No.160 【奈良雑学】---奈良ハイキングに寄せて---

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(記述担当 勝巳)

 

武内宿禰(たけうちすくね)

300歳。4代の天皇に大臣として仕える。「古事記」では蘇我、葛城、など27豪族の祖先としている。執政の要としての大臣を初心の棟梁とし神話化した人物。

天照大神(あまてらすおおみのかみ)

記紀神話の中での至高の神。高天原の主宰神で天皇家の祖神。伊勢神宮はこの神を祭っている。

 

日本武尊

大和朝廷の領土拡張の際の英雄伝説の主人公。古事記では、父の景行天皇との亀裂から悲劇的英雄として扱っている。ここでは、王位が父子でも争って獲得するという面を示し、天皇は、自分の地位を犯す危険な人物として日本武尊を遠ざけるために東征に駆りだし、悲劇的な扱いをした。(足柄峠、板東一関東の意味)しかし、日本書紀では、天皇の意のままに動く素直な人物とされている。死後、白い水鳥になって天がけっていった。魂は安息の地を見出せず、3箇所に陵がある。日本書紀。

 

神代の現代に通ずる考え

中国の王朝が倒れたときは、それを望むものが競い合い、最も強いもの、勝者が次期王朝を次ぐ。これに対して、日本の皇室は皇室以外からは国王が出ることは絶対にない。世の中は変わるのにこの事実が普遍なのは、それが「神代」に決められたことになっているからだ。そこに記紀の重要性があり、現代もその考え方を日本人は継承している。人間が決めたことは変わっていくが、神々が決めたことは永久に続くとした。1946年、終戦により「天皇は神話と伝説により生じたるものに有らず」と人閲宣言するにたり、当時の国民はこの宣言に驚愕した。

 

高天原

常陸の国といったのは新井白石。中津説、大和説、明治以降も、特定の地域に結びつけ満州であるとか、チベットであるとか、今もって学術書にもまじめに出てくる。その特徴は高天原がいわゆる「天孫族」の故郷の地に擬することにあるが、これは神話の構造や機能にお構いなくその中に実在や出来事をあえて見つけ出そうとする間違いをおかしている。本居宣長がすでに言っているように「高天原はすなわち天で、天の神の居場所をかくよんだにすぎない」が歴史的にただしいものである。

 

宮山古墳(葛城古道)

大和盆地南西部最大の古墳。葛城氏の強大な権力を示している。「室の大墓」といわれ武内宿禰の墓といわれている。最初にバスで立ち寄る。

 

日本武尊の古墳

「日本書紀」には、30歳で伊勢で亡くなり白鳥となって飛び立ち、亀山、大和、河内、にとどまったのでそこに陵を作った。いわゆる白鳥三陵。

 

船宿寺(せんしゅくじ)

金剛、葛城の雄大な眺望の緩やかでゆったりした洗練された寺
  • 薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)別名「医王如来」。心や、身体の病にご利益がある。
  • 遠州流池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしき?)
    茶匠、小堀遠州の作。池や泉の周辺をめぐりながら景観の変化を楽しむ庭園。さらに、中国の道教に基づく蓬莱、鶴亀の石組み、仏教世界の座禅石、不動尊石、彼岸などを配している
  • 厳舟権現(げんしゅうごんげん?) 8世紀始めこの地を訪れた行基(ぎょうき)が夢の中で「東の山中に船形の大きな岩があるから、そこに薬師如来を祭りなさい」とのお告げをうけ岩の上に庵を建てたのが船宿寺の開山。
  • 山茶花、梅、つつじ、ボタン、など一年中花の咲く寺。
  • 拝観料300円。8時一17時。
  • 駐車場50台

 

葛城氏

「日本書紀」「古事記」によると葛城氏は武内宿禰の子、葛城襲津彦(よみかた?)を祖とする。襲津彦は実在した人物。その娘達は歴代天皇の皇后になり大きな勢力を持った。しかし雄路天皇に攻め滅ばされた。神武天皇から、9代までを葛城氏の王朝と推定されている。祖を同じくしている蘇我氏も同族。

 

高鴨神社(たかがもじんじゃ)

ここがかの有名な京都賀茂神社の本家。本殿は重要文化財(1543年再建)全国鴨(加茂)神社の総本宮。弥生時代中期より続く日本最古の神社のひとつ。主祭神は大御神とも言われ(本名は、あじすきたかひこねのみこと)天照大神など3神しかいないもので、死んだ神様もよみがえらせる強い神様。病気、よみがえり、などなんでも利く。また人の道を日覚めさせる神様として全国的に有名。「カモ」は「カミ」と同源で「カモス」という言葉から派生し、「気」を放出している様をあらわしている。それもそのはず、神社は鉱脈の上にあり、多くの「神気」が出ている。夏でも参拝すると涼しく感じるのはそのため。参拝すれば神域の「気」は体によく、長寿になり、心身ともによみがえるありがたい神様。もとは大和の豪族鴨一族を祭ったもの。「日本書紀の時代」葛城山麓に三帝の娘を嫁がせるほどの王朝を作った。支配は大和、河内、紀伊、山城、丹波、吉備に及んだ。しかし、三輪山に始まる大和朝廷の崇神天皇によって減ぼされた。ここは、建国にまつわる由緒ある土地。鴨族の神々の活躍は、神話の中で大きく語られている。天孫降臨でもこの神社で祭られている神々が神話で大いに活躍している。本殿前の狛犬は快慶の作。

