No.176 神津島 天上山(572m)山行記録(2007.3.14-17)

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Kodujima_1.JPG(記録担当 勝巳)

  • 日時 2007年3月14日pm22時竹芝桟橋出発--17日pm6時横浜港大桟橋帰着(船中1泊、宿2泊)3泊4日
  • 天気概況 曇り朝夕雨。気温8度。

 行程に無駄が一切無く、それでいてせわしさも無い、断続する雨を巧みに避け、参加者全員が満足できる今回のスケジュールは神業である。誰も来ないこの時期にこのコースを設定するに当たってはさぞかし知恵を絞ったのであろう。参加人数も参加者同士ゆったり語り合うにはちょうど良い。山登りというより旅に近い。そこに異景の山があったということか。

【第1日】3月14日(水)

Kodujima_2.JPG 高齢者割引の健康保険証持参でキップを購入。東京竹芝桟橋22時出発。 つい最近までは、日の出桟橋から出航していたが、今では見違えるほど立派な桟橋がモノレール竹芝駅の真下にある。相変わらず東海汽船のもたついた乗船手続きだけは昔と変わらないが。船はかなり大きい。「かめりあ丸」(3837t)。我々は奮発して特2等の寝台指定席。これ以上の等級はないと思いきや、なんと下から2番目。それでもゆっくり足が伸ばせるし快適である。乗船後すぐ「今日はただ寝るだけだから」とこれからの旅を思い自然に饒舌な持ち寄りパーテーとなる。各自おもむろに就寝。外洋に出たのか船にいる現実を感じながら眠りにつく。明け方空腹に眼が覚め、船酔いもしていないので持ってきた弁当と、船のラーメンを食べる。これがいけなかった。詳細は略すが今でもラーメンの言葉すら聞きたくない。

 

【第2日】3月15日(木)

Kodujima_3.JPG 明けてきたうす曇りの中に島々が見えている。かつて健ハイで登った大島三原山のほか、利島、新島、式根島、三宅島が黙ってそれぞれ思い思いの形をして浮かんでいる。「お前が勝手に創れ」と神様に言われても、こんな形を次々に創れない。思い描くことすら出来ない。いつまでも姿を見せている伊豆半島が意外なほど太平洋にせり出しているのには奇異な感じがし、あらためて房総半島との大きさの違いを実感する。朝の陽の中に神津島の断崖が見え始める。スッパと切れ落ちて山頂から海に至るまで滑らかに白い肌も露に崩落している。一切の木々も草さえも寄せ付けずに厳然として屹立し遠く来る渡り鳥にさえ休む場所を与えない孤高の崖に囲まれている。

 これからの天候を見極めて計画を変更し、雨を避け一日繰り上げて15日に天上山に登ることにした。船は本来の神津島港ではなく風向きのため東側の三浦漁港に着く。どこの島でも桟橋にパトカーの出迎えを受けるがここも例外ではない。降り立ったのはほんの数名でそれも皆島民で知り合いのようだ。この港は、風よけの避難港のため人家は一軒もない。迎えのジャンボタクシーと元気なオバサンの運転する車でひとまず宿に立ち寄り不要な荷物を置いて登山口に向かう。

Kodujima_5.JPG 本来の登山口(そんなものがあるとすればだが)は「黒島口」といい、この宿から近いのだが、コースの関係上林道を遡りかなり遠い「白島口登山道」のさらに上部、トイレのあるところまで送ってもらう。(ちなみにこの島は実に豊富に水洗のきれいなトイレがある)この島唯一の温泉に直行する2人を乗せてタクシーが帰ると急に物音がない。心配した雨も止んで伊豆特有の強い西風も凪いでいる。肌寒い気温も登るにはいい。リーダーを先頭に山頂を囲む外輪山の尾根を目指す。ほとんど樹がない。低木のいばらの樹か、背の低いつつじの樹のみである。道は階段状にしっかり手入れしてあり海外のどのコースにも負けない。岩だらけのジグザグ道を少し苦労して登り振り返ると神津島村の全景が見える頃に目指す尾根に到着。大きなしっかりした標識がこれから行く天上山の岩の重なる方向を示してる。遠く灰色に三宅島が見える。黒潮の海が白く波頭を飛ばしている。ここまで来るとさすがに島の山の風がある。このあたりは神聖な場所として崇められる「不入ガ沢」(はいらないがさわ)だ。その昔に伊豆七島の神が集まって貴重な水の配分をしたところでありその結果か神津島は全島豊かな旨い水に恵まれている。

