No.156 下北半島の旅の記録(2006.8.24-26)

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Shimokita_3.JPG(記録担当 勝巳)

ひたすら忍耐をとの決意も霧散したこと

 そもそもJR東北線が悪い。上野から野辺地まで当然東北線が通じてると思ってたら、なんと、盛岡から先はJR東北線が突然切れていたのである。そのくせ、八戸からはまた青森まで、東北線と表示してある。このなくなってる区間は、第三セクターとやらで我らの青春18キップは使えない。

 そこでやむなく新幹線を使う羽目になる。これがいけない、新幹線を使った瞬間からあの耐え難きを耐えるという崇高な精神は跡形もなくなってしまったのだ。この速さ、快適さは麻薬である。一度味をしめたら我らの強固な意志を持ってしても誘惑に勝てない。絶対に。ウイスキー一本を丸ごと空けているOZさんから「根性なし」とののしられても聞けなふりで新幹線に乗る。ビール一缶を飲むまもなく八戸に着く。本当は野辺地まで行ってもいいのだがさすがにくにの家族に「根性なし」と思われるのもなんだからとのAMkさんのいつもながらの正義感溢れるお言葉に意見に従い、八戸から野辺地経由で大湊までは青春18キップ利用の鈍行にすることとした。そのころ、善さんは「ペッぺ、ペッペ」と大声を上げている。どうも八戸のことを言ってるらしい。夜10時大湊着。降りたら飯だとの浅はかな考えは砕け散った。真っ暗な駅前で、何も無い。今日は寝るか。

よいよ下北の地を行き仏が浦の船に乗ること

 フォルクローロ大湊という舌を噛みそうなホテルの朝食は豪華だ。昨日らい、ろくな飯を食ってないこともあるし、バイキングでもあるし、これからの下北では昼食を食いはぐれることもあるし、これだけの条件が揃うと当然大盛、お代わりである。布袋様のような腹で左に陸奥湾の軍艦を見て快適な出発になる。サルがいるし、森は深いし、人家は少ないし、出会う車はいないし、抜くべき車もいないし、朝なのに村を過ぎても人の気配もないし、今はもちろん酒を飲んでないし昨日は飲みすぎてるしで、結局全員が無口になる。脇野沢を避けて内陸の畑の集落から野平(のたい)にいたる。ここはかって(昭和63年4月)泥濘の雪道をリックで歩いたとき「満州の開拓に夢破れ筆舌に尽くし難い辛酸な中を逃げ帰り、やっと下北の開拓に希望を持ち入植したのに、今また、ダムに沈む村を全村で捨て去る」との草生す石碑を夕日の中に偶然見つけ立ちすくんだところ。あの人たちは、あの家族達は、この混沌たる世のどこに消えていったのだろう。

 その道の行き止まりが牛滝の集落である。空き家の多い戸数20戸程度の漁村だ。一隻だけある仏が浦への観光船は、エンジン故障中で休み。致し方なく引き返して仏が浦に直行する。山道を20分も降りると奇岩の群れなす海岸に立つ。石灰石のような白い巨大な奇岩が濃い夏の原生林の緑を背景に、あくまでも青く澄んだ空を白砂の波静かな海に映して億年を蔵している。800円の観光船の船頭さんはATnさんの町内にかって住んでいたとのことだが料金は負けてくれなかった。

これが本場ものの雲丹どんであること。「縫道石山」のこと

 道は同乗者が車酔いするのが自然のつくりである。行けども行けども何たる原生林。熊注意の看板すら建造物に出くわしてホットするほどだ。左絶壁、波も無い陸奥湾。その向こうは竜飛、遠く北海道。道は車酔いなど歯牙にもかけずに曲がりくねっている。右手奥にやがて「縫道石山」(ぬいどういしやま)が独特の神秘的な姿をあらわしてきた。この山では、旧石器時代の 発掘がおこなわれておりこれが見つかれば歴史が書き換えられ、教科書会社が慌てる代物だ。それでなくても数億年前の化石とも言われる岩コケがあり、特殊植物群落に指定されてる知る人ぞ知る秘境にして憧れの深山だ。せめてもと福浦で山道に入りかけるその入り口に番人よろしく5人も入ればいっぱいの食堂が日に焼けた旗を風になびかせている。太陽は天空にいるし、音もない寒村の食堂に「季節限定雲丹どんぶり」と出ているではないか。先に来ていた定年後の地元の人が(特に会社名を臥す)、ここの雲丹を食べなければいけないと説得力ある語りかけを受け、もとより自主性などかけらも無いいい加減な集団 はすぐに同調する。でも本当は相原さんからの多少の抵抗があったのだ。「大間のマグロが食いてい」との意見は、大間でもう一度昼食を食おうというほとんど実現性のないインチキ提案と、今頃の大間のマグロなんてクルクル寿司のマグロ並だなどと出任せをいい、純粋な好青年を騙し、正義が滅んで雲丹が勝利を収める。いつの世もこんなものだ三貴也さん。

Shimokita_1.JPG それがこの写真だ。みてくれ、本場物の雲丹丼を。ご飯の場所に行き着くのにどんなに苦労したことか。分け入っても分け入っても青い山ではなく雲丹なのだ。しばらく格闘してやっとご飯粒らしきものを見出すのだ。店のオバサンの会話も「店の前に熊が出るよ」と野良猫並に平然と言うし、地元の定年おじさんは、「ここでは日に何度も熊が出てるから注意しろと放送してる」とおっしゃるし、熊注意の放送など、廃品回収のマイク以下にしか扱わないのである。くわえて、雲丹丼自慢は、ついに、「東京テレビでこの雲丹丼を放映するから見ろ」という。たしか東京のTVと言ったのか、東京TVと言ったかはどうでもいいくらい自然な会話なのだ。そんな代物なのだ、この雲丹丼は。ヤッパリ雲丹丼には熊がよく似合う。さすがに縫道石山の番人の店だ。最後に料金が安いといったら、もとは親父さんが海から只で取ってくるんだからともっともなご意見を聞きながら出発。熊にあいませんように。昼中の村道で。

