No.149 高旗山(968m)山行記録(2006.3.11-12)

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Takahata_1.JPG(記録担当 紘正)

春がくる、山に里に

 郡山は、歴史の道筋からも、観光のスポットからも置き去りにされた街・・・・そんな先入観を持っていた街を、歩いてみれば色々な発見に心がときめくのだった。

 都市化された街は、猪苗代湖に通じる国道を、西へ20分ほど車で走ると田園地帯となり、更にその平地は山に入り込み、雑木林が茂る幾つもの里山を形成していた。その中でも、一際目立つ山が、その昔に八幡太郎源義家が旗揚げをしたといわれる『高旗山』であった。

【第1日】 (3月11日)晴れ 高旗山に登る

Takahata_4.JPG 30分程、郡山駅から車で走って、集落の最奥にある一軒屋、源田温泉『熊田屋旅館』に着いたのは10時頃だった。山間にある湯宿だが、のびやかな水田やゲレンデとも見える牧草地が見渡せた。この玄関先で携帯品の整理をして林道を歩き始めた。
(楽しい、本当に楽しい)

 花の色こそないが、<この辺りの山も雑木林も>何か、関東の山と異なって、一歩一歩、高度が上がるたびに、季節の移ろい・・・というか、樹木の表情が変化していくのがわかるような気がするのである。

 さて、幾つもの里山の山懐を巻いて来た様に思える林道の終点が『高旗山参道入口』であった、が、残雪の先の雑木林は、また幾重にも連なっていた。

 阿武隈山系の山は、このようにして深く深く『奥羽山脈』に繋がっていくらしい。

 11時10分に高旗山参道入口に着いたから林道を一時間近く歩いた事になる。この時間、日差しが真上に来て、寒くもなく、風もなく、勝巳さんのリーダーシップもハイキングモードに入ったような気がする。

 「もう、何もいらないぞ!雨具も置いていけ、アイゼンも履かなくていいよ」

 こんな暖かい雰囲気のなかで昼食をすませ、木陰に荷物をデポして、11時40分に残雪の雑木林に足を踏み入れた。

Takahata_11.JPG 「木が柔らかい!」と、きみ子さんが言えば
「ほんと、冬枯れの山とちがうネ」と、才美さんが言うほど、良い季節の良い山である。ミズナラ・クヌギ・ヤマザクラといった落葉高木の向こうに青空が見えるし、少し高度を上げたところに自生するブナの根元では、根割れが始まって雪が丸く融けていた。

 雪原の落ち葉に目を留めたり、雑木林の木の陰に目をうばわれたり・・・
 (身も心も洗われる)

 高旗山の斜面を緩やかに巻きながら、何度もそんな思いがした。

 12時15分、雪解けの水が集まる樋の水場でノドを潤す。

 間もなく行くと参道(踏み跡)は右折して稜線の登りになった。

 此処まで疲れ知らずで来たが、〔何故か山頂近くになって〕、雪に埋もれた100m刻みの標識を意識した途端に息が切れて、山頂まで400mを残した所で休憩となった。

 12時50分。『宇奈巳呂和気神社』の祠(源義家が戦勝を祈願?)でお参りをして、朽ちた鳥居をくぐると、空の青さと残雪の山々が渾然一体のなった感動的な景色が展開した。一等三角点の山だけの事がある、目の位置に磐梯山、遠くに尾瀬の山々、那須の嶺まで見渡せるのであった。あ!猪苗代湖も。

 「こんなに簡単に登れるとは思わなかった」
と、才美さんが感慨深げに言った。

 「いい山だろう!」
と、勝巳さんが、我意を得たとばかりに応えた。山の上は春だった。

 そんなわけで、何時もはロスタイムを嫌うリーダーも、今日ばかりは、1時間以上の休憩時間をとって、グゥ?グゥ?と鼾を書きながら寝入ってしまった。

 各人思い思いの時間を過ごして、そろそろ「湯に入りたい」と思った頃、時計を見ると14時であった。リーダーより、コンパスを使って『ルート判断』の実地講義を受けた後、アイゼンの紐を締め上げて14時20分、同じ山道を帰路についた。(一部分、旧道を藪漕ぎ)