Kodujima_6.JPG 道を「山頂完全周遊コース」にとる。最初にババ池が出るが、これは馬場であって決してババア池ではない。この尾根の道はどこを見ても海と島とそれに断崖と低木の樹海。加えて静寂がかもし出す気品。太平洋上の島であることを今さらのように思い出させる。崩れそうな巨大な岩山である櫛ヶ峰への分岐を経て「天空の丘」に立つ。このあたりのオオシマツツジの群落はきっと見事だろう。丘からは360度の展望。天気しだいで北アルプスすら見えるという。小休止の後近道をし、巨大な岩の中の道を登って天上山最高地点(572m)に至る。ここはこの小さな島の在る40を越すピークの最高峰である。狭いが展望に文句は無い。ここで初めて単独行の老登山者に出会う。青春キップを利用し千葉の烏場山に登り、その足で天上山に立ち寄り、名古屋に帰る強行軍の途中とのこと。この島は変な人を呼び寄せる魅力があるらしい。

 ゆっくりとした時間の中で各自昼食にする。低く垂れ込む3月の雲を映す果て無き黒潮の海と、点々と続く島々と、ほてった体に心地よい風を受けながら言葉少なく。

 やがて達した見事なベンチがある「表砂漠」は、岩石の性質からか真っ白な庭のようなやさしさに満ちた別天地だ。決して高くは無いが独特の火山噴石による褶曲岩がおりなす無数に近いピークに囲まれて表砂漠は安らぎに満ちている。近くの裏砂漠に至っては月の砂漠の歌の風景だ。夜、満月の中でここに座して遠い幽かな海鳴りと、島渡る風を聞きたい。天候の悪化を予測し裏砂漠には足を踏み入れずに全景を俯瞰して出発する。途中の休憩地ではタスマニアやニュージランドの山、スイスもカナダも天山山脈の山までもある。曇ってはいるがたまに薄日が差してきた。こうして低木の樹に囲まれて言葉を無くしていると外国にいる錯覚におちいる。周囲は岩の峰々が幾重にも続き遮るものもない。昔の映画で幌馬車を襲ってくるインデアンが狼煙を焚くあの岩山のようだ。贅沢な時間の中を千代池(せんだいいけ)に着く。今は水が無いが春と秋の雨期には満々と水を湛えるという。春まだ早い空の下、池の底に満水の痕跡のみを示すだけだ。この岩峰に囲まれた静謐の池はきっと神々の池だ。程なく外輪山の尾根道にある「黒島山頂10合目」にいたる。附近には「オロシヤの石塁」があり江戸時代に異国船が来たら戦う為の石垣だが、第二次大戦でもこの周辺に石組みが築かれ戦いに備えた。こんな孤島であのアメリカとどう戦うのだろうか。

Kodujima_4.JPG ここの下山口からは一気に急勾配を250mを降る。1/25000の等高線も見事なまでに混み合っている。いささかうんざりする頃トイレのある「黒島口登山口」に到着。まさにそれを見計らったような大粒の雨。というよりも我々が降りきるまで雨がともかくこらえてくれていたかのようだ。降り出した雨を良いことに宿に迎えを頼む。元気のいい宿のオバサンの車は10分もしないうちに到着した。

 夕方4時30分には風呂をあがって、音立てて降り続く島の雨を夕暮れの中に眺め、巡ってきた神々の庭を肴にビールを飲んでいた。このあたりは実にすばやい。遠く来て目的の山に登り、気心の知れた仲間と囲むこの瞬間が至福のときでなくてなんであろう。リーダーの心尽くしの特別追加料理もあり、いかに我ら青年男女でも食べきれないほどである。部屋は2人で一部屋と贅沢だ。もっともほかに宿泊者は誰もいないが。

 

【第3日】3月16日(金)

 夜中は雨風が強く一晩中ガラス戸をたたいていた。早朝4時には明日こんな調子なら急遽帰ろうと相談する。ところがなんと出発時間になったら雨が上がって青空すら切れ切れに見えている。この強運は大したものだ。昨日もすれすれで雨を避けているし。とはいっても全員雨対策完全装備で出かけ、途中今日中に帰る加藤さんを港に下ろして島の北端「赤崎遊歩道」に向かう。この遊歩道は溶けた溶岩が急激に海水で冷やされ湾曲し層をなす奇岩で構成される島随一の豪快で美しい所。車道は文字通り最北端で途切れ大きなトンネルの先は真っ暗で行き止まりである。地形上、北端の岬は歩くのも困難な強烈な西風が襲って来る。幸い雨こそないが雨具が絶大の効果を発揮する。「赤崎遊歩道」は海に突き出た岩礁の上に立派な木道を架けたもので展望台すらありシーズンには多くの人が訪れることだろうが今は見事に誰もいない。この先、道も無く人家もとっくに途切れている。

