No.245 花見催行;「桃源郷&御柱祭」(2010.4.8--4.9)

user-pic
0

Onbashira_3.jpg--春爛漫の景色と、御柱祭木落しに感動して--

【1日目】2010年4月8日(晴れ)

(記録担当;美奈子)

 お花見を兼ねて、諏訪大社 御柱祭「木落し」を見学に行く日が近くと、気象情報に一喜一憂し、紘正さんがご苦労し確保してくださった観覧席の様子がわからないので、どの様な防寒対策したらよいか迷いながらの旅支度でした。当日は前日とは違い晴れ間がのぞき寒くもなく良い旅日和となりました。

Onbashira_1.jpg 6時40分全員集合、相模鉄道海老名駅を出発、相模湖インターより中央高速道に入り一路山梨へ、談合坂SAで15分程休憩し8時20分出発。このころは曇り空で少し心配になりましたが「小池さんが新笹子トンネルを抜けると晴れますよ」と言っていた通り、トンネルを抜けると本当に青空が広がっていました。中央高速道の両側には濃いピンク色の桃の花が咲きとても綺麗です。美味しい桃が待ち遠しいですね。

  Onbashira_5.jpg わに塚(王仁塚・鰐塚)に10時00分到着。日本武尊の王子・武田王のお墓です。田園風景の中に一本佇んでいます。樹齢300年のエドヒガン桜は満開で、多くの観光客で賑わっていました。雪景色の八ヶ岳を枝越しに遠望することが出来ました。  山高神代桜に10時45分到着。樹齢2000年ともいわれるエドヒガンの古木です。幹が半分えぐられた様に無く、沢山の添え木に支えられて咲いています。背後には雪景色の甲斐駒ケ岳の山頂だけが雲間から覗いていました。頑張って長生きしてねと古木にエールを送ってきました。

Onbashira_4.jpg  昼食は日本酒・七賢蔵元直営レストラン「臺眠(だいみん)」で、車中事前注文した麦とろ定食、名水うどん定食、鮭(麹漬け)定食をいただきました。

  清原白樺美術館の周囲にも、大きな桜の木があり満開でした。館内は閉鎖され見学は出来ませんでしたが、入り口にある親指のモニュメントは、右手の親指か?左手の親指か?議論となりました。

  神田の大糸桜に13時20分到着。田畑の Onbashira_6.jpg中に1本だけの木でしたが、まだ蕾はかたく、咲いていませんでした。あと、1週間もすれば見頃になると近くの人が説明していました。

  諏訪大社本宮に14時30分到着。勝負の神様と言われ、諏訪出身の「雷電」の銅像があり、土俵もありました。境内には木落しの展示品が飾ってあります。上社の御柱は木落しの時、御柱の両端にV字形の目処梃子(めどでこ)という木組みをし、人が乗るた めの紐が取り付けてあります。御柱にも人がまたがって乗ります。下社の御柱は目処梃子はありません。 15時30分、紘正さんの従兄弟の章義さんと合流。諏訪大社下社を丁寧に説明・案内をして下さいました。

  1. 下社には春宮(2月1日?7月31日迄神様のご在所)と秋宮(8月1日?1月31日迄神様のご在所)があります。
  2. 春宮、秋宮にはそれぞれ四隅に4本の御柱が立てられています。この御柱は今年5月には新しい御柱と入れ替わります。古い御柱はお札、お守り、表札等として利用されます。
  3. 春宮の近くには、岡本太郎さんお気に入りの「万治の石仏」があり、体は半円形で、その上にモアイ像のような日本人ばなれしたお顔が乗っていました。
  4. 木落し前の御柱が置かれている棚木場に案内していただきました。棚木場は木落し坂より20分程上流にあり緩やかな舗装道路を歩きます。私たちは章義さんの了解を得て、御柱に馬乗りになったり、歩いたり、抱きついたり、貴重な体験をしながら写真撮影をしました。

