No.208九州大旅行ハイキング(2008.5.26--30)

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  Kyushu_4.jpg【1日目】5月26日(月)晴れ

 

≪天草グループ報告≫

(報告担当 才美)

 熊本空港9時45分着 レンタカーのシャトルバスにて「ジャパレン」(096-372-3900)へ。11時3台の車レンタル 2台天草組、1台熊本城観光に分かれて出発。

 さすが南国 夏の太陽がじりじりと照りつけ日影が恋しい。

 熊本から不知火海沿いに天草五橋を経て天草上島まで渡り復路は有明海沿いに走り熊本へ帰るコースである。

 天草は(以下案内書)「天草、大矢野、志岐、上津浦、栖本の豪族天草五人衆が割拠していた。中世にはいずれも海に進出し、外来文化に触れた。1591年には天草学林(コレジョ)が開かれてもいた。」

 天草五橋は 「天門橋―1号橋、大矢野橋―2号橋、中の橋―3号橋、前島橋―4号橋、松島―5号橋」

 熊本空港から麦秋の畑の広がる中、高速道路で一路天草五橋を目指す。大小の島々を見下ろす内海ののんびりとした景色が現れ、やがて2号橋をわたり小高い丘にある天草ビジターセンターに立ち寄る。

  Kyushu_1.jpg ハクセン(白扇)シオマネキ(かに)  ここの海でのハクセンシオマネキの産卵の説明を受ける。生の力強さ、神秘、に感じ入る。オスの一方の鋏が非常に大きく発達している。それはメスが産卵するための巣穴を掘るためのものである。その巣穴は微生物が何もない砂地に掘られることが、一般のかにと異なる特徴がある。オスの役目はそこまでで後は死んでしまう。卵から孵った子かには2万匹のうち4匹しか元の浜に帰ってこられないとか。この浜の場所は秘密とのこと。生と死のドラマを垣間見た。

 待望の海鮮料理屋で遅めの昼食。丼からはみ出た3匹の海老天丼、車海老、鯛、はまち、烏賊など今まさに泳いでいたものを料理したように生き生きとコリコリの食感でみんな大満足。多めの量も全部たいらげた。

 腹ごなしにと千厳山に登る。天草四郎が反乱の杯を交わした地とか。時に16歳。お薦めスポットだけあり眺めは素晴らしい。1号橋以外の橋がすべて俯瞰でき、点在する大小の島々が真珠の粒のように楚々としている、緑滴る周りの山山、時々ちがう囀りも混じる林、一羽の鳶の緩やかな動きさえもこの景色のなかに融け込む。夕日の眺めはさぞかしと思いを残しつつ下る。

 天草四郎メモリアルホール  尼僧の姿を模した様な白亜の建物である。天草、島原の乱のスライドの説明によるとキリシタンの反乱の意味することは実は幕藩体制下の悪政と重い年貢に対する農民一揆でもあったとか。癒しの空間で一休み。

 有明海沿いを走る。干拓の造形美を堪能する。遠浅の海にゆるやかなうねりの縞模様を描く水と砂地の優美さ。静かな海が続く。やがてたばこ畑が両側に延々と続き、まだこんなにも需要があるのかと驚く。

 アークホテル熊本着6時10分熊本城のお堀の脇、NHKの前。

 部屋割の手違いがあり手間取り貴重な時間の無駄。7時ロビー集合。夕食処へ。

 ホテルうらの居酒屋で明日からの成功を祈念し、ビール、いも焼酎、地鶏料理、馬刺しなどで少々度を外したかも。みんなまだ元気。10時ホテル着。おやすみなさい。

  • コースタイム(着/発)
    熊本(ジャパレン)(11:00/)――2号橋――天草ビジターセンター――5号橋までなんとなく渡って海鮮昼食(福伸)(14:00)――千厳山――天草四郎メモリアルホール16時――道の駅――アークホテル熊本(096?351?2222)(/18:10)

 

