No.160 奈良古寺巡礼ハイキング記録(2006.9.29-10.2)

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NaraHike_1.JPG【第1日】9月29日(金) 横浜―うす曇り、奈良―晴れ

若草山、東大寺など

(記録担当 多摩江)

 こちらはうす曇りの天気だが、奈良方面は晴れているようなので安心した気持ちで、バスに乗り込む。二俣川農協前を6時45分に出発し、一路、奈良へと向かう。

 本村ICから保土ヶ谷バイパスに乗ったところで、これからの連絡事項の説明に入ろうとしたがマイクが見当たらない。考えられる所は探してみるが見当たらないので、マイクなしで連絡事項の説明に入る。東名に入り、道路が空いていて順調に走行する。相も変わらずトラックが多く、たまに蛇行している車を見かけるが出会わないことを願う。足柄ICでトイレ休憩を取り、再び東名へ。マイクの件で安田さんによってレンタカー会社との連絡がとれ、思いもしなかった運転席の下より見つかる。これにて一件落着。

 そこで、4日間の資料説明が担当者よりあり、最後に3泊も天理教宿舎にお世話になるので、"天理教とは"ということで説明を受ける。浜名湖ICで再びトイレ休憩をし、お昼のお弁当も調達する。その後、ビールやお酒を飲みながらの車内宴会が始まる。小池さんの司会で、クイズ'ヘキサゴン'や歌を交えて笑いながらの楽しい一時を過ごしているうちに、途中豊田JCTで伊勢湾岸自動車道に入っていた。この辺りは晴れている。湾岸長島ICで、又トイレ休憩。その後、四日市JCTで東名阪自動車道へ入る。伊勢関ICでガソリンを給油した後、昼食をとる。ここで名阪国道に入った事になる。名阪国道に再び乗り、針ICで下りる。

 一般道に出ると田園風景に変わり竹林、茶畑、刈り終った田、ススキそしてコスモスと実に長閑に時が流れていっているか判る様な気がする。田の畦には所狭しと真っ赤な彼岸花が咲き誇っている。途中より80号に入り高円山ドライブウェイに入ろうとしたら、途中が一方通行になっているため若草山頂上まで行けない事が判明する。仕方なく反対側の入口より入るべく、東大寺正倉院横にある入口へと向かう。田んぼの畦に彼岸花が群生している様は黄金色の稲穂とマッチして実に見応えがある。

 新若草山ドライブウェイに入り鬱蒼とした原生林の中を通り、若草山山頂へ。歩いて林の、鹿が屯す中を10分程行くと草地の頂上が現れる。笠を三つ重ねた様な草地の山で三笠山とも呼ばれ、標高345m。春と秋に入山出来る。なだらかな三重目の山頂に全長103mの前方後円墳の鶯塚古墳がある。鹿が多く生息し、人懐っこそうに寄って来る。大和盆地の眺めは素晴らしい。生駒山が正面に見えるが、東大寺は目の前の森に隠れて見ることが出来なかった。1月15日の山焼きは夜空を焦がし、下から赤々と燃え上がっていく炎は壮観の様だ。今は、ススキが秋を告げている。14時25分に駐車場を出発し来た道を下りながら東大寺へと急いだ。

 東大寺は奈良時代に聖武天皇の発願により、盧舎那仏を本尊とする大伽藍が建立された総国分寺である。先ず、南大門に向かい歩き始めた。壮大な重層入母屋造りの大門で、左右に運慶・快慶作の高さ8.4mの木造金剛力士像を安置する。門を入った両側には唐様の大きな狛犬が佇んでいる。中門で拝観料を支払い金堂(大仏殿)へ。大棟に黄金の鴟尾が輝く威風堂々とした本瓦葺の世界最大の木造建築物である。今は横幅が当時の2/3である。堂前に安置されている巨大な八角燈籠は天平時代の作。大仏は銅像盧舎那仏坐像で高さ15m。太陽のようにあまねく宇宙を照らす仏である。腹部、両足、台座は天平時代の遺構。その重厚感、雄大さに圧倒される。他には如意輪観音、虚空蔵菩薩等々が安置されている。