 16時20分、宿に到着。アイゼンを洗って軒下に干し、改めてチェックイン。(他人が入らないうちに)と、風呂に急いだ。

 簡素な風呂場であったが、熱くもなく、寒くもなく・・・体の隅々まで温まる源泉の湯であった。外は日暮れて、時たま風花が舞っていた。

 「俺は湯中りがするから」
と、スゥと入ってスゥ?と出て行った三貴也さんが、缶ビール・缶チューハイを手配して下さった。それを、4畳半の和式サロン部屋に持ち込んで飲んだ。

 「乾杯」「?」
と、6人が、言葉まで飲み込んでしまう程に美味しい、楽しい一口であった。

 夕食も美味しかったし、あきらさん差し入れの食後の白ワインも美味しかった。そんな訳で、歩行時間に略等しい時間、飲んで食べて、お喋りをして、一日を終えた。

 

【第2日】(3月12日) 曇り後雨 村里を歩く

 「村里を歩いて、村の人と会話でもしよう」
昨日、この辺りの雰囲気に魅せられて、リーダーから提案されたのだった。

 8時30分、ルートの目標を、昨日山頂から見えた『北沢湖』に定めて出発する。

 「この高低差を、良く整備したものだ」
と、昭さんが、足もとの坂道と雛壇になった水田を見比べながら言われた。一世紀を越える先人の知恵と努力の賜物なのであろう。ともすれば、その様な事に無頓着であった自分の不明を恥じながら、良く手入れが行き届いた水田や畑を見渡した。

 さて、それにしても人に会わないのである。『誰もが畑を耕し、春を迎えている』と言う光景に出会わない。

 (後で、宿のご主人に勝巳さんが尋ねたら、今は、落ち葉の掃除や畠焼きの時期で、人が動き出すのは春分からとの事であった。)

 昨日は、華やいだ気持ちで通った国道も、今日は寂しい。一時間に一本の運行時間を告げる定期運行バスの時刻表が、折からの風にあおられて寒々しく揺れていた。

 その様な次第で、10時30分風に逆らいながら坂道を駆け上がって(?)宿に着いた。

 個人的には、ついつい都会の生活に感化されてしまったが、自分の育ちの原点を辿れば、今日の景色であり、毎日が今日の天気であった。刹那でも、自分探しの旅が出来たような気がする『旅館近くの散策』であった。

 以降は、三度目の湯に漬かり、お蕎麦を食べて、昼寝をして、13時前に宿のバスで郡山駅に向かった。郡山駅で解散、各人の指定車両に乗車して帰途についた。

  • 日時:2006年3月11日-12日
  • 参加者
    三貴也、勝巳、才美、紘正、きみ子、昭、以上計6名
  • コースタイム
    • 【第1日:3月11日】
      東京駅(7:40発)......(新幹線)......郡山駅(9:22着)......(宿のバス)......源田温泉(10:00着/10:10発)......高旗山参道入口(11:10着/昼食/11:40発)......高旗山山頂(12:50/14:20)......源田温泉「熊田屋旅館」(16:20着、宿泊)
    • 【第2日:3月12日】
      源田温泉「熊田屋旅館」(8:30発)......(散策)......源田温泉「熊田屋旅館」(10:30着)......(入浴・休憩・昼食)......源田温泉(12:50発)......(宿のバス)......郡山駅(13:50/14:33発)解散......(新幹線)......東京駅(15:56着)
  • 費用:宿泊飲食費、バス送迎代 約13,000円/人(うち2食付宿泊費8,500円/人)交通費 JR規定運賃 約16,000円/人 計 約26,000円
  • 1/25000地図 :「岩代中野

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このブログ記事について

このページは、akirafが2006年3月19日 14:34に書いたブログ記事です。

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