No.157 蔵王山塊(熊野岳1840m、地蔵山1736m)山行記録(2006.8.31--9.2)

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Zao_2.JPG【第1日目】(8月31日) 晴れ

(記録担当 幸子)

 定刻の6:20には集合場所の二俣川農協前に参加者全員が集合した。今年初めてのマイクロバス利用の山行です。久しぶりに参加の美奈子さん、恵美子さん、朱美さん、運転はおなじみ安全運転で好評の安田さん、総勢17名。

 6:30予定通り出発

 早速、リーダー勝巳さんより、これからの予定と各担当の確認、コースの説明があった。そして続けて、8月24日?26日に行った下北半島旅行で残った青春18キップを利用して房総半島一周の日帰旅行を9月8日に計画したので、参加される方は申し出て下さいと話があった。

 次に先日の青春18キップ旅行の感想を三貴也さん、孝儀さん、善右衛門さん、勝巳さんから伺った。下北半島ならではの新鮮な海の幸を味わい、レンタカーで気ままな旅を大いに楽しまれたようでしたが、結局新幹線にも乗られたということだった。

 車はバイパス狩場インターから高速に乗り、湾岸線首都高速から東北自動車道を通り白石ICで下りた。途中、事故があり一時渋滞したがその後は快調に走った。蓮田サービスエリア、安達太良サービスエリアで飲物、お弁当等を買った。

Zao_1.JPG 蔵王エコーラインに入り、窓を開けるとひんやりとした風が心地よい。ススキの穂が風になびき秋の気配を感じた。刈田峠、蔵王ハイラインを通り刈田岳駐車場に12:30に着き、ここで、昼食と登山の身支度をした。

 13:00熊野岳に向かう。駐車場より刈田嶺神社の鳥居をくぐり、レストハウスの前を通り稜線に出ると眼下に蔵王のシンボル御釜と熊野岳が目に飛び込む。火口湖である湖水はエメラルドグリーンの鮮やかな色で、御釜を背景に記念撮影。

 そこから、登山道はなだらかな砂礫地を馬の背と呼ばれる尾根伝いを行く。右手に御釜を眺めながら暫く登ると道は二分する。熊野岳へ直接登るのは左の道で、直進しているのは避難小屋を経由する道で、左に入り13:50標高1840mの熊野岳山頂に着く。

 山頂には蔵王山神社(熊野神社)と斉藤茂吉の歌碑、避難小屋が建っている。山頂付近はコマクサの群生地らしいが、夏も終わりなので一つも見ることができなかった。かわりにリンドウ、シロバナトウチソウ(ワレモコウに似ている)、アキノキリンソウ、ヤマハハコグサなど、秋の花に出会えた。

 山頂はさぞかし涼しいと期待して登ったが、風がなく蒸し暑い。

 14:00熊野岳を後に地蔵山に向かう。すると突然上空でヘリコプターが轟音で旋回を始めた。静かな山頂で何が起きたのか一瞬びっくりしたが何事もなく消えて行った。下りはゴロゴロした岩が多く足元が危ない。地蔵山への登山道は一部木道があり、石畳の階段が続く。

 暫く登り、14:45標高1736mの地蔵山山頂に着く。山頂から蔵王ロープウエイ山頂駅や三宝荒神山が見える。ここから、10分でロープウエイ山頂駅に下り、すぐ近くの蔵王地蔵尊に寄る。大きな地蔵尊は200年前に男子の長命を祈願して建立されたとある。

 蔵王山頂駅からロープウエイに乗る。ロープウエイからは雄大に広がる山並み、スキー場、冬になれば雪に覆われ蔵王名物の樹氷になる木々は風や雪に負けないよう短い夏を一生懸命生きている。秋の紅葉、冬の樹氷の季節に又訪れてみたい。