 石灯籠が並ぶ石段を登って行くと、正面に法華堂(三月堂)が目に入る。東大寺の前身とされる金鍾寺の建物で東大寺で最も古いもの。天平時代の寄棟造の本堂と、鎌倉時代に改築した入母屋造の礼堂を中屋根で繋いで一つの建物のようにしてある。ここは、天平時代の仏像の宝庫である。中に入ると丁度説明が始まったところ。本尊は乾漆造不空羂索観音菩薩で威厳に満ちた表情の三眼八臂、高さ3.6mの巨像である。手に持つ羂索により、もれなく守り導くという意味がある。日光・月光菩薩、梵天、帝釈天、四天王、金剛・密迹力士像、弁財天、吉祥天と国宝・重文が居並ぶ。秘仏執金剛神像は未公開。

 二月堂は奈良時代より続く修二会(お水取り)の行われるお堂で江戸時代の建築。舞台造で、両側に石段がある。ここからの大仏殿の屋根越しに見る奈良市内も良い。二月堂の下から下る緩やかな石畳の道沿いには土塀や塔頭の門があり、非常に風情がある道である。

 小高い松林の中に戒壇院がある。ここは僧侶が戒律を守ることを仏前に誓う儀式が行われる場所。中央に多宝塔があり、動きを抑えた姿や表情が印象的な四天王が四隅を守っている。松林のある石畳の道を集合場所へと急いだ。

 駐車場より今夜の宿である天理教宿舎『甲賀』へ。三貴也さんの妹さんがご丁寧に迎えてくださる。本当に申し訳ありません。各部屋(男性二部屋、女性二部屋)に案内される。食材担当の方達がスーパーへ買出しに行かれる。18:00より夕食となったが、前もって聞いていた食事とは違い豪華版だった。特別に付いたハヤシライスがとても良いお味だった。その上自分達で調達した食材も並び、とても豪華な食事となった。7時より入浴できるようになり女性陣は交代で入った。その後、荷物の整理をしたり明日の荷物を整えたりし、9時頃就寝した。

 

【第2日】9月30日(土) 曇りのち晴れ

葛城古道記録

NaraHike_2.JPG(記録担当 勝巳)

 今日の天気は少し暑いくらいの曇りのち晴れというハイキングには絶好の日和。昨日は奈良公園中心の天下のこれぞ奈良というまさに華やかな古寺を訪ねたが、今日は一転して観光客もほとんど来ない渋い「葛城古道」を歩く。道は奈良の南西にあり歴史的には奈良時代以前の古い地域である。5世紀末に繁栄した葛城族のゆかりの寺や神杜を山道を含めて14kmにわたり尋ね歩く。出来るだけ全員一緒の行動が取れればとマイクロバスをフルに利用して、かつコースももっともそれに都合がいいものに変更する。この結果、別行動をとったのはごく一部の区間ですんだ。

 途中、日本武尊の墓といわれている古墳に立ち寄る。もとより伝説の人物だから本当は別人の墓なのだろう。宮内庁が管理しているかなり大きた古墳だ。このすぐ裏を「山の辺の道」が通っている。このあたりは古墳の佃煮が出来るほど古墳が多い。あそこの森も、ここの丘も、あっちの坂も皆古墳である。800からの古墳があるそうだ。エジプトのミイラは2億体あると聞いたときと同じくらい驚いた。古墳は、歴史を語っている。九州の勢力と大和の勢力との戦いは古墳に現れている。

 最初に訪ねたのが船宿寺。落ち着いた静かなこじんまりした上品な寺である。寺は、花こそ無かったがサツキやツツジに溢れている。境内の庭で年老いたおじさんが作務衣を着て花に水をやっている。簡単に挨拶だけしてゾロゾロと団体で見学をさせてもらう。もちろん拝観料などは取らない。案内書にはご本尊は薬師如来でいつでも見ることが出来るように書いてあったが、実際は年に一日、祭りの日の5月2日だけの御開帳。もともと小さい寺なので50mもいくと行き止まり。これで終わりか、名園があるはずなのにとキョロキョロしながら入ってきた山門まで戻り、挨拶すると作務衣のおじさんがにこやかに「説明しましょうか」といってくれる。それがこの名刹の住職さんだった。名園は裏側にあり、多くの観光客が来ると植物に良くないので普段は開放しないとのこと。特別に私達は5人程度のグループに分かれて池泉回遊式庭園を観賞させてもらう。