≪熊本城下散策グループ報告≫

(報告担当 伊久枝)

  Kyushu_2.jpg 11時25分出発。荷物におされギュウギュウ詰めの車中は女性4名と2名の男性。

 まず水前寺公園を目指す。全員で目的地を探しながら、これから始まる別行動に興奮気味!初めての人や40年ぶりが大半なのだから当然か?!30分程で水前寺成趣園に到着。食事は後まわしとし園内に入る。東海道五十三次を模した桃山様式の優美な回遊式庭園は想像していたより規模が小さく感じた。しかし季節がよかったので柔らかな芝の緑や池の端に咲く花など美しく、鯉の大きさや多さには目を奪われる。

 12時30分園外のおみやげ通りにある"手づくり豆腐と食事の店卯の屋"でそば定食・だご汁定食(小麦粉をこねて引き延ばした物をちぎって汁に入れる)の昼食をとる。13時40分ホテルに立ち寄りチェックインし(荷物だけ一室に入れ)徒歩でお城に向かう。かって内堀であった坪井川を渡るとあちらこちらに櫓が見え、誰もいない不開門から入城する。陽ざしも少しづつ強くなり暑い中を、新装なった本丸御殿・天守閣・宇土櫓と鍛えた足(?)に物を言わせ、急階段もなんのその全てを歩き通す。本丸御殿は昭君之間も含め、全て木目も新しく見事であったが、新しすぎて今一つ壮重さに欠けていたのが唯一惜しい気がした。(西南戦争の3日前原因不明の出火で天守閣・本丸御殿一帯は焼失)。いつの時代でも、出来たてはこうなのだから、その時の華麗さを味わえばいいのだが、凡人は昔の物はそれなりの荘厳さが伴うものという勝手な思い込みがあるからいけない。

 天守閣や櫓からの眺めは素晴らしく、吹き抜けてゆく風の心地よさ!天守閣の入り口に立つ雑兵姿の若者にもこの風を分けてあげたいくらい。あちこちの石垣の見事さ美しさは噂に違わず武者返しもじっくりと見ることが出来た。二の丸広場は一面緑の芝で整備され天守閣や櫓を振り返りつつ感嘆の声をあげた。

 二の丸広場を斜めに横切り旧細川邸へ。こちらも又裏門から入るが外庭の敷石以外は小砂利が波状に造庭されていて美しい。西南戦争で城内に鎮西鎮台が置かれたため城内の武家屋敷は城外に移らねばならなくなり、下屋敷を本邸として整えた屋敷だが奥行きの深さに驚きつつ各部屋を見て歩く。入り口の長屋門から出て帰路につく。

 16時45分広い城の中を一巡した形になり堪能して夕食までを城下町散策とする。蔚山町(うるさんまち)の電停(路面電車)からスタートし江戸時代から続く薬店"吉田松花堂"で「諸毒消丸」の説明を聞き買い求める。この家は一駅分位の白い壁のお屋敷で入り口は真っ暗な土間となっている。上りがまちの一枚戸の立て屏風には禽獣のいかめしい絵が描かれており対応に出た人の物腰のよさ等、とにかくビックリ!!でした。

 広い電車道を避け路地を歩くと鯉のぼりが数匹泳いでいた。坪井川の明八橋を渡ってすぐに創業百余年の履物店"武蔵屋"があり竹の皮で作った草履や下駄等どれも手作り品がズラリと並んでいる。ご主人やお子さんへのお土産を買ってからキョロキョロと街の佇まいを楽しんでいたら天日古代塩"ソルト・ファーム塩工房"が目に入る。天草の通詩島(ツウジシマ)の海水から出来る塩を買い、ご亭主に美味しい食事処を尋ねる。

 そろそろお腹もすいてきたし・・・ということで教えられたお店を探しながら坪井川沿いの遊歩道を歩く。残された中で一番長い長塀を左に、時々頭をのぞかす櫓を楽しみながら。

