No.161 火打岳(2462m)・妙高山(2445m)山行記録(2006.10.12-14)

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Myoko_1.JPG【第1日】10月12日

(記録担当 伊久枝)

 出発間際の台風情報が気がかりであったが、当日は雨上がりのさわやかな朝となり、気分爽快! 今日は長野駅乗換場所での5人の顔合せになる。妙高高原駅までの1時間弱の車窓からはリンゴが地面にとどかんばかりに実っているのが目につく。

 妙高高原駅では明日の宿泊先のご主人が出迎えて下さり、火打山登山口まで車で送っていただく。つづら折りの山道は巾が狭く、林の木々が高いので遠くを眺めることができず乗物酔いになりそうであった。それでも時折開けたところからは野尻湖やうっすらと雪をつけた山が見え隠れする。小1時間走ったあたりが大きく開け、笹ヶ峰高原牧場とあり、広い山地を使った放牧場となっている。まもなく駐車場に着き、そこが登山道入口となっている。小さな屋根付きの門が造られ、登山者カードの記入所にもなっており、勝巳さんが記入して下さっている間に仕度をする。数組のパーティもその間に門を潜っていく。

Myoko_0.JPG 火打への第一歩は門を潜るが、そこからは木道が続き、30センチ間隔で横木が打ち付けてあり滑らず歩きやすい。5?6分も行くとそこここの黄葉が目にとび込んで来る。登るにつれてその彩りも美しくなり、何度となく"見て見て!""ワー素晴らしい!""キレイー!"が発せられる。徐々に勾配はきつくなっていくが歩きやすく、ただザックの重さだけが堪える。そろそろ息が苦しくなって来た頃、FAさんがこともなげに"これは散歩道のようなものですね"と一言。流石、鍛え方が違うなァと内心ドキリとする。

 沢音が聞こえ出したあたりからオオカメノキやヤマウルシの葉が赤い色を発してくれる。時間も場所も最高ということで渓流際での昼食となる。沢を吹きなでる風も一段と涼しく背中の汗がヒヤリとする。一面の紅葉に口を動かすのももどかしい位に目ばかりが動く。

 食後は急坂となり、物も言わずに一歩一歩踏みしめる。大きな岩や石にかじりつき、大木の根にしがみつきの繰り返しでやっと尾根に出る。そこから少し登った十二曲で休憩。あきらさんが冷たいリンゴを出して下さり生きかえる。2?3のパーティの方々にもふるまい、一瞬戸惑いながら喜んでいる顔があった。地図を確認しながら次の富士見平を目指す。名前の通り見晴らしのいい場所でしょうねと言いながら登るが、黒沢ヒュッテと高谷池ヒュッテへの分岐点で、展望は望めなかった。今回は地図や標識の確認で時間に遅れぎみ、いつもと違って50?60分で休憩をしているのに......?。

 "2時までにヒュッテに着けば火打山に行くが、それ以上かかると帰り道がおぼつかないので中止"というリーダーの声に"エ!? あと15分で?"と驚きながらスタートする。とにかく足元がよくない。細い笹竹の切り倒したあとや初雪の残りが溶け出しドロをこねくりまわし粘土状になった坂道の連続である。靴は勿論のこと、ズボンの裾がドロンコ状態。少しよい所は根が露出しておりあぶない。ヒュッテ2?3分前に「アルプス展望台」があったが、遠景は見えないのでヒュッテへ急ぐ。予定をはるかに超え、50分もかかってしまった。

 高谷池ヒュッテ周辺は美しい湿原地帯になっており、今までの厳しい道も忘却の彼方である。チェックインをすませ身軽になって、火打山への途中になる「天狗の庭」まで往復する。箱庭がいたる所にあるようでもあり、また湿原の荒涼とした様が無限に続くようでもあり、変化がある所であった。火打山の美しい山容がいつまでもいつまでも追いかけて来るような風景の中に浸る。

 2,105mの位置にあるヒュッテの入口で利用の仕方や注意事項を聞き、2階下段に一列に床をとる。室内でもかなり気温が下がり、ビールの話は立ち消えになる。代わりに夕食までの間、談話室でお湯をわかしコーヒー(100円/人)を飲む。夕食はカレーライスorハヤシライス(福神漬とパイナップル付)。お替り自由だが食べ残しはしないようにほかの人の用意はNG。セルフサービスで盛りつけた順に席につくので、みなバラバラの席で食事をとる。

 明日の天気予報の前に「火打山の四季」のビデオ観賞。トイレで外に出るが、夜空が美しい。皆で満天の星を楽しむが寒くて長くは居られない。部屋に戻りストーブを囲んでいたら静岡の5?6人のパーティーの中に梅ヶ島温泉の「さつき苑」ご主人の妹にあたる人がおり、話がはずむ。勝巳さんが電話で話すと向こうも覚えているとのことで懐かしさ一入。"こんなこともあるんだね、奇遇だね"と驚きながら床につく。