 ロープウエイの中で出会った方が、熊野岳より名号峰へ通じる斜面を下りて、コマクサを見て来たと言っていた。この辺りがコマクサの群生地のようだ。ロープウエイはゆっくり下り、途中の樹氷高原駅で乗り換え蔵王山麓駅に着く。駅にはマイクロバスが待っていてくれた。早速乗り込み、蔵王温泉(国民宿舎)竜山荘に着く。各部屋に分かれひと休みしてから温泉に入る。

 蔵王温泉は火山性温泉で熱めの温泉だ。他に宿泊客もほとんどなくゆっくり汗を流し疲れも吹き飛ぶ。湯上がり後、一室に集まりビールで乾杯、夕食前の一時をくつろぐ。6時から夕食。 二つのテーブルに分かれ、番号札を引き、それぞれの席に着く。再び乾杯。食事のメニューもお刺身、すき焼き、山菜の天ぷら、酢の物など盛り沢山で美味しくいただく。

 夕食後一室に集まり、明日の予定を聞く。続いて謙司さんが趣味でやっている植木屋さんの話題で盛り上がり、いろいろな木の手入れ方法の質問に一つ一つ丁寧に答えて下さり、大変勉強になりました。有難うございました。

 8時半、各部屋に戻り就寝。

  • コースタイム(着/発)
    二俣川農協前(/6:30)......(マイクロバス)......蓮田SA......安達太良SA......白石IC......刈田岳駐車場(12:30/昼食/13:00)......御釜......馬の背......熊野岳山頂(13:50/14:00)......地蔵岳山頂(14:45/14:55)......蔵王地蔵尊......蔵王山頂駅(/15:25)......(ロープウエイ)......樹氷高原駅......蔵王山麓駅(15:50/)......(マイクロバス)......国民宿舎・竜山荘(16:00/)......入浴・乾杯......夕食(18:00)......ミーティング(19:30/20:30)......就寝

 

【第2日目】(9月1日) 晴れ

(山行組記録担当 勝巳)

Zao_3.JPG 無愛想な国民宿舎「竜山荘」の見送りも無い出発。午前8時15分。天気晴天。風なし。絶好の登山日和。今日一日の全ての時間を登山に使えると勇んで笹谷峠に向かうが、その峠への入り口で道路車両規制に遭う。長さ6m以上は通行不可。このマイクロバスは6.9m。地図上のジグザグ道から推測してカーブを曲がりきれないためあえなく撤退。再度提案により反対側から挑戦するもこれもだめ。長い「笹谷トンネル」を行ったり来たり悪戦苦闘の末、山寺散策に行く人の送迎を優先することとし、コース変更し山寺と登山の両方が可能で、安全で、皆に手ごろな山を捜し求めて行き先を急遽変更。山寺訪問の散歩組を降ろし登山組みはやっと捜し求めた山形、宮城の県境の面白山(標高1264m)に向かう。

 仙北線「山寺駅」の次が「面白山高原駅」。そこまでは線路に沿っての紅葉山林道で、ところどころにあと何キロという案内板があるのでその気になって林道を入るが途中道路の狭さに危険を感じ浄水場までで引き返す。再度、大回りして時間をかけ天童市経由で面白山に挑戦する。面白高原キャンプ場に着いたのが11時30分すぎ。これではこれから往復4時間かけて「面白山」に登ると、山寺散策組を大幅に待たせることになって気の毒だ。14時の集合を変更することも考えたが山中では携帯も通じないこともありうるので、せっかく苦労してここまで来たのだが「面白山」登頂を断念。 広大な芝生の高原で昼食とする。高原の風と遠くの牧場の牛の声、広く開けた大きな空、秋めいた草木、遠く霞む山なみ、高い青空の白雲。誰もいないゆっくりした昼食。昼食後、山寺に最も近い道である面白山高原駅に向かう。マイクロバスは山寺に先に帰り散策組を乗せて先ほど引き返した浄水場まで迎えに来るよう安田さんに伝える。こうすれば時間の無駄が省ける。