 黒潮の海が一瞬の青空に輝いた。灰色の背景に真っ白な客船が遠く小さく波に向かって光る海を島から離れていく。雲を裂く幾筋もの銀色の光の中の白い小さな船にみんな黙って手を振っている。船の人から私達を見つけることが出来ると信じるかのように。波の遥かな沖行く船に。 いくつかの巌なす岬を過ぎて「阿波命神社」で昼食。宿の弁当はしっかりした実に美味しい炊き込みご飯の握り飯だ。水道も、ベンチも、トイレもある清潔な手入れの行き届いたところだ。延喜式の神社はそそり立つ断崖を背景に従えて、荘厳で異様な雰囲気をかもし出している。1200年もの昔のものが原型だがこの島にどんな歴史があったのか。

 流木ひとつ無い「長浜海岸」で波打ち際の珍しい石を探す。広大な浜に9人の人間はあまりに僅かだ。「めいし遊歩道」は海の中の天然プールで飛び込み台もあり、磯遊びも出来る。巌に寝て空を見る太い枕まで備えられている。もちろん、ここにも売店など一軒もない。村立の神津島温泉保養センターは800円。混浴水着着用の露天風呂からは海岸が一望できる贅沢さだ。少し茶色い海水の温泉で2時間もノンビリして宿の車の迎えを受ける。途中島で3軒しかないお土産屋で土産を買いそこから皆で流人墓地まで300mの標識に従い歩き出したが途中女性方は焼きたてパン屋に入り込んでダウン。墓地までは屈強な男共が坂道に足を伸ばす。思ったより遠く、思ったよりにぎやかな町並みが現れてくる。新築の大きな家や、警察もあるし、結構商店もある。人口2000人とは思えないくらいだ。行き着いた「壽響寺」は花を毎日朝晩供える島のしきたりで墓は花で埋め尽くされていた。しかし、流人墓地はこの寺の境内には無く離れた大木の元にあった。流人は死んでまでどのように扱われていたかを眼のあたりにして愕然とした。老婆がこの島には流人はいないと必要以上に強調していたが、100年も前に終わった流人に対する複雑な島民の今に至る感情を知った。僅か十基もない墓石に名前も刻まれていなかった。苔むす墓に冷たい雨が落ちてきた。

 夕食時、みんなで色紙を書いて貼り付ける。昨日の酒が大量に残っている。何とかしなければと頑張るが所詮は蟷螂の斧。刺身は旨いが今日も食いきれない。

 

【第4日】3月17日(土)

 毎度の旨い朝食の後、小雨降る中、宿の人のよさそうなご主人の見送りで、港へ出発。僅かな乗客を乗せて、ここが終点の船が引き返した。酔わぬうちに飲んだ薬がやたらに良く効く。寝たり起きたり、船の食堂を独占している健ハイグループの席で話したり、飲んだり、食べたりしているうちに、横浜大桟橋に予定通りに着いた。

 まるで、立派な桟橋に着くなど海外からの帰国のようだ。実にノンビリした贅沢な時間を満喫した島だった。それにしても、これだけの厳しい巌の山なのに底知れぬ親しみと優しさに満ちているのはどうしたことだろうか。

 15歳の頃に覚えた歌がある。

 「母が忌めば旅人としてよぎり行かん水蒼き島父のふるさと」

 やっと出会えた、この島こそあの歌の水蒼き島に違いない。

  • 日時:2007年3月14日--17日
  • 参加者
    三貴也、孝儀、多摩江、善右衛門、勝巳、才美、伊久枝、邦子、謙司、幸子、以上計10名
  • コースタイム:(着/発)
    • 【第1日、第2日】3月14日(水)〜15日(木)
      東京竹芝桟橋出港(/22:00)......神津島多幸港(10:00/)......タクシーで宿立ち寄り後......林道宮塚山線経由白島トイレ口(/10:30)......(登山開始)......白島下山口(不入ガ沢)(11:00/)......ババ池(11:20)......天空の丘(11:40)......天上山最高地点(11:50/昼食)......表砂漠(12:30)......裏砂漠(13:00)......千代池(13:30)......黒島山10合目(13:40)......黒島登山口(14:30/)......(宿の車)......宿(15:00/)
    • 【第3日】3月16日(木)
      宿(/10:00)......神津港......赤崎遊歩道(10:30/)......阿波命神社(12:00/昼食)......長浜海岸(12:30)......めいし道遊歩道(13:00)......神津島保養温泉センター(13:30/15:30)......お土産屋......流人墓(16:00)......宿(16:30/)
    • 【第4日】3月17日(金)
      宿(/9:50)......神津港(/10:50)......横浜港(18:00/)(解散)
  • 宿泊先: 旅館「喜六」Tel:04992-8-0308
  • 費用概算: 特2等船往復 18,000円。 2泊の宿泊、酒代、弁当、島の中のタクシー代含めて18,000円  総計約36,000円程度

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このページは、akirafが2007年3月18日 10:37に書いたブログ記事です。

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