 足元は悪かったけれど、見渡す景色はなんとも美しく、ダケカンバの白い幹に淡い枝葉の彩り、黄葉と紅葉の間に常緑のツガが交じり、自然の織りなすタペストリーの見事さに心洗われ、疲れも忘れたような一日でした。

 

Myoko_2.JPG【第2日】10月13日 早朝寒露 後快晴 妙高山に登る

(記録担当 紘正)

 この朝、高谷池周辺は朝露に濡れた静かな佇まいの中にあった。まだ、遠くの山並みは黒く霞んでいるし、目の前の火打山も層雲の中に在る。

 6時30分、一条の光が湿原を照らすのを見ながら『妙高山』に向けて歩き出す。

 これより黒沢池、大倉乗越を経て妙高山に登り、赤倉温泉に降りる約8時間のコースの課題は、妙高山への急峻な登りであることが五万分の一の地図から読み取れた。地図上、頂上直下1センチ(実際距離500m)の中に引かれた等高線の間隔は、私の老眼メガネでは判然(ミリ単位で)としないほど狭いものであったから、その傾斜は30度を超すものであろうと、容易に推測できた。

 高谷池ヒュッテから黒沢池ヒュッテへの約3kmの緩やかに登り緩やかに降る道は、歩き始めこそ泥濘と石の多さで閉口したが、右に左に展開する高山の秋景色に、次第に気持ちも昂ぶるのだった。20分も歩くと茶臼山(2,171m)に着いた。眼下に、休憩ポイントの黒沢池ヒュッテと黒沢池湿原が見渡せた。なんと広々とした多彩な景色......。降り立って見ると、そこはダケカンバと草黄葉が織り成す自然の極致で、そのスケールの大きさに「素晴らしい!」と叫ぶしか表現のしようがなかった。7時20分黒沢池ヒュッテ(2,017m)に到着、10分弱休憩。

Myoko_3.JPG 7時30分、外輪山の北西に面した斜面を大倉乗越に向けて登る。

 この辺りは、一年の大半が厳しい風雪に埋もれるのであろう、千古の年輪を経たようなダケカンバは、捩れたような樹形をしながら空を仰いでいたし、雑木は斜面の傾斜に沿って這い蹲るように伸びていた。そんな暗い黒っぽい山の端に太陽が昇り、柔らかい秋の日差しが眩しく感じる頃、外輪山の稜線にある大倉乗越(標高2,155m)に着いた。

 この稜線を越える山道の、今来た彼方に火打山、焼山、......妙高連峰の雄姿が爽やかな秋風の中に望まれて、その山々のもっと高く......真っ青な空の中に、残月が「遊んでいるように......」【註:才美さんと伊久枝さんの呟き】浮かんでいた。

 稜線を越えて、孤高の妙高山を目の前にした時、湿原から湧き上がった水蒸気が、綿の塊のようになってその切り立つ岩肌に纏わりついては、層状に広がっていった。

Myoko_4.JPG この瞬間、今までの美しい景色は思い出の中に同化して、身体は登山モードに入った。それにしても、昨日の出発から、(此処)長助池への分岐点までのラップタイムの刻みは見事であった。勝巳リーダーのペース配分、あきらさん、才美さん、伊久枝さんの脚力には狂いがない。(各休憩ポイントの到着時刻は計画通り)

 ここの標高約2,100m弱、妙高山迄の距離約2km、標高差約400m。

 8時40分出発。勝巳リーダーは、山頂まで休憩をいれて2時間であろうと読んだ。

 暫くは沢状の中を登る。やがて急な登りが始まって、湿原がはるかな眼下に見え隠れし、ナナカマドが彩る外輪山が目の高さに見える頃、大きな石の道は30度近い傾斜の連続となった。息継ぎに顔を見上げると、〈臀部しか見えない〉FAさんが、右手で木の根っこを、片方の手で石の突起を掴んで「ウッ!」と、ずり上がる瞬間だった。その先を行く伊久枝さんが
 「昭さん、あたま!」
その先を行く才美さんが
 「あいだをあけて!」
頂上直下で、勝巳リーダーが
 「アイゼンの用意!」
と、叫びながら一歩一歩前進するのだった。

 こうして10時30分、妙高山頂に着いた。なんてスケールの大きな山域だろう......。昂ぶる気持ちに酔いながら、冠雪の北アルプスや日本海を見渡した。

 11時下山に入る。南面から振り返って見る妙高山は優美に見えたが、それでも火山活動で生じた山らしく、荒々しく急峻であった。「良くぞ登った」と、急傾斜の鎖場を下りきった時、緊張感から開放された。そして、標高1,800m位を境目として、道も歩きやすくなったし、樹木の種類も針葉樹林からブナ・ミズナラ、クヌギ・コナラへと移行していった。そんな森の中の紅葉を満喫したり、妙高山登山口付近の噴煙に歓声を上げたりしながら14時15分頃ケーブル乗り場に到着。ホテルルーエ到着14時45分。