 葛城山や、金剛山の見える庭で説明が始まった。開口一番「このあたりでは奈良時代のものは新しい」といとも簡単に涼しげに言う。なんたることか、鎌倉時代でも畏れ慄いているのに。話の詳しい内容は省略するが、実に気分の良い和尚さんだ。威張ることも無くそれでいて気品がある。真面目で人を魅了する深さのある人だった。ちなみに拝観料代わりにと些少の仏へのお供えを申し出たが丁重に受け取りを拒まれた。鎌倉の寺だったら、入り口に人を配して当然のごとく金銭を要求するだろうに。これから歩く山の中腹には立派な古代の官道があり発掘はこれからだということや、歴史を書き換えるものがいたるところに埋まっているかもしれないとの話に、古代のロマンの世界に早く行きたい。あの森茂る山の中腹に古代の神話の世界を目のあたりにしたい。ここは奈良なのに奈良ではない。もっと遥かな昔の地なのだ。神代と、現世の接点の地なのだ。

 名前がいい。実にいい。「風の森峠」なんて誰が名づけたんだろう。稲はところどころ刈り入れされているが、一面の黄色い穂波。彼岸花の咲く秋の農村の古代に至る道を三々五々歩んでいく。こんもりとした神社林独特の森が「高鴨神社」だ。なにしろ弥生時代の中期から続くという気の遠くなるような神社なのだ。しかもなにやら地中に鉱脈がはしっているらしい。そのため霊験があらたで死んだ神様でも生き返るというのだからスゴイ。いきなり弥生時代が出てきて、建国の神話の時代の鴨族の神社にいるのだ。日本広しと言えども、ここほどのロマンを抱かせる地はない。絶対にない。自然と恐れおののき冷や汗がでる。2000年の歴史が足元にある。手で触れるところに在る。参加者全員の年齢を掛け合わせても1000年にしかならないのに。

 高天原にいくのだ。あの高天原だ。天孫降臨の。古事記や日本書紀などにでてくるところだ。なんと畏れ多いことか。日本誕生の話の真っ只中。こここそのほんとの始まりだ。伝説でもなんでもいい。山道を登りきると突然小さな野が現れて、のどかな秋の日が燦々と稲穂に注いでいる。風が緩やかに流れ、後ろの山は黒々と森をなしている。振り返れば大和の平野だ。秋の色に染まって脈打つ山並みにそれは続いている。「高天彦神社」は小さな神社で、けっして立派ではない。どこの田舎の集落にもある神社。でも村人にとても大切にされ敬われている神社だ。村に子が生まれ、成長し、村を出て行っても心に永遠に残っているそんな神社だ、この歴史以前の神社は。こんもりした神社林を従えて黙っておわします。この風格は2000年の重みがある。

 神社の前で三貴也さん手配の旨い弁当を食べる。それにしても、ここをどんな歴史が通り過ぎていったのか。私達のように平凡な庶民がこうして遠く尋ね来たのか。神や、大和や、統一や、戦いや、縄文人や、侵略や、統治や、防人や、何もかもがここを通って歴史の道を過ぎていったのか。

 道は、くねくねと古い立派な大和地方独特の建物を縫って、また稲穂と彼岸花の中を行く。かなたに耳成山、畝傍山、などの大和の三山。その向こうは遥かなる山並み。重畳たる青き大和。あ一ここが大和だ。今そこに立っているのだ。外国からやってきた「天つ神」の子孫が原日本人である「国つ神」を征服して造った日本。もともと日本という国は蝦夷の国名である「日本」という国と「倭、大和」という国があって、それが統一され「日本」になったのだ。すなわち自分が減ぼした国の名をとってこの国を「日本」にしたのだ。縄文の文化も優れたものだったが、鉄、稲作、病原菌を持ち込んだ大陸からの侵入者がこの国を征服し歴史を作ったのだろう。その戦いは凄惨を極めたに違いない。だからこそ大和の神は仏教を統治機構として新たに必要としたし、記紀はヤマトタケルも伝説として残したのだろう。混沌としたその時代を修復し、今に伝えているこの地。埋もれた人々の怨念をかき消した歴史。その大和の地に今自分はいるのだ。こののどかな田中の道に咲く彼岸花は彼らの血だ。それにしてもこの長閑な山村の道から見る大和の平野はなんと悠然としていることだろう。

NaraHike_3.JPG 突然忘れられたような山間に大きな瓦屋根が見え始めた。「橋本院」である。周りに人家とて無い。寺はゆるい斜面にあって人けも無い。名僧鑑真が住職になった寺とは思えない佇まいだ。当時のこのあたりはどんな風景だったのだろうか。やはり山深い寒村だったのか、それとも都の中心に近い名僧を遇するに相応しいところだったのだろうか。ここ神話の里の古寺は時間が止まったままである。1000年間も。