 「面白山高原駅」への道は最初からバスが通れる幅の十分な舗装道路。これならマイクロバスで下ればよかったと思っても帰したあとでは後の祭り。結局駅まで1時間近くかけて、深い森の中の舗装道路をひたすら下る。

Zao_4.JPG 駅に近いところから紅葉川沿いに「紅葉川ハイキングコース」なる標識に従い、谷底に下る。これが曲者。名前は簡単に見えるが実際は危険な沢筋の下り。道は急峻な谷に沿って僅か数十センチの幅で、小さな不安定な吊橋を何度も渡りうねうねと続いている。両岸は切り立つ崖。沢は水流にえぐられ数メートルはある深さで青々と底を見せている。ここに落ちたら、リックや登山靴姿では絶対に助けることは出来ないだろう。その上、道は谷底独特の支流の水に濡れて苔むしていて滑りやすい。頼る岩も濡れてつかまるところすらない。大きな滝や、名勝らしき岩がたくさん在るのだが観賞の余裕はなく、ひたすら早くこの谷を全員無事で通り抜けたい、一人として滑落しないでくれと祈りながら慎重に行く。緊張しているので休憩もしないのに誰も文句一つ言わない。のんきに歩いていたとしたら偶然の結果で本当は実情を知れば青くなる場所だ。蛇や、蛭、熊にも万全の注意が必要だ。これらに驚きパニックをおこし沢に滑落するから。

 悪戦苦闘の末、舗装の立派な自動車道に出てホットし座り込み始めて水を飲む。14時。後は今朝ほどの浄水場まで歩けばマイクロバスが待っている。午後の強い日差しの中を黙々と林道を下る。途中、何人かが先行してマイクロバスを出来るだけ奥まで誘導してもらうことを期待する。しかし、やっと、今朝来た浄水場に着いたのにバスがいない。そこまで頑張って急いできたのにドット疲れが出る。約束し、先行した人もいるのに残念なことだ。仮に何らかの事情でマイクロバスが再度こられないなら、冷房のバスで待っているのではなく、そのことを浄水場まで伝えにくる人が一人ぐらいいてほしかった。「歩きたい奴が歩いてるのだから歩かせればいい」という精神構造は、助け合うことを当然にしている登山からはほど遠い距離にある。山寺発、青根温泉へ。

 青根温泉4時ごろ着。薄汚れた古い建物だが、温泉はいい。宿の人も親切だ。温泉街は明治時代にタイムスリップしたような木造の古い建物と、そのかもし出す静かさの中にある。数軒しかない「何でも屋」は電気をつけずに暗く、開いてるのかどうかすら分からない。温泉街に人の姿が無い。停車場の跡の足湯につかりながら古い看板のバス料金を見る、

 東北の深奥の、森に囲まれた実にいいところだ。6時夕食。他に泊り客数人。明日は帰るだけの気楽さで酔いが回る。無料のカラオケで各自勝手に歌い9時就寝す。

  • コースタイム(山行組)(着/発)
    竜山荘(/8:15)......(マイクロバス)......笹谷峠入口......笹谷トンネル往復......山寺(10:30散策組下車)......天童市......面白高原キャンプ場(11:30/昼食/12:10)......(ハイキング開始)......面白山高原駅(13:00)......紅葉川ハイキングコース......自動車道路(14:00)......山寺駅1キロ手前(/15:00)......(マイクロバス)......青根温泉(16:00/)......夕食(18:00)......カラオケ......就寝(21:00)

Zao_6.JPG(散策組記録担当 多摩江)

 仙山線山寺駅前通りで、山行組と10時半頃別れた。通りを抜け、立谷川に架かる宝珠橋を渡り、そこを右に折れ山寺登山口に向かう。両側には、お土産屋が並び蕎麦、ずんだ餅等々の看板の字を横目に見ながら10時35分に登山口に着く。