 18時10分ホテル近くの食事処"城見櫓"に到着。ライトアップされたお城をガラス越しに眺めながら、郷土料理を中心にお酒も入り大いに盛り上がる。馬刺しが効いたのか、皆の心も飛び跳ね、走り・・・と、これからの長い旅のスタートを切ったのでした。

 

【2日目】5月27日(火)晴れ

  Kyushu_3.jpg 7時に朝食を摂り、7時35分には3台の車で、熊本城に別れを告げアークホテルを後にした。

 明日以降の天候の関係で、久住山登山の前に大観峰に行く。途中、阿蘇駅周辺で昼食、飲料を調達し、9時20分、57号線より黒川の信号を左折し北上、大観峰に向かう。9時50分大観峰に到着する。大観峰は、阿蘇を取り巻く外輪山の北側に位置し、壮大な景観を楽しめる。展望台に向かう途中にはキンポウゲ、ハルリンドウが楚々として咲いている。蕨も沢山芽を出すのだろうか、今は大きくなり葉が風に揺れている。展望台(936m)から南方を眺めると、阿蘇五岳が横線に並ぶ稜線があたかも釈迦が横たわる涅槃像に見える。根子岳、高岳、中岳、往生岳、杵島岳が五岳である。眼下には、整然とした田畑が広がり、所々麦秋が山吹色に染まっている。一方は若草色の草原が波打つように広がり、空には、雲雀が何か言いたげに囀っている。かっては遠見ケ鼻と言われていたが、ここからの阿蘇五岳の素晴らしさに感嘆した徳富蘇峰が大観峰と名づけたという。

 10時30分大観峰を出発し、牧ノ戸峠登山口(1330m)に向かう。牧ノ戸峠駐車場に11時に到着する。登山準備をし、11時20分より登り始める。途中まではコンクリートの登山道。登るにつれ、素晴らしい眺望が広がり、左側には三俣山、背後に黒岩山、泉水山、その向こうに端正な姿の涌蓋山、正面には阿蘇の涅槃像が望まれる。左側に目を向ければ、目的地の久住山の三角錐が僅かに見える。アップダウンのある道である。ツクシシャクナゲが取り残されたように、しかし、自己主張するように咲いている。上りルートの梯子を登り沓掛山に到着する(11時40分)。ここの頂上は狭くここに来るまでに上り、下りが別ルートになっている。久住山迄、後3.4kmの標識を通過する。12時05分昼食を摂る。ミヤマキリシマ、イワカガミ、ハルリンドウが心地よく目に飛び込んでくる。12時30分に再び登り始める。13時扇ケ鼻分岐に着き、休憩する。13時05分登山開始。岩がゴロゴロの道で足元に注意しながら登る。13時15分西千里ケ浜に着く。左側には星生山が見える。火山活動している時には立入り禁止になるらしい。三俣山に似たなだらかな頂上だ。星生山の分岐を久住山に向け進む。避難小屋が見えてくる。13時35分避難小屋付近で休憩する。13時45分出発し、13時48分千里ケ浜分岐(久住分かれ)を通過し、久住山頂上に目前の所で皆のリュックを一まとめにして置き、身軽になって14時05分最後の急登なガレ場を登る。14時18分久住山に登頂する。頂上は馬の背の様になっていて余り広くない。標高1787mで360度の眺望。北には星生山、三俣山、遠く由布岳、東は中岳、天狗ガ城、その向こうに大船山、南に阿蘇山と見ることが出来る。14時23分下山をし、14時35分に先程リュックを置いた場所に着く。リュックを背負い、14時40分下山開始。15時05分ガレ場を一時抜ける。15時10分星生山分岐を通り抜けると、又ガレ場が始まる。15時18分扇ケ鼻分岐を過ぎ、15時25分一休み。辺りには、時間の経過で登りの時よりミヤマキリシマ、ハルリンドウ、スミレ、イワカガミ等が多く開花している様に思う。15時35分再び出発し、16時05分休憩する。久住山の頭が別れを告げるように見ることが出来る。16時10分階段を下り始める。16時25分牧の戸峠駐車場に着き、そこで水分補給や水の購入をしたり、トイレに行ったり、更に法華院温泉での二泊分の衣類等をリュックに詰め、16時50分長者原登山口に向け出発する。