Onbashira_8.JPG 木落し坂は特別な管理をしている様子はなく、平均傾斜角32度、最大傾斜角35度、滑降距離は約100mとのこと、下を見下ろしただけで恐怖でした。御柱にまたがり滑り落ちる人は命がけであることが良くわかります。諏訪の人々の諏訪大社への揺ぎ無い信仰心、御柱木落しに対する情熱と愛情、そして深い郷土愛等お話をお聞きし感動しました。私も自分の住んでいるところが、章義さんのように語る事ができればよいのにと羨ましく思いました。木落しを目の当たりにした時、章義さんのご案内がなかったら、木落しに対する感激も理解も半減したと思います。本当にありがとうございました。

 予定を大きく過ぎた19時30分宿「ぎん月」に到着。食事の後、皆さんから本日の感想をお聞きし解散となりました。

 

Onbashira_95.JPG 【2日目】4月9日(晴れ)

(記録担当;邦子)

 今日は御柱祭最大の「山だし、木落し」を見に行くことに!ぎん月フロント前で8時半に集合して紘正さんが苦労の末手に入れてくれた観覧席券を首にかけて出発。祭り会場への道は歩行者天国で道路脇には2日--3日中には咲きそうな桜並木とその根元には黄水仙が咲いていてとても綺麗でした。祭り会場に近づくにつれてあちらこちらから Onbashira_12.JPG人々が増えて、道路脇には露天商のお店が立ち並びお祭り気分が盛り上がってきます。中部発電所のところでトイレ休憩と各班の確認や迷子対策の話の後出発。発電所脇の急な階段を登り、昨日紘正さんの従兄の章義さんに案内していただいた木落し坂上に出る。

 ここで河原組と山だし曵行見学組に分かれる。見学組は釜立バス停付近で御柱曳行行列と出会う。丁度行列が休憩に入ると Onbashira_9.jpgころだったので少し見学して、河原の観覧席に向う。観覧席は多くの人でごったがえしていましたが、先に来ていた河原組の人たちが木落しの良く見える席を確保してくれていたので、冷えないように膝掛けなどをして席に着く。中央のステージでは太鼓や諏訪地方の伝統芸能が披露されているところでした。

 11時ごろになると諏訪の町長さんや祭り関係者の挨拶がありその後でバンクーバーオリンッピクで銀メダルと銅メダルを取ったスピードスケートの長島選手と加藤選手がステージに上がり観客席の人たちから大喝采を浴びました。

Onbashira_11.jpg D席,E席、F席は木落し坂の真前の砥川の川幅を半分くらいに塞き止めて、その川の上に石や砂利を敷き詰めてその上に白いシートを敷いたところで、雨でも降ったらどうなるのかと心配しましたがお天気に恵まれて本当に良かったと思います。私たちが見る木落し御柱は、1年前に伐採されて、章義さんに案内していただいた棚木場で眠りについていた御柱です。今年の秋宮の1之御柱は目通り約3.3メートルのもある、もみの巨木だそうです。「奥山の大木里に下りて神となる」と言う木遣りを会図に、曳子達により山出しが始まり5時間もかけて木落し坂上まで曵行されてくるのです。

Onbashira_10.JPG 木落し坂の崖の上に曳子たちがあらわれ、坂の左右に大きく分かれて30分以上も曳き続け、御柱が崖の上にジリジリとせり出てくるとはるか下の砥川の河原を埋めた大観衆から、大きなどよめきが沸き起こり木遣りやトランペットで賑やかに迎えられもうお祭りは最高潮に達しどきどきキャーキャーという内に、追いかけ綱が切られ、100mもある急坂を男衆達が乗った御柱が一気に滑り落ちるのです。あっという間の出来事ですが何とも言いようのない高揚感に包まれ、お祭りに参加出来て本当に良かったと感謝しています。

Onbashira_88.jpg 坂を下った御柱は氏子達に曳かれてさらに山道を下り、小高い丘の上の「注連掛」(しめかけ)というところで更に1ヶ月の眠りについた後に「里曳き」により春宮、秋宮へと曵行されて境内の東西の拝殿、東西の宝殿の四隅に建ち上がり2ヶ月間のお祭りが終わるのです。第2木落しが終わり帰途に着くのですが、大勢の見物客でごったがえしていて道路は春宮三之御柱の曵行とも重なりなかなか前に進めず待ち合わせ場所の宮の湯の橋まで40分もかかってしまいました。