 一般には、"山寺"と呼ばれているが正式には"宝珠山立石寺"と言い、宝珠山の山腹に建つ銅版葺の立派なお寺である。千百数十年前の貞観2年(860年)清和天皇の勅願により天台宗の僧、慈覚大師円仁によって開基された霊場であり、比叡山延暦寺の別院でもある。

 登山口を登るとすぐに豪壮な根本中堂が眼前に現れる。ここで最初のお参りをする。そこの左手に松尾芭蕉の句碑『閑さや岩にしみ入る蝉の声』がある。奥には、当山で一番古い石塔が見えるが、清和天皇の供養塔である。左後方には慈覚大師お手植えと伝えられる樹齢一千百余年の大イチョウがあり、霊気が満ち満ちている感がある。

 右手に鐘楼を見ながら山門を潜ると、鬱蒼と繁った老杉・木々が頭上に聳えている。仁王門まで杉木立が続き、その間をぬうように凝灰岩が多年の風化のために奇岩怪岩となって佇みあるいは聳え立つ。奥の院まで一千余段の階段で結ばれている。少し登ると姥堂があり、本尊は奪衣婆の石像である。ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口であり、一つ一つの石段を登る事により欲望や汚れを消滅させ、明るく正しい人間になる。そうありたいが............。宝珠山の自然に沿って作られたこの参道は、修行者の道であり一番狭い所は約14cmの四寸道で、別名親子道、子孫道とも言われる。

 全山の半分程の所にお休み処があり、その近くに蝉塚がある。芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて石の塚を建てたものである。更に登って行くと欅材の優美な仁王門に着く。左右に仁王尊像が安置され、邪心を持つ人は登ってはいけないとばかりに睨み付けている。仁王門を潜り抜ける頃より杉木立からぬけ、南画の様な景観となる。

Zao_5.JPG 山内支院の性相院、金乗院、中性院を順に拝し、登りつめた所の正面右側に古いお堂の奥の院と言われる如法堂が、左側には大仏殿がある。置かれている卒塔婆の中には後生車がついているのがあるのが印象的だ。

 そこより左方向に歩を進めると、三重小塔、華厳院そして開山堂となる。開山堂は慈覚大師のお堂で大師の木造の尊像が安置されており、朝夕・食飯と香を供えている。向かって左、岩の上の赤い小さい堂は、写経を納める写経堂で山内で最も古い建物である。右上の方には五大明王を祀って天下泰平を祈る道場で、舞台式御堂の五大堂がある。山寺随一の展望台であり、眼下には風雅の国芭蕉苑、遠方には奥山寺の山々が見渡せる。

 一気に麓まで下り、善右衛門さんが、行きに目星を付けておいた蕎麦処"美登屋"で昼食を摂った。男性陣は'板蕎麦'を取ったが、それが一人前半から二人前近くもある蕎麦が長方形の板の器に盛られているのだ。やはり、多過ぎたようだ。ずんだ餅がことの外美味しかった。待ち合わせ時間には未だ間があるので、仙山線を挟んで反対側の山腹にある芭蕉記念館の方へ行った。其処からは山寺の全景が見られ、参道が修行道である事が納得させられる。その周辺を散策しながら14時30分頃安田さんの車で出発し、途中で山行組と合流し一路、青根温泉へと向かった。

  • コースタイム(散策組)(着/発)
    山寺(10:30下車)......山寺登山口(10:35)......奥の院・如法堂(11:15)......五大堂(11:40)......蕎麦処・美登屋(12:00/昼食)......芭蕉記念館......山寺駅前(/14:30)......(マイクロバス)......山行組と合流(15:00)

 

【第3日目】(9月2日) 晴れ

(記録担当 きみ子)

 朝、共同浴場へ。ヒノキの香も芳しい新しい浴場。広々とした浴槽からの眺めもよい。お湯は無色透明、源泉を薄めた感じでクセがない。ジャッポとは、ここ青根の方言で「お湯」と言うのだそうだ。