 夫婦で営むこのプチホテルは人影もまばらで、満ち足りた余韻を引きずりながら疲れを癒すには最適の場所であった。〈夕飯迄のひと時〉本当に時間がゆっくり過ぎていく感覚の中で飲むビールは旨かった。16時過ぎ、横浜に帰る伊久枝さんを見送る。

 食事も小奇麗で良かった。メニュー:マグロのゴマソース和え、ステーキ、鱸のムニエル、釜飯、サラダ、コーヒー。

 全てに満足して、20時過ぎ就寝。

 

Myoko_5.JPG【第3日】10月14日 晴れ、戸隠を歩き バスで長野に下る

(記録担当 紘正)

 見せ掛けのサービス心で、「ここまでは出来ないであろう」と思われる、客をもてなす姿勢がこのホテルにはあった。

 勝巳さんの求めに応じて、早朝の朝食を準備し、6時には、戸隠に向けて車を走らせて下さった。

 6時45分、戸隠の牧場に着く。この時間、放牧されている馬や牛は数頭で、まだ、人間も動物もまどろんでいる時間帯のようであった。もっともOKさんに言わせるとこの時間帯が危ないそうである。

 『熊に注意』、『最近、熊が出没しました』といった看板がいたる所で目に付く「ささやきの小径」を、熊よけ笛を吹きながら戸隠神社奥社に向けて散策する。

 やはり木の種類によるのであろうか、妙高高原から車で走った県道の道筋は、ほとんどが青葉であったが、この森に足を踏み入れた途端、広葉樹の紅葉が見頃で、トチノキ、ハリギリ、ミズナラ、ブナ、ホウノキが彩りを競っていた。

Myoko_6.JPG 散ったばかりのホウノキの葉を踏みながら、そして、熊に気を配りながらトレッキングを楽しんだ。中社に御参りをした後、県道を通るバスに乗って長野駅に向かう。

 戸隠高原は標高1,200mの所に位置するから、バスは、標高差800mの山域に点在する村々を回りながら下っていった。何れの集落も、秋の陽を一杯に浴びて明るかった。狭い急斜面に仕切られた棚田が印象的で、そんな景色の中に、りんごが真っ赤に色付き、人々は脱穀の時期を迎えていた。

 急カーブも狭い道もなんのその、毎日この路線を走る運転手さんは、若い頃、この地に縁があったという勝巳さんと、なんだかんだと話が弾んでいた。

 「運転手さん、美味しい蕎麦屋ないですか」
と、勝巳さん
 「そうだネ、駅前の戸隠がいいじゃないかネ」
と、実直な運転手さんが教えてくれた。

 そんなわけで、一時間あまりのバスの移動も飽きることなく、そして無事に長野駅に着いた。時に11時05分であった。早速、「戸隠」でキノコ蕎麦を食す。

(運転手さん、美味しかったです)

 今回の山行は、"人との出会いの旅"でもあったような気がする。

 山小屋の若い管理人は、規律に煩かったが、登山者が心地よく思うサービスの本質を知っているようだった。静岡から来たというパーティーは、物音一つ立てずに早立ちをしていった。

 ホテルルーエのご夫婦は、静岡の大学で知り合い、数年前に脱サラをして此の地に入ったらしい。過酷な自然が、そこに根ざした人々が、あのご夫婦に生きる術を教えたのかもしれない。「参加してよかった!」心のそこから、そう思える山旅でした。

 長野発12時09分「あさま524号」に乗って帰途につく。

  • 日時:2006年10月12日-14日
  • 参加者
    勝巳、才美、伊久枝、紘正、昭、以上計5名
  • コースタイム:(着/発)
    • 【第1日】
      東京駅(/7:28)......長野駅(8:53/9:23)......妙高高原駅(10:05/10:10)......(車)......笹ヶ峰登山口(10:50/10:55)......(登山開始)......木道......沢の脇(11:45/昼食/12:00)......十二曲(12:40/12:50)......富士見平(13:45/13:50)......高谷池ヒュッテ(14:40/14:50)......「天狗の庭」めぐり......高谷池ヒュッテ(15:50/)......夕食(18:00)......就寝(20:00)
    • 【第2日】
      朝食(6:00)......高谷池ヒュッテ(/6:30)......(登山開始)......黒沢池ヒュッテ(7:20/7:30)......大倉乗越(7:50/8:00)......長助池への分岐(8:30/8:40)......(標高2,300m付近と山頂直下で休憩)......妙高山山頂(10:30/昼食/11:00)......風穴(12:02)......妙高山登山口(12:50/13:05)......ケーブル駅(/14:20)......(ケーブルカー)......ホテルルーエ(/14:45)
    • 【第3日】
      朝食(5:30)......ホテルルーエ(6:00)......(ルーエのご主人の車) ......戸隠牧場(6:45/7:10)......(「ささやきの小径」を行く)......戸隠神社奥社参道(8:15)......中社参拝(9:15)......中社バス停(9:20/9:57)......(バス)......長野駅(11:05/昼食/12:09)......(あさま524号)......東京駅(13:52)(解散)

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このページは、akirafが2006年10月18日 10:07に書いたブログ記事です。

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