 

歴史文化館

大和朝廷が成立する以前の神話と古代王朝の足跡を見る。これから歩く葛城古道を紹介している。自然や文化を守る目的で設立。複雑で理解しにくい古代王朝を整理するのに都合がいい。ここで理解しないとこの一日が無駄になりかねない。即席の古代史家養成所。
  • 入館無料
  • 駐車場有り

 

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)

高天原は金剛山中腹の穏やかな高原である。古事記によると神代に天照大神が統治していたところ。そこから「ににぎのみこと」が日向の高千穂に降臨した。葛城のこの地こそ高天原である。葛城王朝を開いた、葛城一族の祖神を祭っている。神体は後ろの白雲峰(694m)葛城族は弥生中期に金剛山麓で狩猟と農耕をしていたが水稲農業をしていた鴨族を征服し葛城王国を作った。葛城氏滅亡の後、蘇我氏がこの地を支配し大和朝廷成立期の一大勢力になる。葛城古道のハイライト
  • 拝観無料
  • 駐車場有(20台)

 

橋本院(はしもといん)

神話の里に時が止まったように浮かび上がる寺。「宝宥山高天寺橋本院」が正式名称。南北朝時代、南朝側につき、楠木正成の城に食料を補給する基地になったため北朝方に焼き討ちに遭う。それまでは高天寺といわれ、鑑真が日本に来たとき聖武天皇がこの寺の住職に任命したほどの名刹。本尊は「十一面観音菩薩立像」は木造高さ5,4mと大きく、また、寺宝は涅槃像で室町時代の木彫でめずらしいもの。(奈良国立博物館収蔵)

 

極楽寺

951年、興福寺の名僧一和(いちわ)が開いた。金剛山の附近に光っているところを見つけ地中から仏塔を掘り出しその地に建立したといわれている。1614年消失。極楽寺伝によると約700年前隠れ住んでいた北面の武士行光という人が狩をしていたが山中で行者に生命の尊さを諭され仏教の教えを授かりそれととともに一巻の巻物を授かった。この不思議な出来事に遭い感激して出家し、そのときの巻物を極楽寺に祭った。寺宝「天徳如来像図」がそれで毎年4月に法要が営まれる。

 

中村家住宅(重文)久保田家住宅など

江戸初期の豪邸。名柄集落にある。名柄は南北に走る名柄街道と、水越街道の交差する重要な拠点で全体が江戸時代の面影を強く残している。旧街道沿いに歴史的な家並みが並ぶ。中村家は代官の屋敷として1600年はじめに作られた。江戸初期の貴重な建築物。

 

長柄神社

日本書紀に天武天皇がここで流鏑馬を見た記録がある格式と由緒ある神社。

 

一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)

願いを一言だけ聞いてくれる神社。「いちごんさん」としてしたしまれている。祭神は古事記、日本書紀に出てくる事代主命。古事記では雄略天皇一行が葛城山に狩に入ったとき、一行と同じ規模、着物、姿をしたものが山にいた。とがめると、「われは一言で良いも悪いも言い放つ神だ」といったので天皇は無礼をわび衣服を献上した。一言主はこれを喜び天皇一行を見送ったという。しかし、続日本書紀によれば内容が変わって、雄略天皇と狩のことでいさかいを起こし、神が四国の土佐に流されたことになっている。土佐風土記によればその後許されて、神は再び葛城の地に祭られたと記載されている。時代とともに天皇が偉くなる。一言主神社はもともと葛城山神を祭ったもので、蘇我氏など渡来系によってまつられた。今昔物語にもでてくる。一言主信仰の衰退過程に形成された役小角による呪縛伝説などが面自い。日本霊異記には役行者に葛城山と、吉野金峰山を結ぶ岩橋作りを命じられたが顔が醜いので夜だけしか働かなかったので橘は完成しなかったと記されている。境内に「土蜘蛛塚」がり、神武天皇がカツラで作った網で土蜘蛛(賊軍)を捕らえ、頭、胴、足、を三つに切って埋めたもの。このことから葛城の地名が生まれた。
  • 拝観料無料
  • 駐車場なし

 

九品寺(くほんじ)

かえでの多い美しい庭を持つ優しい寺。大和盆地を雄大に見下ろす。聖武天皇が奈良時代に行基に立てさせそのご空海が中興したという由緒ある寺。境内におびただしい石仏群。石仏は南北朝時代に味方の身代わりに奉納したもの(身代わり石仏)や、当時の戦死者の供養、集落内に在った石仏を集めたものであったりするが「100年前裏山で地中から見つかったもの、どんな理由で埋められていたかは分からない」というのが本当のところ。1700体を越えて現在も地中から発掘されている。同じ顔の石仏は無い。室町時代の兵火を免れ今に残る寺で本尊「阿弥陀如来坐像」は藤原時代の気品ある秀作(重文)。