 帰りに町並みを散策する。足湯がある旧バス停。「4月まで運休します」のコメントが面白い。青根温泉発祥の佐藤仁右衛門の不忘閣。表札に「大佐藤―――」とあった。亭々たる森を背景に瓦屋根の二階家のガラス窓が光っている。ここからの眺めは抜群だろう。玄関先に(欄干によって、夕立のあとの虹を眺める)と言う意味の歌碑があったが、ここから見たのだろうか。その不忘閣を背にして前を眺めると、遠く山々の稜線が幾重にも連なって幻想的な眺めだ。「ウーンここは良い」誰もがうなった。

Zao_7.JPG 青根洋館。ちょっとロマンチックな建物 寄ってみると古賀政男記念館とある。そういえば「影を慕いて」発祥の地という大きなポスターを見たっけ。ここであの名曲が生まれたのか、きっとあの風景に触発されたのね、などと思いをめぐらす。

 ここは、伊達騒動の当事者の一人、原田甲斐の住んでいたところのようで、「樅の木は残った」に出てくるおたよの名を冠した「おたよの湯」とか、由緒ある名前が散見される。また「道楽もち」の由来とか、世界一の砥石(?)があったりと古びた町の古びたいわれがあちこちにある。 お風呂から帰ってくると、きのう注文しておいたトウモロコシが届いていた。早速かぶりつく。熱々で、甘くておいしかった。

 朝食後、松島に向けて出発。

 松島海岸について、船で島巡り。島々の説明をするアナウンスをよそに、カモメにえさをやるのに夢中。カモメも慣れているのか上手に手からとっていく。

 しばらくするとついてこなくなる。もう満腹なのか、そんなに付き合ってられないよということなのか。260もの島にすべて名前がついているそうだが、仁右衛門島を過ぎたあたりから寄せてくる波の荒さに気がつく。大分、外洋へ出たのだなと思った。

Zao_8.JPG 40分の航海を堪能したあと、五大堂、瑞巌寺へ。

 瑞巌寺。広い参道をうっそうたる木々がとりかこむ。一種独特の雰囲気だ。本堂に入るとその大きさ、その荘厳さに目を奪われる。なかでも各部屋の障壁画が鮮やかな美しさだ。平成7年に復元模写が完成したそうだが、まさに「金壁荘厳光を輝」(奥の細道)だなーと思った。

 開け放たれた部屋の中を風が渡る。さわやかだ。この風にほっとする。

 昼食は、浜田湾を見下ろす眺望絶佳の料亭「田里津庵」へ。

 ゆったりと腰を下ろすと、目の前にゆったりと海が広がる。味もまたよし。お造り、ふかひれの茶碗蒸し、さばのポン酢やき、かきの揚げだし、パイナップルのシャーベットなど。これで2800円。

 食後、一路二俣川を目指して出発。

 車中では、善右衛門節全開のナゾナゾ。しりとり歌合戦などで盛り上がる。

高速道をスムースに快適に走る。たいした渋滞にもあわず、無事二俣川に着いた。渋滞に巻き込まれないよう配慮し、しかも安全に運転してくれた安田さんに大感謝。 皆さんお疲れ様でした。

  • 日時:2006年8月31日(木)?9月2日(土)
  • コースタイム(着/発)
    川崎町立「ジャッポの湯」(6:30/7:00)......朝食(8:00)......青根温泉(/8:35)......(マイクロバス)......松島海岸(10:15/湾内観光/11:00)......五大堂・瑞巌寺参詣......田里津庵(12:30/昼食/13:30)......東北道・首都高......二俣川駅前(19:40解散)
  • 参加者
    三貴也、美奈子、孝儀、多摩江、善右衛門、恵美子、勝巳、才美、伊久枝、紘正、邦子、朱美、きみ子、昭、謙司、幸子、安田、以上計17名

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このページは、akirafが2006年9月15日 15:18に書いたブログ記事です。

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