 橋本院からの国道24号線への下りはかなりきつい。通常の山歩きそのものである。それでも途中、奈良の秋を彩る柿農家を見つけて分けてもらう。国道から少し入った「極楽寺」は通俗的だ。なにが違うのか分からないが、今までの寺や神社と心が違って受け入れがたいのである。とらやの羊羹とヤマザキパンの羊羹の違いだ。説明は出来ないがここに来て今まで別世界にいたことにはっきりと気づく。極楽寺の裕福な通俗性は鎌倉や京都の一部の寺などに通じている。なにか経営に熱心な坊さんが脂ぎって札束を数えているように見えてならない。ここには船宿寺の和尚の持っていた人品のかけらも無い。

 柿を買い込んで全員でマイクロバスに乗る。目指すは江戸時代の旧街道の交差する「名柄」の集落である。バスを降りて旧街道にはいる。いまも住んでいるためかそれほど古い家が軒を連ねているという印象は無い。この程度なら少し古い地域にはあるところだ。街道のはずれにある神社が日本書紀に出てくる名柄神社だそうだ。誰からも関心ももたれないのかなんとなく荒れている感じだ。でも、日本書紀に出てくる神社だ。関東地方に会ったら門前市をなす盛況は間違いないであろうに。名柄神社はこんな地域にあって気の毒だ。

 マイクロバスに乗って再び移動。我々は歩かないのでずいぶん楽をしているがその分運転担当の安田さんが大変だ。すぐに「一言主神社」に着く。こここそ、古事記、日本書紀の宝庫だ。神武天皇が神社のそばに土蜘蛛をばらばらにして埋めたという伝説に、当時の征服、侵略戦争の凄まじさを感じる。どうも、私達の歴史観は縄文人は野蛮で、狩猟ばかりしていて弥生人は稲作をする平和な人たちという間違った教育を受けたらしい。そんなはずは無い。どんな時代でも侵略は狡滑で残酷だ。天皇の祖先でもある大陸からの弥生人がけっして平和な人たちとは思えないことがこの神社の土蜘蛛伝説から察せられる。

 「九品寺」は多くの石仏に囲まれている。おびただしい数だ。たぶん1,800は在るとのこと。いったい、なんでこんなに多くの石仏が集まっているのだろう。戦いの供養なら、近世の戦いにはなぜ供養石仏が一般的には無いのだろう。琵琶湖の近くに石塔寺という寺があるがそこには20,000体を越える石仏がある。明らかに大陸系の大きな石仏を囲むように小さな石仏が群をなしている。しかもまだいくらでも掘れば出てくるという。信州にもショナラ峠というところに石仏群がある。どこも山深い人里はなれた寺である。信仰だけがこのような風景を作り出したのだろうか。自分の家族や知り合いの石仏だけでこんなに集まるものなのか。中世の信仰とはいったいどのようなものだったのか。薄暗い山の斜面の苔むす石段を降りながら考えていた。

 標高960mの葛城山の山頂は広く大和が一望できる。ロープウエーで登ったのが夕方近くだったが寒くはない。山頂の国民宿舎で全員、コーヒーをのむ。今日一日歩いた葛城の道が秋の夕日に静かに横たわっている。宿舎までの国道は太古の静粛を完全に破壊する現代人の無節制が作り出す仏と神話から無関係な道だ。この落差は救いようが無い。欲望の渦巻くネオンの道は天理まで続く。そして、今この瞬間までも。

 

【第3日】10月1日(日) 雨時々曇り

NaraHike_4.JPG世界遺産吉野山、談山寺、聖林寺の古寺史跡を巡る

(記録担当 三貴也、美奈子)

 気象情報が当たり雨模様。予定通り7時30分出発、県道169号を経由し、雨の中、如意輪寺に到着。駐車場から近いと時間設定していたが、10分程階段を下った先に佇んでいる。楠木正行が大阪四条畷の戦いの出陣前、やじりで辞世の歌を記した堂の扉等多くの展示品を興味深く鑑賞、予定時間を大幅に超過してしまった。計画したタイムスケジュールは早々に放棄。