 17時に到着し、車を置き、17時05分急ぎ法華院温泉に向け歩を進める。途中、2回程休憩を取りながら、三俣山の東側裾野を雨ケ池越、坊がツル避難小屋を通り、20時法華院温泉山荘に到着する。ここは、鎌倉時代(1324年)に人皇二代綏靖天皇を奉請して十二所大明神として祭ったのに始まる。明治15年、本坊支坊皆焼失し、現在の山小屋を始める。阿蘇・九重国立公園の中にある。本当に、疲れた......!!。到着後、間もなくして本格的に雨が降り始める。入浴後(石鹸の類は一切つかえないので、汗を流すのみ。山の中、汗を流せるだけで幸せ。)、20時30分夕食となる。ビールで乾杯し、無事法華院温泉に着いたことを祝う。22時頃には、皆床に着く。

  • コースタイム(着/発)
    アークホテル(/7:35)――(車)――大観峰(9:50/10:30)――(車)――牧の戸峠登山口(11:00/11:20)――(登山)――沓掛山(11:40)――扇ケ鼻分岐(13:00/13:05)――避難小屋(13:35/13:45)――久住分れ(13:48)――久住山(14:18/14:23)――扇ケ鼻分岐(15:18)――牧の戸峠登山口(16:25/16:50)――(車)――長者原登山口(17:00/17:05)――(徒歩)――法華院温泉山荘(20:00/)

 

【3日目】5月28日(水)曇り後雨

  Kyushu_5.jpg(記録担当 美保)

7時 朝食

7時50分 法華院温泉山荘 出発

半分行程組 三貴也さん、孝儀さん、多摩江さん、恵美子さん、龍太さん、貞子さん、美保さん、その他の方は全行程 平治岳、大船山、登山の予定。

8時10分 坊がつる 写真撮影

果てしなく続く湿原 名が分らないが黄色の花が風に揺らぎ可憐。

一人一石運動、途中ぬかるみに石を持っていき、歩きやすくしてほしい。看板あり。

9時25分 大戸越 休憩 撮影、登りかなりきつい。

10時 ミヤマ霧島 山の斜面一杯に薄ピンクに染め最高の眺め、ここで半分組は下山

10時35分 休憩 雨雲が出てきて天気予報的中。雨具の準備をする。

11時25分 坊がつる 到着

12時05分 山荘 到着

入浴してから山荘で用意してくれたお弁当を食す。ついでにビールも。食事をしていると全行程組も戻る。天候を見て平治岳で下山したとのこと。その後 本降り。

14時15分 自由行動

17時30分 伊久枝さんの阿蘇研究発表。

18時 夕食 献立 ・いたどり、うど葉のてんぷら ごまどうふ添え ・とんかつ・ごぼう、厚揚げ、牛肉、玉ねぎの煮込み ・きゅうり、わかめ、ミニトマト、酢の物・湯葉の汁 ・ご飯 ・つけもの。

夕食後 明日の予定発表。就寝

  • コースタイム(着/発)
    法華院温泉山荘発(7:50)――大戸越(9:25)――坊がつる(11:25)――法華院温泉山荘着(12:05)――夕食(18:00)

 

【4日目】5月29日(木)雨のち晴れ

  Kyushu_6.jpg).JPG(記録担当 恵美子)

 強い雨、強い風と一晩中降っていた雨も少し小雨が残っている程度になりました。朝食を6時30分までに済まして、7時には法華院山荘を出発しました。山荘を出発して坊がつるの標識のところでリーダーが後を振り返ってごらんと、朝もやの中にもう二度と見ることの出来ない雄大な景色を目に焼付けました。