 人数を確認してぎん月の駐車場に到着後出発。バスに乗るとすぐに美味しいおやきを頂いた後、今までに各自が経験したお祭りの思い出や今回の御柱祭の感想を聞きました。

 10分ほどで諏訪PAに着く。レストランでコーヒーを頂き、談合坂SAでトイレ休憩をとり、海老名駅に到着後解散。

  • コースタイム(着/発):
    「ぎん月」朝食(7:30/8:00)――中車場(/8:40) ――中部発電所休憩(9:20/休憩/9:40)――木落とし坂(9:50)――斧立バス停付近――河原観覧席(10:30) ――諏訪町長挨拶(11:00)――昼食(12:00)――春宮四之御柱木落し坂上到着(12:30/13:00)――四之御柱木落し(13:15)――春宮三之御柱木落し坂上到着(14:50/15:10)――三之御柱木落し(15:15)――三之御柱木落し終了後河原出発(15:30)――宮の湯の注連掛橋(16:10)――ぎん月駐車場(16:50/17:00)――諏訪PA(17:10/17:50)――談合坂SA(18:10/18:25) ――海老名駅前(19:30)(解散)
  • 参加者
    三貴也、美奈子、多摩江、洋子、善右衛門、恵美子、龍太、美保、伊久枝、紘正、文子、邦子、きみ子、昭、吉生、幸子、功一、富士子 以上18名
  • 解説
    • 御柱祭
      7年目ごとに1度の天下の大祭で正式には「諏訪大社式年造営御柱大祭」といい、寅と申の年に社殿の造営(現在は宝殿)と御柱と呼ばれる巨木の曵き建てを行う。信濃之国一之宮諏訪大社のお祭りです。御柱祭はそのスケールの雄大さ祭事の特殊性などから、日本の大祭の1つに数えられます。起源は今も謎に満ちている部分が多く史料によれば、1200年以上前の奈良時代にはすでに行われていたと伝えられてますが、その以前にも遡るとも言われています。直径1m、長さ17m、重さ約12トンにもなる巨木を山から切り出し、それを人力のみで里へと曳きだす「山だし」が4月に、その後各社殿を囲むように四隅に建てる「里曳き」が5月に上社、下社それぞれで行われ、上社の前宮、本宮、下社の春宮、秋宮、の四宮×4本で計16本の御柱を諏訪地方の各地区がそれぞれ担当し、諏訪人は全精力をかけて祭りに奉仕します。
    • 諏訪大社
      諏訪大社は極めて古く「古事記」、「日本書紀」にも著されている様にわが国最古の神社に数えられます。諏訪湖をはさんで南岸に上社、北岸に下社があり冬の寒い時には氷が張り神様の御神渡りがあるとの言い伝えがある。上社には本宮、前宮があり、下社には春宮、秋宮の四社からなっている。上社、下社とも夫婦神とされ「建御名方神」(たけみかたのかみ)、「八坂刀売り神」(やさかとみのかみ)、「八重事氏主神」(やえことしろぬしのかみ)、を主祭神としている。社殿は、上社は諏訪系、下社は出雲系に属しているとされる。各社四本ずつの御柱を建てることにはさまざまな説があり、代表的なものとして四神説の青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)玄武(北)、の四方を守る神説「里に下りて神となる」と木遣りに唄われているように御柱そのものを神とする説、御柱は神の降臨する架け橋とする説などがある。その歴史は太古に遡り、狩猟の神、風の神、水の神、農耕の神として信仰され中世以降は東国第一の軍神として武将たちに崇敬され、全国に1万以上の分社がある。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://kenhai2100.com/cp-bin/mt/mt-tb.cgi/148

コメントする

カウンタ

このブログ記事について

このページは、akirafが2010年4月17日 15:14に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「No.244 足尾銅山見学・青春18切符の旅(2010.4.2)」です。

次のブログ記事は「くりはま花の国・猿島を訪ねる(2010.5.15実施済み)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。