 奥千本口から西行庵、苔清水、義経の隠れ塔を訪れるため、標識に従い雨が流れる舗装道を進むが目的場所に到着しない。携帯電話が通じない。先行隊の指示でバスの応援を依頼するため、小池さんが雨の中連絡のため戻る。道を探しながら、バスで戻る。西行庵への道を勝巳さんが突き当て、義経の隠れ塔、そして、西行庵へ向かう。雨のせいもあるが急坂を注意しながら15分、西行庵に到着。雨の中暫く往時を偲ぶ。苔清水を経由、往路とは違う静まりかえった林道を進む。スタート地点に戻り、改めて標識を見直すが「これでは間違う、不親切だ」と標識にクレームをつける。バスに戻り昼食。持参した柿の葉寿司弁当を美味しくいただく。ここからは下りながら古寺史跡の見学。吉野水分神社、吉野随一の絶景地「花矢倉展望台」は時間の制約と雨模様のため景色も見えないとパス。竹林院へ向かう。

 竹林院の庭園「群芳園」は、千利休が作庭した「大和三庭園」。傘をさして庭園を写真撮影しながら散策した。格調高い宿坊には、昭和天皇・皇后様もお泊りしたとある。

 吉野山のシンボルで修験道の根本道場、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築「金峰山寺蔵王堂」を見学。幾多の試練を乗り越え現存する古寺を見るたびに建立に携わった先人の技に言いようのない感慨を覚える。何処で何を学び建立したのか興味がある。親切に案内してくれた勝手神社前の「西澤屋」で、葛しるこ、葛きり、葛湯、のいずれかを各自選択して、吉野名物「吉野葛」を賞味した。

NaraHike_5.JPG ここで、吉野山とはお別れ。13時55分出発、県道28号を経由し県道37号筋にある談山寺、聖林寺へ、更に国道165号で今井町に向かう。

 雨は降ったりやんだりで不安定な天気。山肌から霧が立ち上る。そんな山間の道の両側には白壁の家が、黄金色の稲の向こうに点在し、その風景は心を和ませてくれる。心配した県道37号のトンネルも「新鹿路トンネル」として開通していて14時10分談山寺到着。また、雨が降ってきた。

 五重塔は幾度か見たが、十三重塔は初めてみる。その美しさと佇む環境は、これきりないとさえ思わせる。紅葉の時期はさらに美しいだろうと想像した。

 聖林寺の十一面観音立像は、「正座して十一面観音立像を見上げると優しい眼差が合う」と、誰かが言っていた。私も正座して見上げる。「あなたの事は何でもわかっていますよ」と包み込むような眼差しでした。

 予定通り16時に到着した今井町は、東西600m,南北300mの環濠集落。かつて「大和の金は今井町に七分」といわれるほど繁栄した町。現在も、町の大半の町家が江戸時代の姿を残し、もと材木商、米屋、金物問屋等が重要文化財に指定され残っている。中には、今もお住まいになっている方が家の中を案内し親切に説明をしてくれた。

 天理駅前の料理店「グリル ジャンボ」は貸しきり状態、タンシチュウセット、またはビーフシチュウセットを選択し、今日一日の労をねぎらい乾杯し夕食。食後、駅前商店街を散歩しながら帰ろうとしたが、まだ、19時だというのに店じまいをしている。19時30分甲賀詰め所に到着。20時から歓談と明日の予定説明があり21時30分消灯。

 

【第4日】10月2日(月) 曇りのち晴れ

長谷寺、室生寺など

(記録担当 勝巳)

 他宗教の聖地に誰でもいつでも入れる宗教に初めて出会った。ともかく壮大で荘厳な建物だ。しかし驚くのはそれだけではない、中が実に清潔できれいなのだ。廊下など光るくらいに磨き上げられている。トイレに立ち寄ったら、その掃除を付属の高校生が真剣にやっている。聞けば自主的にしているとの事。まだ、学校が始まる時間の前のことだ。こんなに早朝に来て誰見るものでもないトイレの掃除を黙々としているのは驚きを超えて不思議な気がした。この世界は何だろう、この年頃の高校生が二俣川駅でしゃがみこんで騒いでいるのを見慣れている眼には理解の範囲を超えている。そのうち広場に小学生とおもわれる生徒達が集まり始めた。みんな元気で、爽やかで、楽しそうに見える。強制された北朝鮮のきみの悪い顔はいっさいない。ごく、自然なのだ。私達のような部外者がいることなどまるで眼中に無く、伸びやかで隠し事がまったく無い。いい顔をしている。どんな宗教かは子供たちのこの顔を見れば分かる。安く泊めてもらった上に多くのことを学んだ。清貧に甘んじて心豊かな暮らしをしている本当の人たちに出会った。天理教を知ってよかった。