 山荘に来た道を下るのは雨の後であるため危険と、距離は増えるが車道を選択して長者原駐車場においてある車を先発隊(運転してくれる3人)が取りに行き、車道の出口(ゲート)で全員合流しました。車道は下り新緑の中、たくさんの小鳥のさえずり、りんどう、木いちご、蛇いちご、いたどり、まいずる草と可愛い花達、水量豊かな谷川の流れオゾンを全身に浴びて元気ずけられ一生懸命歩きました。

 9時ゲートに到着先発隊の車に乗車。10時10分阿蘇駅まえのコンビニにて各自当日の昼食を購入、中岳・高岳の登山口仙酔峡ロープウエイ駐車場に10時30分に到着。10時40分発ロープウエイに乗車、所要時間約10分中央火口の丘見晴台まで舗装された坂道約40分、11時30分に昼食。

 12時に中岳・高岳を目指して出発、三貴也さん、恵美子さんは残り組み。ガスが昇って来たのでロープウエイ駅まで降りようと歩き始めると、登ってくる高校生の団体と一緒になり皆元気な若者達で次々とこんにちは、こんにちはと挨拶されて若さ一杯の男の子、女の子のフェロモンをもらいつくづく年の差を感じました。ひばりも2羽、3羽と美しい声でサエズリとてものどかで気持ちの良い時を過ごしました。中岳で降りて来た龍太さん、美保さん、貞子さんと、高岳まで登った人達と一緒に下山しました。阿蘇5岳を皆さんに心配かけながら見ることができましたありがとうございました。

  Kyushu_7.jpg 3時阿蘇神社へ、火振り神社とも言われ、この神社は阿蘇神社の蘇の字を蘓と書かれ江戸時代の古文書などにみうけられるとのことです。色々なお祭りがあり、火消しはしご登り、お神楽、やぶさめ、と豊作を祝い3日3晩踊り続けるのだそうです。

 4時にNEC阿蘇保養所に到着。山小屋では、石鹸、シャンプー、など使えなかったので私達の日常生活は贅沢になれてしまっているのではと反省しました。お風呂に入ってさっぱりしたところで、夕食です。夕食のメニュー;茶そば(山菜トロロかけ)、串揚げ、サーモン、からしレンコン、他刺身(鮪、ハマチ、鯛)、クラゲの酢の物、山芋の三杯酢、焼き物(海老、サザエ)、豚汁、ご飯、香の物、フルーツ(リンゴ、オレンジ)、生ビール、ブルーベリーワイン、焼酎。

 二次会では邦子さん差し入れのイチゴをたっぷりご馳走になり、きみ子さんの好きな詩をよんでもらい良い一日でした。

  • コースタイム(着/発)
    法華院山荘発(7:00)――ゲート着(9:00)――中岳・高岳の登山口仙酔峡ロープウエイ駐車場着(10:30)――NEC阿蘇保養所着(16:00)

 

【5日目】5月30日(金)晴

  Kyushu_8.jpg(報告担当 邦子)

 阿蘇の山々が一望できるNEC保養所の洒落た食堂で美味しい朝食を頂き、玄関前で写真撮影の後出発。保養所近くの牧場へ、野ばらや野アザミが美しく咲いていて杵島岳、往生岳が目の前に見えた。清々しい空気の中柔らかな緑一色に染められた牧場の遠くで牛がのんびりと草を食んでいた。

 その後今回の観光スポットの一つである阿蘇の草千里に向かう。草千里は阿蘇五岳の一つである烏帽子岳の裾野に広がる火口跡で緑の大草原であった。

 草原の池の近くにはキンポウゲの可愛い花が一面に咲き、一方ではキリシマカリヤスと言う細長い穂を持つ丈の低い草が風に揺れ美しく波打っていて、「草千里は風のウエーブの様」と美穂さんが言っていた。昨日中岳の中腹から見た溶岩に焼き尽くされたままの荒地の砂千里とは対照的である。

