすぎる、これ、地震じゃないか、と取りあえず車を端に寄せて停車。

(2時46分、東北関東大震災発生。マグニチュード8.8、あとで9.0に訂正された。)

Takagoyama_9.JPG 2時50分、ラジオのニュースから,どうも東北で地震があったらしいと言う事が分かり、真っ先に考えたのは帰り道の事で、アクアラインが通れなくなるのではないか、という事だった。兎に角、行けたら行こう、という事でアクアライン乗り場に向うが、やはり途中で止められてしまい、高速を降り、千葉を周って帰るしか道がない、という事になる。

 この頃には、かなり大きな地震みたいだ、という認識に至る。車で走っていても、揺れているのが感じられる。ナビを設定して、千葉を目指すが、既に道路はビッシリ渋滞で、なかなか進まない。2台の車は前後で離れない様に走ろうと決めて進む。津波の事を考えて内陸に入ろうとするのだが、所々で橋を渡らねばならないために、結局もとの渋滞の幹線道路に戻る事になる。東京に帰る道路は内房の海岸線を通るのだ。

 暫く行くと、先にモクモクと煙突から煙が上がっている。この辺りは石油のコンビナートである。あの煙、いいのかな、と心配する内に煙は段々黒く大きくなり、とうとう発火し、しかも炎が益々大きくなる。なるべく離れなければ、と思っても前の車に続いてノロノロ進むしかない。少し離れて、炎を後ろに見れる様になった所で、突然、ドカーンと、大きな花火の打ち上げ音のような音がして、コスモ石油のタンクが爆発した。 怖かった! 思わず隣の貞子さんの腕を掴んでいた。

 家族とメールの交信が始まり、家族の安全が確認され、地震のニュースが知らされる。津波の警報が出ているらしい。外房600cm、内房400cmの津波警報、と言うが、そんな事、400mmの間違いだよ、等と言いながらも、川の傍を走ると心なしか潮が引いているように見える。暫く行くと、川が増水しているように見える。川の傍、海の傍はやはり気持悪い。それに時々余震があって、車の振動以外に、揺れてる、揺れてる、と言う感じである。

 一体何時になったら帰れるか、どうするか、と言う相談になり、家族が心配だからどうしてもこのまま帰る、と言う人と、どうせ進まないのだから此の辺で泊まって明日帰る、と言う意見があったが、結局1台は突っ切る、1台は慌てない、 という事になった。その内に携帯が繋がらなくなって、車同士の連絡が出来なくなり、家族とも連絡できなくなった。家族の心配をしていたが、今や、一番心配されているのは私達である。

 2台で前後して走っていたが、7時半にはとうとう見失ってしまい、お互い連絡も出来ず、別々の行動になる。夕食はどうするか、トイレは大丈夫か。最初はどこかで食べれば良い、とか、どこかで泊まれば良い、とかのんびり考えていたが、段々とこの地震は遠い東北の事ではなく、自分達がまさに被災者であり、食糧や身の安全を真剣に考えなければならないと言う事が分ってきた。でも、1人じゃなくて4人の仲間で居るという事が本当に心強い。コンビニでトイレを借り、夕食にカップヌードルにお湯をもらって、パーキングで食べて、覚悟を決めて出発。

 千葉まで30km?の間、ナビを見て、幹線道路はまるで進まないのでそれに平行する小さな道路を探しながら、結局海沿いの道を行くしかない。運転する人はどんなに気を使い、神経を使うか、大変だ。私達は孝儀さんの車で4人だが、運転は孝儀さん1人、この状態の運転でどこまで行くのがいいのか、問題だ。

 11時、やっと千葉に着き、駅前で一軒の旅館で空きを訪ねたが、もちろん無し、探しても無駄ではないか、という事で、何処か安全なコンビニのパーキングで仮眠したらどうか、と探すが、なかなか見つからず、12時、幕張まで来て、24時間営業のマクドナルドを見つけ、ここで休もうと車をパーク。店内は私達のような夜の避難者でいっぱい。サラリーマン風の人、若い女性、東京から歩いてきた人もいた。ハンバーグを食べて、ゆっくりさせてもらう。店員さんはみんな親切で、緊急時のホスピタリティーを感じる。マックの印象がとても良くなった。

ここで、憲治さんの車と連絡が取れたが、向こうはまだ千葉に着いていないが、ともかく無事、という事が分かった。この間、何回も連絡を取ろうとしたができず、何故か、唯一携帯のつながる孝儀さんの携帯から、自宅の夫人経由で、家族に連絡等をする事が出来た。携帯の電池がそろそろ少ない。何度も充電器を買おうとしたが、コンビニでは既に売り切れだった。

 1時に食べ物の販売はなくなったが、お客は仮眠したり、休んでいる。2時、私達はとにかく車で仮眠することに。暖房すると近所迷惑、という事で、持ってる衣類を全部着込み、アルミシートを身体に巻きつけ、手袋もして、眠る。孝儀さんお疲れ様でした。

 5時には目覚めて、とにかく、マックでトイレを借りて、暖まって、道路を見ると、トラックが全然動かない。5分経っても2,3メートル、と言う感じなのでる。あそこに入って行っても意味が無い、と言う事で、ぐるりと埼玉のほうを迂回するか、とか相談する。

 6時になると材料の補給が来たのか、朝食の販売が始まったので、暖かいホットドックなどを食べて、6時40分、とにかく出発。またしても幹線道路を迂回して行くと、意外と進む。7時30分、もう携帯の電池が無いので、コンビニの公衆電話で憲治車の吉生さんに電話をして、今どこ?と聞くと、自宅にいる、着いたばかり、というのでビックリ。そのまま横浜まで走り続けたらしい。拍子抜けする。その後は高速は走れないものの、順調に浦安、湾岸を通り、無事、横浜に帰ることが出来ました。茂子は一番先に、10時半に自宅に下ろして頂きました。結局、2時に出発して、帰るのに21時間位かかった事になります。

 本当に、本当に有難うございました。

  • 日時:2011年3月11日(金)、快晴、最高気温 12℃
  • 集合:相鉄線二俣川駅 「農協ビル」裏、6時30分
  • 参加者
    孝義(運転)、勝巳、伊久枝、憲治(運転)、貞子、昭、吉生(運転)、茂子、幸子、以上計9名
  • コース概要
    「二俣川農協」裏(/6:30)―― 東京湾アクアライン――木更津(/705)――大滝駐車場(8:30/8:40)――石射太郎、高宕山分岐(9:00/9:10 )――休憩(10:00/10:10)――高宕観音(10:30/10:40)――高宕山山頂(11:00/11:05)――昼食(11:25/11:50)――大滝林道(13:00/13:05)――大滝駐車場(13:45/14:00)――――――――
    翌日 1号車 8:00 帰宅、2号車 11:00帰宅

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一生に一度あるかないかの大パニックに遭遇されて大変大変お疲れ様でした、本当に無事に帰れて良かったです。

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このページは、akirafが2011年3月17日 08:57に書いたブログ記事です。

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