 仏教伝来の地は桜井市の東、初瀬川の岸辺にある。ここを知ることが仏教に関心を持つはじめなのに、世間ではだれも関心を示さない。仏教の寺院はほとんどが葬式の場としか見られていない。政治に進出したり、戒名などでの金儲け集団に成り下がっている。したがって民衆の支持も尊敬も一部の年寄りを除けばほとんど無い。多くの日本人の1500年に及ぶ信仰の結果がこれでいいのだろうか。

 伝来の地の、その碑にそれほどの意味は無い。でも、仏教を考えるためには、自分達の祖先がどのようにして仏教を何のために日本に導入して信仰を始めたのか、そしてそれが今どうなっているのか、ここに来てあらためて見直すことは意義のあることと思う。

NaraHike_6.JPG 初瀬川に沿って遡ること20分、長谷寺に着く。ここは有名な花の寺で、どんな案内書にも出ているところ。平安貴族の伊勢参り街道の途中でしかも十一面観音菩薩像信仰の波に乗ってにぎわっていたらしい。祝融とは火を掌る神のことで転じて火災のこと。宗教用語らしい。686年建立の三重塔は祝融で喪失した。ともかくこの寺ほど古い文書に出てくる寺は珍しい。門前町の草団子が旨い。

 室生寺の五重塔は土門拳の指一本で有名になった。土門拳の写真は凄みがある。是非一度世紀の名写真といわれるこの五重塔の写真を見ていただきたい。(買うと写真集は高いので本屋で)ここはいつの季節でも本当は美しい。この建物は私達の先祖が造った美の極致である。この塔を前にして何も語ることは無い。

 奈良ほど奥行きのある地域は無い。今回は全体として欲張っているので自分なりの満足の度合いは人によって違うだろう。1000年の歴史を数日で見ることは出来なくても、感じたり読んだり記録を見ることは出来る。

 どれだけ消化したかではなく、どれだけ疑問を生じたかが大切だ。皆の手際よく責任ある行動で事故も無く全員が楽しく過ごせた。

 3泊4日で奈良まで専用車の運転手つきで往復し、多くの拝観料を払い、夕食会をし、弁当付で34,500円。安い上に自分に得るところがあればなおさら良いハイキング旅行だつた。計画も1400km近く走って、二俣川着、予定との誤差4秒という奇跡だった。

  • 日時:2006年9月29日-10月2日
  • 参加者
    三貴也、美奈子、多摩江、善右衛門、恵美子、勝巳、才美、伊久枝、紘正、文子、邦子、達治、きみ子、幸子、安田、以上計15名
  • コースタイム:(着/発)
    • 【第1日】
      二俣川農協前(/6:45)......(マイクロバス)......東名横浜IC(6:55)......足柄IC (7:40/7:55)......浜名湖IC (9:35/9:50)......伊勢湾岸自動車道......湾岸長島IC(10:55/11:05)......東名阪自動車道......伊勢関IC(11:40/昼食/12:05)......針IC(12:50)......若草山山頂(13:35/14:25)......東大寺駐車場(14:30/)......南大門......大仏殿......法華堂(三月堂)......二月堂......戒壇院......東大寺駐車場(/16:30)......天理教宿舎(16:40/)......夕食(18:00)......入浴......就寝(21:00)
    • 【第2日】
      起床(5:30)......朝食(6:30)......天理宿泊所(/7:30)......船宿寺......高天原......一言主神社......葛城山......天理宿泊所
    • 【第3日】
      天理宿泊所(/7:30)......県道169号線......如意輪寺(8:50/)......奥千本口......義経の隠れ塔......西行庵......苔清水......奥千本口(昼食)......竹林院......金峰山寺蔵王堂......西澤屋(吉野葛賞味/13:55)......談山寺(14:10)......聖林寺......今井町(16:00/)......グリル・ジャンボ(夕食)......天理宿泊所(/19:30)......消灯(21:30)
    • 【第4日】
      起床(5:00)......天理教本部礼拝堂(5:40/参拝/6:20)......天理宿泊所(6:30/朝食/7:00)......仏教伝来の地(7:30)......伊勢、初瀬街道......長谷寺(8:00/9:00)......室生寺(9:30/10:30)......桔梗ヶ丘(11:00)......名阪国道......関JCT(12:30)......伊勢自動車道......名古屋西JCT(13:30)......東名自動車道......浜松SA(14:30)......御殿場IC(16:30)......厚木IC(17:30)......二俣川(18:00/)

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このページは、akirafが2006年10月10日 16:07に書いたブログ記事です。

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