 丘の上の地獄垂玉の分岐に立って阿蘇の町を見下ろすと、加藤さんが説明の中で冗談で言っていた阿蘇大明神健磐竜命が蹴飛ばして出来たというただ一つの切り口に当たる立野がはっきりと分かった。散策後レストハウスで美味しいソフトクリームを食べ、希望者だけで阿蘇火山博物館で世界最大のカルデラを持つ活火山の阿蘇の生い立ちから現在に至るまでの全容を見学して外に出ると待ち組の人たちが中岳の火口を見に行ったとのこと、博物館組も後を追って車で火口展望所へ向かう途中、道路の両側にミヤマキリシマが咲きとてもきれいだった。昨日中岳からの下山中向かい側の展望所に人影がなく不思議に思っていたが、有害な火山ガスを含む煙が常に噴出しているので風向きによって規制されるとのこと、今日は幸運にも風向きが変わり火口展望所に来られてラッキーでした。火口水面は200m下にあり白い噴煙をもくもくとあげ、ときどきエメラルドグリーンの水面を見ることが出来た。

  Kyushu_9.jpg 先発のロープウェー組と下の駐車場で合流、お椀を伏せたような小高い山の米塚の見える道路に出る。黒川の長陽大橋を渡り立野より国道57号線に出て熊本空港に向かう。途中国道沿いの大きな水車のある山椒茶屋というそば屋で、昼食を食べて再び空港に向かい2時少し前に到着。荷物を降ろした後小池さん達にレンタカーを返して頂き他の人たちは搭乗手続きを済ませ、各々お土産等を買い求めながら出発までの時間を過ごす。日本航空4時30分発の飛行機で帰途に着く。6時10分羽田到着荷物を受け取り6時25分解散。

  • コースタイム(着/発)
    朝食(7:30)――保養所出発(8:10)――牧場(8:15/8:35)――阿蘇草千里(9:10/10:30)――博物館見学(10:45/11:30)――火口見学(11:40/12:15)――昼食(12:50/13:15)――熊本空港着(13:50/16:30)――羽田着(18:10)――解散(18:25)
  • リーダーから(今回の経験から)
    1. 登山靴は耐用年数がある。5年が限界といわれているが、製造年月でもっと早いものがある。(製造年を教えない店では買わない)靴底を張り替え出来るものを。靴は命。良いものを。 参考までに私の靴は46,000円。張替は3年で1回16,000円。
    2. 運動靴スタイルの登山靴は一部のベテラン以外不適当です。形だけ真似ると捻挫したりします。くるぶしが隠れるだけの丈のある普通の登山靴を。雨天でも困ります。
    3. 懐中電灯はどんな時でも必携。予備電池も。出発前に点灯チェックを。
    4. 水は多めに。荷物は軽めに。夏は特に。
    5. 山小屋は暗くなったら寝て、明るくなったら出発。通常の生活時間帯ではありません。非日常の世界です。
    6. 参加時には「自分で」関係の地図や文献を見る。特に体調や体力に心配のある方は事前のコース検討で参加不参加をまず決める。山はくれぐれも「自己責任」です。
  • 参加者(役割);
    三貴也(部屋割り、車割り)、孝儀(運転、リーダー)、多摩江(27日記録)、善右衛門(会計総括、運転)、恵美子(29日記録)、龍太(運転、ナビゲーター)、美保(28日記録)、勝巳(リーダー、登山)、才美(26日記録)、伊久枝(26日熊本までの行動計画、阿蘇研究報告)、紘正(運転、ナビゲーター)、邦子(30日記録)、貞子(久住研究報告)、きみ子(会計)、幸子(部屋割り、車割り)、以上計15名
  • 平均年齢67歳
  • 費用約65,000円

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このブログ記事について

このページは、akirafが2008年6月 8日 10:29に書いたブログ記事です。

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