 

駒形大重神社(こまがたおおしげじんじゃ)

明治40年、駒形、大重神社合祀され現在の名前に。大重神社に祭られている人は、645年、中大兄皇子中臣鎌足の陰謀で蘇我入鹿が暗殺されるときに入鹿を殺せと命じられた人物。ともかく古い話です。

 

鴨山口神社

鴨氏の守護神の一つ。古くは水の神。本殿の2体の神像は室町時代の作で一木っくりの彩色像。(重文)。近くから人物模様が彫られている銅鐸が発掘されたが現在行方不明となっている。神社近くに六地蔵がある。この地域は古代から中世にかけて度カ災害が襲い伝承によれぱ室町時代に大災害が発生、仏教の六道をもって衆生を救おうと彫ったといわれている。その六地蔵も流れ着いたという。この地域の名称「櫛羅」も土砂崩れが語源。六地蔵は各地にあり特別なものではないが、当時の村人の強い信仰心がこの巨石に地蔵を彫らせたものと思われる

 

天理教本部

天理王命を祭神とし、「中山みき」によって開かれた天理教の中心。鳥居に似た巨大な黒門を入ると正面に荘厳な神殿が建っている。もっとも大きな棟の高さ24m。総ひのき。この神殿を囲み礼拝場、教祖殿がある。 8町四方を囲む「おやさとやかた」がたち、現在も建設が進んでいる。行事の日には、広大な敷地が信者で埋まる。天理大学付属図書館は一般の人にも公開。天理参考館は各国の民族資料がある。宗派の中心地は部外者参拝をゆるさないところがおおいが図書館の開放などとともに天理教の開放性はこれを許している。

 

仏教伝来の地

鉄砲伝来の地は小学生でも知っていますが、仏教伝来の地は本職の坊さんでもほとんど知らない。ここ、初瀬川(はっせかわ)一帯は最古の交易の市であり万葉集や日本書紀にも記されている海柘榴市(つぱいち)などがあり「しきしまやまと」と言われるところ。古代大和朝廷の中心地である。ここは大阪難波の港から大和川を遡行した船便の最終地。。大和朝廷と外交のあった国々の使節が発着する重要な港であった。仏教伝来の百済からの使者もここに上陸した。遺隋使小野妹子が帰国し飛鳥の都に入るとき飾り馬75頭をもってここで出迎えたと記されている。エーこんなところがと思うところ。時の流れはまったく変えるものと変えないものを創りだす、そんな思いにかられる。巨大な石碑あり。
  • 拝観料無料
  • 駐車場 あったかなー

 

長谷寺

源氏物語、枕草子、蜻蛉日記、更級日記、蕪村、芭蕉、虚子、文学文人にこれほど多く取り上げられている寺は珍しい。神々のすむ霊山としての三輪山の裏で死者の魂がとどまるところ。「隠り国」(こもりく)と呼ばれていた。その中腹に位置する寺である。686年天皇の病気治癒を願って道明(どうみょう)上人が三重塔を建立したのが始まり。平安時代に貴族の間で長谷寺詣でが盛んになり、その後も室町時代の伊勢参りとともに大和伊勢の通り道であるためもあっていっそう盛んになった。10回の火災にあっているが多くの文化財を残している。十一面観音菩薩像は木造物では最大。楠木でつくられ高さ10m。登廊は399段。天井の長谷形灯篭は美しい。牡丹は7300本。春の桜6000本、6月のアジサイ、秋の紅葉も有名。冬景色は本当に感動する。ともかく美しい。広大な敷地。全部見るには駆け足で半日は覚悟のこと。案外知られていないが本堂は奈良東大寺に次ぐ大伽藍である。
  • 駐車場 50台有料
  • 拝観料400円。9時より

 

室生寺

この五重塔はきっと神や仏の手で作られたに違いない。この寺に行くには山間の沢沿いの道を行く。大野寺などのまがい仏が谷越しに見え隠れする。奈良時代の末、興福寺の高僧によって国家の勅命で建てられた。空海の開いた女人禁制の高野山に対して女性の参拝を許したので「女人高谷」といわれた。もとは水神の聖地である。五重塔は室生寺の中で最古の建物。高さ16mは全国の五重塔ではもっとも低い。四天柱はエンタシス(パルテノン、法隆寺など)国宝、重文がそこらじゅうにある。台風で数年前壊れたといわれるが間違い。塔はびくともしてなかったが、そばの巨大な杉の木が強風で倒れそれで塔の屋根が壊されたもの。(当時の大工さんの名誉のために)
  • 駐車場なし
  • 拝観料400円

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このブログ記事について

このページは、akirafが2006年10月10日 03:09に書いたブログ記事です。

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