恐る恐る、恐山に踏み入るのこと

 大間を過ぎると群青の津軽海峡をはさんで北海道の山々が良く見える。恵山の噴火の跡の特徴的な絶壁や、函館山の鉄塔までもが左手後方に流れて行く。下風呂温泉も数件の旅館があるのみで海岸沿いの狭い平地にやっとこびりついている程度のものだ。名前が有名だが、それもそのはず、この近くには、名前をつけるべき何物も他にそもそも無いから、一寸した温泉でも箱根並に扱うことになり、それなりに公平だ。少し気の利いた街である大畑で薬研温泉方向に山中に向かい、よいよ恐山に近づく。車中で恐山ではどのように行動すべきかを諄々と説き聞かせる。もちろん本当にあった多くの恐山怪談も交えて。道端の古い地蔵の赤い衣が暗い森陰に潜んでいる。やがて口を聞くものも無く、訪れるであろう不気味な聖地に緊張する。孝儀さんの運転も一層慎重になりただ車の音のみが昼の鬱蒼とした森に吸い込まれていく。登りきると突然出くわした宇曾利湖の水は波も無く低い外輪山をうつしている。心なしか湖が暗い。黒い甍の寺は全ての戸を閉め切って静寂にある。黄泉の世界との入り口か、湖を囲む白い砂地に小高い溶岩の塊に地底のガスが噴出し、熱泉がここかしこに音もなく噴出し、大地は黄色く黒く変色している。朽ちた地蔵が立ち並び、小さな風車が、亡くなった人の無念の声をキキ、キキとこの霊地の夕暮れに幽かに伝えてくる。ここは、うすぺらな科学を離れた遥かかなたに在る霊の世界。人とていない荒涼たる霊場は赤と白の古ぼけた風車の音と、低く飛ぶ烏の鳴き声。ひっそりとした波さえない湖。戸を閉ざした寺。遠く豆粒のように一人うろつく女性の姿。

Shimokita_4.JPG 温泉は、木造の平屋10畳ほどで皆同じような古さだ。無論誰も入っていない。こんなところで温泉に入る人はいないのだ。われら4人「いろんな温泉に入ってきたがこんな気持ちで入るのは初めてだ」との意見に集約されつつ入る。中に「ガスが溜まると危険だから窓をあけること」との張り紙。深夜、霊の歩き回る薄暗い電灯の中でここに一人入ってこそ恐山の温泉だ。私は遠慮するが。

 早々に恐山を逃げ出すが、これがかなり森が深く曲がっても曲がっても抜け出せない。他の車にはまったく出遭わない。もちろん人間なんててんからいるはずも無い。道端にお地蔵さんらしき石仏が衣をまとって立っているが人間に見える。あれは確かにこちらを向いて眼が追ってきた。人家らしきものが見えてきてやっと人心地がした。帰り道に立ち寄った下北一の標高である釜伏山は軍事要塞化して一般人は原則入れない。ここからの陸奥湾と、北海道が美しい。恐山もその姿を宇曾利湖とともに見せていた。少しだが。なんか変に明るいのだ。それなのに変に心が晴れない。霊がついているのかもしれない。レンタカーを返して今日が終わった。今日は付き合いますが、どうぞ明日は霊場にお帰り下さい。私達にはあなた方を救うほどの徳のかけらもありませんから。みんな。

大湊の夜は更けていくこと

 風呂浴びて、19時、街に夕飯を食べに出る。元気のいいホテルのフロントの紹介ですぐ目の前の飲み屋だ。何でも自衛隊上がりの主人で、紹介してくれたフロントマンもそのようであった。戦前から、大湊は、連合艦隊で持っていた街なのだ。精進落としだから盛大にしよう。

八戸でレンタカーを借り、仙台までのこと

Shimokita_5.JPG 日本は、真ん中から右が東北では岩手県だ。全部岩手県だ。行けども行けども岩手県だ。この大きさには手がつけられない。地図上は太平洋を望み、優雅に湘南ボーイ達のドライブのはずが、何にも見えない。海なんてとんでもなく遠くだ。森と、また森と、たまに田圃。それだけ。どこに人はいるんだ。岩手県の本当の人口は怪しいぞ。ムリに海に出ようと試みると行き止まりの山の中。引き返す道もそこそこまた挑戦するが海は見えない。このままだとリアス式海岸が終わってしまう。でも海に出られない。久慈で昼食。10杯もあるわんこそばは半分で満腹。いったい、東北の人はどんな食欲なんだ。そこの親父に「北山崎」がいいと聞き委細省略するが苦労して到着する。本当にいいところだ。ここは本場ものだ。雲丹丼に相当する。あんまり書くと本物が色あせる。こんなところの景色は人に言わないほうがいい。秘密の場所だ。絶景とはここを言う。「よそより高いものがありましたら店員にお申し付け下さい」のヨドバシカメラと同じく、「ここよりいい景色がありましたらお申し付け下さい」だ。絶景には無言がよく似合う。

仙台から新幹線で東京までのこと

 

 ただ、寝るだけ。ひたすら寝るだけ。おやすみ。前後不覚。

  • 日時:2006年8月24日-26日
  • 参加者
    三貴也、孝儀、善右衛門、勝巳、以上計4名

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このページは、akirafが2006年8月31日 08:46に書いたブログ記事です。

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